第1952話

「これは……また、随分と広いな。何の為にこんな場所が地下にあるんだ?」


 階段を降りてきたレイが見たのは、広大な地下室と言うべき場所だった。

 階段の暗さに比べると、地下室を構成している石材がぼんやりと光っており、外に比べると多少薄暗いが、それでも地下室を見回すのに不都合はない。

 その広さは、少なくてもこの上に建っている屋敷と比べると、間違いなくこちらの方が上だ。

 それどころか、上に建っていた屋敷の敷地以上の広さを持つだろう。

 当然のように、そうなればこの地下室は他の屋敷の敷地内にもはみ出している筈であり、普通なら許されない行為だ。


(隣の敷地の人間も、このことを知っている? いや、知っていれば当然騒ぎになるだろうし……そうなると、その辺については知らないのか?)


 広い空間を眺めつつ、レイは疑問を抱く。

 そんなレイの横では三人の警備兵が身体を震わせながら周囲を見回す。

 この地下室は、屋敷の中に比べると明らかに寒い。

 それこそ、外にいるのと……いや、場合によっては外にいるよりも寒いと感じてもおかしくはなかった。

 レイのみが、簡易エアコン機能のついているドラゴンローブを着ているので、その寒さの中でも特に気にした様子はなかったが。


「なぁ、これどう思う? ……さっきの奴もここに逃げ込んだんだと思うけど」

「だろうな。けど、見ろよ」


 レイの言葉に警備兵が頷き、遠くに見える地下室の壁を示す。

 そこには、丁度レイ達が出てきたのと同じような、上に続く階段が存在していた。

 そして、目に見える階段は一つだけではなく、他にも幾つか存在している。


「あの階段、どこに繋がっていると思う? 場所的に、階段が繋がっているのは俺達が入った屋敷じゃないような気がするんだけど」


 レイの言葉に、三人の警備兵も同意するように頷く。


(というか、この地下室を照らしている明かり……石材か? それその物が何だか光っているような感じだけど、どこかダンジョンっぽい感じだよな)


 レイが潜ったことのあるダンジョンは幾つかあるが、ダンジョンそのものが光っており、明かりがいらないというのは、そう珍しい話ではない。

 だが、当然それはダンジョンだからの話であって、そういう建築物があるというのは、レイも知らなかった。

 ダンジョンから光っている石材や石、それ以外の物を持ってきても、それはいずれ光が消えてしまう。

 にも関わらず、現在レイの目の前に広がっている地下室は、その建築資材がそのまま光を放っているかのようだった。


「……取りあえず、この地下室が色々な意味で異常な場所だってのははっきりしたな。けど、何の為にこんな場所を用意したと思う?」

「普通に考えれば、やっぱり今回起こっているコボルトの一件に関係あるとは思わないか?」


 警備兵の一人が、レイの疑問に答える。

 その言葉には、これ以上ない程の説得力があった。

 そもそもの話、レイ達がここに来たのはあくまでもコボルトの一件を起こしているだろう黒幕に繋がる手掛かりを求めてのことだ。

 そのような場所でこのような意味深な地下室があったのだから、そこに関係性を求めるなという方が無理だろう。


「となると、ここで何かが行われていた訳か。……レイ、何か分からないか?」


 警備兵に言われ、何らかの手掛かりがないかと五感……特に嗅覚に集中してみるが、血の臭いの残り香は存在しない。

 もっとも、レイの五感は通常よりも鋭いとはいえ、あくまでも普通の人間に比べての話だ。

 当然のように、その五感の鋭さはセトに及ばない。


「……何もない。少なくても、血の臭いといったものはないから、ここで誰かが死んだとか、そういうことはない筈だ」


 レイの言葉に、警備兵の一人が周囲の様子を見ながら口を開く。


「コボルトを呼び寄せる何かが、ここで行われていた、か。普通に考えれば、怪しいのは何らかの儀式とか、そういう感じだが……」

「けど、儀式って言ったって、別に必ずしも血を流す必要はない訳だろ?」


 そのような会話は当然のようにレイにも聞こえてきていたが、コボルトを呼び寄せるのにはマジックアイテムを使っているという説――半ば自分でも希望的予想だとは分かっていた――を支持している身としては、それに対して何かを言うような真似は出来なかった。


「そうか? コボルトを呼び寄せる儀式なんだから、生贄くらいは使ってもおかしくないと思うけどな」

「生贄?」


 生贄という言葉に、レイは先程見た光景……骨と皮だけになった多くの死体を思い出す。

 あれだけ大量の死体が何故あるのかというのは、レイにも分からなかった。

 だが、もし警備兵が言うように、ここで何らかの生贄を使う儀式をやっていたのであれば、その理由も納得出来ない訳ではない。


(それに、あの死体は骨と皮だけになっていたけど、それ以外に他の傷口は何もなかった。もしここで何らかの儀式をやるのに、あの骨と皮の死体……恐らく赤布の連中を使ったんだとすれば、ここに血の臭いがないのも理解出来る、か?)


 周囲の様子を見ながら考えを纏めていてたレイだったが、そんなレイに向かって警備兵の一人が声を掛ける。


「レイ、生贄って言葉に反応してたけど、何かあるのか?」

「あー……そうだな。言ってなかったか」


 そう告げ、レイは自分が見た光景……骨と皮だけになった死体の山について話す。

 その説明を聞いた警備兵達は、予想以上に無残な情報に嫌そうな表情を浮かべる。


「また、随分とこの屋敷は厄介な場所だったらしいな。一体、何を考えてこの屋敷でそんな真似をしようとしたのやら」

「いや……普通に考えれば、そんなに悪い選択肢じゃないだろ。ここでそんな真似をしているというのは、普通ならそう簡単に知られる訳がない。……まぁ、世間話というか、話のついでとはいえ、赤布にこの場所について話したというのは大きかったと思うけど」

「だろうな。そもそもの話、この地下にこんな場所があるというのは、普通なら考えないだろうし」


 と呟いたところで、ふとレイは気が付く。


「なぁ、この地下室って今回の為に用意されたんだと思うか? それとも、前からあったと思うか?」

『……』


 レイの言葉に、三人の警備兵は揃って黙り込む。

 この地下空間を見た場合、何と言ったらいいのか分からなかったからだ。

 コボルトの一件の為に、このような場所を作った……と、普通ならそう考えるのだろうが、このような広大な地下空間を作るには、かなりの労力が必要となる。

 ギルムの増築工事で多くの者が集まっていたのは間違いないが、それでもこれだけの地下空間を作ろうとすれば、目立って当然だった。

 ましてや、ここは貴族街からそう離れていない。

 増築工事をやっているのも、ここから離れている場所である以上、もしここに穴を掘る為の人員が多く集まれば、やはり目立ってしまうのは避けられない。


(そうなると、考えられるのは……やっぱり、この地下空間が出来たのはここ最近って訳じゃなくて、もっと前。それも数ヶ月とかそんな感じじゃなくて、場合によっては年単位……か)


 レイは周囲を見ながらそう予想するが、そうなればそうなったで、また色々と疑問も出てくる。

 最大の疑問は、やはりこの地下施設がレイ達の入った屋敷の敷地の外にまで広がり、他の屋敷の敷地内にまで届いていることだろう。

 ここと隣接している屋敷の者にしてみれば、自分の屋敷の地下にまでこの空間を広げるような真似を許容出来る筈もない。


「この周辺の屋敷の持ち主が、実は同一人物……ってのはあるか?」

「ないな」


 レイの言葉を、警備兵が即座に否定する。


「何でそう言い切れるんだ?」

「これでも警備兵だぞ。この辺は管轄が違うが、それでも貴族街という、ギルムの中では重要な場所の一つだ。当然その辺りの情報は最初から覚えている」

「……なるほど」


 そう言われれば、レイとしても納得せざるを得ない。

 同時に、改めて警備兵の凄さを納得する。

 少なくても、レイはその辺りをわざわざ覚えようとは思わない。


「となると、どうなる? 実は周辺の屋敷の連中が、この地下空間に気が付いてないとか?」

「それは……まぁ、可能性がないとは言えないと思うが」


 レイにそう答えつつも、警備兵は微妙にその言葉には納得出来ない。

 この地下空間があるのはそれなりの深さであり、周辺の屋敷が地下室を作っていても、この深さまで到達することは恐らくないだろうというのは、考えられる。

 だが、それでもこのような広大な地下空間が存在する以上、ここで何らかの動きがあれば屋敷の住人が気が付いてもおかしくはない。

 そう思ったレイは、ふと気が付く。


「なぁ、この周辺にある屋敷の住人……というか、持ち主は全員違うんだよな?」

「ああ。だからさっきもそう言っただろ」

「なら、だ。その住人や持ち主の更に上に誰かがいるってのは考えられないのか?」


 そう告げるレイだったが、警備兵は首を横に振る。


「この屋敷の周囲にある屋敷の持ち主は、貴族派だったり、国王派だったり、中立派だったりと、それぞれに関係がある者が多い。そうなると……」

「なるほど。無理があるか」

「ああ。……勿論、その無理を通す方法がない訳でもないが……」


 可能性としては、やはり他の屋敷の住人達は知らないだろう、と。

 そう告げられたレイは、改めて周囲を見回す。

 これだけの広い空間を作り、それを全く気が付かれず……それどころか、恐らくは長い間維持していたというのを考えると、かなりの違和感がある。あるのだが……現在の状況を考えると、その結論にならざるを得ないのも事実。


「そうなると、取りあえず……どうする? この地下空間が何らかの意味を持っているのは間違いないだろうけど、さっき襲撃してきた奴もどこにもいないし、ここを調べても他に何もないし」

「……そう言われると、そうだな」


 レイの言葉に警備兵が何かを言おうとし……だが次の瞬間、唐突にレイによって口を掌で塞がれる。

 口を封じられた警備兵と、その仲間の三人の警備兵はいきなり何を? といった視線をレイに向けようとしたが、そんな周囲に構わず、レイは警備兵を引きずるようにして壁際まで移動していく。

 そんなレイの様子から、警備兵達も今は何かそうしなければならない理由があると考えたのだろう。口を封じられた者も特に不満を浮かべず、大人しく壁際まで移動する。

 出来るだけ足音を立てずに移動し……そして壁際まで到着してから、数十秒。不意に何かが聞こえてくる。

 それが何なのかというのは、すぐに分かった。


「鼻歌?」


 警備兵の一人が、周囲だけに聞こえる声で小さく呟く。

 そう、それは間違いなく鼻歌だった。

 先程までレイ達がいた屋敷では、警備兵やレイによって捜索が行われており、更には建物の周囲にはセトや警備兵がいて誰も逃げ出さないようにと包囲を完了している。

 そのような状況にも関わらず、鼻歌? と、そう疑問に思いながら、レイは口を押さえていた相手に軽く腕を叩かれたことにより、掌を離しても問題ないだろうと判断し、手を離す。

 また、手を放した理由には、鼻歌の主と思しき存在を間違いなく捕らえる必要があると、そう考えていたからというのも大きい。

 ともあれ、レイと三人の警備兵が息を殺しながら黙っていると……やがて、その鼻歌の主が姿を現す。

 その人物が出てきた場所は、レイ達が降りてきたのとは離れている場所。

 距離的には、恐らくレイ達が調べに入った屋敷の隣の屋敷……といったところか。

 その人物を見た時には、手掛かりが自分からやって来てくれたという思いを、レイは……そして警備兵は抱いた。

 だが、鼻歌を歌っている人物がロープを持ち、そのロープの先には何人もの男が数珠繋ぎになっているのを見れば、どうするのか迷うことになる。

 ましてや、その数珠繋ぎになっている男達が、特に何かを言うようなこともなく、ロープを持っている者に引っ張られるようにしながら、それでいて何も不満を口にはしない。

 それどころか、自分の意思がないかのようにロープに引かれるままに歩く。

 

「レイ」


 ロープを持っている男と、それに引かれている男達の様子を見ていたレイは、不意に警備兵にドラゴンローブを引っ張られ、そう小声で呼び掛けられる。

 どうした? と警備兵に向けるレイ。

 そんなレイに、警備兵は厳しく表情を引き締め……口を開く。


「あのロープに縛られている男の何人かに見覚えがある」


 そう言われれば、レイもその言葉の意味を納得出来た。

 つまり、それは……


「赤布、か」


 レイが呟いた言葉に、警備兵は無言で頷きを返すのだった。

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