第1918話

「え……」


 大剣を持っていた冒険者は、自分が苦戦していたコボルトが一発で呆気なく殺されたことに、唖然とした声を出すことしか出来なかった。

 大剣という重量のある武器であるが故に、身軽なコボルトを相手にして苦戦していた自分は一体何だったのか。

 そう言いたくなるくらい、あっさりとした結末だった。

 冒険者にとって不運だったのは、そのコボルトが武器を持たず素手……正確には指のかぎ爪を武器としていたことだろう。

 普通であれば、コボルトも長剣や短剣、槍といった武器を手にしている。

 だが、今回戦ったコボルトは武器を持たず、それ故にコボルトとしての身軽さを最大限に発揮出来た。

 おまけに、本来ならコボルトの手の爪は鋭いが、武器として使えるようなものではない。

 だというのに、このコボルトの爪は武器として使うのに十分なだけの鋭さと長さを持っていたのだ。

 実力では決して負けていないつもりだったが、今回の場合はとにかく相性が悪かった。

 だからこそ、そうして自分が苦戦していた相手を、こうもあっさりと倒したことに唖然としていたのだろうが。

 そうして唖然としている間に、セトを引き連れたレイが冒険者に近づき、声を掛ける。


「無事だったか?」

「あ? あ、ああ。その……すまない。助かった」


 唖然としていた冒険者は我に返り、レイに感謝の言葉を述べる。

 自分が苦戦していた相手をあっさりと倒したことに、何も思わない訳ではない。

 自らの力不足、そしてレイの持つ圧倒的な力に対する嫉妬。

 だが、それでも助けて貰った……それも自分が助けを求めて助けて貰ったのを考えれば、これで感謝の言葉の一つも言わないという選択肢は有り得なかった。


「そうか、無事で何よりだ。……で、このコボルトだけど、希少種か上位種のどっちかか?」

「いや、悪いけど俺にもその辺は分からない。ただ、この騒動で希少種や上位種が現れたことはなかった筈だ。少なくても、俺はそういう風に聞いている」

「まぁ、コボルトは色々と見分けにくいのも間違いないからな。……取りあえず、このコボルトの魔石は俺が貰ってもいいか? それ以外は好きにしても構わないから」


 頭部が爆散した以上、討伐証明部位の確保は出来ない。

 その上で素材の中で一番高く売れる魔石まで持って行かれれば、男の利益はない。


(いや、命が助かったのが利益か)


 レイの言葉に何かを言おうとした男だったが、そう思い直して頷きを返す。


「ああ、分かった。それでいい。このコボルトを倒したのは俺じゃないんだから、魔石はそっちが貰っても構わない」

「助かる」


 短く言い、早速レイはナイフを取り出してコボルトの死体の胸を開き、心臓から魔石を取り出す。


「じゃあ、早速で悪いけど、俺達は急いでるからそろそろ行くよ」

「そんなに急いでどこに行くんだ?」


 そう尋ねたのは、特に何か意味があってのことではなく、ただ何となくそういう気分になった……というのが正しい。

 レイ程の人物が、何をそんなに急いでいるのかと。

 もしかしたら、何か不味い問題でもあったのでは?

 そう思っての質問だったのだが……レイは特に焦った様子も見せず、それこそ何でもない様子で口を開く。


「ああ。ちょっとコボルトがギルムに入ってこられないように、壁を作ろうと思ってな」

「……え? 壁? 一人で?」

「そうだ。もっとも、しっかりとした壁じゃなくて、魔法を使って作った簡易的な土の壁だけど。それでコボルトがこれ以上一匹も入ってこられない……ってことはないと思うけど、数は減る筈だ」

「そんな真似、本当に出来るのか? かなりの広さになるんだぞ?」

「まぁ、そうだな。やってやれないことはないってところか」

「グルゥ!」


 セトの頭を撫でながら、あっさりとそう告げるレイ。

 冒険者の男は、正直目の前にいる男が理解出来なかった。

 一体、どれだけの力を持っていれば、そのような真似が出来るのか。


「あー……そうか。分かった。いや、正確にはあんたを理解するのが俺には無理だってのが分かった。……けど、一体どうするかな。もう少しコボルトで稼ぐ必要があったんだけど」

「ああ。それなら俺がギルドで募集しているギガント・タートルの解体に参加すればいい。ここに壁を作れば、当然ギルムに入ってこれなくなったコボルトはギガント・タートルの解体をやってる方に回るから、そっちでならコボルトと思う存分戦えるぞ。それに、報酬以外にギガント・タートルの肉も少し出すし」


 それだけを言い、レイはセトと共にその場を立ち去る。

 冒険者の男はまだ何かをレイに言いたそうにしていたが、結局レイがそちらを気にする様子もなかった為か、諦めて別のコボルトを探しにいく。


「……さて、この魔石だけど……どう思う?」


 ミスティリングから取り出した布で拭いた、先程のコボルトの魔石を手に、レイはセトに尋ねてみる。

 そんなレイの問いに、セトは食べてみれば分かるよ、と喉を鳴らしながらクチバシを開く。


「そうだな。……なら、ほら」


 まるで飴玉でも食べさせるように、レイは持っていた魔石をセトのクチバシの中に放り込んだ。

 それを飲み込むセト。

 だが……スキルの習得やレベルアップの時のようなアナウンスが脳内に流れることはない。


「……残念ながら、スキルの習得は出来なかったか。そうなると、やっぱりあのコボルトは希少種や上位種じゃなくて、普通のコボルトだったのか? その割には、妙に強かったけど」


 その強いというのは、あくまでも大剣を持った冒険者と比べての話でしかない。

 だが、それでも通常のコボルトよりも強いのは間違いなかった。


「考えられる可能性としては、コボルトとして長い間戦ってきた経験からか? いわゆる、ベテランといった者のように」


 無難に考えれば、恐らくそうなのだろう。

 戦いにおいて、経験というのはある意味で体力や筋力といったもの以上に重要な項目なのだから。

 もっとも、そうなればなったで、また分からない事もあった。

 具体的には、コボルトの指から伸びていた爪が、明らかに通常のコボルトに比べて、長く鋭かったのだ。


「ギルムに入ってくるモンスターが、次第に強化されてる……とか、か?」

「グルゥ……?」


 レイの呟きに、そうなの? と首を傾げるセト。

 その能力が嘘のように、愛らしさしか感じさせないセトの様子に和みつつ、レイはコボルトに関しては自分が考えても意味がないと悟る。

 そもそも、今から行う土壁を生み出せば、コボルトはこれ以上ギルムに入ってくることはない……とは断言出来ないが、間違いなく数は減る筈だった。

 ……代わりに、ギルムの外でやっているギガント・タートルの解体の方に全てのコボルトが回ってくることになるのだが。


「ともあれ、土壁を作ればコボルトの討伐を行っている者の中にも、稼げないと判断してギガント・タートルの解体をやる奴も増える筈だ。そんな訳で……とにかく、外に繋がっている場所に行くぞ」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは鋭く鳴き声を上げると、その背にレイを乗せてから、走り出す。

 そうしてセトが走り出せば、周囲の景色は驚く程に流れていく。

 街中では当然のように、セトは全力で走るなどといった真似は出来ない。

 もしそのような真似をした場合、間違いなくその辺りを歩いている者達がセトにぶつかって大怪我をすることになるだろう。

 または、怪我人を作らない代わりに街中にある建物を破壊する可能性も高い。

 だが、ここではそのような心配をしなくても、セトは思う存分走ることが出来る。

 とはいえ、ギガント・タートルの解体をしている場所でもセトは周囲を自由に走り回ったりしていたので、そこまで欲求不満になっている訳ではなかったのだが。

 そうして、本当に瞬く間にセトは増築工事の最前線、ギルムと外が繋がっている場所に到着する。

 途中で何人かの冒険者がコボルトと戦っている光景が見えたが、その者達の中には、レイとセトの動きが素早かった為に、その存在に全く気が付かない者もいた程だった。


「ありがとな、セト」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは短く喉を鳴らす。

 そんなセトを撫でながら、レイは改めて周囲を見回すが……そこに、コボルトの姿はない。


「さて、これは一体どうなってるのやら。てっきり、ここに来たらコボルトの群れが襲ってくるものだとばかり思ってたんだけど。……面倒がないのは、いいけど」


 丁度コボルトがギルムに入ってくるのが一時途切れた時間帯が今なのか、それとも単純に今日はもう打ち止めなのか。

 その辺りの事情は分からなかったが、ともあれレイにとって幸運だったのは間違いない。

 希少種や上位種ならともかく、通常のコボルトは倒してもレイにとって利益は殆どない。

 ましてや、このような場所まではスラム街の住人もそう近づくことが出来ない以上、下手をすればここで殺したコボルトの死体はアンデッドになる可能性すらあった。

 それを思えば、やはりここで戦いにならなかったのはレイにとっても運が良かったのだろう。


「ともあれ、ここまで来たんだから余計な邪魔が入る前にとっととやるか。……セト、俺が集中している間、周囲の警戒を頼むぞ」

「グルゥ!」


 任せて! と鳴き声を上げるセトを見ながら、レイはミスティリングの中からデスサイズを取り出す。

 そして、これから使う地形操作というスキルの有効範囲を確認し、持っているデスサイズに意識を集中しながら石突きを地面に突き刺す。


「地形操作」


 レイの口からでたのは、その短い一言だけ。

 だが、それだけでスキルは発動し、レイを中心として半径七十mの地面がレイの支配下に置かれる。

 まず生み出されたのは、高さ百五十cmの土壁。

 次いで、土壁の外側が百五十cm沈下する。

 本来なら今の地形操作では百五十cmの土壁しか作ることは出来ない。

 だが、土壁の向こう側に地面を百五十cm沈下させることにより、そこには擬似的ではあるが三mの土壁が出来上がっていた。


「……ま、こんなものか。ただ、結構な回数をやる必要があるな」


 外と繋がっている場所はそれなりに広い。

 そうである以上、完全に土壁で外と内側を遮断する為には、それなりの回数、地形操作を使う必要があった。


「グルルルルゥ!」


 と、レイが次の土壁を作る為に移動しようとした瞬間、セトの雄叫びが聞こえてきた。

 何があった? と視線をセトの方に向けると、そこではセトが跳躍して土壁を飛び越えている光景があった。

 敵が出てきた訳ではなく、単純に目の前にあった土壁に興味を持ってそれを飛び越えて遊んでいるのだろう。


「あー……程々にな」


 コボルトには飛び越える、もしくは乗り越えるのは難しいのだが、セトにとってはこの程度の壁は全く苦にならないのだろう。それこそ、遊び道具としか思えない。

 そんなセトの様子に何と言えばいいのか少し迷ったレイだったが、別に土壁を壊している訳でもないし、周囲の警戒を行っている様子なので、セトに対してそう言うだけにする。


「グルルルゥ!」


 レイの呼び掛けに、セトは嬉しそうに鳴き声を上げつつ再び土壁の上を跳躍して遊ぶ。

 一体何が面白いのかレイは分からなかったが、セトにとっては土壁を跳躍することに強い興味を持っているのは間違いない。

 レイはそんなセトをその場に残し、少し離れた場所……新たに地形操作を使う場所に向かう。


「地形操作!」


 再度、生み出される土壁。

 それを次々に繰り返していき、その土壁は繋がっていく。


(接続部分は……地形操作を使ってくっつけておけば大丈夫か。ただ、確実を期すのならやっぱりマリーナを呼んで、精霊魔法で凍らせて貰えばいいな)


 目の前にある百五十cmの土壁を眺めつつ、そのように思う。

 マリーナの精霊魔法の威力を考えると、自分の能力では上手くいかない場所を補って貰えるというのは、レイにとっても非常に助かることなのは間違いなかった。

 ……数十分程度でこれだけの土壁を作るというのは、普通に考えればとんでもないことなのだが、それをやった本人はそのことを特に気にした様子がない。

 周囲に同じような力を持っている者が少ない……もしくはいないからというのもあるのだろうが。

 ともあれ、ギルム側から見れば百五十cm、外から見れば三mの土壁が完成したことに満足し、レイは未だに土壁の上を飛んでいるセトに向かって叫ぶ。


「セト! 取りあえず土壁は出来たから、一旦ギルムの中に戻るぞ! マリーナを探して、仕上げをして貰う必要があるからな!」

「グルルルルルルルゥ!」


 何が面白いのか、一心不乱に土壁を跳躍していたセトは、レイのその言葉に高く鳴き声を上げて、遊ぶのを止めるのだった。

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