第1979話

「それで、報告にあった触手というのは……結局倒してしまうのが最善なのか?」


 ダスカーのその言葉に、ランガは重々しく頷く。


「色々と情報を集めた結果では、そうなります。とはいえ、場所が不味いのも事実ですが」

「いっそ、昨日戦っていたっていうレイにそのまま任せればよかったんじゃないのか?」


 ランガの言葉に割り込むようにしてそう言ったのは、会議に参加していた騎士の一人だ。

 個として大きな力を持つレイ、そしてヴィヘラの二人が地下空間で触手と戦っており、提出された報告書を読む限りでは、優勢だったのは事実だ。

 そうである以上、昨日の時点でその戦いを止めず、そのまま任せておけば触手を倒してくれて、こうして自分達が悩む必要もなかったのではないか。

 そう告げる騎士だったが、それに別の騎士が反論する。


「そうは言うが、当時はその触手に対する情報は殆ど何もなかった状況だ。捕らえた者達から情報を聞き出し、それでようやくこうしてある程度の事態が判明したのだ。それを考えれば、今回の一件は不可抗力と言える」

「それに……レイだぞ? もし思う存分地下空間でその触手と戦わせてみろ。下手をすれば、その地下空間が崩壊してあの辺り一帯が炎に包まれるなどということになっても、不思議ではない」

「そうですな。いや、あの辺り一帯というだけであれば問題はないでしょう。ですが、貴族街の方にまで被害が及んだとなれば……それを考えると、やはりランガ殿の判断は適切であったと言ってもいい」


 レイと言われ、真っ先に思いつくのは炎の竜巻による広域殲滅魔法だ。

 ここにいる者の中には、ベスティア帝国との戦争の時に自分の目で直接それを見た者もいる為、どうしてもそのように思ってしまう。

 実際には、レイは広域殲滅魔法以外にも多くの魔法を使えるし、対個人としての戦いも豊富だ。

 だが、それよりもやはり自分達の目で直接見た光景の印象が強く残ってしまうのは当然だろう。

 何らかの理由――ギルムの守備等――によって戦争に参加しなかった者もいるが、そんな仲間の様子に疑問を抱くことはない。

 何故なら、レイはそれだけの実績を重ねてきているのだから。

 ……その証拠が、現在ギルムのすぐ側で行われているギガント・タートルの解体だろう。

 勿論ギガント・タートルはレイだけの力で倒した訳ではないが、それでもレイが大きな役割を果たしたのは間違いのない事実だ。

 そうである以上、レイの実力を疑うような者はこの場にはいない。


「話を戻すぞ」


 ダスカーの一言で、雑談が止まる。

 テーブルの上にある紅茶を一口飲み、ダスカーは再び口を開く。


「この場合、問題なのはやはり場所か。貴族街の近くというのは痛すぎる。……ランガ、その地下空間に出て来る触手を、他の場所……そうだな、出来ればギルムから離れた場所に呼び出すということは出来るか? 相手が空間の裂け目から出て来るというのであれば、そのようなことも出来そうに思えるが」


 ダスカーの言葉に、ランガは難しい表情で首を横に振る。


「それは難しいかと。いえ、時間を掛ければそのようなことも出来るようになるかもしれませんが、それが完成するまで延々と触手に生贄を捧げて大人しくして貰う必要があります」

「……具体的にどれくらいの時間が必要だ?」


 時間が掛かるという言葉に、ダスカーは少し考えた後でそう尋ねる。

 低い、低い、低い声。

 それこそ、地の底から響いてくるといった表現が相応しいかものような、そんな声。

 その声に含まれているのは、ギルムの領主であるという強い意志。

 ダスカーの声に押されるように、ランガは口を開く。


「明確にいつまで、とは言えません。触手についての情報を持っている者は多くないですし。一応黒幕のジャビスという男は捕らえましたが、この男も今回の一件を任されてはいたものの、魔法関係についてはそこまで詳しくないようですし」

「だろうな」


 報告書はダスカーも読んでいる。

 それによると、ジャビスという男は格闘家とあり、魔法に詳しいようには思えなかった。

 世の中には魔法に詳しい格闘家といった者もいるかもしれないが、直接見た訳ではないにしろ、ジャビスという男がそのようなタイプには見えない。

 そうである以上、ジャビスから大まかな事情やら何やらを聞くのは出来ても、どうやればあの触手を呼び出すのを止められるか、もしくは契約を破棄出来るのかといったことは、知りようがなかった。

 であれば、取れる手段は多くない。


「現在罪人はどれくらい残っている?」


 ダスカーの口から出た言葉の意味を理解出来ない者は、この場にいない。

 それが意味するところは……生贄。

 触手を暴れたりさせない為には、当然のように生贄を捧げなければならない。

 ダスカーの立場として、罪もない者を生贄に捧げるなどといった真似は当然のように出来ない。

 だが……それが逆に、罪のある者であればどうなるのか。

 それこそ、考えるまでもない出来事だろう。

 罪人、それも軽い罪ではなく処刑になるのが確実といった罪人であれば、何の問題もない。

 非情なようではあるが、ギルムの領主というダスカーの立場を考えれば、これはある意味で当然のことでもあった。

 そして、幸か不幸か……


「現在処刑が必要な者は、三十人程かと」


 そう、ギルムは辺境という土地であるが故に、非常に稀少な素材や魔石が手に入りやすく、同時に高ランク冒険者も多くいることがあり、自然と犯罪が起きた場合は罪が重くなるということが多かった。

 結果として、処刑が確実であるという罪人は街という規模としては考えられない程、豊富に存在する。

 そのような犯罪者達を触手に対する生贄として使うというのは、ダスカーにとって躊躇すべきことではない。……その内心はともかくとして。


「そうか。それで、一日に必要な生贄の数は?」

「後で調べて、早急にお知らせします」

「うむ、そうしてくれ」

「ダスカー様」


 ランガと話していたダスカーに、不意にそんな声が掛けられる。

 声のした方に視線を向けると、そこには内政を任せている者の一人の姿があった。

 視線で話の先を促されると、その男は小さく頭を下げてから口を開く。


「もし生贄をこのまま出すということになった場合、コボルトの一件もこのまま続くことになるかと。……いえ、報告書によれば、生贄の問題でコボルトが呼び出されたという事でしたので、それを考えた場合、もしかしたらコボルト以上のモンスターが出て来る可能性もあるのでは?」

「そうなるかもしれんな。だが、あの触手に街中で暴れられるよりはいい」

「それに、コボルトの一件は……それこそ、この報告書に書いてある通り、レイが壁を作って大部分の侵入を阻止してるんだろう? ついでに、ギガント・タートルの解体の方にも引き寄せられているとか」


 騎士の一人が、報告書を読みながらそう告げる。

 もっとも、その報告書の中には何匹かは土壁を乗り越えてギルムに侵入してくる個体もいる、と、そう書かれているのだが。


「ふむ、レイという存在は、ギルムの為にここまで役立ってくれるのか。……これは、こちらにとっても助かるな」


 ギガント・タートルの解体によって、仕事のない者達に仕事を与えてくれるというだけでも非常に嬉しいのだが、その上ギガント・タートルの肉までもが多少なりとも市場に流れるようになっていた。

 ここにいる者でも、知り合いがギガント・タートルの解体に参加していて肉を分けて貰ったという者や、売られている肉を買って食べたことがある者もいる。

 そういう意味では、多くの者がレイに感謝してすらいた。

 ……同じように、レイの行動で迷惑を掛けられた者もいるのだが。


「コボルトは現状でも何とかなっているのなら問題がない。意見に出たように、もしコボルトよりも強力なモンスターが出たとしても……レイを含めてギルムの冒険者であれば、それに対処するのは難しくはない筈だ」


 ダスカーの言葉に、多くの者達が同意する。

 中には内心では反対という者もいたのだが、代案があるかと言われればそれは存在せず、生贄を与えて時間稼ぎをするという意見に賛成せざるを得なかった。

 まさか、このまま何もせずにいれば、もしかして触手が自然と消えてくれる……などという、希望的観測に頼る訳にもいかない。

 だからこそ、反対ではあっても直接口には出せないのだ。


「では、ダスカー様。その一件をレイに知らせますか? 今回の一件ではレイにかなり頼っていますし、何より地下空間であの触手と戦ったのもレイです。それを途中で止めた以上、レイが事情を聞きに来るのは間違いないと思うのですが」


 何だかんだと、レイとの付き合いが長い……それこそ、レイが初めてギルムにやってきた時に接したのがランガである以上、レイの性格はよく知っている。

 死刑囚を生贄にするという案を説明するのは気が重いし、間違いなく良い顔はしないだろうが……それでも、話せばレイも分かってくれると理解していた。

 だが、それはあくまでも素直に話した場合であって、もし隠し通して、あるいは誤魔化すような真似をした場合は、レイの不信感を煽ることになってしまうだろう。

 それを理解しているからこそ、レイには事情を説明したいとランガはダスカーに尋ねる。

 ランガの言葉に、ダスカーは数秒考え、やがて頷く。

 レイは立場としては、一介の冒険者にすぎない。

 だからこそ、本来なら重要なことをわざわざ話す必要もないのだが……そんなレイは、一介の冒険者であると同時に、色々な面で特殊だった。

 まず、エレーナやヴィヘラ、マリーナという、強い影響力を持つ存在と一緒にいる。

 そしてグリフォンという移動手段を持っており、アイテムボックスなどという代物まで持っているのだ。

 そのような存在だけに、いざという時にはすぐ手を貸して貰えるように、話を通しておくのは必然だった。

 また、下手に死刑囚を生贄にするということを隠していた場合、妙な誤解によってレイがダスカーと敵対する可能性も、絶対にないとはいえない。

 ダスカーはレイと友好的な関係を築いているという自信はあったし、一種尊敬すらされているという自覚はある。

 だからといって、レイとの連絡を密にしないという選択肢は存在しない。


「そうしろ。コボルト以外のモンスターが出て来た時は、すぐに動いて貰う必要があるからな」

「レイ以外の、高ランク冒険者はどうします?」


 ギルムには、当然レイ以外の高ランク冒険者というのも存在している。

 そちらへの連絡はどうするかという文官の言葉に、ダスカーはランガに視線を向ける。


「ランガ、昨日の強制捜査に関わっている高ランク冒険者はどれくらいいる?」

「ランクB以上となると、二十人ちょっとといったところですか」

「……多いな。いや、この場合は喜ぶべきか」


 昨日行われた強制捜査は、依頼料もろくに出ず、ギルドを通してすらいない依頼だ。

 警備兵の伝手で、ギルムに対して愛国心……いや、国ではないのだから、郷土愛か。その手の感情を抱いている者で、動ける相手に声が掛けられた。

 そうである以上、ギルムの領主たるダスカーとしては喜ぶべきことだろう。


「そうですね。今回の一件は色々と悪いこともありましたが、逆に良いこともあったと、そういうことでしょう」


 自分の住んでいるギルムという街を愛している者が多かったというのは、ダスカーにとっても……いや、この場にいる者の多くがその言葉に嬉しそうに頷く。

 今回の一件では色々と頭の痛い問題が多かったが、その件については非常に嬉しいことだった。


「だが……そうだな。その件については嬉しいと思うが、知らせるのはレイだけにしておくとしよう。ああ、それとレイと一緒に行動している面々もだな。紅蓮の翼は触手をどうにかする時の要の戦力の一つだ」

「分かりました。では、そのように。……それにしても、もうこんな時間ですか」


 部屋の中にいた者の一人が、窓の外に視線を向ける。

 そこでは、既に朝を通りすぎて昼近くになっている。

 何度か途中で休憩を挟みはしたが、それでも昨夜からずっと行われているこの会議に、疲れた表情を見せる者も少なくない。

 体力には自信のある騎士の方が、運動をあまりしない文官達よりも疲れた様子を見せているのは……やはり、これが会議だからだろう。


「ふむ、そうだな。それぞれ休憩をする必要もあるし、部下に指示を出したりといったことや、情報を集めたりといったことも必要になるだろう。会議はここで一旦終わらせ、今夜また再開しよう。そうすれば、今はない情報といったものも増えているだろうしな」


 ダスカーのその言葉によって、会議は一旦終了するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る