第1980話
ギルムの中をセトと歩き回りながら、屋台で適当に買い物をする。
そうしながら街中の様子を見ると、やはりと言うべきか、昨日の一件について話している者が多かった。
あれだけ大規模に警備兵と冒険者を動かしたのだから、それを隠し通せる筈がない。
レイもそれは分かっていたし、何より朝にギガント・タートルの解体をする時、周囲の者達がその件について話している者が多かったのも見ている。
「んー……ただ、出来ればもう少し他の噂話とかについても知りたかったな。……そうは思わないか?」
「グルゥ?」
屋台で購入した肉まん……オークの肉を使っているので、オークまんとでも言うべき料理を食べながらレイが自分の隣を進むセトに尋ねると、セトはレイの言っている意味が分からないと言いたげに首を傾げる。
尚、レイが食べている肉まんは、当然セトも食べた。
それこそ、レイが二個に対して、セトは十個近くがその腹の中に収まっている。
「噂話がな。……そう言えば、今更、本当に今更だけどセトも昨日は結構頑張ったんだってな」
「グルルルゥ!」
レイの言葉に、嬉しそうに喉を鳴らすセト。
レイが聞いた話では、昨日セトは屋敷から逃げ出した相手を十人近く捕まえた、とあった。
警備兵や冒険者の目を盗んで逃げ出した相手だけに、もしセトがいなければ逃げられていた可能性が高いだろう。
……もっとも、屋敷から逃げ出したところで、どこに逃げ込むのかといった問題もあったのだろうが。
「よくやったな。……ほら、これでも食べるか?」
半分くらい食べたが、まだ湯気を立てている肉まんをセトの前に差し出す。
セトは、いいの? といった視線をレイに向け、レイが大丈夫だと頷いたのを確認すると、肉まんにクチバシを伸ばす。
そうして触れあう一人と一匹の姿は、ギルムにおいては日常であると同時に、多くの者が見て心が和む光景ではある。
途中で何人かがセトを撫でに来たりもしたが、セトの様子を見てか、遊ぼうと言ってくる者はいなかった。
まさに平和な光景という言葉が相応しい光景だったが、レイは安心してそれを享受出来ていない。
何故なら、地下空間に未だに触手が存在するということを知っているからだ。
あの触手が何らかの拍子に地上に出てこようものなら、ギルムは間違いなくパニックになるだろうと、そんな確信がレイにはあった。
そう考えると、やはり心の底から安心するといった真似は出来ない。
(うーん、やっぱりランガの指示を無視してでも、あの場で触手を倒してしまうべきだったか? けど、ランガの言う通り、あそこで下手に触手を倒したら余計に被害が広がった可能性もあるんだよな)
ランガからの指示で触手との戦いは途中で終わったが、そのことを今更ながらに後悔する。
とはいえ、あの時はランガの意見にも一理あると判断したからこそ、大人しく退いたのだが。
「レイ! おーい、レイ! ちょっと待ってくれ! レイ!」
昨日のことを考えながら歩いていると、不意にそんな声が聞こえてくる。
声のした方に視線を向けたレイが見たのは、何故か急いで自分の方に向かって走ってきている警備兵の姿。
どこか必死さを感じさせるその様子は、もしかしてまた何か問題が起きたのか? と思ってしまうが……警備兵の顔を見る限り、急いではいるが切羽詰まった様子はない。
だからこそ、レイはそんな警備兵の様子に慌てるでもなく、待ち受ける。
「はぁ、はぁ、はぁ。……ようやく見つけたぞ」
「俺とセトなら、見つけるのは難しくないと思うけどな。……それで、どうしたんだ?」
セトと一緒にいるのが定番となっているレイだったが、そうであれば当然のように街中を歩いていても非常に目立つ。
その辺を歩いている人、いやレイやセトの行動を考えれば、屋台でセトを見なかったのかと聞けば、レイのいる場所はすぐにでも分かるだろう。
「だろうな。俺もそのおかげで見つけられたんだし。……で、だ。さっきランガ隊長が領主の館での会議を終えて帰ってきたんだけど、そこでレイに話があるから、来て欲しいらしい」
「へぇ、珍しいな」
少しだけ驚いた様子で、レイが呟く。
ランガの性格を考えれば、もしレイに何か話があるのであれば、呼び出すような真似はしないで自分で直接レイを訪ねてくる筈だったからだ。
だが、そんなレイの態度は警備兵にとってあまり面白くないものだったらしい。
「しょうがないだろ。ランガ隊長は昨日の一件で処理しないといけない書類とかがもの凄く多いんだからな。しかも、昨日からずっと領主の館で会議をしてたんだぞ?」
「あー……うん。悪い。俺もちょっと言いすぎた。ただ、ちょっと珍しいなと思っただけで、別にランガを責めるなんてつもりなかったから、気にするな」
警備兵は、本当か? といった視線をレイに向けたものの、やがてすぐに気を取り直す。
「分かったよ。ただ、ランガ隊長は本当に疲れてるように見えたんだよ。奥さんも心配してたし」
「……え? ランガって結婚してたのか?」
予想外の言葉にそう口にするが、考えてみればランガは優しい性格をしており、警備隊の隊長という地位にある人物だ。
顔こそ強面で迫力があるが、その辺は好みでどうとでもなるだろう。
そう考えた場合、ランガが女にとってお買い得物件なのは間違いなかった。
(いや、そう言えば以前に聞いた覚えがあったな。……まぁ、ランガが結婚した時に警備隊の隊長だったかどうかは分からないけど)
頻繁に街の門番をやっているので実感はないかもしれないが、警備隊の隊長というのは……それも辺境にあるギルムの警備隊の隊長というのは、かなり重要な地位だ。
だからこそ、ランガが若い頃にその地位に就けたという可能性は少ない。
……辺境以外の場所ではまず就けないと断言出来るのだが、それが可能性としては有り得るのが、ギルムが辺境たる由縁なのだろう。
「ああ、かなり良い人だぞ。頻繁に差し入れとか持ってきてくれるし。見てるだけで癒やされるってのは、ああいう人のことを言うんだろうな」
笑みを浮かべてそう告げてくる警備兵を眺めていたレイだったが、三十秒程経っても戻ってくる様子がないので、軽く揺する。
「おい、こっちに戻ってこい。取りあえずお前の言いたいことは分かったから、さっさとランガのいる場所に行くぞ。ただでさえランガは忙しいんだろ? なら、いつまでもこうしてここにいる訳にはいかないだろ」
「ん? ああ、そう言えばそうだった。……うん、そうだな。なら、さっさと行くか。ほら、早く行くぞ」
警備兵の態度に若干思うところがあったレイだったが、このままではいつまでも話が進まないと判断し、警備兵と共に歩き出す。
「それにしても、ランガは本当に昨日の夜からずっと会議をしてたのか。……やっぱり、あの地下空間の一件が理由なのか?」
「だと思う。俺も詳しい話は聞いてないけどな。当然だけど、他にも色々と会議すべき内容はあったんだと思うけど、やっぱり一番は地下空間なんだろうな。……正直、どうやって他の皆に気が付かれないようにして、ああいう地下空間を作ったのかってのは興味あるし」
その口調から考えて、恐らくこの警備兵は実際にあの地下空間に入ったことがある奴なのだろう。
レイはそう判断しながら、納得したように頷く。
「間違いなく魔法とかそういうのを使ったんだと思うけどな。……普通なら地下にあんな巨大な空間があれば、上に建っている屋敷とかが崩落してもおかしくはないし」
その言葉で、あの辺一帯の屋敷が纏まって崩落することを想像したのか、警備兵の顔には深刻そうな表情が浮かんだ。
レイはそんな警備兵を励ますように、声を掛ける。
「安心しろ。今も言ったように、あの地下空間には魔法が関係している可能性が高い。だからこそ、今の状況でも特に崩落とかが起きる様子はないんだ」
言いながらも、一瞬……本当に一瞬ではあるが、もしかしたらあの地下空間が現状のまま維持されているのは、あの触手が何か関係しているからなのではないかとすら、思ってしまう。
(って、おい。その場合はあの触手を倒したりしたら……場合によっては、それで魔法的な効果が消えて、あの辺の屋敷が崩落してしまう可能性もあるのか?)
これからランガに会う以上、その辺は聞いておいた方がいいかもしれない。
そう思いつつ、レイはセトや警備兵と一緒に進み……やがて、レイが初めて来る詰め所に到着する。
勿論初めて来る場所だからといって、この詰め所を見たことがない訳ではない。
ギルムに存在する詰め所である以上、当然のように今まで何度も見たことはあったが、こうして直接訪ねるのは初めてだったのだ。
詰め所の前にいる警備兵が自分の同僚とレイ、セトに視線を向けるが、寡黙な性格なのか小さく頭を下げる以外は何もしない。
レイを呼びに来た警備兵も、そんな相手の態度には慣れているのか、特に気にした様子もなく詰め所の中に入っていく。
セトにいつものように詰め所の側にいるようにと言ってから、レイは建物の中に入る。
比較的大きなその詰め所の中では、こちらも昨日の強制捜査の一件で色々と処理をすることが多いのか、何人もの警備兵達が忙しそうにしている。
「レイ、こっちだ」
そんな中、レイは警備兵と一緒に建物の奥……いかにもお偉いさんがいるような部屋の前に連れて行かれる。
ダスカーの執務室のような、豪華な扉という訳ではないが。
「失礼します、ランガ隊長。レイを連れてきました」
「ああ、入ってくれて構わないよ」
警備兵がノックをすると部屋の中から聞こえてくる声。
それを聞いた警備兵は、扉を開いて中に入るようにレイを促す。
それでいながら、自分は中に入ろうとしないのを見て、いいのか? という思いが一瞬レイの中に浮かぶが、特に何も反応しないのを見ると、これ以上は何か言っても無意味だろうと、執務室の中に入る。
「疲れてるな」
部屋の中に入ったレイが最初に呟いた言葉が、それだった。
実際、執務机の上に多くの書類が山となる……とまではいかないが、それでもかなりの量が存在している。
それを処理しているランガは、普段の様子と比べ明らかに顔に疲れが出ていた。
だが、レイはそんなランガを見て疑問を抱く。
徹夜で会議をしていたのだから、疲れるのは当然だろう。
しかし、言ってみればそれだけでしかない。
警備隊の隊長という職務にある以上、ランガは今までにも徹夜を頻繁に……とまではいかなくても、それなりにしていたのは間違いない筈だった。
そんなランガが、何故ここまで疲れているのかという疑問が、レイの口から素直に出たのだ。
レイの言葉を聞いたランガは、深く、大きく息を吐く。
「それは疲れるさ。正直なところ、昨日の強制捜査であそこまで犯罪の証拠が出て来るとは思わなかったからね。当初予想していた数倍といったところかな。おかげで、色々と根回しをしたりといったことが必要でね。それに、地下空間の件で会議も行っていたし」
読んでいた書類にサインをしてから端に寄せると、ランガは改めてレイに視線を向ける。
その視線に籠もっている力は、明らかに何らかの用事があってレイをここに呼んだということを示していた。
勿論、ここに呼ばれた時点で何らかの用事があるというのはレイも分かっていたが、その用事がレイの予想を超えているというのを、半ば確信してしまう。
「それで? わざわざ俺を呼んだってことは、何かあったんだろ? それを聞いてもいいのか?」
「ええ。あの地下空間についてです」
「……具体的には?」
「地下空間は、暫くの間そのままとします。また、こちらから何も与えなければ、地下空間の触手が暴れて地下空間から出て来る可能性があるので、生贄を捧げることとします」
「生贄を?」
その言葉にレイが微かに眉を顰めたのを確認したのだろう。ランガは、レイが何かを言うよりも前に、再び口を開く。
「生贄に捧げるのは、ギルムで犯罪を行って捕まっている者だよ。それで、処刑が確定している者達だけだ」
ランガの言葉に、レイは開こうとした口を閉じる。
もしこれで何の罪もない一般人を生贄にするというのであれば、レイもランガに不満を口にしただろう。
だが、犯罪者、それも処刑が決まっている者が生贄にされるというのであれば、レイとしても特に異論はない。
不愉快かどうかと言われれば、勿論不愉快な思いがあるのだが。
そして、生贄についての不満を口にする代わりに、別のことを尋ねる。
「それで、生贄をやるってことは、まだコボルトが出て来るってことだな。……いつまでだ?」
「出来るだけ早く、どうにかする。だから、それまではもう暫く今のままで頑張って欲しい。また、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、コボルト以外のモンスターが出て来る可能性も考えておいてくれないか」
そんなランガの言葉に、レイは渋々とだが頷くのだった。
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