第1969話

 廊下を進む、レイとヴィヘラ。

 そんな二人の視線が、一つの存在を捉える。

 それは、扉。

 ここまでにあったのは、赤布達を待機させておく……いや、保存しておくという表現が相応しい地下室のみで、それ以外は廊下に絵画や芸術品の類が飾られてはいたが、扉の類は一つも存在しなかった。

 普通の屋敷であれば、明らかに妙な作りになっていると言ってもいいだろう。

 だが、今回の場合はそこまで不思議なことではない。

 何故なら、この屋敷は恐らく現在ギルムで起こっているコボルトの異常発生……それ以外にも延々とギルムに侵入しているコボルトという一件の、そして何より地下空間でレイが見たピンクの触手の一件の黒幕の本拠地と呼ぶべき場所なのだろうから。

 だからこそ、このようなおかしな作りの屋敷であっても、レイもヴィヘラも疑問は感じるものの、特におかしいと口に出すような真似はしなかった。

 そんな屋敷の中で、現在レイとヴィヘラの視線の先にあるような扉が現れたのだから、それは疑問に思うなという方が無理だろう。


「どうする?」

「ここで止まったり、戻ったりといった選択肢は存在しないわね」


 レイの言葉に、ヴィヘラはあっさりとそう告げる。

 レイもまた、そんなヴィヘラの言葉に、だろうなと頷く。

 一応聞いてはみたが、ヴィヘラの性格を考えれば真っ直ぐに進むという選択肢以外を選ぶということは、まずなかった筈なのだから。


「なら、行くか」


 短い言葉のやり取りでお互いの意思を確認し、扉の方に向かう。

 なお、現在レイの手にはデスサイズと黄昏の槍がそれぞれ握られている。

 階段を上っている最中であれば、その狭さから長物の大鎌や槍を使うといった真似は出来なかったが、この廊下であれば長物を振るうことは可能だ。

 ……勿論、ここが屋敷の中である以上、黄昏の槍やデスサイズの長所を徹底的に活かせるかと言われれば、レイも首を横に振らざるをえなかったが。


「どんな相手がいるのかしらね」

「どんな相手か。意外と文官系の奴とかがいるって可能性もあるけどな」


 冗談っぽく言うレイだったが、それは決して有り得ない話ではない。

 このような大きな企みを考え、実行に移す以上、当然のように書類仕事も多いだろうし、それを迂闊な相手にさせる訳にもいかないだろう。

 であれば、今回の一件を企んでいる者の中にそのような能力を持つ者がいてもおかしくはない。

 ……それを聞いたヴィヘラが、あからさまに力が抜けた様子だったが。

 強敵との戦いを期待していたのに、何故かそこで文官という選択肢が出てきたのがその原因なのは明白だった。


「ちょっと、あまり気が抜けるようなことを言わないでよね。……取りあえず、無人ということがないのは確実だけど」


 扉が近づいてきたことにより、その扉の先に人の気配を感じたのだろう。

 ヴィヘラが期待を込めて、そう告げる。

 もっとも、あくまでも気配を感じただけである以上、中にいるのがヴィヘラの希望するような強力な相手であるとは限らないのだが。

 ともあれ、レイの言葉で微妙に嫌な予感がしつつも、ヴィヘラは扉を開け……半ば反射的に、手甲を装備した手を顔の前に持ってくる。

 そんなヴィヘラの動きとほぼ同時に、周囲には甲高い金属音が響き渡った。

 何だ? と一瞬疑問に思ったレイが床を見ると、そこには長針が転がっている。

 その上、長針の先端が何らかの液体で濡れているのを見れば、それが水といったものではなく、毒の類であることは明白だった。


「あら、随分と面白い歓迎の仕方をしてくれるわね。……私好みよ」

「ちっ、こんな場所まで入り込んで来やがって。厄介な」


 扉の外でヴィヘラの様子を見ていたレイは、部屋の中から聞こえてきた声から、中にいたのは男だったのかと理解する。

 それも、長針を放った相手なのだろうと。

 レイやビューネがやるように手で投擲したのか、もしくは何らかの道具を使って放ったのか。

 その辺りはレイにも分からなかったが、その言動から敵であるのは間違いない。


(黒幕の部下、そして……恐らく、昨日の屋敷を守っていたり、今日ヴィヘラに襲い掛かったあの子供と同じような連中か)


 部屋の外にいるレイからは中にいる人物の顔を直接見ることは出来ないが、それでも何となくそんな予想は出来た。


「ヴィヘラ、どうする?」

「私がやるに決まってるでしょ。その為に来たんだから」


 レイの言葉にあっさりそう告げると、ヴィヘラはそのまま部屋の中に入る。

 格闘を武器としているヴィヘラにとって、部屋の中での戦闘というのは苦にならない。

 それどころか、レイが使っている長物や長剣といった武器を使っている相手と戦う場合は、武器の取り回しを考えても格闘の方が有利だった。

 武器を持っている方が一方的に攻撃出来る程の技量を持っているのであれば、話はまた別なのだろうが。

 ……とはいえ、扉の前まで移動して部屋の中を見たレイは、ヴィヘラと向かい合っている男の手に短剣があるのを見て、武器の取り回しではほぼ互角かと判断する。

 短剣は純粋に武器としては決して優れてはいない。

 だが、取り回しの良さという一点においては、長剣や槍を始めとしてた数々の武器に勝る。

 そして部屋の中での戦闘ということになれば、当然のようにその取り回しの良さが重要になり、格闘で戦うヴィヘラと互角に戦えるのは間違いないだろう。

 

「先程の長針はよかったけど……毒、というのは無粋じゃないかしら?」

「けっ、何を言ってやがる。戦いなんてのは勝てばいいんだよ。ましてや、これは別に試合とかじゃない、殺し合いだぜ? なら、毒を使ったって問題ないだろうに」

「……そういう嗜好なのね。少し残念だわ。出来れば血湧き肉躍る相手と戦いたかったのに」

「そうかい。なら、帰ってくれて……」


 帰ってくれてもいい。

 本来ならそう言葉が続くのだろうが、男はその言葉の途中でいきなり動き出す。

 それは、普通の相手なら不意を突いた完璧なまでの一撃。

 ただ、あくまでもそれは普通の相手ならでのことであって、ヴィヘラは到底普通とは言えない相手だ。

 自分に向けて放たれた攻撃……それも、取り回しの良い軽さの短剣を使い、斬るのではなく、最速の攻撃たる突き。

 その上、短剣の刃は先程の長針と同じ毒に濡れており、もし刃で少しでも傷を付けられれば、ヴィヘラにとって最悪の結末を招くことは確実だろう。

 そんな致命的な突きではあったが、ヴィヘラは最小限の動きで男の一撃を回避する。

 家具の類が色々と置いてある部屋の中でも、その動きは全く動きにくそうといったことはない。

 寧ろ、椅子や机といった家具を利用して、ヴィヘラは男と戦い続ける。

 その戦いの様子を眺めていたレイだったが……不意に、その視線を廊下に向けた。

 もっとも、視線が向けられたのは自分達がやって来た方ではなく、進行方向側にだ。

 その視線の先にいたのは……正確には廊下の先から現れたのは、三人の男達。

 一人は筋骨隆々の大男で、一人は痩せている男、そして最後の一人は体格的に見ると平均的な人物。

 そんな三人の男達だったが、体格が普通の男だけが他の二人よりも明らかに格上の存在感を持っていた。

 他の二人もそんな男に従うということが自然なことなのか、特に何を思うでもなくその男に従っている。


「よう。いずれこの屋敷に来るかもしれないと思ってはいたが、予想していたよりも随分と早かったな。普通なら、召喚の間からここに来るのに警戒して慎重になってもおかしくないと思うんだがな。……その辺、どう思うよ?」


 普通の体格をしている男……一番偉そうな男が、そうレイに話し掛けてくる。

 その視線が一瞬だがヴィヘラが戦っている部屋の中に向けられたのは、そこで何が起きているのかをしっかりと理解しているからだろう。


「どう思うと言われてもな。ここから昨日赤布を連れた奴がやって来た以上、そこを調べるのは当然だと思うが?」

「ちっ、やっぱりそうなるよな。くそっ、大体お前達は動くのが早いんだよ。もう少しどっしりとしてくれれば、こっちも大人しく撤退出来たものを」

「だろうな。だからこそ、警備兵もこうして翌日には動くことにしたんだろうし。……お前の失敗は、昨日のうちにここから撤退しなかったことだろ。昨日なら、まだある程度の余裕があっただろうに」


 レイの言葉に、男は嫌そうな……本当に嫌そうな表情を浮かべる。

 男も出来ればそうしたかったのだが、色々と事情があってそのような真似は出来なかった。


「そうだな。俺もそうしたいとは思っていたよ。けど……今回の一件を任されている身としては、他の連中をあっさりと見捨てて自分だけ逃げるなんて真似は出来る筈もないだろ?」


 男の口から出た言葉に、レイは少しだけ驚く。

 話の内容から、目の前にいるのがある程度の地位にいる者だというのは分かっていた。

 だが、今こうして話した内容から考えると、目の前にいるのはある程度の地位にいるのではなく……コボルトの一件、そしてレイが昨日戦ったピンクの触手に関しての一件で一番偉い人物ということになる。


「へぇ。ある程度の地位にいる奴だとは思っていたけど、まさかボスが直接出てくるとはな」

「そうだな、本来なら俺もまだ出てくるつもりはなかったんだが……レイなんて大物が出てきたとなれば、こっちも俺が出るしかないだろ」


 落ち着いた様子で、それこそ笑みすら浮かべて告げてくる男の言葉に、レイは少しだけ面白そうな表情を浮かべ、口を開く。


「それだと、まるでお前が俺に勝てるように聞こえるんだが……俺の気のせいか?」

「いいや、別に気のせいじゃない。レイに勝つのは難しいかもしれないが、俺なら何とかなるってことさ。それに、こいつらもいるしな」


 男は自分の両脇に立っている筋骨隆々の大男と、痩せぎすの男に視線を向ける。

 だが、視線を向けられた二人の男は、特に何か反応を示すでもなく、沈黙したままだ。


「その二人がいれば、俺に勝てると? 本気でそう思っているのか?」

「さて、どうだろうな。その辺りは、実際に戦ってみればはっきりすると思うが?」


 そう言い、男は特に武器を構えるでもなく拳を握りしめ……


(いや、ナックルガードか)


 拳を握りしめた男の拳を見て、レイは内心で珍しいと考える。

 ヴィヘラがいるので普段はそこまで気にならないが、長剣や短剣のような武器を使わず、素手で――この場合はナックルガードを付けているが――戦うという者は、そこまで数が多くない。

 そんな三人と向かい合い……


「あら」


 ふと、そんな声が割り込んでくる。

 当然のように、レイはその声が誰のものなのか知っていた。


「随分と早かったな」

「ええ。だって、私を放っておいてレイだけで強敵との戦いを楽しもうとしてるんですもの」


 ヴィヘラの声を聞きながら部屋の中に視線を向けると、そこでは椅子に寄りかかるようにして意識を失っている男の姿があった。

 長針や短剣に毒を使って戦うという戦法を得意としていたらしいのだが、ヴィヘラにとっては少し物足りなかったのだろう。


「別に俺が横取りした訳じゃなくて、向こうから来たんだけどな。……で、どうする? こっちは二人になったけど」


 後半の言葉は、ヴィヘラではなく男達の方に向けられたものだ。

 戦うのがレイだけであれば勝てると、そんな風に言っていた男だったが、そこにヴィヘラが加わったのだから、向こうにとっても完全に予想外の展開だろう。

 だが、レイの視線の先にいる男は、自分が不利になった状況であっても全く気にした様子もなく、獰猛な笑みを浮かべるのみだ。


「はっ、こっちが不利になったのは間違いねえが、だからといってそう簡単にやられてやる訳にもいかねえだろ。……それに、不利になったから負けるって訳でもねえしな」

「なるほど、そういう性格か」


 自信過剰……なのではなく、実際にそう言えるだけの力は持っているのだろう。

 レイから見ても、結構な強さを持っているというのは、理解出来た。


(未知の相手、か。これでモンスターなら良かったんだけどな)


 折角の強敵であっても、人間である以上……いや、魔石を持っていない以上は、魔獣術による新スキルの習得といったことは出来ない。

 そんな相手であっても、今回の件の黒幕である以上は放っておく訳にもいかなかった。


「さて、これから戦うんだし……そっちは俺の名前を知っているようだが、こっちはお前の名前を知らない。そのくらいは教えてもいいんじゃないか? 墓に彫る時に必要になるし」

「はっ、何を言ってるのやら。この場合は墓に彫るのに必要なのはレイやヴィヘラって名前だろ? ……まぁ、いい。自分を殺す者の名前くらいは知っておきたいだろ。俺はジャビス。……お前を葬る者の名前だ、覚えておけ!」

 

 鋭く叫び、ジャビスと名乗った男は一気にレイやヴィヘラとの距離を詰めるのだった。

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