第1917話

「ええっ!? ちょっ、レイさん、それ本気ですか!?」


 多分に驚きを含んだレノラの声が、ギルドの中に響く。

 ケニーに突っ込む時はともかく、普段のレノラは冷静に仕事を片付ける有能さを持っている。

 そんなレノラがいきなり大声で叫んだのだから、レノラの性格を知っているカウンター内部のギルド職員は、当然のように何があったのかとそちらに視線を向ける。

 ……もっとも、レノラと話しているのがレイだと知ると、すぐにいつものことかと自分の仕事に戻っていくのだから。

 基本的に今は休んでいる者の多い冒険者――ギガント・タートルの解体やコボルトの討伐に行ってる者は別だが――とは違い、ギルド職員は増築工事を始めとして、様々な理由で忙しいのだ。

 何か緊急事態であればともかく、今の状況では特にそちらに注意を向けるような余裕はなかった。

 そのように見られているレイは、レノラの驚きの声を聞いても特に気にした様子はなく、言葉を続ける。


「本気だ。そもそも、ギルドの方でもコボルトの件は困ってたんだろ? なら、俺がその被害を減らすというんだから、問題はないと思うが? ……まぁ、俺が作る土の壁を乗り越えてくるようなコボルトがいないとも限らない以上、絶対に安心だとは言えないけど」

「それは……」


 レイのその言葉は、間違いのない事実だった。

 予想外の事態としてコボルトの襲撃が毎日のように続いているが、それをどうにか出来れば、それがギルドや……そして何より、ギルムの利益になることは間違いない。


「でも……本当に大丈夫なの? 増築工事をやってる場所って結構な広さがあるんでしょ? だとすれば、レイ君だけでやるとなると、何かあった時に大変だと思うんだけど」


 レノラの隣で書類の整理を一通り終わらせたケニーが、レイの身を案じるかのように尋ねる。

 ケニーのその言葉に、レノラも心配そうな視線をレイに向ける。

 だが、レイはそんな二人の視線を受けながらも、問題はないと頷き、口を開く。


「安心してくれ。そもそも、俺は一人じゃなくてセトもいるんだ。だから、もし俺が魔法を使ってる時に何かモンスターがやって来ても、大体は対処可能だよ」


 そう言われれば、セトがその愛らしさに見合わぬ力を持っているのを知っている以上、レイの言葉に納得せざるを得ない。


「……分かりました。上の方に相談してきますので、少々お待ちください。ただ、この件に関してはギルドだけでは判断出来ないと思うので、ダスカー様を始めとした方々に話を通す必要があります。そうなると、今日すぐに壁を作るといったことは出来ないと思いますが」

「あー……まぁ、そう言われるとそうか。ただ、これはダスカー様にとっても決して悪い話じゃない筈だから、出来れば至急連絡をとって判断して欲しい」


 レイの言葉に、レノラは力強く頷くとその場を後にする。

 レノラもまた、このギルムに住む者だ。

 ましてや、多少自衛の為の力はあるが、それはあくまでも多少の範囲でしかない。

 だからこそ、今までは平気であったがコボルトが増築工事の現場を通りすぎて街中までやって来たら……そう思えば、不安を抱くのは当然だった。

 レノラですらそうなのだから、ギルド職員でもなんでもないギルムの住人にしてみれば、レノラよりも大きな不安を抱いてもおかしくはない。

 必ず許可を取ってみせる。

 そんな決意と共に、レノラは自分の上司のいる場所に向かう。

 その後ろ姿を見ていたレイは、ケニーが悪戯っぽい笑みを浮かべて自分を見ていることに気が付く。


「どうしたんだ?」

「ううん。別に何でもないわ。ただ、レイ君もギガント・タートルの解体を依頼したばかりなのに、色々と忙しそうだなって思って」

「あー……それは否定しない」

「でしょ? ちょっと前にギガント・タートルの解体現場からやって来た人がいて、何人かの冒険者を臨時で雇ってどこかに行ったし」


 その言葉が何を意味しているのか、レイにも覚えがあった。


(倉庫の片付けに人手を集めたってところか。……そうなると、スーチー達の家族とかも一緒に倉庫に泊めるってのは、許可が出たのか?)


 取りあえずギガント・タートルの解体に人手が増やせる可能性が出てきたということで、レイは安堵する。


「ギガント・タートルは、色々な意味で美味しいモンスターだったしな。そういう意味だと、やっぱり俺にとっては忙しいのも嬉しい出来事なのは間違いないよ」

「ふーん、そうなんだ。……けど……」

「お待たせしました!」

「……おう?」


 ケニーと話し始めてから、まだ数分と経っていない。

 にも関わらず、レイの目の前には走ってきたレノラの姿があった。

 

「……随分と早いな。てっきりもう少し話し合いに時間が掛かるかと思ったんだが」

「ギルドマスターも、現状が危ういというのは承知していたということです」

「なら、土壁の件は?」

「ダスカー様には、ギルドマスターがすぐに報告をして、後でですが許可を貰うとのことです。なので、レイさんはすぐにでも土壁を作ってコボルトがこれ以上侵入してくるのを防いで欲しいと」

「……いいのか?」


 すぐに許可を貰う為に領主の館に人をやるので、もう少し待っていて欲しい。

 てっきりそう言われるかと思っていたのだが、まさかいきなり土壁を作ってもいいと言われるとは、レイにとっても明らかに予想外だった。

 だが、そんなレイの様子を見たレノラは、真剣な表情で頷くと口を開く。


「ギルドの上層部も……そしてギルドマスターも、現状のままでは危険だというのは理解しているということです。もっとも、土壁を作ってコボルトの侵入を完全ではないにしろ防ぐというのは、ギルムにいる誰にとっても有益なことだと分かっているからこそ、でしょうけど」

「だろうな。普通に考えて、自分の治めている街にコボルトが好き放題に入ってくるのを歓迎する……なんて真似はまずしないだろうし」


 そのようなことを望む者が皆無……という訳ではない。

 それこそ、領地を治めることに全く興味がなく、遊び半分で領主をやっているような者であれば、そのような真似をしてもおかしくはない。

 ……当然、ダスカーはそのような真似をするような愚者ではなかったが。

 そう納得しているレイだったが、次にレノラの口から出た言葉に、強く納得することになる。


「それに、レイさんは土壁をマリーナ様の精霊魔法で凍らせるんでしょう? マリーナ様が出てくれば、ダスカー様も弱いですから」

「……それは否定しない」


 レイは、何度か見たダスカーとマリーナの会話を思い出す。

 小さい頃からダスカーを知っていて、それこそダスカーが年上の美人たるマリーナに結婚を申し込んだ時のような、いわゆる黒歴史とでも呼ぶべきものすら、マリーナに握られているのだ。

 マリーナの対応がギルムに対して危害を加えるようなものであれば、ダスカーもそれを許容することは出来ないだろう。

 ギルムの領主としての自分の責任と、自らの黒歴史。

 どちらを重視するのかは、それこそ考えるまでもないのだから。

 だが、今回は違う。あくまでもギルムの為になるということで、マリーナが出てくるのだ。

 正確にはまだこの時点でマリーナが出てきている訳ではないが、レイがマリーナに土壁の補強を頼むと言っている以上、それをマリーナが拒否しないというのは間違いなかった。


「そんな訳で、こちらの方で許可は貰っておきますので、レイさんは土壁の方をお願いします」

「頑張ってね、レイ君」


 レノラの言葉に続くように、ケニーもレイを応援する。

 正直なところ、ケニーとしては出来ればレイと一緒に話していたい。

 ただ、これからレイがしようとしていることを考えれば、それを引き留めるという選択は存在しなかった。

 だからこそケニーには珍しく、もう少し話そうといったように食い下がらず、そう告げたのだ。

 そんな二人にレイは頷き……それどころか、ギルドに残っている冒険者やギルド職員からも期待の視線を受ける。

 冒険者にしても、コボルトの一件は少しでも金を欲している少数の冒険者以外は、とてもではないが今の状況を好ましく思ってはいない。

 それでもこうしてギルドに来てコボルトの討伐依頼を受けているのは、そうしなければギルムという街そのものに被害が出るからだ。

 そしてギルド職員にいたっては、コボルトの一件でかなり仕事が増えてしまっているのだから、それが解決するのであれば望むところだった。


「じゃあ、行ってくる。まずはマリーナを探して……いや、その前に土壁を作ってからマリーナを探した方がいいな。そうなれば、コボルトが入ってくる数は多少なりとも少なくなるだろうし」


 そう告げ、ギルドから出る。

 ギルドの前で何人かから遊んで貰っていたセトがレイの姿に気が付き、嬉しそうに喉を鳴らす。


「悪いけど、これから俺とセトはちょっと用事があるんだ。セトと遊ぶのは、また今度にしてくれ」


 レイの言葉に、セトと遊んでいた者達はしょうがないと、それ以上は駄々をこねる様子もなく、その場を去っていく。

 ここで無理にセトと遊ぼうとしても、セトに嫌われるだけだと分かっているのだろう。

 そうして、レイはセトと共に増築工事の方に向かう。

 もしかしたら、途中でマリーナと会えるのではないか。

 そんな思いを抱いてもいたが、残念ながらマリーナや、マリーナが教えているというダークエルフの姿を見つけることも出来ずに、レイとセトは増築工事の現場に到着する。


「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 不意に聞こえてきた雄叫びに、レイは視線を向ける。

 そこでは、大剣を手にコボルトに振り下ろそうとしている冒険者の姿。

 だが、そのコボルトはあっさりと大剣の一撃を回避し、鋭い爪を振るう。


「痛っ! くそっ、コボルトが生意気な!」


 その冒険者とコボルトの戦いを見て、レイは足を止める。

 冒険者は、強者という訳ではないが、それでも冒険者になったばかりの新人という訳ではない。

 そこそこの強さを持ち、それこそコボルトの一匹や二匹程度であれば容易に倒せるだけの実力を持っているというのが、その動きから明らかだった。

 そのような実力の持ち主にも関わらず、今は一匹のコボルトを相手に苦戦している。

 大剣という武器を使っており、素早い動きを得意とするコボルトとの相性の悪さ……というのも、当然あるのだろう。

 それでもこの戦いの成り行きは、レイにとっても意外なものだった。


「希少種か上位種か? ……普通のコボルトと、そう差があるようには思えないけど」


 コボルトは、簡単に言えば犬の顔を持った人型だ。

 だが、この犬の顔を持ったという点が今回は非常に厄介なことになっていた。

 犬の種類が多種多様にあり、その毛の色も幾つもあるように、個体ごとにその辺は大きく違うのだ。

 これがオークやゴブリンであれば、殆どの個体が大差ない個体なのだが、コボルトはその辺が違っていた。

 それだけに、コボルトを見てもそれが個体差なのか、もしくは上位種や希少種だから違うのか、その辺を見分けるのは難しい。

 少なくても、レイの視線の先で冒険者が戦っているコボルトは、その辺に幾つか転がっているコボルトの死体と見比べても大きな違いがあるようには思えない。

 ともあれ、と。

 視線の先の冒険者はソロでコボルトと戦っている。

 元々がソロで活動しているのか、もしくは普段はパーティーを組んでいるのだが、今日は偶然一人だけなのかは分からない。

 分からないが……もしかしたら希少種や上位種かもしれないコボルトを前に、そのまま見捨てるという選択肢はレイにはなかった。

 ……冒険者を助けるというよりも、未知の魔石の方により強い興味を抱いていたのは、間違いのない事実だが。


「おい、助けはいるか!?」


 かといって、冒険者が戦っている獲物を横取りするのも色々と面倒なことになりそうなので、大剣を持つ冒険者に聞こえるよう大声で尋ねる。

 コボルトの素早さに翻弄されていた大剣の冒険者は、いきなり掛けられた声に驚き、咄嗟に後ろに跳躍しつつ、叫ぶ。


「頼む! ちょっとこいつ普通のコボルトじゃねえ!」


 きちんと助けを求める声を確認した後で、レイはミスティリングの中から取りだした、いつ壊れてもおかしくない槍を手の動きだけで素早く投擲する。

 十分に腕力を乗せた槍は、空気を斬り裂きながら真っ直ぐに飛び……槍の接近を察知したコボルトが、何とか回避しようとするも、その動きは僅かに……そして致命的なまでに遅く、次の瞬間にはコボルトの頭部を砕き、そのまま槍の柄が折れて、地面の上を転がるのだった。

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