第1987話

 セトと共にマリーナの家に戻ってきたレイは、そこでウォーミングアップを十分に済ませた様子のエレーナとヴィヘラの姿を目にする。

 双方共に、これから触手と戦うことになっても問題なく動け、最大限のパフォーマンスを発揮出来ると、見ただけでレイにも理解出来た。

 だからこそ頼もしく思い、レイはミスティリングの中から途中で買ってきた肉まんを二人に……そして、離れた場所にいたアーラとビューネにも渡す。


「これから戦いだけど、少し何か腹に入れておいた方がいいだろ。腹が減っては戦は出来ぬって言うしな」

「……聞いたことがない言葉だけど、真実ではあるわね」


 ヴィヘラがそう言いながら、レイの渡した肉まんに齧りつく。

 まず皮の甘さが口の中一杯に広がり、次に肉の味が広がる。

 これは、肉を細かく、挽肉にして餡を作っているのではなく、一口サイズの肉を幾つも入れているからこその満足感だ。

 もっとも、この辺りはあくまでも個人の嗜好によって違うので、中には挽肉状にした餡の方がいいと言う者もいるのだろうが。

 ともあれ、そんなヴィヘラに続いて他の者達も肉まんを食べる。

 最近美味いという評判のある屋台から買ってきた肉まんだけあって、皆に美味いと思わせるには十分な味だった。

 そんな肉まんを食べながら、レイ達はこれからのことを話す。


「それで、マリーナはどうしたんだ?」


 既に肉まんを食べきってしまったセトに、もう一つミスティリングから取り出した肉まんを与えながら、レイが尋ねる。

 ダスカーに最終確認をして、すぐに戻ってくると言っていたので、レイが戻ってきた時には既にマリーナも帰ってきているのではないかと、そう思っていたのだ。

 だが、こうして庭を見る限り、マリーナの姿はない。


「マリーナなら、まだ帰ってきていないな。……そう言えば、ヴィヘラとの模擬戦に夢中で気が付かなかったが、確かにそろそろ帰ってきてもおかしくはない筈なのだが。……うむ、この肉まんは美味いな」


 肉まんを味わいながら、エレーナが呟く。

 本来なら公爵令嬢のエレーナは、肉まんを食べる……それもしっかりとした店ではなく、屋台で買った料理を食べるというのは、有り得ないことだ。

 だが、その有り得ないことを、ギルムにいれば普通に楽しめるというのは、エレーナにとっても非常に嬉しいことだった。


「別に、マリーナはそこまで何かやることがないんだから……あ」


 途中で言葉を切ったレイが視線を向けた先には、いつものパーティドレスを着たマリーナの姿があった。


「あら、美味しそうなのを食べてるわね」

「ほら。それよりも、随分と遅かったな。何か問題でもあったのか?」


 ミスティリングの中から新しい肉まんを取りだし、マリーナに渡しながらレイが尋ねる。

 その肉まんを早速味わいつつ、マリーナは首を横に振る。


「あら、この皮は美味しいわね。もっちりとしていて……ちょっとダスカーに念を押してきただけよ。一応ね。もし戦いの途中で騎士とか兵士が乱入してくれば、面倒なことになるでしょ? まぁ、大体は問題ないんだけど、やっぱり手柄を欲して独断専行しようとする人もいるのよ」

「あー……やっぱり、こっちでもそういう奴はいるのか」


 レイが知ってる限りでは、ギルムの騎士や兵士にそのような者がいるとは思えなかった。

 ベスティア帝国との戦争で一緒に戦った時も、自分の手柄の為に独断専行するといったような相手は見ていない。

 ……もっとも、ベスティア帝国との戦争ではレイが火災旋風を作ったことによって、誰もが度肝を抜かれて独断専行どころではなかった、というのが正しいのかもしれないが。

 だが、人が大勢いれば、その全員が善人……などということがある筈もない。

 であれば、当然のようにそのような者がいてもおかしくはなかった。

 ましてや、今回レイ達が戦うのはギルムに大きなダメージを与えかねない存在なのだから、ここで大きな手柄を欲しいと、そう思う者がいてもおかしくはないだろう。

 とはいえ、それを前もって察したマリーナがダスカーに念を押してきた以上、その願いが叶うことはまずないと考えてもいいのだが。


「ええ。まさか、これだけ人が集まっている場所で、善人だけがいる……なんて、夢物語を信じてる訳じゃないでしょ?」

「それはな」


 ギルムにも裏社会が存在しているのは、何度かそのよう者達と揉めたことがあるレイは当然のように知っていた。

 そこまでいかなくても、個人で何らかの悪いことをしている者というのは、当然のようにいるのも知っている。


「だからこそ、よ。……それに、私達が動くのはともかく、騎士団や兵士達が動くとなると、色々勘ぐる人もでてくるしね」

「貴族街の連中だな」

「正解」


 全員が全員という訳ではないが、貴族街に住んでいる者の中にはギルムの情報収集を任されている者も多い。

 そのような者達にとって、今回のように大規模に……それも冬にこれだけの戦力を動かすというのは、情報を仕入れる重要な機会だ。

 勿論、何故そのような行動に出るのかといったことを含めて。

 ……そして、ダスカーとしては、出来れば今回のような一件は知られたくない。

 そういう意味では、実際に触手と戦うレイとは違って、ダスカー達も裏で戦っているのだろう。


「あら、でも今回の一件を企んだのは国王派なんでしょう? なら、その辺は……」

「そこはまだはっきりしてないもの、一応捕まった者達の証言から国王派が一番怪しいというのは分かってるけど、国王派は一番規模が大きいだけに、国王派の中だけでも個々の集団があるし」

「面倒なのね」

「いや、ヴィヘラがそれを言うか?」


 ヴィヘラの言葉に、レイが若干呆れを込めて返事をしたのは、ある意味で当然のことだろう。

 数年前に起きた、ベスティア帝国の内乱。

 それは言ってみれば皇族同士の戦いという意味であり、それこそミレアーナ王国の三大派閥云々よりも身内同士の争いな分だけ、余程面倒なことだと言ってもいい。

 だが、レイの言葉にヴィヘラは特に気にした様子もない。

 内乱には参加したが、ヴィヘラ本人は既に自分は皇族から抜けたと、そう思っているからだろう。


「はいはい、取りあえずその辺にして……もう少しで時間だし、全員戦闘の用意を始めるわよ」


 このままここで話していても埒が明かないと判断したのだろう。マリーナが手を叩きながら、そう告げる。

 実際、いつまでもこのままここで話していると無駄に時間を消費してしまうというのは、全員がそう判断した為だろう。

 明確に時間が決まっている訳ではないとはいえ、出来れば早く行動をおこした方がいいというのは、明らかだった。

 とはいえ……


「グルゥ?」


 レイは、中庭に残った自分に顔を擦りつけてくるセトを撫でながら、改めて自分の服装を見る。

 基本的に、レイの場合は普段からドラゴンローブを着ているし、靴もスレイプニルの靴だ。

 下手な……どころか、その辺の一流、もしくは一流を超えた鎧よりも高性能なドラゴンローブを着ている以上、わざわざ動きが鈍くなる鎧を着ようとは思わない。

 また、デスサイズや黄昏の槍といった武器もミスティリングに収納しており、いつでも取り出すことが出来る。

 つまり、レイの場合は特に何か準備らしい準備というのは必要がないのだ。

 だからこそ、他の面々が装備を調える為に行動している間、レイは中庭でセトやイエロと共に待つことになる。

 ちなみに、アーラはエレーナと、ビューネはヴィヘラと共に行動しているので、この場にはいない。


「ん? そう言えばイエロはどこに行ったんだ? やっぱりエレーナと一緒に行動してるのか?」


 ふと、いつもであればセトと一緒に戯れている筈のイエロの姿が見えないことに気が付き、疑問を抱く。

 当然のことながら、イエロも今回の触手の討伐に参加するといったことはない。

 非常に強力な防御力を持っているイエロだったが、触手の場合はその先端が触れた時点でどれだけ強い防御力を持っている鎧であろうとも、それを無視して相手の体液や肉といったものを吸収出来る。

 そういう意味では、あの触手はイエロの天敵と言ってもいい。

 まだ小さいイエロだけに、あの触手に触れられた場合は瞬時に骨と皮だけになる可能性もあった。


(もっとも、エレーナの作った使い魔だと考えれば、あの触手がどうこうしようとしてもどうにも出来ないって可能性はあるんだが……まさか、一か八かといったことでそんなことを試す訳にもいかないし)


 イエロはまだ子供である以上、その能力を発揮するのはまだ随分と先のことになるだろう。

 それこそ、本当の意味でドラゴンとして活躍出来るのは、数年や数十年といった年月で足りないのは間違いない。


「それを考えると、セトはこの状態のまま生まれてきてくれて、助かったよな。もっとも、小さいセトというのも見てみたいけど」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉を聞いたセトは、周囲に響かないように鳴き声を上げ……次の瞬間、その身体が縮んでいく。

 全長三mオーバーだった身体が、七十cm程まで縮んだのだ。

 半分程の大きさになったセトは、どう? と円らな瞳をレイに向けてくる。

 サイズ変更のスキルを使ったセトを、レイは笑みを浮かべながらそっと撫でる。


「まぁ、こういうセトも可愛いとは思うけどな」


 本来なら小さい……生まれたばかりのセトを見てみたかったというのが、レイの正直なところだ。

 とはいえ、それが無理であるというのは分かっているので、今の七十cmくらいのセトでも十分に満足していたのだが。


「グルゥ」


 レイに褒められたのが嬉しかったのか、セトは嬉しそうに喉を鳴らす。

 マリーナの精霊魔法により、とてもではないが冬とは思えないような快適な空間の中で、レイはセトと一緒にのんびりとし……やがて、戦闘の装備をしっかりと調えたエレーナ、マリーナ、ヴィヘラの三人が姿を現す。


「……随分と寛いでいるな」

「やることがなかったしな。……じゃ、準備も出来たみたいだし、行くか」


 エレーナにそう言葉を返し、セトと遊んでいたレイは立ち上がる。

 なお、セトが小さくなっていることに驚いた者はいない。

 今までにも何度かセトはこの庭でサイズ変更を使っており、だからこそ今のセトの姿を見ても驚く者はいなかったのだろう。

 立ち上がったセトは、既に元のサイズに戻っている。

 そんなセトと共に歩きだしたレイの隣にエレーナが続き、他の面々もその後に続く。


「アーラとビューネ……来るのか?」

「うむ。勿論、前もって約束しておいた通り、戦闘に参加させるような真似はしない。ただ、遠くからでも見ておきたいと、そう言われてはな」

「なるほど。ビューネはともかく、アーラとしては出来るだけエレーナの近くにいた方がいいのか」


 レイも時々忘れることがあるが、アーラはエレーナの護衛騎士団の騎士団長なのだ。

 であれば、エレーナが危ないところに行く時は一緒に行動するのが当然であり、特に今回のように得体の知れない相手と戦うのであれば、本来なら真っ先に前に出る必要があった。

 ……もっとも、騎士団長云々というのを抜きにしても、アーラは純粋にエレーナに傾倒している。

 もしエレーナが何も言わなければ、間違いなく今回の戦いにも参加していただろう。


「ん!」


 レイがアーラだけを褒めたように聞こえたのか、ビューネが若干不満そうに呟く。

 ビューネも、ヴィヘラを心配していない訳ではない。

 ビューネとヴィヘラは、かなり古い付き合いだ。

 そうである以上、ヴィヘラの身を案じるのは当然だろう。

 ……それが表情に出るようなことはないが。

 だが、レイもそれなりにビューネと一緒に行動してきたこともあり、何となくその言いたいことは理解出来た。


「分かってるって。別にビューネを責めてる訳じゃない。お前もヴィヘラのことを心配しているんだろ?」

「ん!」


 レイの言葉に、今度は満足そうに頷きを返す。

 その後も色々とやり取りをしながら、レイ達は進む。

 当然のように、そんなレイ達の姿は目立つ。

 ……セトがいるからというのもあるが、それ以上に他の面々が目立っているというのが大きい。

 レイ達を見て、そして全員がしっかりと武装しているのを見て、一体これから何があるのかといった思いを抱く者が多い。

 特に冒険者のように、普段から戦うことが日常になっている者はレイ達を見て不穏な空気を感じる者もいる。


「なぁ、そう言えば、騎士団とかも動いてるって話がなかったか? ギガント・タートルの解体も今日はしてないし……」

「ああ。そうなると、やっぱり何かあるんだろうな」

「けど、今この時にか? うーん……けど、レイやその仲間達が……それも姫将軍まで一緒にいて、戦いを挑むんだぞ? 何があっても、どうにか出来るような気がしないか?」


 そんなやり取りがされている中を、レイ達はそれぞれに言葉を交わしながら進むのだった。

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