第1930話

 グランジェという男の印象は、レイにとって決して良いものとは言えなかった。

 自分の存在を出来るだけ目立たせないようにし、赤布の男達の手で土壁を壊そうとする。

 その行為も気に入らなかったが、同時に自分が率いる赤布の男達を駒として扱っている態度が、妙にレイの癪に障る。


「まぁ、お前が赤布でも、その赤布を雇った奴でないことも理解した。けど、それでも俺の敵であるのは変わらない筈だな? さて、そんな状況で俺の前にいて、一体どうするつもりだ?」

「グルゥ」


 レイの不機嫌さを感じたのか、セトも不愉快そうに喉を鳴らしながら赤布の男達を見る。

 いつもであれば、円らな瞳だとギルムの住人に評され、愛らしさから多くの者に愛でられているセトだったが、それはあくまでも自分を可愛がってくれる相手だからだ。

 敵を前にすれば、当然のようにそれに応じた態度になる。

 そして、赤布に所属している……いや、もう赤布として活動していないのだから、所属していたと表現するべきか。ともあれ、その男達は基本的にそこまで強い冒険者ではない。

 それこそ、冒険者を途中で脱落した者の方が多いだろう。

 ……そして、レイの強さを察することは出来ずとも、見ただけで凶暴そうだと分かる今のセトを前にすれば、当然のように怯む。

 だが、そんな状況であってもグランジェは変わらず笑みを浮かべたままで、黙ってレイの方を見ていた。


「どうすると言われましても……そうですね。レイさんに見つかってしまった以上、土壁を壊すということはまず出来ないでしょう。であれば、このまま大人しく立ち去るので見逃す……と、そういう訳にはいきませんか?」


 笑みを浮かべたままでそう尋ねてくるグランジェに、レイもまた笑みを浮かべる。

 もっとも、その笑みは友好的な相手に向けるような笑みではなく、獰猛な笑みと表現するのが正しい笑みだが。


「そんなことが通ると思うか? いや、他の赤布の連中はそれでもいいかもしれないが、こいつらを雇った相手を知っているお前をそのまま逃がすという選択肢は、存在しない」

「あー、やっぱりそうですよね。なら、もし私がその連中についての情報を教えたら、見逃してくれるとか」

「却下だな。お前が本当のことを言ってるかどうか分からないし、何よりもお前は色々と質が悪そうだ。ここで逃がすと、ギルムに余計な被害が出そうだし。……それなら、ここで捕まえて警備兵なり騎士なりに突き出した方がいい」

「それは、正直困りますね。……信じて貰えないかもしれませんが、私は最近、それこそ冬になる少し前にギルムに来たばかりで、特に何も悪いことはしてませんよ?」

「それを信じろと? 大体、本当にお前が何も後ろ暗いことがないのなら、それこそ何で赤布の上の連中に雇われるなんてことになるんだ?」


 赤布を雇っている連中が、赤布をコントロールする為に雇った人物。

 それが、何の裏もない人間である訳がなかった。

 そして何より、レイとセトを前にして笑みを浮かべたままという時点で、かなりの怪しさを持つ。


「あはは。そう言われると、私としても困りますね。ですが、私もこのまま捕まる訳には……」


 いきませんと、そう言うつもりだったのだろうが、グランジェはその言葉の最中、不意に手を動かす。

 それこそレイがネブラの瞳で生み出した鏃を飛ばす時のような、そんな動き。

 一体この場にいる何人が気が付けたのかといった速度で放たれた何かだったが、レイの五感は通常の人間よりも遙かに鋭い。

 軽く首を傾げ、一瞬前までレイの顔のあった場所を小さな……それこそ指先程度の大きさの何かが通り抜けていった。

 

「っ!?」


 まさか、回避されるとは思っていなかったのだろう。

 グランジェは驚きで息を呑むが、一度行動を起こしてしまった以上、もう猶予はないと判断してすぐに次の行動に移る。


「ぎゃあっ!」

「熱っ!」

「痛っ!」

「くそっ、いきなり何しやがる!」


 赤布の男達の口から、次々に出てくる悲鳴。

 それを誰がやったのかは、それこそ言うまでもない。

 レイに攻撃してすぐにその場を走り去ったグランジェが、男達の隙間を通り抜けざまに腰の鞘から引き抜いた短剣で次々に切りつけていったのだ。

 何を思ってそのようなことをしたのかは、レイにもすぐに分かった。

 追ってくるだろう自分の動きを、少しでも遅くする為にやったのだろうと。


(俺だけだったら、そんな風になっていたかもな。けど……)


 いきなり切られたことで混乱する赤布の男達を見ながら、レイは叫ぶ。


「セト!」

「グルルルルルルゥ!」


 その一言だけで、レイが何を言いたいのか理解したのだろう。

 セトは鋭く鳴き声を上げ、数歩の助走で翼を羽ばたかせて空を飛ぶ。

 もっとも、いつものような高度百m程の場所を飛ぶのではなく、いきなり切られて騒いでいる男達の上を飛んでいったのだ。

 当然のように、レイもまたそんな男達を特に気にすることはなく、スレイプニルの靴を使って赤布の男達の上空を蹴って移動する。


「そいつらは赤布の連中だから、警備兵に連れて行けば、もしかしたら報酬が貰えるかもしれないぞ!」


 そう、もう一つのグループに叫びながら。

 これは、特に大きな意味はない。

 それこそ、もし捕まえることが出来たら運が良い……という程度。

 このまま逃がすような真似をしてもおかしくはないし、今の状況を考えれば逃がしても赤布の連中が土壁を壊しに行くとは思えないし、自分達を使い捨てにした相手の場所にわざわざ戻るのかといった疑問もレイの中にはあった。

 何しろ、グランジェが逃げる為に次々と自分達を短剣で切るといった真似をしたのだ。

 それを許容出来る者がいるとすれば……少なくても、ここで赤布の仲間と一緒に行動するような真似をしないで、もっと有意義なことに時間を使っていただろう。

 ともあれ、スレイプニルの靴で跳び越して来た者達が背後で色々と騒いでいるのを聞きながら、レイはセトを……正確にはグランジェを追っているセトを追う。


「……また、厄介な」


 そう呟いたのは、グランジェが資材と資材の隙間といったような狭い場所……体長三mオーバーのセトでは入ることが出来ない場所を選んで走っているからだろう。

 レイはともかく、セトから逃げるにはそれが最善の選択であるのは間違いなく、そのような意味では理解出来ないこともないのだが……追う方としては、当然のことながらそれが面白い筈もない。


(セトにはサイズ変更があるけど、限度があるしな)


 グランジェが逃げているような、人が通るのが精一杯といった場所に入れる程、セトのサイズ変更は高性能ではない。

 魔石の吸収によってレベルが上がれば、話はまた別かもしれないが。

 ともあれ、今の状況でそのような真似が出来ない以上、セトは自分の入れない場所にグランジェが逃げ込むと、空からそれを追う。

 建築資材が大量に置かれているこの増築工事の現場は、セトにとっては最悪のフィールドと言えた。

 単純にグランジェを倒すなり殺すなりするのであれば、それこそ建築資材諸共に攻撃するということも出来るが、今回はあくまでもグランジェを捕らえるのが目的で、何よりもこの建築資材を用意する為にギルムの住人がどれだけ頑張ったのかを知っている以上、簡単にそのような真似が出来る筈もない。


「セト、お前は上から奴の位置を教えるだけでいい。俺はお前を追いながら追い詰める!」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉が聞こえたのか、セトは鳴き声を上げる。

 上と後ろから聞こえてきたその声に、建築資材の間を縫うように移動していたグランジェは微かに眉を顰める。

 当然の話だったが、グランジェの顔には、レイの前にいた時のような笑みは浮かんでいない。

 今そこに浮かんでいるのは、どうすればレイとセトという、このギルムにおいても非常に厄介な相手から逃げ延びられるのかという、真剣な表情だ。


(厄介ですね。本来なら非常に簡単な仕事だった筈なのに。……そもそも、何故この場にレイがいるのやら。私も日頃の行いは良い方だと思うのですが)


 石材が積まれている場所を、身体を半身にしながら何とか通り抜ける。

 普通であれば、既に振り切れている状況なのは間違いないのですが……と、そう考えつつ、グランジェは空を見上げ、そこにセトの姿があることを確認して面倒なという思いを抱く。

 何よりも厄介だったのは、今こうして逃げられているのはここが増築工事に使う資材が大量に置かれているから、というのが大きい。

 つまり、上空にセトを張り付けたままでこの増築工事の現場から出る訳にはいかない。

 かといって、グランジェに空を飛んでいるセトをどうにかする方法はなく、おまけにセトだけではなく背後からはレイも追ってきているのは間違いない。

 そのような状況でレイとセトを完全に撒いて、それでいて増築工事の現場を脱出し、その上で周囲の注目を集めないようにしながら姿を消す必要がある。

 それは、グランジェにとって……いや、それこそ誰にとっても、非常に難易度の高いことなのは間違いないだろう。

 だが……それでも、厄介だと思いつつも、グランジェは自分が捕まるとは思っていなかった。

 逃げ足には自信があるし、このような建築資材が大量にある場所を逃げ回り、隠れれば見つかることはないと思っていたからだ。

 セトの五感が鋭く、そしてスキルには嗅覚上昇というものがあるというのを知っていれば、もしかしたらもっと焦ったかもしれないが……その辺の情報は、何気にギルムでもあまり知られていない以上、グランジェが知らなくても当然だったのだろう。


(今は、とにかく見つからないように隠れて……ここからギルムに戻る方法は、それこそ幾らでもありますから、その辺の心配はいりませんしね)


 そうして、いつの間にか上空にセトの姿がなくなっていることを確認し……それでも、すぐに動くようなことはない。

 ここで焦って動いた場合、それこそセトに見つかる可能性が高いと知っているからだろう。

 建築資材の隙間で数分。周囲から音や気配が消えたことを確認し、寒さで冷たくなった手を握りながら建築資材の隙間から外に出て……


「がっ!」


 瞬間、何が何だか分からないままに首を引っ張られ、グランジェの口から小さな悲鳴が漏れる。

 混乱したグランジェだったが、地面に倒されたことで身体や顔に雪が触れ、それによって冷たさで冷静になる。

 うつ伏せの状態で首を固定されている為に上を見ることは出来ないが、それでも視線を動かせば横を見るくらいは出来て……そうして視線が向けられた先にあったのは、どこにでもあるようなローブ。

 だが、ローブはともかく、靴を見ればそれがただの靴ではないことを見極めるのは簡単であり……そして不幸なことに、グランジェにはその靴が誰の靴なのかということに見覚えがあった。

 それは、このギルムにおいて要注意人物が履いている、スレイプニルの靴というマジックアイテム。


「な、何故……」

「ん? 何が何故だ? もしかして、本当にあの程度の動きで俺から逃げられると思ったのか? だとすれば、随分と侮られたものだが」


 グランジェの首を後ろから捕まえて地面に押しつけながら、レイはそう言葉を返す。

 言われた方は今のレイの言葉に色々と思うところがあったのだが、それを言うよりも前に更にレイは言葉を続ける。


「それにしても、こっちに出てくるってのは運が良かったな。もし反対側から出てきていれば、セトが待ち構えていたのに」

「な……」


 レイとセト。どちらにしろ捕まえられるという結末に間違いはなかったが、それでもどうせ捕まえられるのなら、グリフォンのセトよりもレイの方がいいのは明らかだ。

 そのことに少しだけ安堵し……そして一つの疑問を抱く。


「一体、何故ここに? 周囲には気配の類はなかった筈ですが……」

「気配を消すのは得意って訳じゃないけど、別に出来ない訳じゃない。勿論、お前がもっと腕利きなら俺の気配を察知することは出来たんだろうけどな」


 そう告げるレイの言葉に、グランジェはこれ以上ない程に力の差を感じてしまう。

 今回の赤布の一件を始めとして、後ろ暗い仕事は今まで幾つもこなしてきた。

 だからこそ、気配の類を感じたり消すといった真似をするのも得意だったというのに、その自分が全く手も足も出ないような状況でこのようにあっさりと捕まるというのは、完全に予想出来ていなかったのだ。


「……参った。もう抵抗はしないから、起き上がらせてくれないか?」


 自分の負けを確信し……グランジェは自分を押さえつけているレイに向かって、そう告げるのだった。

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