第1951話

「何もない、か。てっきり、俺を誘い込む為の罠かと思ったんだけどな」


 警備兵と戦っていた少女が逃げ込んだと思われる部屋の中に入ったレイだったが、そこには人の姿は一切なかった。

 レイが最初に調べたような書斎といった部屋ではなく、誰かをもてなす為の応接室といったところか。

 そんな部屋の中である以上、隠れる場所はそれなりにあるのだが……気配を探ってみても、誰かがいるようには思えない。


(まぁ、もしかしたら、俺に気配を察知させないくらいに気配を殺すのが得意な奴って可能性も否定は出来ないけど)


 そんな風に思いながらも、レイはソファの裏や家具の裏といったように隠れられるような場所を調べていくが、どこにも先程の少女の姿を見つけることは出来なかった。


「窓……は、逃げたんなら、開いていてもおかしくはない筈だけど、そんな様子もないしな」


 この部屋に入るのを若干ながらも躊躇したレイだったが、それでも窓から外に逃げたのであれば、そこに何らかの痕跡が残っていてもおかしくはない。

 だが、こうして見る限りでは痕跡の類は一切残っていないし、何よりも窓の鍵が閉まっている。

 さすがに痕跡も残さずに窓から外に出て、その上で外から窓の鍵を閉めるといった真似をしたとは思えない。


(いや、何らかのマジックアイテムとかがあれば出来るのか?)


 普通ならそのような真似は出来ないが、それはあくまでも日本の常識に合わせてのものだ。

 このエルジィンには魔法やマジックアイテムといったものがある以上、もしかしたら窓の外から鍵を開けたり閉めたりといったことが出来る何らかの手段があってもおかしくはない。

 当然のように、そのような物は犯罪に使われる可能性が高い以上、もし本当にあったとしたら厳重に管理されているのだろうが。


(今はそんな少ない可能性よりも、もっとそれらしい何かを見つける必要があるか)


 可能性の少ないことを考えていても意味はないと、レイは改めて部屋の中を見回す。

 隠れられそうな場所は既に大体探し終わっているので、そうなると残るのは隠し通路や隠し階段といったような抜け道の類となる。

 だが、こうして部屋の中を見回してもそれらしい場所があるようには思えない。

 部屋の広さで言えば、十五畳程度の広さを持っており、家具の類もそれなりにあるが、それでも隠れられそうな場所は限られている。


「本当にどこに行ったんだ? 本気でセトでも連れてくればよかったな」


 もしセトがここにいれば、それこそ臭いで先程の少女がどこに行ったのを追跡することが出来るだろう。

 当然そこは隠されているのだろうが、その先に道なり階段なりがあると分かれば、隠されている場所を壊すのはそう難しい話ではない。

 だが、セトがここにいない以上、今更それを考えても無意味だろう。

 あるいは、ここでセトの名前を大きく叫べば来る可能性がない訳でもないのだが……そのような真似をすると、後々色々と不味いことになる可能性が高い。


「となると……さて、どうしたらいい? やっぱり地道に調べた方がいいのか、それとも警備兵を呼んできて調べて貰った方がいいのか」


 この部屋で姿を消した少女と戦っていた警備兵達のいた場所は、ここからそう離れていない。

 怪我をしていた者もいたが、今頃はある程度の治療が終わっている筈だった。

 捜索をするという点では、明らかにレイよりも慣れている警備兵達。

 その力を借りるのは、別におかしな話ではない。


「いっそビューネを連れてくればよかったか。そうすれば、ヴィヘラも一緒に来ただろうし」


 以前は戦いに特化した盗賊のビューネだったが、この冬は純粋に盗賊としての技量を磨いてもいた。

 そんなビューネだけに、盗賊としての技量を発揮して欲しいとレイが思ってもおかしくはなかっただろう。

 また、この屋敷を守っている者はそれなりの強者である以上、強者との戦いを望むヴィヘラとしても望んでここにやってくる筈だというのが、レイの予想だった。


(いや、今更考えてもしょうがないんだけどな)


 今ここにいない相手のことを考えていても意味がないと、繰り返し部屋の中を見回していると……不意に、部屋に近づいてくる複数の足音が聞こえてくる。

 一瞬だけ敵か? と思わないでもなかったが、その足音の数と聞こえてきた話し声から、それが先程の警備兵なのだと知る。


「レイ、どこにいる!」

「ここだ、この部屋の中!」


 警備兵にそう声を返す。

 扉が閉まっているので、警備兵もこの部屋の中にレイがいるとは思わなかったのだろう。

 やがてレイの声が聞こえたのか、扉が開き、先程見た警備兵の一人が顔を出す。


「ここか!?」


 そんな警備兵に、レイは手を上げて返事をする。


「ああ、ここだ。……さっきお前達と戦っていた奴がこの部屋の中に逃げ込んだんだけど、どこにもいなくてな。窓から外に出た様子はないから、恐らくこの部屋のどこかに隠し通路とかそういうのがあると思うんだけど……残念ながら、それがどこにあるのか分からなくて困ってたんだ。分からないか?」


 レイの言葉に、部屋の中に入ってきた三人の警備兵は周囲を見回す。

 何らかの手掛かりでもないかといった様子だったが、ただ眺めただけでそれらが見つかる訳がない。

 なので、取りあえず警備兵達はそれぞれに別れて部屋の中を探すことになる。


「俺はどうする?」

「レイは周囲を警戒しててくれ。さっきみたいにいきなり襲われると、こっちも対応が難しいからな」

「でも、レイがいる以上は向こうが襲ってくるってこともないんじゃないか? ……念の為かもしれないけど」

「そうだな、あくまでも一応だよ。向こうが何を考えているのか分からない以上、もしかしたら本当にこんな状況であっても襲ってくるって可能性は否定出来ないし。……非常に厄介だけど」


 相手が普通の――という表現が相応しいのかは分からないが――男や女、少なくても一定以上の年齢なら、そこまで心配するようなことはなかっただろう。

 だが、今回の場合は相手がまだ非常に小さい相手だ。

 当然の話だが、そのような体格にも関わらず、大人が使うような長剣を普通に使っているのだから、見た目通りの存在ではないのは確実だった。

 ましてや、レイの姿を見て自分では勝てないと判断したのか、即座にその場を離脱するような判断力の高さも持っている。


(ああいうのがいた時点で、この屋敷は色々とおかしいのは確実なんだろうけどな。問題なのは、俺を襲ってきた奴を杭で壁に貼り付けたのも、さっきの奴だったかということだ。……その辺、どうなんだろうな)


 疑問に思いつつも、レイはいざという時すぐに反応出来るように扉の前に立つ。

 恐らくどこかに隠れているのではなく、隠し通路の類を使って既にこの部屋の側にはいないのだろうという予想が、レイの中にはある。

 それでも、もしかしたら、本当に万が一の場合を考えての行動だった。

 また、何らかの手段で気配を完全に消しつつ、この部屋から逃げ出すのを防ぐというのも、レイが扉の前に立っている理由だ。

 そうして五分程が経過し……


「あった、あったぞ! 隠し通路……かどうかは分からないが、この向こうに何かがあるのは確実だ!」


 警備兵の一人が、不意にそう叫ぶ。

 その声に、他の警備兵やレイ達もその場所に集まる。

 そして、念の為にということで別の警備兵も何かがあると言われた場所を調べ……やがて、頷く。


「確かに、間違いない。この壁の向こうには何らかの空間がある。……とはいえ、これをどうやって開けるのかが……」


 そこで一旦言葉を止めた警備兵は、改めて周囲を見回す。

 何らかの仕掛けがあるのは確実なのだろうが、その仕掛けをどうやって動かせばいいのかというのは見当もつかない。

 それこそ、仕掛けを見つけるのにまた時間が掛かるのは確実であり……襲ってきた少女を捕まえるのはまず不可能になる――今の時点でもほぼ絶望的だが――だろう。

 であれば、と。

 警備兵は決断する。


「レイ、この壁を破壊してくれ。仕掛けを探している時間が勿体ない以上、その方が手っ取り早い」

「……いいのか?」


 その言葉は、レイにとっても意外なものだった。

 そもそもの話、今回の一件でこの屋敷を強制的に調べているのも、かなり危険な状態なのだ。

 その上で、屋敷の壁を破壊するようなことになれば、それは間違いなく他の者よりも一段上の処分を受ける可能性が高い。

 だが……そんなレイの言葉に対し、警備兵は全く問題ないといった様子で頷きを返す。


「ああ、構わない。そもそも、この場所に来た時点で上から処罰を受けることは覚悟の上だ。俺が処罰を受けて、コボルトの一件……いや、ギルムにモンスターを呼び寄せるなんて真似をしている連中をどうにか出来るなら、それは構わない」

「一応言っておくが、この壁を壊すのは俺なんだが」

「俺からの要望で無理にレイに働いて貰ったってことにする。……だから、壁を壊してくれ」


 そう言われれば、レイとしてもそれを断るような真似は出来ず、頷きを返す。

 警備兵達がそれぞれ後ろに下がったのを確認し、ミスティリングの中からデスサイズを取り出す。

 特に緊張した様子もなく、そのまま素早くデスサイズを振るう。

 何の抵抗もなく壁を斬り裂いたその一撃は、レイのことを知らなければ、それこそ何があったのか分からなくてもおかしくはない。

 だが、レイの実力を知っている警備兵達にしてみれば、デスサイズを振るっても壁が即座に壊れない程度では特に疑問を抱くこともなく……実際、レイがデスサイズの石突きで床を軽く叩くと、その衝撃で壁は幾つかに分断されて、床に落ちる。

 壁が切断された後に残ったのは、床に落ちた壁の残骸と……そして、地下に続く階段。

 先程の少女がこの階段を通って逃げたのは、ここまでくれば間違いのない事実だった。


「階段か。まぁ、妥当と言えば妥当だな。……で、どうする? この先に向かうか?」


 有力な手掛かりだし。

 口にはしないものの、レイがそう言いたいというのは明らかだった。

 その言葉に、警備兵は悩む。

 いや、この階段の先に何らかの手掛かりがあるのは間違いない。間違いないのだが……その先に待っているのは、間違いなく先程の少女の筈だ。

 まだ幼い少女にも関わらず、警備兵三人を相手にしても有利に戦いを進めることが出来る、そんな腕利き。

 この先に進む為には、レイが一緒でなければ非常に危険だ。

 だが、この屋敷にはまだ他にも幾つも手掛かりの類は残されている筈であり、それを考えると自分達の未熟さからレイをこの階段の先に連れて行くというのは、悔しさすらあった。

 とはいえ、明確に手掛かりが残っている可能性がある以上、警備兵達のプライドよりも優先すべきものは存在し……


「頼む、レイ。一緒に来てくれ」


 そんな警備兵の言葉に、レイは悩む様子もなく頷く。


「分かった。俺はそれで構わない。どのみち、この屋敷の中を全部調べるってのはすぐには無理だ。なら、まずは確実に手掛かりがあると思われる場所を探した方がいい」

「……悪いな」


 レイの言葉に感謝を口にする警備兵だったが、レイはそれに対して気にするなと首を横に振り、持っていたデスサイズをミスティリングに収納する。


「ほら、さっさと行くぞ。この階段が続いている先がどうなっているのかは分からないが、もしかしたら向こうがこっちを待ち受けている可能性も十分にある。気をつけろよ」


 そう言い、レイが先頭に立って階段を降りていく。

 階段を降り始めてから少しだけ驚いたのは、階段が暗かったことだろう。

 もっとも、隠し部屋に用意されていた階段である以上、そこに常に明かりを用意するというのは、色々と無理がある。

 もしくは、この屋敷を使っているのが貴族であれば、財力に物を言わせて明かりのマジックアイテムを買うなり、ランプを用意するなりといったことも出来たのだろうが……生憎と、この屋敷を使っているのは貴族ではない。

 ……いや、正確には貴族ではないと思われる、という表現が正しいのだろうが。


「ちょっと待ってくれ。暗いぞ。レイは見えるのか?」


 明るい部屋から突然明かりのない階段に入ったのだから、警備兵が戸惑った様子を見せるのは当然だろう。

 だが、レイの場合は元々夜目が利くというのもあって、このくらいの暗さなら特に問題なく階段の先を見ることが出来る。


「階段そのものは、場所から考えてそこまで長いものじゃないだろうから、明かりがなくても何とか出来ないか?」

「無茶を言うな、無茶を。レイじゃないんだから」


 そう告げる警備兵に、レイはミスティリングの中から以前買ったか、もしくは盗賊から奪ったかで入手したランプを渡すのだった。

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