第1921話

「あ、レイさん。戻ってきたってことは……もしかして、もう?」


 土壁を作り、マリーナとメールの二人が凍らせて補強した後で、レイはギルドに戻ってきていた。

 もっとも、ギルドの中に入ったのはレイだけで、マリーナとメールの二人は再び精霊魔法の訓練をするためにどこかに行ったのだが。


「ああ、そっちは無事に終わった。取りあえず、普通のコボルトはそう簡単にギルムの中には入ってこられなくなったと思う。……逆に言うと、普通よりも強いコボルトは入ってくる可能性もあるかもしれないんだが」

「分かりました。その件については上に知らせておきます。ただ、これでレイさんが希望していたように、コボルトの討伐よりも、ギガント・タートルの解体に回る人が多くなりそうですね」

「そうだな。で、コボルトの討伐よりも明らかに儲けられるというのを知れば、色々と不満を口にしてくるかもしれないけど」


 報酬そのものは安いが、ギガント・タートルの肉を売れば相当の金額になるのは確実だ。

 それこそ、解体に参加して一度でも肉を食べた者がいれば、売ると言われて断る者はまずいないだろう。

 だからこそ、何故今までそれを自分に教えなかったという憤りや、あの苦労はなんだったんだといった風に思う者が出て来るのは半ば確定していた。

 もっとも、そのギガント・タートルの解体の依頼主が誰なのかを知れば、そこでクレームを付けるような真似をする奴は殆どいないだろうが。


「あはは。そうですね。なら、ギルドの方でその土壁が具体的にどのようなものなのかを確認して、コボルトの討伐依頼についての依頼書にその旨を書かせて貰います。それで構いませんか?」

「ああ、それは問題ないけど……わざわざ行って確認してくるのか?」

「そうなります。何しろ、依頼に関することですからね。ギルドの指針でしっかりと確認して、それから依頼書の方を修正する必要があります」

「……マリーナにその辺を聞くのは駄目なのか? まぁ、今はここにいないけど」


 前ギルドマスターのマリーナであれば、それこそギルドの指針というべきものは分かっている筈だった。

 それを考えれば、わざわざギルド職員がコボルトがいるだろう場所に行く必要はないのではないか、というのがレイの正直な気持ちだった。

 土壁のおかげでこれ以上コボルトが増えるようなことはないが、逆に言えば現在ギルムの中に侵入しているコボルトが逃げ出すことも……壁の高さから考えて出来ない訳ではないが、手間取るだろう。

 そのような場所にギルド職員がわざわざ行くのはどうかという、そんなレイの言葉に、レノラは笑みを浮かべて口を開く。


「マリーナ様は前ギルドマスターですが、現在はギルドマスターではありません。依頼書を張り出して冒険者の方々にご案内する以上、そのような真似は出来ません」


 そう告げたレノラの言葉が聞こえたのか、周囲にいる冒険者達は感動したように身体を震わせる。


「おい、聞いたか今の……」

「ああ、レノラちゃんは、俺達の希望の星だぜ。……うう……」

「ば、馬鹿。こんな場所で泣くんじゃねえっ! ったく、そんなところを見られたら、レノラちゃんが気にするだろうが」

「そう言いながら、お前の目も潤んでるぞ」


 そんなやり取りがレイの耳に聞こえ、それだけではなく比較的大きな声だった為か、レノラにも聞こえていたらしい。

 レノラは俯くが、耳の先や首までもが赤くなっているのが、レイには確認出来た。


「あらあら、レノラったら人気が高くていいわね。もっとも、私はその他大勢じゃなくて、レイ君からの人気が高ければそれで満足するんだけど」


 そう言い、ケニーはレイに視線を向ける。

 俯いていたレノラは、そんなケニーの言葉に不満を露わにしながら、口を開く。


「う、うるさいわね。それよりも仕事はどうしたの? さっき書類の整理をするように言われてたでしょ?」

「書類の整理? これのことかしら」


 レノラの言葉に笑みを浮かべたケニーは、手元にあった書類を見せる。

 その書類を流し読みしたレノラは、しっかりと書類が整理されていることに気が付く。


「ふふん、どうかしら? 私だってやればこのくらいのことは出来るのよ?」

「……何で普段からこれくらいのことを出来ないの?」


 不満そうに告げるレノラの言葉に、ケニーは小さく肩を竦める。

 その動きでケニーの豊かな双丘が揺れ、周囲にいた冒険者達の目を惹きつける。

 救えないのは、ケニーの双丘に視線を奪われた冒険者の中に、レノラの言葉に感動していた者達も含まれていたということか。

 ともあれ、その後も色々と言い争いをしていたレノラとケニーだったが、生憎とレイは他にも色々とやることがある。

 仕方がないので、レノラとケニーはそのままに、他の受付嬢に声を掛ける。


「ギルドが所有している倉庫の片付けって、もう終わったのかどうか分かるか?」

「いえ、残念ですがまだ終わっていません。ただ、夕方くらいにまでは終わりそうだと言ってましたので、ギガント・タートルの解体が終わる頃には問題なく使えるかと」

「……そうか」


 ギガント・タートルの解体が終わっても、スーチーやその仲間達は一旦スラム街に戻る必要がある。

 自分の家族や友人、恋人……そのような者達を連れてくる必要があるからだ。

 ギガント・タートルの解体で得た稼ぎを奪おうと、人質にとったり……といった真似をされる危険は、少なくないのだから。


「急がせて……いや、無理をさせてしまったみたいだな」

「いえ。軽い仕事があると冒険者の方でも喜んでいる人が多かったので」


 そう言う受付嬢だったが、実際にはその荷物の移動といったことを指示したり、よからぬことを考えて貴重な素材の類を盗んだりといったことをしないように見張る意味でも、ギルド職員を派遣する必要があった。

 ただでさえ忙しい今のギルドでそのような真似をするのだから、ギルドにとってそれが大きな負担になっているのは間違いなかった。

 それだけに、突然の今回の一件でギルドに迷惑を掛けたのは間違いのない事実だ。

 ……もっとも、それでもギルドに利益があると判断したからこそ、そのような依頼を受けたのだろうが。


「そうか、分かった。なら、俺はギガント・タートルの解体の方に戻るけど、解体が終わったらそのままこっちに戻ってくるってことでいいのか?」

「えっと、そうですね。……ギルドの方から人をやりますので、その人の案内に従って貰えれば。ここに大量にやって来られても困りますし」


 現在は多くの者が仕事中――殆どがコボルト討伐――だが、ギガント・タートルの解体が終わる頃には、他の冒険者達もギルドに戻ってくる者が多くなる。

 それを考えれば、ギルドに直接入ることがなく、ギルドの前に集まるのだとしても、スラム街の住人五十人程がいるというのは、色々とトラブルになりやすいのは明からだった。

 冒険者の中には……いや、それ以外の住人であっても、スラム街の住人であるというだけで嫌う者は多いのだから。

 その辺りの事情を考えると、直接倉庫に向かって貰うのが最善の選択だというのは間違いない。

 受付嬢の様子から、レイも大体のことは理解したのだろう。頷きを返す。


「分かった、そうさせて貰う」


 それだけを言い、ギルドを出る。

 ……そんなレイの後ろでは、未だにレノラとケニーのやり取りが聞こえていたが、レイはそれを特に気にした様子はなかった。






「これは、また……いやまぁ、予想はしていたんだけど、ここまで流れてくるとは思わなかったな」


 ギルムから少し離れた場所にある、ギガント・タートルの解体現場。

 そこに到着したレイが見たのは、大量のコボルトの死体だった。

 レイが土壁を作った結果としてギルムに入ることは出来ず、それがこちらに流れてきたというのは明らかだろう。

 また、ギガント・タートルの解体やその血の臭いに惹かれてやってきたモンスター達を冒険者が倒すといったことを見ていた見物客達もいたのだが、そのような者達は大量のコボルトの死体を見て、気味が悪そうにしていた。

 コボルトの死体そのものは、昨日も見ただろう。

 だが、同じコボルトの死体であっても、今日はその数が違う。

 だからこそ、そのコボルトの死体の数に違和感を覚えたり、怯えたり、気持ち悪がったり……といった風にしている者が多いのだろう。


(虫が一匹いる程度なら特に気にならないけど、その虫が数十、数百……といった数になれば、気持ち悪くなるのと同じ……か?)


 そんな風に思いつつ、これはある意味で良い傾向かもしれないという思いもレイの中にはあった。

 ギルムの住人であれば、当然のように現在ギルムの中にコボルトが侵入しているというのは知ってたし、それを不安に思っている者もいただろう。

 しかし、中にはそんなコボルトは冒険者が全て倒してくれると判断し、気楽に考えているような者もいるのだ。

 そのような者達にとって、目の前で実際に大量のコボルトが襲ってきてそれを冒険者が倒すという光景は、コボルトの危険を実際に目の前でみたことになり、色々と思うところがあったのは間違いなかった。

 とはいえ、コボルト一匹であれば、そう強い相手ではない。

 ……問題なのは、やはりコボルトの数が大量だということだろう。

 この世界では容易に質が量を上回ることがあるのだが、それはあくまでも異名持ちを始めとした少数の者達だけだ。

 ここにいる見物客達のような一般人にしてみれば、数十匹のコボルトに襲われるというのは、死と同義語でしかない。


(まぁ、これでコボルトに対して強い警戒感を抱いてくれればいいけど……ちょっと遅かったな)


 土壁が出来て、殆どのコボルトがギルムの中に入れなくなってしまったのだ。

 であれば、今コボルトに脅威を感じても、それはレイの思った通り少し遅かった。

 もっとも、それが無意味だという訳でもないのだが。

 ギルムで生活する以上、モンスターに対する恐怖心というのは必須のものなのだから。


(それに、土壁でこれ以上コボルトがギルムの中に入ってこられなくなったってことは、このギガント・タートルの解体現場に多くのコボルトがやって来るってことだろうし。それを思えば、冬でギルムに出入りしようとする人が少なかったのは、運が良かったな)


 そんな風に思いつつ、レイは今また白雲を使ってコボルトの首を斬り裂いたビューネを眺め……自分に向かって近づいてくる気配に気が付く。


「レイ、何だか用事があったって話だったけど、そっちは終わったの?」


 そう尋ねてきたのは、ヴィヘラ。

 レイがここに戻ってきたのを見て、こうして話し掛けたのだろう。

 半ばビューネのお守りとしてここにいるヴィヘラだが、ただのコボルトであれば、もうビューネの敵ではない。

 一応ヴィヘラとしては、コボルトの希少種や上位種といった強い存在が出てこないかという希望を抱いてはいたのだが……レイが見たところ、残念ながら今のところそんなことはないようだった。


(俺が増築工事の現場で倒したあのコボルトは……結局、何だったんだろうな。いや、多分単純に戦い慣れているコボルトだというのは予想出来たんだが)


 大剣を持った冒険者と戦っていたコボルトは、明らかに通常のコボルトに比べて強かった。

 また、素手での戦闘をしていた為か、爪も通常のコボルトに比べると長く鋭かった。

 だからこそ、てっきりレイは希少種か上位種ではないかと思って魔石をセトに与えてみたのだが……結局脳裏にアナウンスが響くことはないままに終わってしまう。

 もっとも、未知のモンスターであれば必ずスキルを習得出来るという訳ではないので、もしかしたら……本当にもしかしたらだが、実はあのコボルトは希少種や上位種だった可能性もあるのだが。

 

「暇そうだな」

「そうね。何だかさっきから妙にコボルトだけが襲ってくるのよ」

「あー……だろうな。ギルムに入って来られないようにしたから、それがこっちに回ってきてるんだろ。もっとも、これだけ連日殺され続けているのに、全く数が減らないってのは少し異常に思うけど」

「ああ、やっぱりレイのせいだったんだ。……まぁ、コボルトはゴブリン程ではなくても、低ランクモンスターだもの。それを考えれば、繁殖力が高くてもおかしくないでしょ」


 そう言い、ヴィヘラは憂鬱そうな表情を浮かべる。

 折角ギガント・タートルという高ランクモンスターを解体しているのに、それに惹かれてやってくるモンスターの大半がコボルトであるということに、思うところがあるのだろう。


「取りあえず、強力なモンスターが出てくることを、俺も祈ってるよ」


 そう告げるレイだったが、実際に未知のモンスターが出てきた場合は、魔獣術の条件を満たす為に自分かセトが攻撃をする必要があり、そうなればヴィヘラが若干不機嫌になるんだろうなという思いがあった。

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