第1866話
黒狼に向かい、レイは真っ直ぐに突っ込んでいく。
右手にデスサイズ、左手に黄昏の槍という、いつもの二槍流。
そんなレイが真っ直ぐに近づいてくるのを、黒狼はいつものように転移で回避するでもなく、ただじっと見つめていた。
……ただし、黒狼の目の中にあるのは、激しい飢えだ。
それこそ、このままでは飢えで死んでしまいかねないという、強烈な飢え。
自分に近づいてくるレイを見て、自分の命を奪う敵ではなく、自らが喰らう餌であると、そう認識している視線。
(予想していたよりも、飢えが強いな。てっきり、もう少し余裕があると思ってたんだけど)
デスサイズの一撃が、具体的にどれだけの傷を与えたのか、それはもう傷が回復してしまった今では分からない。
だが、一撃で胴体を切断する……とまでいかなかったのを見れば、それは致命傷ではなかったのは間違いない。
その一撃がどれだけの深さのダメージだったのか。
それが分からない以上、レイは再度同じような……もしくはより強烈な一撃を与える必要があった。
「とにかく、やってみるのが一番だろ!」
声を発しつつ、丁度間合いが詰まったところでレイはデスサイズを振るう。
空気どころか、空間そのものすら斬り裂くかのような、強烈な一撃。
そんな一撃を、黒狼は獣じみた仕草で地面にしゃがみ、回避する。
(何?)
一瞬の疑問を感じつつ、レイは地面にしゃがんだ黒狼に向け、左手の黄昏の槍の一撃を放つ。
だが、黒狼はその一撃もまた真横に跳ぶことによって回避した。
(何?)
そんな黒狼の様子に、一瞬前と同じ疑問を抱くレイ。
今までであれば、黒狼はスキルの転移を使ってレイの攻撃を回避していた筈だった。
レイの攻撃は、デスサイズであろうと黄昏の槍だろうと、当たれば一撃で致命傷になりかねない威力を持つ。
万が一のことを考えれば、それこそ安全策をとってもおかしくはない筈だった。
当然全ての攻撃を転移するという訳ではなく、カウンターを仕掛けたりするといった時は普通に回避してもおかしくはなかったが、少なくても今はその時ではない。
そうである以上、今の状況は絶対に何かおかしいものがあった。
「がぁっ!」
レイの攻撃を回避した動きから、そのまま黒狼は地面を蹴ってレイに向かって襲い掛かる。
それは、牙を剥き出しにした一撃。
今までの無言の行動とは違い、食欲が根底に存在する闘争心の一撃。
これまでの攻撃に比べれば、一段上の速度と勢いがある一撃ではあったが……レイはその一撃を、あっさりと回避する。
(これは……なるほど)
少し考え、何故今までよりも強力な一撃だったにも関わらず、容易に回避出来たのかを理解した。
速度は上だったが、それは次の行動を何も考えていない……それこそ、本能だけで放たれた一撃だった為だ。
それは、レイから見た場合には、間違いなく戦いやすくなっているということを意味している。
幾ら攻撃の速度が上がっても、ただ飢えの本能に支配されて直線的な、そして直情的とすら言ってもいいような攻撃しかしてこないのであれば、それこそ対処の方法は幾らでもある。
また、黒狼の最大の特徴にしてアドバンテージたる転移を使わないというのも、レイにとっては戦いやすい相手だった。
(まさか、さっきのデスサイズの一撃だけでこうも変わるとはな。黒狼にとっての大きな弱点……いや、デスサイズだからこそ、か)
普通に戦って、転移のスキルを使いこなす黒狼に重傷と呼べるだけの傷を与えるのは難しい。
今回ここまで上手くいっているのは、あくまでもデスサイズを使っているレイだからだろう。
「さて、いよいよ終盤戦、か。……一応言っておくが、このまま降伏すればっと!」
言葉の途中で、再び黒狼がレイに襲いかかる。
その身体に牙を向け、喰い千切り、咬み千切って食欲を満たそうと。
肉の量でも、その柔らかさでも、レイよりは少し離れた場所で戦闘の成り行きを見守っているエレーナの方が上なのでは? とレイも一瞬思わないではなかったが、自分に向かってきてくれているのだから、その辺は特に気にする必要はないだろうと思いながら、牙の一撃を回避しつつ、黄昏の槍を突き出す。
「ぐあうっ!」
そんな一撃を、黒狼は咄嗟に身体を捻って回避するが……飢餓感に支配されての一撃の後だっただけに、完全に回避することは出来ない。
黄昏の槍の穂先は、黒狼の左腕を大きく斬り裂いていく。
「ぎゃんっ!」
そんな悲鳴を上げた黒狼は、飢餓感よりも痛みや驚きが上回ったのか、後方に大きく跳ぶ。
これまでの黒狼であれば、レイと距離を取った時点で左腕の傷も回復していたのだろう。だが……
「ぎゃ、ぎゃんっ! ぎゃんっ!」
レイと距離を取った黒狼は、戸惑ったような……それでいて痛みに耐えるかのような悲鳴を上げる。
(上手くいった、か)
黄昏の槍を手に、レイは黒狼の様子を観察する。
現状の黒狼の様子は、レイの狙い通りと言ってもいい。
黄昏の槍の能力の一つに、相手の回復を阻害するといったものがある。
その能力自体はそこまで強力なものではなく、高位の回復魔法や効果の高いポーションの類を使えば回復阻害の効果を上回って傷を回復することが出来る。
そしてレイが見たところ、デスサイズの一撃で負った重傷を行動に支障がないくらいまでに回復したことから、黒狼の再生能力は黄昏の槍の持つ回復阻害の効果を上回るのは確実だった。
だが……そう、だが。
黒狼はデスサイズで受けた傷を治しただけで、こうまで飢餓感を露わにし、いつも通りの戦いが出来ないまでに消耗した。
そうである以上、レイが放った黄昏の槍の一撃の傷は、強い再生能力を持っている黒狼にとっては半ば致命傷に近いとすら言ってもいい。
そして、事実黄昏の槍の一撃で受けた傷は回復することはなく、黒狼は痛みと飢餓感に呻いているのだから。
「ぎゃっ、がああああおおおおおおおん!」
レイが知っている無口な黒狼とは、全く違うかのようなその姿。
もし今の黒狼を何も知らないレイが見れば、以前自分が遭遇した黒狼と同じ人物だと判断出来たかどうかも怪しい。
口からは牙が生え、そこからは飢餓感によるものか涎が垂れ続け、唸り声を上げ続けている。
目は血走り、食べ物を見つめる目でレイを睨み付ける。
そのような黒狼を見て、肉まんや果実水で餌付けをしようとしていた相手と一緒だと、そう判断しろというのが無理だった。
「そろそろ決着をつけさせて貰うぞ。残念ながら、いつまでもお前に関わっている訳にはいかないからな」
デスサイズと黄昏の槍の二本を手に、レイは飢餓感と痛みに呻き声を上げている黒狼に告げる。
そんな状態の黒狼ではあったが、レイからの殺気に反応したのだろう。血走った視線をレイに向けて威嚇の声を出す。
「ぐぎゃあああああああああああああああああっ!」
それは、威嚇の声であると同時に自らの中にある飢餓感が先程よりも強くなり、それに抗することが出来なくなったことでもある証。
そんな声を上げながら、黒狼は飢えという本能とレイの放つ殺気の二つに襲われ……次の瞬間、駆け出す。
このまま飢え死にするよりは、少しでも生き残る方に賭けて、レイの肉を喰らう為に。
既に、その目に正気の色はない。
飢餓感に支配され、自分に殺気を向けてきた相手を喰い殺す。
そのことだけを考えて、レイに向かって一直線に走り出した。
黒狼という名に相応しく、二本の足で走るのではなく、四本の手足を使っての疾走。
そうして自分に向かってきた黒狼の姿を見るレイの目には、一瞬だけだが哀れみが宿る。
既に飢餓により、黒狼の意思は一切残っていない、本能に任せたが故の攻撃。
とてもではないが、自分とあれだけ正面からやり合っていたような人物には思えない。
そのようにしたのは、間違いなくレイだった。
だが、それでも……レイにとって、黒狼というのは色々と思うべきところがある相手だった。
「その状態から、解放してやるよ。眠れ」
呟き、真っ直ぐ自分に向かって牙を突き立てんと襲い掛かってくる黒狼に向けて、デスサイズを振るう。
「パワースラッシュ」
デスサイズの鋭さを上げるのではなく、一撃の威力を強化するスキル。
その威力は、レイであっても反動を殺すのに苦労する程のものがある。
そして、同時に放たれたのは左手に持つ黄昏の槍。
魔力を込められたその一撃は、本来の威力を発揮して極めて強力な威力を発揮する。
デスサイズのパワースラッシュと、黄昏の槍の一撃。
その二つが同時に放たれた一撃は……レイを喰らおうと向かってきた黒狼に襲いかかる。
口を開いて襲い掛かってきた一撃にカウンターを放つようにして口の中に黄昏の槍が突き刺さり、喉を通して胴体を貫く。
同時に振るわれたパワースラッシュの一撃は、いつもは両手で使っているところを片手で放った一撃の為、その威力を完全に黒狼に伝えることは出来なかったものの、胴体を切断するには十分なだけの威力があった。
……尚、胴体が切断される直前にレイは黄昏の槍を引き抜いていたので、その身体を貫いていた黄昏の槍は、デスサイズの一撃を受けるといった真似はせずにすんだ。
両手で長物の武器を操り、同時にそれを放ち、それでいながら武器同士を接触させないようにする。
それが、どれだけ高い技量を必要とするのかは、それこそ言うまでもないだろう。
だが、それをやってのけるのがレイなのだ。
そして……そのような行為の結果、黒狼は胴体を上下二つに分断されながら、それぞれ別の方向に吹き飛ばされていく。
デスサイズで付けられた腹の傷であれば、回復することが出来た。
しかし、こうして胴体そのものを切断されてしまえば、もうこれ以上生きることは無理だろう。
「ぐ……が……」
それでも即死しない辺り、黒狼の並外れた生命力、回復力、再生力といったものが見て取れる。
そんな黒狼の様子を眺めていたレイは、両手に持った武器を振るって武器に付いた血の類を払うと、ミスティリングに収納して黒狼に……正確には黒狼の上半身に近づいていく。
こうしてお互いに命を懸けて戦うことにはなったが、それでもレイは黒狼を本当の意味で憎むなどといったことはなかった。
レイにとっても本当に不思議なことではあったが、もう助からない以上は最期を見届けてやろうと、そのように思ったのも事実だ。
また、何故今日になって突然襲ってきたのか、そして襲うにしても、暗殺者が得意としている夜ではなく、何故このような昼間から襲ってきたのか。
その辺りの事情も聞ければ、という思いがあったのも間違いない。
もっとも、レイの知っている黒狼は声を発することもなく、その辺りの事情が聞けるとは思わなかったが。
……だからこそ、黒狼に近づいた時にレイの足は一瞬止まる。
「ここ……は……俺は、一体……」
明確に意味の分かるその言葉。
それは、間違いなく既に下半身がない、上半身だけの黒狼の口から出てきたのだから。
「黒狼、お前……喋れたのか?」
「黒狼? それは俺の……いや……待て。思い出してきた……そう、か……」
黒狼と呼び掛けられ、それによってか、もしくはレイの顔を見たからか、ともあれ黒狼は自分が誰なのかを理解したのだろう。
だが、何かを言おうとした瞬間、黒狼の口から血が吐き出される。
当然だろう。胴体を上下二つに切断されているのだから、この時点でまだ死んでいないだけで奇跡ですらあった。
その奇跡をもたらした強力な再生能力も、死にそうになっている黒狼を生き延びさせることは出来ない。
出来るのは、即死させずに少しでも命を長引かせるだけだった。
「そう、か。お前……が……肉まん、か。……出来れば、豚の角煮まんが食いたかった……な。それも、横浜中華街で売ってる……母さんと一緒に食べた……」
ピタリ、と。黒狼の言葉を聞いたレイの足が止まる。
黒狼の口から出た言葉が、肉まんというものであれば、問題はない。
だが、そこに横浜中華街という言葉が出てくれば、話は別だった。
東北の田舎育ちのレイだったが、それでも横浜の中華街というのはTVを始めとして、様々なメディアで知っている。
当然のようにこの世界で横浜中華街という単語が存在する筈はなく、それを口にしているということは……つまり、黒狼がどこから来たのかは考えるまでもない。
だが、今の黒狼は黒髪ではあったが、夜に会った時は銀髪だった。
少なくても、レイが知ってる限りは日本で時間によって髪の色が変わるなどという者はいない。……髪を染めるのであれば、別だったが。
「おいっ、お前もしかして日本から……」
来たのか。
そう聞こうとしたレイだったが、その時には既に黒狼は息をしておらず、安らかな眠りについていた。
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