第1899話

 ギルムの外に出て、目の前に集まった人数にレイは驚く。

 コボルトの一件もあって、数十人……五十人くらい集まれば上出来だと思っていたのだが、現在レイの目の前にいるのはその数倍……二百人から三百人近くもいる。

 その全てが冒険者ではなく……いや、寧ろ大半が現在は冒険者をしていない者達なのだが。

 だが、ここはギルムだ。

 それこそ、元冒険者という肩書きを持っている者は大勢いるし、元冒険者ではなくてもモンスターの解体を何らかの理由でやったことのある者も多い。

 もしくは、元ギルド職員で解体を得意としているような者もいれば、モンスターの肉を取り扱っており、解体を得意としている者もいる。

 それらの事情を考えると、これだけの人数が集まっても決しておかしな話ではないのだろう。

 ギガント・タートルの解体は、報酬こそ安いが解体された肉を多少なりとも分けるということになっており、そちらに興味を惹かれた者も多かったのだろう。


「それでも、こんなに集まるとはやっぱり思わなかった。……なぁ?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトが鳴き声を上げる。

 ……もっとも、セトはレイのように戸惑ったりしている訳ではなく、単純にレイが話し掛けてきたから返事をしたといった様子だったが。

 ギルドに来た時に比べれば幾らか明るくなっている中で、目の前にいる大勢の者達に驚くレイだったが、そんなレイの声が聞こえたのか、近くで色々と指示を出していたギルド職員が笑みを浮かべて声を掛ける。


「まだまだ、ですよ。今はこのくらいですが、朝は忙しくてまだ来られないので、少し遅れて来るといった人もいますから。そういう人が来れば、人数はもっと増えますよ」


 そう告げつつ、ギルド職員は視線の先にいる冒険者達……いや、ギガント・タートルの解体に参加する者達に視線を向ける。

 その中には、ヨハンナやハスタを始めとして、何人か見知った顔を見つけることも出来る。


(あ、あれって俺が何度か行った食堂の料理人。……そういうところからも来てるのか)


 美味いシチューを出す店の料理人の姿を見つけると、他にも何人かレイの行きつけの店の料理人の姿があった。

 その料理人達の目当ては、報酬ではなくギガント・タートルの肉だというのは、レイにも容易に想像出来る。


「どうしました?」

「いや、何でもない。……それで、ギガント・タートルの解体は、どうするんだ? ここだとギルムから近すぎる気がするけど」


 現在レイ達がいるのは、ギルムから出てすぐの場所だ。

 このような場所で城壁よりも巨大なギガント・タートルを取り出せば、それこそギルムの城壁そのものが破壊されてしまう可能性が高かった。

 ギルド職員もそれは分かっているので、即座に頷く。


「勿論です。いいですか? 決してここでギガント・タートルを出すような真似はしないで下さいよ。絶対に、何があってもですよ」

「……そう言われると、出したくなってしまうんだが」


 何となく、押すなよ? 押すなよ? と言われているバラエティ番組を思い出しながら、そう告げる。

 だが、ギルド職員はそんなレイの態度に、もしかしたら本当にここでギガント・タートルを出すのではないかと思ったのだろう。慌てて、レイの手を引っ張り、作業予定の場所まで移動する。

 そんなレイとギルド職員をセトが追い……解体作業に参加する者達も追う。


「ちょっ、おい。冗談だって。冗談。本気であんな場所でギガント・タートルを出そうとは思ってない!」

「レイさんの場合、これまでの経験からそれが出来そうだし、出来るというのが大きいんですよ」


 まぁ、確かに。

 ギルド職員の言葉に、レイは思わずといった様子でそう納得してしまう。

 自分が周囲にどのような目で見られているのかというのは、レイも知っていた。

 だからこそ、ギルド職員にそのように言われても、納得するしかなかったのだ。

 レイが思わず納得している間もギルド職員は移動を続け、ギルムから相応の距離を取る。

 ……ここで距離を取りすぎると、ギルムに戻る時に無駄に時間が掛かるし、何かあった時にギルムに逃げ込むにも時間が掛かる。

 だからこそ、あまりギルムから離れすぎないことが重要だった。


「それにしても、街中でも幾らか雪が残ってたけど、やっぱり昨夜は雪が降ったんだな」


 街中を歩く時は、レイよりも前に歩いていた者が雪を踏み荒らしていたので、道に残っていたのは新雪とは呼べないような雪だった。

 だが、街道から少し外れた場所を今日歩くのは、レイ達が当然最初であり……それだけに、新雪を踏む感触を楽しむことが出来る。

 スレイプニルの靴が、雪を踏む感触。

 レイにとって冬というのは、基本的に決して歓迎出来る季節ではなかった。

 日本にいた時は、東北だけあって降雪量が多く、毎日のように除雪作業をする必要があるし、地面は凍っていて、気を抜けば転んでしまうこともある。

 また、道路の雪は何台もの車が通って半ばシャーベット状になっており、近くを車が通るとその雪が飛んでくることも珍しくはない。

 全ての雪がそうという訳ではないし、目の前に広がっている光景のように、レイが最初に雪を踏むといった経験をしたことも何度となくあるのだが。


「そうですね。私としては、出来れば雪は降らないで欲しいというのが正直なところなのですが」


 ギルド職員も、雪というのにはあまり良い思い出がないのだろう。

 表情は変えずとも、雪にはうんざりしているといった様子でそう告げる。


「もっとも、雪が降らないと雪解け水が少なくなって、山や森、林といった場所で夏から秋に掛けて水が少なくなるということもあります。そうなれば、当然ギルムでも水不足になるかもしれない訳で……それはそれで大変ですね」

「あー、なるほど。水不足は命に直結するしな」


 一応レイの持つ流水の短剣のように、水を生み出すマジックアイテムというのは存在する。

 だが、そのようなマジックアイテムも無限に存在する訳ではなく、都市に匹敵するだけの人数がいる……ましてや、増築工事を行っているということで、更に人数が増えているギルムの住人全員の喉を潤すだけの水を生み出せるかと言えば、恐らく否だろう。

 いや、魔力だけの問題であれば、それこそレイが一人いればどうとでもなる。

 だが、その水を配給するのに掛かる手間やコストを考えると、とてもではないが現実的とは言えない。

 雪解け水だけが水源という訳ではないのだが、水源が多い方がいいというのはレイも納得出来る。

 日本にいた時に、TVでダムの貯水率が下がって水を自由に使えなくなる……というのを、見たことがあったからだ。

 この世界にはダムのような大規模な貯水施設の類は存在しない。

 いや、もしかしたらあるのかもしれないが、少なくてもギルムには存在しなかった。

 そんな風に話しながら、ギルムとの距離がある程度開いたところで、ギルド職員が少しだけ緊張を滲ませた様子で口を開く。

 先程までの会話も、半ば自分の緊張を解す意味合いがあったのは間違いない。

 それだけに、こうしていざその言葉を口にしようとすると、隠しきれない、そして隠しきれなかった緊張が出てしまうのだ。


「では、レイさん。この辺りでいいでしょうから、ギガント・タートルを取り出してください」

「分かった。じゃあ、いいな? 出すぞ?」


 確認しながら言いつつ、後ろからついてきている冒険者が自分よりも前に出ないように……そして、新雪を踏む感触を楽しんでいるセトが十分離れた場所にいるのを確認し……ミスティリングからギガント・タートルを取り出す。

 一瞬前までは、間違いなく何もなかった草原……いや、雪原。

 だが、次の瞬間そこには壁が存在していた。

 いや、それは正確には壁ではない。ギガント・タートルのあまりの大きさに、間近で見た者が壁と勘違いしてしまっただけだ。

 ギガント・タートル。

 その名の通り、ギガント・タートルの大きさはとてつもなく巨大な代物だ。

 そんなギガント・タートルを見た者の反応は、様々だ。

 トレントの森での戦いに参加し、実際に自分の目でギガント・タートルの姿を見たことがある者は、こういう大きさだったよなといった納得した表情。

 その戦いに参加していなかった者は、これ程の大きさのモンスターの死体を間近で見たことに対する驚き。

 それ以外にも、好奇心を抱いて見ている者もいれば、トレントの森の一件で仲間が怪我をしたか死んだかしたのか、憎悪を込めた視線を向けている者もいる。


「頭部の方はどうすればいいんだ?」


 ギガント・タートルとの戦いにおいて、レイはその頭部を切断した。

 結果として、ミスティリングの中にはギガント・タートルの胴体と頭部といった具合に二つに分かれて収納されている。

 その頭部も出した方がいいのかと、そうレイがギルド職員に声を掛けると……そのギルド職員は、驚きで呆けていた状態から我に返る。


「え? あ、はい。その……えっと……まだいいです。胴体の方から先に解体をするので、頭部は後回しにしてください」

「頭部の方が小さいんだし、胴体じゃなくて頭部から解体した方がよくないか?」

「いえ。頭部は大抵重要な場所で、素材としても貴重な部位が揃っています。なので、いきなり頭部を解体するのは止めた方がいいかと。レイさんが、どうしても最初にというのであれば、そうしても構いませんが」


 喋っている途中で次第に落ち着いてきたのか、ギルド職員は最後にどうします? と視線を向けてくる。

 レイはその言葉に少し考え、分かったと頷く。





「そっちが最善だと思う流れでやってくれ。どうしたって、ギルドの方がこういう場合は慣れてるんだろうし」

「……私達も、これだけ巨大なモンスターの解体はやったことがないんですけどね。巨大なモンスターの解体というなら、エモシオンに出ていたレムレースを解体したレイさんの方が慣れてるかと」


 そう言われれば、レイも頷くことしか出来ない。

 とはいえ、レムレースは巨大なモンスターだったが、ギガント・タートルはそのレムレース以上に巨大なモンスターだ。

 その巨体を解体する指揮をとれと言われても、レイはまず無理だと首を横に振るだろう。

 そもそも、今回の依頼はレイが自分で解体をするのではなく、ギルドのほうで解体する人手を集めることになっていたのだから。


「まぁ、取りあえず頑張ってくれ。それより、そろそろ指示を出した方がいいのか? 戸惑ってる奴も多そうだけど」


 レイの言葉にギルド職員はようやく現在の状況を思い出したのか、レイに向かって小さく頭を下げるとギガント・タートルを解体する為に集まってきた人員の方に向かって大声で叫ぶ。


「では、これからギガント・タートルの解体を開始します! 前もって指示されていた通りの集団に別れて、仕事を開始して下さい! 報酬は解体に対する貢献度合いで決まります!」


 ギルド職員の声で、ギガント・タートルに目を奪われていた者達も我に返ったのか、それぞれが集団に別れて解体作業を始める。

 レイは雪で遊ぶのに満足して戻ってきたセトを撫でながら、解体作業を眺めていた。

 もっとも、解体作業を始めるにしても、ギガント・タートルの大きさを考えれば、いきなり解体作業を始めるといった訳にはいかない。

 誰がどの部位の解体を続けるのかといったことを改めて確認したりする必要もあるし、少し離れた場所では解体作業中に素材を盗んだりしないかといったことを見張っている者もいる。

 結局、実際に解体作業が始まったのはそれから三十分程が経ってからのことだ。

 まだ周囲は完全に明るくなったとは言えないが、その薄暗さが余計にギガント・タートルの巨大さから不気味さを与えているのだろう。


「グルゥ? グルルルゥ」


 解体するのが遅いけどいいの? とセトが自分を撫でているレイに向かって喉を鳴らすが、レイは特に気にした様子もなくセトを撫でる。


「こんなに巨大なモンスターを解体するんだから、最初は色々と手間取ってもしょうがないだろ。まぁ、明日から……もしくはもう少し時間が経てば慣れてくるだろ。冒険者じゃない連中も結構いるしな」


 どのみち、この冬だけでギガント・タートルの解体が終わるとは思っていない。

 であれば、早さを重視して粗雑に解体するのではなく、多少時間が掛かっても綺麗に解体して欲しいという思いがある。


「おーい! まず、この足の皮を剥ぐから、担当の者達はこっちに来てくれ!」

「ちょっと待ってくれ、すぐに行く! それより、甲羅をどうにかする必要があるんだけど、そっちはどこの連中がやるんだ?」


 そんなやり取りを聞きつつ、レイはセトと共にラナに作って貰ったサンドイッチを食べながら、暫く解体作業を見物するのだった。

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