第1900話

 レイとセトが朝食――正確には夕暮れの小麦亭で食事をしているので、朝食後のおやつだが――を食べ終えてから暫くし、薄暗かった外の空気もようやく完全に明るくなってきた頃、ギガント・タートルの解体は、それなりに進んでいた。

 とはいえ、まずは足の肉を取り出す為に皮を剥ぐというところからであって、その途中だったのだが。

 ギガント・タートルの皮は、高ランクモンスターの皮だけあって、当然のように希少な素材となるのは間違いない。

 まだなめしたりといったことはしていないので、具体的にどのような性質の素材なのかは、分かっていなかったが。


「あら、随分と……その、凄いわね」


 それなりの時間になったからだろう。夕暮れの小麦亭で朝食を食べ終えたヴィヘラとビューネが、ギガント・タートルの解体を見る為にやって来て、そう声を漏らす。

 ヴィヘラが見ても、ギガント・タートルの大きさは驚くべき存在なのだろう。……それでも、頭部がない影響で本来の大きさよりは大分小さくなっているのだが。


「ん」


 そんなヴィヘラの横では、ビューネもまたいつものように小さく一言だけを呟きつつも、目の前にあるギガント・タートルの巨体に見入っている。


「もし何なら、少し解体作業を体験してみるか? 結構面白いかもしれないぞ?」

「それは遠慮しておくわ。……汚れるのは嫌だし」


 レイの提案に対し、即座に首を横に振ったヴィヘラの視線の先にいるのは、寒さ対策のローブをギガント・タートルの血や体液で汚しながら足の皮を剥いでいる者達の姿。

 皮を剥ぐのだから汚れるのは当然だったが、ヴィヘラはあまりその中に入りたいとは思わなかった。何より……


「私は、どちらかと言えばああいう方がいいわね。……いえ、止めた方がいいかしら」


 ギガント・タートルの血の臭いに惹かれてやってくるモンスターと戦う冒険者。

 だが、冒険者が戦っているモンスターは、明らかにコボルトが多い。

 ……そう、本来ならギルムを襲っている筈のコボルトだ。


(あれ? もしかしてギガント・タートルの血の臭いに惹かれて、本来ならギルムを襲う筈のコボルトがこっちに回ってきてるのか?)


 そのような疑問を抱くレイだったが、考えてみれば当然の話だった。

 コボルトというのは、元々その犬のような顔を持っているのを見れば分かる通り、嗅覚が鋭い。

 そんなコボルトが、ギガント・タートルの血の臭いを嗅ぎ取れば、こちらにやってくるのはある意味で当然のことだろう。

 もっとも、コボルトがどのような理由で連日のようにギルムを襲撃しているのかが分からない以上、血の臭いでやって来るとは限らなかったが……


(こうして実際にコボルトが来ている以上、予想は外れた訳だ。もっとも、モンスターの行動を完全に予想しろってのが、元々無理な話だったんだろうけど)


 ヴィヘラがコボルトを見て嫌そうな……いや、面倒臭そうな表情を浮かべているのは、やはりコボルトが相手では面白くないからだろう。

 戦闘を好むヴィヘラだったが、それは自分とやり合えるような相手との戦いを好むのであって、一方的に蹂躙することを好むようなものではない。

 そのような戦いが必要であればヴィヘラも躊躇するようなことはなかったが、自分から進んでそのような戦いをしようとは思わない。


「まぁ、俺達が手を出すような必要もないみたいだしな」


 元々、ギガント・タートルの血の臭いに惹かれて集まってくるモンスターは、今が冬というのも影響してか、強力なモンスターである可能性が高かった。

 そうである以上、解体をしている者達の護衛として雇われたのは、相応に腕利きの者達だ。

 そのような者達にとって、コボルト程度を相手にするのは難しい話ではない。

 現にレイの視線の先では、蹂躙と呼ぶのに相応しい戦いが繰り広げられていた。

 だが、その戦いを見ていたレイは、ふと疑問を抱く。

 コボルトというのは、ゴブリンと違って仲間を大事にする習性を持つ。

 だというのに、仲間が傷つけられても助けたり庇うよう素振りを見せもせず、それどころか仲間が殺されても全く気にしていないように見える。


「あのコボルト達……妙だな。いやまぁ、これだけ連日ギルムを襲撃しているという時点で、妙なんだが。大体、何でそこまで個体数が多いのかも分からないし」

「仲間を気に掛けないこと? それはコボルトがギルムを襲撃するようになった時から言われてたけど、結局具体的にどういう理由でそうなっているのかというのは、分かってないわね」


 レイの言葉に、ヴィヘラは即座にそう返す。

 最後まで言わずともレイが何を疑問に思ったのかを理解出来るのは、やはりレイとの付き合いがそれなりに長いからだろう。

 ちなみに、そんなレイの視線の先では、いつの間にか純白の刃を持つ白雲を手にビューネがコボルトと戦いを繰り広げている。


「あー……いいのか、あれ?」

「まぁ、いいんじゃない? 別に依頼を受けないとコボルトと戦っちゃいけないって訳でもないでしょうし」


 討伐依頼を受けた訳ではないので、ビューネがコボルトを倒してもその分の報酬を貰うことは出来ない。

 だが、魔石や討伐証明部位はギルドで買い取って貰えるので、全くの無駄という訳でもない。

 ビューネもそれを分かってるからこそ、こうしてコボルトを倒しては素早く魔石と討伐証明部位の右耳を切り取っているのだろう。


「ビューネの場合は、身体を動かしたいというのもあるんでしょうけど」

「身体を? 戦闘訓練とかはしてないのか?」


 ヴィヘラの口から出た言葉を聞き、レイは意外そうに尋ねる。

 実際、ヴィヘラの性格を考えれば、戦闘訓練をしないという選択はないと思ったからだ。

 そんなレイの言葉に、ヴィヘラは笑みを浮かべて首を横に振る。


「まさか。最低限の……身体を鈍らせない程度の戦闘訓練はやってるわ。幸い、夕暮れの小麦亭の裏庭はそれなりに広いし」


 それは、レイも知っている。

 厩舎のすぐ近くにある場所なので、以前はそこでセトと遊んだりといった真似をしていたのだから。


「けど、身体を鈍らせない程度なのか?」

「ええ、そうよ。この冬のビューネの課題は、今の戦闘力を維持したままで、鍵開けとかの盗賊としての技量を上げることだもの。だからこそ、レイの部屋の鍵も開けたでしょ?」

「あー……なるほど」


 ヴィヘラの言葉に、レイがアネシスから返ってきて、自分が借りてる夕暮れの小麦亭の部屋の中に入った時のことを思い出す。

 普通であれば、他人の部屋の鍵を開けて勝手に部屋の中に入るというのは、絶対に許されることではない。

 だが、それがパーティーメンバーとなれば、若干話は違ってくる。

 ましてや、レイの場合は借りている部屋に私物の類を置いている訳でもなく、純粋に寝る場所として使っている部屋でしかない。勝手に鍵を開けて中に入るといった真似をされても、特に怒りを感じるといったことはなかった。


「何だかそんなことを聞かされていたような……」


 実際、今のビューネは盗賊として考えれば非常に高い戦闘力を持っている。

 その年齢を考えれば、それこそ信じられない程に。

 だが、ビューネはあくまでも盗賊である以上、優先すべきは盗賊としての技能であるというのも、また事実。

 世の中には戦闘力を重視している盗賊というのもいるが……正直なところ、ビューネが所属している紅蓮の翼において、戦闘力という意味ではレイ、ヴィヘラ、マリーナと、ビューネ以外の全員が極めて高いレベルの実力を持っていた。

 そんな中で、ビューネが幾ら戦闘力を上げても、それは意味がない……訳ではないが、効果は薄いだろう。

 それより、やはり純粋に盗賊としての技能を上げる方が有効なのは間違いなかった。


「ビューネが盗賊としての技能を上げた方が、助かるでしょう?」

「それは否定しない」


 一応、レイは常人よりも鋭い五感を持っているし、気配の類を感じることも出来る。

 セトにいたっては、その手の感覚の全てがレイを上回る程に鋭い。

 そうである以上、敵の存在を見つけるという意味では盗賊の存在はそこまで重要ではない。

 だが……罠や鍵の解除、それ以外にも盗賊としての特殊な能力の数々を思えば、やはり盗賊というのはいた方がいいのだ。

 勿論、いざとなればソロで活動している盗賊を臨時でパーティーに入れるという手段もない訳ではないが、やはり臨時でパーティーに加わった者と、長期間一緒に組んでいる相手では信頼度が違う。


「でしょう? それに、ビューネ本人からもそういう風にしたいって要望があったしね」

「……そうか」


 一瞬沈黙してしまったのは、いつも『ん』としか言わないビューネの言いたいことを確認出来るヴィヘラの凄さに、今更ながら呆れたからだろう。

 最初にレイがビューネと会った迷宮都市エグジルでは、最終的に騒動を解決した後、それなりにビューネも喋っていたのだ。

 だが、ヴィヘラと共にギルムにやって来た時は、再び『ん』としか言わなくなっていた。

 言葉が喋れない訳ではないのは、エグジルにいた時に分かっているのだが……それでも『ん』としか言わないビューネの存在は、そういうものだという風に認識するしかレイには出来なかった。

 そんなビューネだったが、何故か……本当に何故か、ヴィヘラだけはビューネが何を言いたいのかが分かるのだ。

 よって、半ば通訳のような形でヴィヘラを間に入れることにより、レイ達はビューネが何を言いたいのかの詳細を理解出来る。

 もっとも、何だかんだとレイ達とビューネの付き合いも長いので、『ん』の一言でも何となくニュアンス的なものを感じることは出来るのだが。

 そのような会話をしている間も、ビューネは白雲を使って次々とコボルトを倒していく。

 半ば蹂躙と呼ぶに相応しいその戦いを見ていたレイだったが、ふとセトの方を見て、先程の疑問を理解する。


(ああ、そう言えばセトがいるのにコボルトが襲ってきているってのは妙だな。それに、他のモンスターも。……それだけ、ギガント・タートルの血の臭いはモンスターを惹きつけるのか? ……まぁ、おかしくはないけど)


 ギガント・タートルが出現した、トレントの森が色々な意味で謎の多い場所だったのだ。

 それを考えれば、そのトレントの森から姿を現したギガント・タートルが普通のモンスターと違っていても、それは驚くべきことではなく、寧ろ当然と納得すべきことだった。

 一瞬、コボルトがギルムを連日襲撃しているのもギガント・タートルが関係してるのか? と思わないでもなかったが、考えてみればレイ達がアネシスからギルムに帰ってくるよりも前からギルムの襲撃は行われていたのだ。

 だとすれば、コボルトの一件はギガント・タートルと関係がないのは明らかだった。

 ……相乗効果のようなことが起きたという可能性は、否定しきれないのだが。


「レイさん!」


 ギガント・タートルとコボルトの一件について考えていたレイだったが、そんなレイの名前を呼ぶ声があった。

 声のした方に視線を向けると、そこにいたのはギルド職員。

 ギガント・タートルの解体の一件でレイと色々と話していた人物だ。

 そのギルド職員が、真剣な……もしくは深刻な表情を浮かべて自分の方に近づいてくるのを見て、嫌な予感がしないというのは有り得なかった。


「何があった? その表情を見る限り、面倒が起きたのは理解したけど」

「はい。実は、先程ギルドの方から連絡がありまして。今日は増築工事をしている場所に姿を現したコボルトの数が、かなり少ないそうです」

「……なるほど」


 ギルド職員の言葉に頷きながら、レイは視線をギガント・タートルの周辺でコボルトと戦っている冒険者達に向ける。

 ここにコボルトが来ている以上、当然だがギルムを襲撃するコボルトの数が少なくなるのは当然だった。


「向こうが少ない分、こっちに回ってきてるのか」

「はい。それで向こうの人手が余っているので、暇な人数をこっちに回して解体やコボルトの相手をさせてはどうかという提案が来てるのですが……どうでしょう?」

「どうでしょうって言われてもな。俺としては、解体の人手が増えるのは賛成だから、ギルドの方で問題がなければ構わないんじゃないか?」


 これで報酬を支払うのがレイであれば、色々と面倒なことを考える必要もあっただろう。

 だが、今回のギガント・タートルの解体に関する報酬は、レイが支払う必要はない。

 そうである以上、ギルドの方で問題がないのであればレイとしても全く問題はなく……それこそ、大歓迎をすると言っても間違いではなかった。

 そんなレイの言葉を聞き、ギルド職員は嬉しそうに笑みを浮かべるのだった。

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