第1875話

「……え?」


 それが、部屋の中を見たレイの口から出た言葉で、レイだけではなくエレーナとアーラの二人も声には出さなかったが、同じ気持ちだった。

 ここまで意味ありげにしたのだから、当然のように部屋の中には今回の件の黒幕……具体的には、組織のボスか誰かがいると思っていたのだ。

 だが、実際に扉を開けてみれば、そこにあったのは無人の部屋。

 そうである以上、そのような反応が出てくるのも当然だろう。


「取りあえず、中に入って調べてみた方がいいのではないか?」


 背後から聞こえてきたエレーナの言葉に、レイもそれはそうかと頷いて部屋の中に入る。

 改めて部屋の中を見回すが、そこにはやはり誰の姿もない。

 だが、部屋の中にある家具はどれも非常に高価な代物だというのは、レイでも分かった。

 それこそ、ケレベル公爵邸にある家具と比べても決して引けを取らない。

 いや、寧ろ物によっては、この部屋にある家具の方が高価だろう代物があった。

 もっとも、それはあくまでもレイの視点でのことであって、実際には違うのかもしれないが。


「こうして見る限り……いや、レイ」


 レイと同じく部屋の中を見回していたエレーナだったが、ふと部屋の中の空気が動く……どこかから微かにではあるが風が入っているのに気がつく。

 家具を物珍しげに見ていたレイも、エレーナのその言葉でどこからともなく風が流れていることに気がつく。


「これは、どこからだ?」

「こちらです、エレーナ様、レイ殿」


 二人とは別の方を探していたアーラは、巨大な山が描かれた絵画の掛けられている壁の前で、そう声を発する。

 アーラが見つけた壁には微かな隙間が空いており、部屋の中の空気を動かしている風はそこから流れてきているものだった。

 レイとエレーナがそちらに近づくと、その空気の流れをよりはっきりと感じることが出来る。


「これは……わざとだと思うか?」

「慌てて逃げて、その際に壁をしっかりと閉じなかった。そういう可能性もない訳ではないが……」


 そう言い、エレーナは改めて部屋の中に視線を向ける。


「どの家具も、趣味はいい。このような家具を集める者が、そのような真似をするとは思えんな。それに、アネシスの中でも最大規模の犯罪組織を率いる者だ。そのような者が、みっともなく逃げ惑うとは、到底思えん」

「別に趣味の良さと本人の能力……この場合は度胸か? それが比例してるとは思えないけどな。ともあれ、こうして逃げ出したってことは、こっちに敵わないって分かったんだろ? なら、制裁としてはこれでいいんじゃないか? 後は、書類とかだけど」


 周囲の様子を見回し、真っ先にレイの視線が向けられたのは当然のように執務机。

 黒狼に関しての何らかの書類の類があるとすれば、それは恐らく執務机だろうという予想があった為だ。


「どうする?」


 今回の一件を仕切っているのは、レイではなくエレーナだ。

 そうである以上、レイがどうするべきかをエレーナに聞くのは当然だった。


「ふむ。……アーラ、ここを頼めるか? 私とレイはあの壁、隠し通路の先に向かう」

「分かりました。では、私はここで何か書類の手掛かりがないかどうかを探しますね」


 エレーナが選んだのは、戦力を二つに分けるということ。

 それは、本来であれば戦力の分散ということになってしまう。

 だが、この場合はそこまで問題ではない。

 寧ろ、もしかしたら敵がいるだろう未知の場所に、レイとエレーナという最大戦力の二人を送り、その二人より明らかに戦力で劣っているアーラはここで書類を探す。

 これは、適材適所と言ってもいいだろう。

 アーラもそれが分かるだけに、エレーナの言葉に反論はしなかったのだ。

 本来ならエレーナと一緒に行動したいのだろうアーラだったが、自分の勝手な感情で最善の選択を否定するなどというような愚かな真似はしない。

 ……初めてレイと会った時は、エレーナとレイが見つめ合っているのを見て、即座にレイに攻撃をしたのだが……その時に比べれば、明らかに成長していた。

 これも、エレーナの護衛騎士団を率いる立場になったからなのかもしれないが。


「うむ、頼む。……さて、後はこの隠し通路と思われる場所をどうやって進むかだが……」

「いっそ強引に破壊して先に進むか?」

「それが何らかの罠のスイッチになったらどうする。やるにしても、それは最後の手段だな」


 レイの提案に、エレーナは若干呆れの様子を見せる。

 ここまで自分達を引き込むような真似をする相手である以上、扉を壊した瞬間にこの家そのものを破壊するといった罠を仕掛けていても、おかしくはない。

 そもそも、この屋敷に仕掛けられた罠の数々は、それこそどうやって仕掛けたのか……いや、次々に仕掛け直しているのか、その方法も不明なままだ。

 恐らくマジックアイテムか何かの効果だとは思われるが、それも確定している訳ではない。

 そうである以上、慎重に行動するのは当然だった。


「なら、どうするんだ? この隠し扉を開ける方法を悠長に探している暇は……」


 ない筈だ。

 そうレイが言おうとした視線の先で、絵画の掛けられている扉が横に動いて隠し通路を露わにする。


「……」


 レイは、無言でエレーナを見る。

 もしかして、エレーナが何かをして扉を開けたのではないかと思ったからだ。

 だが、レイが視線を向けたエレーナもまた、驚きの表情を浮かべたままで目の前に突然開いた扉を眺めている。

 そうなると、この光景を生み出した人物の候補として残っているのは、一人だけであり……


「えっと……」


 レイと、少し遅れてエレーナの視線が向けられたアーラは、執務机の中にある引き出しの一つに手を入れ、固まっていた。

 それを見れば、何が原因でこのようなことになったのかは明らかだった。


「よくやった」


 そんな沈黙の中で最初に声を発したのは、エレーナ。

 アーラに対してよくやったと褒めることにより、それを聞いたアーラは安堵した様子を浮かべる。


(もしかして、この先で俺達を待ち構えている奴が意図的にこの隠し扉を開けたって可能性もあるんだけど……いや、その辺は言わない方がいいのか。隠し通路を進めば、明らかになるしな)


 エレーナとアーラの様子を見ながらそんな風に思うレイだったが、今の状況でそれを言っても意味はないと判断し、口を開くことはない。

 そもそも、自分が思いつくようなことであればエレーナも気がついているだろうという思いがあった。


「では、アーラ。私とレイはこの隠し通路を調べてくる。アーラは、ここで引き続き資料の捜索を頼む」

「分かりました。……エレーナ様とレイ殿がいる以上、心配はないと思いますが、お気を付けて」


 アーラのその言葉に頷き、エレーナとレイは隠し通路の中を進む。

 部屋の中に作られていただけあって、その隠し通路は一人が進むだけでやっとという広さで、もし向こうから誰かが来てもすれ違うのは難しいだろう。

 もっとも、現状でこの隠し通路の向こうから誰かがやってくるのであれば、それはほぼ間違いなく敵だろう。

 そうである以上、すれ違うといった心配はしなくてもいい。

 寧ろ、この狭さの通路である以上、デスサイズを振るうのはまず無理だろうし、黄昏の槍も突くことは可能だが、払うといった行動は無理だろう。

 長物の扱いを得意とするレイにとっては、下手な敵よりも厄介な場所だった。


「薄暗いけど、しっかりと明かりはあるんだな」

「うむ。どうやら、薄らとした明かりのマジックアイテムが埋め込まれているらしい」


 明かりのマジックアイテムはそれなりの値段がする。

 だが、ミレアーナ王国第二の都市のアネシスでもっとも影響力を持っている裏の組織を率いている者であれば、その程度の値段のマジックアイテムを集めるのは容易なのだろう。

 ましてや、このような隠し通路が使われるのは大抵が緊急時な訳で……そのような時に、通路が暗くて移動しにくいということにならない為には、やはり薄暗い程度であっても明かりは必要なのは間違いない。


(もっとも、明かりが必要なのはあくまでも自分がこの隠し通路を通る時であって、通った後もこうして明かりを点けたままにしておくってのは……誘いか? まさか、使ってない時もずっと明かりを点けたまましてる訳じゃないだろうし)


 恐らく誘いだろう。

 そう確信したレイは、隠し通路を進みながら後ろのエレーナに声を掛ける。


「エレーナ、これって誘いだと思うんだが……どう思う?」

「うむ、私も誘いで間違いないと思う。だが、何故わざわざ私達を誘い出すのかといった疑問はあるがな」


 深紅と姫将軍という異名持ちの二人。

 それをわざわざ誘い出しても、結局戦って負けてしまえば意味はない。


「俺達をこの通路の先に誘い出して、その間に自分はこの家から逃げ出す、とか?」

「それは……いや、有り得るか。面子が潰れるだろうが、生きていればそこから返り咲くことも可能だと考えれば、レイの言うことにも一理ある。しかし、誘い出されている可能性が高くても、ここまであからさまに怪しい隠し通路を放っておくことなど出来る訳がない」

「だろうな」


 レイもまた、エレーナの言葉は理解出来る。

 誘い出されている可能性が高いからといって、このあからさまなまでの隠し通路を放置してしまえば、後々面倒なことになりかねないのだ。

 何故、ここまであからさまに怪しい隠し通路を探索しなかったのかといった非難を受ける可能性もあるし、もしくはここで隠し通路を探索しなかったことにより、いらない被害が出る可能性もある。


「そうなると、取りあえずこのまま進み続けるしかないか。……出来れば、この先に目標の組織のボス……そう言えば、名前は聞いてなかったな。その辺は聞いてもいいのか?」

「ああ。私達が現在こうして攻めている者の名前は、セレスタン。三十代半ば程の男だ」

「……ちょっと意外だな。アネシスの中でも最も勢力のある組織のボスなんだろ? その割には三十代って、ちょっと若くないか?」


 若いと言うレイだったが、そのレイの外見年齢は十代半ば。

 言ってみれば、セレスタンは今のレイの倍以上の年齢を持った男ということになる。

 もっとも、レイの正式な年齢を考えれば、倍以上とまではいかなくなるのだが。……それでも倍近いのは間違いないが。


「そうだな。だが、その年齢で組織を纏めていたということは、それだけ有能だということを意味している。もっとも、その有能さに黒狼という戦力も加わっていたのは間違いないのだろうが」


 黒狼はあくまでもフリーの暗殺者だが、その黒狼と繋ぎを取れるということは、セレスタンもまた黒狼に暗殺を依頼出来るということを意味している。

 そうであれば、セレスタンが組織の勢力を伸ばす為に、黒狼という強力な武器を使わないという選択肢は存在しなかった筈だ。


「けど、その黒狼も既にいない」


 レイの表情に、一瞬だけ悲しそうな色が宿る。

 だが、それもすぐに消え、今はまずこの隠し通路の先に何があるのかということに意識を集中し……ふと、気がつく。


「この隠し通路、下りになってないか? それも、結構曲がってるけど……ここまでの広さがあったか?」


 既に隠し通路を進み始めてから、最低でも五分は経っている。

 レイ達が入った家の広さを考えれば、それこそ五分も歩き続けられるような広さはない筈だった。

 にも関わらず、何故か現在もこうして歩き続けているが、一向に隠し通路が終わる様子はない。

 それは、明らかに異常だったが……それでも、あの理不尽な罠の数々を目にしたレイやエレーナにとっては、この程度のことは容易に想像出来る。


「恐らく、これも何らかのマジックアイテムといったところか。まさか、アネシスにそのようなマジックアイテムがあるとは予想外だった」


 若干ではあるが苦々しげな様子でエレーナが呟いたのは、罠のマジックアイテムといい、この空間に干渉しているマジックアイテムといい、そのどれもが容易に入手出来る代物ではないからだ。


(まぁ、ここまでくると……マジックアイテムではない可能性もあるような気がしないでもないけど)


 取りあえず説明出来ないのでマジックアイテムということにしてあるが、罠のマジックアイテムと空間を弄るマジックアイテムの二つを一人の人間が持っているということに、レイは若干の違和感があった。

 そこまで高性能なマジックアイテムであれば、それこそ持っているだけで噂が広まってもおかしくはない。

 そうならない為には、それこそ入手しても一切使っていなかったということになる。

 そんな風に考えていると、まるで見計らったかのように隠し通路の先に明かりが生み出された。


「どうやら、出口だな」

「うむ」


 レイの言葉にエレーナが頷き、二人は隠し通路から出て……その瞬間、まるで今までの状況が嘘だったかのように、強烈な血臭が漂ってくるのだった。

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