第1986話
グリムと話をした翌日、マリーナはダスカーに昨日の件を伝える為に領主の屋敷に向かい、エレーナとヴィヘラは本番の為のウォーミングアップを行っていた。
……尚、この戦いにはアーラとビューネの二人は参加しない。
ビューネがグリムのことを知らないからというのもあるし、何よりも純粋に実力不足だというのがある。
アーラはパワー・アクスによって強力な一撃を叩き込むだけの高い攻撃力はある。
だが、攻撃力以外の面ではどうしても他の面々に劣り、触手のような存在が大量に襲ってくるような戦いでは、足を引っ張る可能性が高かった。
ビューネの方は、それ以前の問題だろう。
白雲という強力な武器を持っているものの、攻撃力ではアーラに及ばない。
動きの素早さという点ではアーラを上回るが、触手の動きも相当なものである以上、ビューネの動きがどこまで触手に通じるのかは、微妙なところだ。
アーラは、それでもエレーナが戦うのなら自分も戦いに参加し、せめて盾になりたいと言ってはいたのだが……当然のように、エレーナがそれを認める訳がない。
最終的には二人で話し合い、それでどうにか話を纏めたといった形だった。
ビューネの方は、若干心配そうな視線をヴィヘラに向けていたものの、ヴィヘラが楽しみにしているのを見れば、それ以上は何も言えない。
今はアーラとビューネの二人揃って、マリーナの家の庭で行われてる、エレーナとヴィヘラの模擬戦を眺めていた。
そんな中、レイは何をしてるのかといえば……
「どうやら問題なかったようで何よりだ」
「昨日、突然上からの連絡があったんですが……もしかして、今日何かあるんですか?」
ギガント・タートルの解体の中止が本当に連絡されているのか。それを確認する為に、ギルドまでやって来たのだ。
特にスラム街から来ている者達は、ギガント・タートルの解体を前提としてギルドの用意した倉庫に泊まり込んでいる。
その辺りのことも少し気になっていたのだが、レノラから話を聞いたところによると、特に何の問題もないようで、安堵することになった。
「何か、か。あるけど、色々と事情があってな。それを言うことは出来ないんだよ」
一応地下空間や触手の件は言わないようにとランガから指示されている。
ましてや、地下空間にいる――もしくは現れる――触手を強引に転移させて現実に呼び出し、それをレイ達だけで討伐する。
そんなことを言っても、普通なら信用される筈もない。
もっとも、普通なら有り得ないことを次々とやってきたのがレイなのを考えると、場合によってはそれを信じられかねないのがレイなのだが。
そもそもの話、レイの相棒のセト……グリフォンを従魔にした――実際は魔獣術で生み出されたのだが――というのすら、普通なら信じられるようなものではない。
だが、実際にレイはセトを従魔としているのだから、信じられないことであっても、レイが言うのなら……と、信じられる下地は出来ている。
その上、レノラはレイが初めてギルムに来た時からの付き合いだけに、レイの非常識さもよく知っている。
だからこそ、余計にその辺の事情を話す訳にはいかなかった。
「そうですか。残念ですけどしょうがないですね」
レノラも、ギルドの受付嬢をやっている以上、自分が聞いてはいけない……聞かない方がいいことがあるというのも知っている為か、レイにそう返してくる。
「それにしても、レイさんが来たのを知ったら、多分ケニーは悔しがるでしょうね」
「そうか? それなりに頻繁に会ってるんだし、別にそこまで気にするようなことはないと思うけどな」
そう言いながら、レイは視線をレノラの横、いつもであればケニーが座っている場所に向ける。
だが、ケニーが休日の今日、そこにいるのは別の受付嬢だ。
レイも何度か話したことのある相手だったが、そこまで親しい訳ではない。
ケニーの代わりに、今日はそこで仕事をしている受付嬢は、レイの視線を感じたのか読んでいた書類から顔を上げる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。いつもならケニーが色々と騒がしくしていたんだろうなと、そう思っただけだ」
「あ、あはは。……そうですね」
レイの言葉で、何が言いたいのか理解したのだろう。
その受付嬢は、レノラの方を微かに一瞥すると、何かを誤魔化すような笑い声を上げる。
「ちょっと、ミュリナ。今の視線はどういうことなのか、詳しく教えて貰えないかしら?」
「別に何でもないわよ。ただ、ケニーがいないとレノラも少し寂しいんだろうなと、そう思っただけ」
レイにとってはそこまで親しい相手ではなくても、レノラにとっては職場の同僚だ。
当然のように気安くやり取りするのを眺めていたレイだったが、そろそろ戻って今日の準備をする必要がある。
(あ、戻って……か。今、自然とマリーナの家に行ってじゃなくて、戻ってって思ったな)
そのことを少しだけくすぐったく、自然とそう思った自分に満足感を覚えつつ、口を開く。
「レノラ、用事があるから、俺はそろそろ行くな」
「え? あ、はい。その、お見苦しいところをお見せしまして……」
「別にそこまで恥ずかしがる必要もないと思うけどな。じゃ、この辺で」
そう告げ、レイはギルドの扉に向かう。
ギガント・タートルの解体がなくなった為だろう。ギルドや併設されている酒場には、いつもより人が多い。
そんな者達の何人かは、レイを見ると頭を下げてくる。
レイのお陰で仕事があるのだと、それを理解しているからだろう。
実際、ギガント・タートルの解体のお陰で、今年の冬のギルムは例年になく賑わっているのは事実だ。
やはり、小さな山と表現してもいいような存在を直接見ることが出来るというのは、大きいのだろう。
また、解体に参加している者達が報酬やギガント・タートルの肉を自分で食べたり、売ったりといったことでも、また一段と賑わう。
そういう意味では、昨日の今日で急にギガント・タートルの解体が中止になったというのは、残念だと思っている者も多かった。
とはいえ、レイに対して文句を言ったりしないのは、それによって解体に参加出来なくなれば困る、という者も多いからだろう。
勿論、今日だけではなく明日、明後日そして更に連日といったようにギガント・タートルの解体がなければ、レイに不満を言うような者も出て来るかもしれないが。
(そういう意味では、あの触手についてはやっぱり今日だけでどうにか終わらせる必要があるんだろうな。……まぁ、広い場所での戦いとなれば、こっちも逃がす気はないけど)
大規模な攻撃が出来なかったのは、やはり戦闘場所が地下空間だったからというのが大きい。
下手にレイの魔法やら何やらを使った場合、地下空間に生き埋めになるという可能性すらあったのだ。
それがなくなった以上、遠慮することなく戦えるし、何よりセトも一緒に戦えるというのは非常に大きい。
ギルドの外で子供と一緒になって遊んでいるセトを見ながら、レイは笑みを浮かべる。
……もっとも、その笑みは微笑ましいものを見て浮かべるような笑みではなく、今日の戦いを前にした、獰猛と呼ぶべき笑みだったが。
「ひっ!」
そんなレイの笑みを見た近くの通行人が、小さく悲鳴を上げる。
当然のようにレイもそんな悲鳴に気が付き、我知らず浮かべていた笑みを引っ込める。
「悪いな」
「い、いえ」
レイの謝罪にそう答える通行人だったが、そそくさとその場を立ち去る。
(あー……やってしまったな。けど、俺が浮かべていたような笑みなら、それこそギルムでは浮かべる者もかなり多い筈なんだから、そこまで怖がらなくてもいいと思うんだけど)
少し反省するも、数時間後に起きるだろう戦いを考えると、どうしても好戦的な気分になってしまうのは止められない。
本来なら、その辺のモンスターを相手にしても、レイがそのような笑みを浮かべるといったことはないだろう。
だが今回の敵の触手は、これまでレイが戦ってきたモンスターとは色々な意味で違う存在だった。
レイだけではとてもではないが戦う……本気で戦うといったことは出来ず、グリムの手を借りての戦い。
そうしてグリムに敵を転移させて貰い、レイと仲間達でその敵と戦う。
(レムレースの時と、似てると言えば似てるんだけど……それでも違うんだよな)
転移させ、仲間と戦うという点では、エモシオンで戦ったレムレースと同じような形式なのは間違いない。
だが、仲間は仲間でも、エモシオンの時はその場限りの臨時の仲間だった。
それに比べると、今回触手と戦うのはレイ以外はエレーナ、マリーナ、ヴィヘラという三人と、セトの合計四人と一匹だ。
パーティとしての紅蓮の翼云々という訳ではなく、この先の長い時間レイと共にいることになるだろう仲間との戦闘。
そのような状況で、燃えるなという方が無理だった。
「おーい。悪いけど、これから用事があるから、そろそろセトを解放してやってくれないか?」
レイの声に、セトと一緒に遊んでいた子供達が残念そうにしながらも、離れていく。
ここまで聞き分けがいいのは、親の教育というのもあるのだろうが、それよりもやはり自分達がレイの言うことを聞かなかった場合、セトが悲しそうに鳴くというのが大きいだろう。
だからこそ、レイの言うことに素直に従い、子供達はセトから離れていく。
……セトと遊んでいた中には大人の姿もあったのだが、その大人達はレイの事情を――触手の件が云々ではなく、冒険者としての立場という意味で――分かっているので、レイが呼べばすぐにセトを解放する。
「グルルルゥ」
一緒に遊んでいた者達に解放されたセトは、まだ一緒に遊びたいという視線を向けてくる子供の顔を尻尾で軽く一撫でしてから、レイの方に近づいていく。
自分に顔を擦りつけてくるセトを撫でると、レイはその場にいた者達に声を掛ける。
「今日は無理だけど、またセトと遊んでやってくれ。セトも、人と一緒に遊ぶのは好きだし」
それだけを言い、レイはセトと共にその場から立ち去る。
そこにある表情は、いつもと変わらないものだし、何よりドラゴンローブのフードによって表情の多くは隠されている。
それでも、一人と一匹を見送っていた者達の中で冒険者として戦いを知っている者は、レイが若干緊張し、同時に興奮しているように見えた。
「なぁ、今日って何かあったっけ?」
「さぁ? 別にモンスターが襲ってきているとか、そういうことはないと思うけどな。ギルムに侵入し続けていたコボルトも、レイの魔法で作った土壁でその心配はあまりなくなったらしいし」
「……なら、なんでレイはあんな風なんだ? そもそも、今日に限ってギガント・タートルの解体もなくなったし」
「あー……そうだな。今日は貰った肉で一杯やろうと思ってたのにな。……それは悔しい」
「いや、そういうことじゃなくて……お前、分かってて言ってるよな?」
「それは否定しない。ただ、ギガント・タートルの解体がなくなったって時点で、色々とおかしいのは明らかだろ? 多分何かがあったのは間違いないけど、それは俺達が知る必要がないことなんだと思うぞ」
そう告げる友人に、レイの態度に疑問を持った男も、分かっているといった様子で頷く。
だが、分かっていても気になるのは間違いなく事実なのだ。
ギルムにいる冒険者……いや、戦う術を持つ者の中でも、有数の力を持つレイ。
そのレイが戦意に満ちた様子を見せているのだから、ただごとではないのは事実だった。
とはいえ、幾ら気になるからといって、レイを追うといった真似はしない。
冒険者として自分の力をきちんと理解している以上、もしレイが本気で戦うといった真似をする相手がいる場合、自分がそこにいても無意味に死ぬ可能性が高いと、そう理解しているからだ。
「レイが戦うような相手なら、負けるとギルムに被害が起きそうなんだけど、その辺はどう思う?」
「そう言われてもな。正直なところ、レイが戦うとなると、負けるイメージがないんだよな」
「それは……まぁ」
レイの強さを知っているだけに、とてもではないが負けるというイメージはない。
それは、レイのことを……そして、レイとセトの実力を知っている者であれば、より強く感じることだろう。
「取りあえず、俺達がレイのことを心配しても意味はないだろうから、他のことを考えないか?」
「……他のことって、何だよ?」
「そうだな、例えばちょっと珍しい肉まんを売ってる屋台があるんだけど、知ってるか?」
「珍しい?」
肉まんに興味を惹かれた男は、それ以上レイのことを考えるのは止めるのだった。
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