第1874話
「開けるぞ」
レイは後ろにいるエレーナとアーラに声を掛け、扉に手を伸ばす。
「グルルルルゥ!」
そんなレイを、上空からセトが応援するように鳴き声を上げていた。
……もっとも、それを応援の鳴き声と察することが出来るのは、レイやエレーナ、アーラといったように、セトとの付き合いがある程度長い者だけであって、それ以外の面々にとってはグリフォンが威嚇の声を発しているようにしか思えなかったのだが。
ともあれ、レイはそんなセトの声を聞きながら扉に手を伸ばす。
セイソール侯爵家の兵士や騎士達の様子から、この扉の向こうにも無数の罠が存在することは、容易に想像出来る。
(地面みたいに、魔法でどうにか出来れば楽なんだけどな)
そんな風に思うも、この家の中にはケレベル公爵家として是非入手したい書類が大量にある筈で、レイにとってもアネシスで最も強い勢力を持つ組織を率いる者の家ということを聞き、何らかのマジックアイテムがないかという期待もあった。
もっとも、結局のところは黒狼に関する情報を知りたいというのが一番大きいのだが。
「さて、そんな訳で……」
そこまで言うと、レイは扉を開ける。
瞬間、空気を斬り裂き、何かが飛んでくるのを察すると、即座にデスサイズを一閃する。
「矢が飛んでくるのは、家の外にもあっただろうに。二番煎じはちょっとどうかと思うぞ」
「……この状況で、そこまでデスサイズを振るうという時点で、色々とおかしいと思うのですが……」
唖然とした様子で呟いたのは、アーラ。
レイは扉を開けた状態……つまり、扉のすぐ側にいながら、柄の長さが二mもあるデスサイズを振るって、自分に飛んできた矢を斬り捨てたのだ。
そのようなことをするのに、一体どれだけの技量を必要とするのか……それは、考えるまでもないだろう。
だが、アーラに感嘆の声を向けられたレイは、それを特に気にした様子もなく家の中に入る。
その瞬間、漂ってきたのは濃厚な血の臭い。
「これは……」
レイの視線は、扉を開けてすぐの場所にある床に向けられている。
そこに広がっているのは、血、血、血。
恐らくは運良く――もしくは運悪く――この家の外に仕掛けられていた罠を突破した者達が流した血だろう。
しかし……レイは漂っている血の臭いに違和感を抱く。
何らかの確証がある訳ではない。ないのだが……
「この血の臭い……この廊下のもの以外からも漂ってきてるのではないか?」
レイがその違和感について口にするよりも前に、エレーナがそう呟く。
その言葉に、レイも違和感の正体に気がついた。
「そうだ。この血の臭いは、他からも漂ってきてるのか。それも、流れたばかりの新鮮な血とは思えないくらいの……」
「え? そうなんですか?」
エレーナとレイの言葉に、アーラは不思議そうに言葉を返す。
アーラにしてみれば、漂ってくる血の臭いが目の前の血以外に別の場所から流れてきているのかどうかといったことは分からないし、血が新鮮なのかどうかといったことも分からない。
これで血の臭いに腐臭のようなものが混ざっていれば、古い血だというのも分かるかもしれないが……少なくてもアーラにそのような臭いは感じられなかった。
だが、アーラはエレーナの言葉を疑ったりすることはない。
盲目的にエレーナを信じている訳ではないが、それでもこのような場でエレーナが嘘を言うとは思えない。
ましてや、エレーナだけではなくレイまでもが同じように言ってるのだから、それを否定するような真似は出来なかった。
「ああ。……問題なのは、一体どこからこの血の臭いが漂ってきてるのかだな。新鮮な血じゃないってことは……嫌な予感しかしない」
「うむ。それも飛びきりに嫌な予感だな」
感覚の鋭い二人がそう言うということは、この家には間違いなく何かとんでもないものがあるのだろうと、そうアーラには思えた。
「では、今まで以上に注意して、何があってもすぐに対処出来るようにしながら進む必要がありますね。幸いだったのは、この家の広さがそこまでではないということでしょうか」
そんなアーラの言葉にレイとエレーナは揃って頷く。
この家はそれなりに広いが、あくまでも普通の家という範囲の中に収まる程度の規模だ。
ケレベル公爵邸は勿論、アネシスにある他の貴族の屋敷と比べても明らかに狭い。
それだけに、家の中を調べ……レイとエレーナが察した何らかの違和感の根源とでも呼ぶべきものを調べるのに、そこまで時間が掛かるとは思えなかった。
もしこれが、それこそケレベル公爵邸のような広さを持つ屋敷であれば、中を探索するのにも一苦労だっただろう。
であれば、やはりこのような場所を探すという点で、今回の一件は決して悪いものではなかった。
「まぁ、当然のように罠の類があるだろうから、その辺は注意する必要があるだろうけどな」
呟きつつ、いつまでも玄関の近くで話していれば再び罠が発動しかねないとして、レイはエレーナとアーラの二人に視線を向け、奥に進む。
瞬間、レイはデスサイズを手元に引き寄せ、柄の部分を自分の前に持ってくる。
後ろにいるエレーナとアーラの耳には、微かな金属音が聞こえてきた。
「レイ?」
エレーナの問いに、レイは問題ないと首を横に振る。
そうしながら、レイは床に落ちている針に視線を向けた。
レイが率いるランクBパーティ、紅蓮の翼。その仲間の一人、ビューネは長針という武器を使うが、レイがデスサイズの柄で防いだのは長針でも何でもなく、本当にごく普通の針だ。
それこそ、縫い物に使われていてもおかしくはないような、そんな針。
ここがダンジョンであったり、ケレベル公爵邸のような広さを持つ貴族の屋敷であれば、わざわざ防ぐような真似をしなくても回避することが出来ただろう。
だが、ここはあくまでも普通の家であって、廊下にもそこまで広さの余裕がある訳ではない。
そして何より、現在レイの後ろにはエレーナとアーラの姿がある。
アーラはともかく、レイのすぐ後ろにいるエレーナであれば、咄嗟に飛んできた針をどうにかするのは難しくはなかっただろうが……それでも万が一のことを考えれば、やはりレイがここでどうにか針を処分しておくのが最善の選択肢だった。
(あ、でも別に顔面とかを狙ってきたんじゃないんだから、ドラゴンローブを使えば問題がなかったりしたのか?)
レイの持つドラゴンローブは、その名の通りドラゴンの素材を使って作られた代物だ。
それも、その辺の錬金術師や職人が作ったのではなく、歴代最高の錬金術師と評されることも多い、エスタ・ノールの作品。
最近では冬や夏でも快適にすごすことが出来る簡易エアコンのような機能を最大限に使用しているが、純粋に防具としても超の付く一流の装備だ。
それこそ、針程度の一撃でローブを貫くような真似が出来る筈もないと、そうレイが断言出来る程に。
だが、それはあくまでもドラゴンローブを着ているレイだからこそ言えることだ。
「気をつけろ、矢だけじゃなくて、針が飛んできた。何らかの薬……恐らく毒薬が塗られていると思う」
そう告げるレイの言葉に嫌な顔をしたのは、エレーナよりもアーラだ。
エレーナは優秀な装備を身につけているが、アーラの装備品はそれよりも一段か二段は下がる。
それでもエレーナの護衛騎士団の団長だけに、一級品の装備ではあるのだが……それでも、どこからか飛んでくる針に気をつけるというのは、難しい。
「大丈夫か?」
「はい。このくらいの攻撃には対処してみせます」
エレーナの言葉に、アーラは即座にそう答える。
その言葉が若干であっても強がりが混ざっていたことに、エレーナも気がついてはいた。
だが、アーラの能力を考えれば、実際にそういう事になった場合に対処出来ないことはない、というのがエレーナの考えでもある。
アーラはエレーナと一緒にいることが多い為か、どうしても基準をエレーナに求めてしまうことが多い。
そうなれば、当然のように自分が劣っているように思えてしまうのだ。
……エレーナと能力を比べるという時点で、間違っているのだが。
もっとも、アーラの全てがエレーナに劣っている訳ではない。
例えば紅茶の淹れ方に関しては、エレーナよりもアーラの方が圧倒的に上なのは間違いない。
「じゃあ、進むぞ」
レイはそう告げ、エレーナとアーラの二人を引き連れ、廊下を進む。
もっとも、当然のように廊下を進めばそれだけ罠が起動するのだが、レイはその罠を解除するのではなく、強引に突破していく。
幸いにもこの家の規模は屋敷と呼ぶ程ではないだけに、廊下を歩いていればすぐに扉を見つけることが出来る。
「どうする? 幾つか扉があるけど、どの扉にも間違いなく罠があると思ってもいい」
地面に仕掛けられたような罠であれば、レイにも何となく察することは出来る。……当然簡単なものだけという限定ではあったが。
だが、扉に仕掛けられた罠を見抜くような真似は、とてもではないがレイにも出来なかった。
つまり、扉を開けるには罠に掛かるのを前提として開ける必要がある。
……その役目をやるのは、高い防御力を持つドラゴンローブを着ているレイの役目なのだが、だからと言って好き好んで何度も罠に引っ掛かりたい訳ではない。
それこそ、罠の中にドラゴンローブがあっても防げないような……それこそ何らかの液体やガスといったものを吹き出してきてもおかしくはないのだから。
「こういう場合。一番奥が怪しいと思うが……」
そう言い、エレーナは廊下の一番奥にある扉を見る。
その視線を追ったレイは、エレーナの言葉に納得したように頷く。
実際レイが日本にいた時に読んでいた漫画や小説でも、大抵のボスは一番奥にいるという描写が多かった。
この世界とレイが知っている漫画や小説と一緒にする訳にはいかないが、それでも何となくエレーナの指摘は正しいような気がした。
こうしてレイがエレーナの意見に賛成し、アーラも特に何か考えがある訳ではない以上、エレーナの言葉に反対するつもりはない。
「なら、あの扉だな。行くぞ」
レイが呟き、再び廊下を進み始め……
「ん? これは……罠が、ない?」
ふと、その扉に向かって歩き出した瞬間、罠が全くなくなったことに気がつき、レイの口から妙な声が出る。
ここまでであれば、それこそ数歩……どころか、場合によっては一歩歩いた程度で罠が発動してレイに襲いかかっていたのだが、何故か急に罠が発動しなくなったのだ。
「レイ? どうした?」
そんなレイの様子を疑問に思ったのか、エレーナがそのように尋ねてくる。
「どうやら、ここから先は罠がないみたいだ。……元々ここから先には仕掛けられていなかったのか、それとも俺達があの扉に行くと決めたから罠が解除されたのかは、分からないけどな」
普通であれば、そんな器用な真似が出来るのかと。そのように思ってもおかしくはない。
だが、一度発動なり解除なりした罠が、次の瞬間には再び別の罠となってそこに存在しているのだ。
何をどうやればそのようなことが出来るのかは、レイにも分からない。
恐らくマジックアイテムか何かの力だろうというのは予想出来るが、逆に言えばそれだけしか予想出来ないということを意味してもいる。
その為、この家の中でどのような理不尽な出来事があろうと、それはそのようなものだと納得することしか出来ない。
「罠がないのか。……であれば、心配はいらないな……と言いたいところなのだが、そうもいかないか」
罠がないのは、罠を仕掛ける必要がないからなのではないか。
そう疑問を抱くレイ達だったが、だからといってこのままここにいるという訳にもいかない。
元々この屋敷の主人を探し、そして黒狼についての一件に関係する書類を手に入れ、それ以外にもケレベル公爵家の客人として存在しているレイに手を出して面子を潰したことに対する制裁の意味もある。
「そうだな。……なら、行くぞ。くれぐれも油断しないようにな」
言うまでもない言葉ではあったが、それでも一応ということでそう告げると、レイは廊下を進み……やがて、奥の扉に到着する。
当然だったが、廊下を歩いていても罠が発動することはなかった。
そうして扉の前に到着すると、レイはエレーナとアーラに視線を向け、二人が頷いたのを見てから扉に手を伸ばす。
何か罠があってもすぐに対処出来るようにしながら扉を開けていくレイだったが、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、ここでも罠が発動することはなく扉は開く。
そうして見たのは……立派な部屋で、見るからに高価そうな家具が幾つもありつつも、そこには誰もいない無人の部屋だった。
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