第1853話
レムリアからの報酬として宝石を貰った日の夜……レイは不思議と眠れず、ベッドの上で寝転がって本を読んでいた。
この本は、以前ミランダが言っていたケレベル公爵邸にある図書館から借りてきた物だ。
使用人には本を貸し出すといったことはやっていないのだが、レイの場合はケレベル公爵家の客人という扱いになっている為に、特別に貸し出しが許可された。
当然だが、もしこの本を汚したり破いたりした場合は、弁償をするという契約を結ばされたが。
ともあれ、そうして借りてきた本だったが、今のレイにとっては暇潰しの材料としては格好の代物だった。
……もっとも、本の内容はレイが日本にいた時に読んでいたような、漫画や小説といったものではなく、実用書だったが。
そんな中でレイが借りてきたのは、モンスターの解体の手引き書。
以前にも似たような物を見たし、買ったこともあったが、この図書館に置かれていたのはレイが今まで見た本とは違う。
つまり、レイがまだ知らないモンスターの解体の方法が描かれているのだ。
それだけでも、レイにとってはありがたかった。
この世界に来て数年が経つが、最初はこれ以上ない程に下手だったモンスターの解体も、今では上手い……とまでは言わないが、一応ある程度までこなせるようにはなっている。
だが、それはあくまでもある程度でしかなく、ギルドマスターになる前に冒険者をやっていたマリーナ、小さい頃から一人でダンジョンに挑んできたビューネと比べれば、劣ってしまう。
レイもそれは分かっているので、少しでも解体の技量が上がるようにとこうして暇を見ては勉強をしていた。
「なるほど、骨を滑らせるようにして切っていくのか。けど……言う程に上手くいくのか?」
そこに書かれている、山の中でも奥深くにしか存在していない巨大なイノシシのモンスターの解体の仕方に、納得しながらも若干の疑問を抱く。
とはいえ、こうして本に書かれている以上、決して間違っている訳ではないのだろう。
そう判断し……ふと、本のページをめくる手を止める。
だが、それも一瞬。
すぐに再びページをめくり、本を読み進める。
「サソリのモンスターか。……毒とか強力そうだし、ハサミも厄介そうだよな。ただ、その肉はかなり美味いらしい。まぁ、元々高ランクモンスターになればなる程にその味は上がっていくらしいからな。ランクBモンスターともなれば、やっぱり美味いのは当然か。……どう思う?」
本を読む手を止めず、レイは告げる。
この部屋の中にいるのは、レイ一人であるにも関わらず。
レイの担当となったミランダも、今は別の仕事の為に出ている。
レイの担当になったとはいえ、別にレイだけの専属メイドという訳ではない。
そうである以上、他に何か忙しい仕事があるのであれば、そちらに呼ばれるのは当然だった。
そんな、本来であればレイしかいない部屋の中である以上、レイがそう尋ねても誰も反応はしない筈だった。……そう、あくまでも本来であれば、の話だが。
「……」
いつの間にか部屋の中にいたその人物は、ただ無言でレイを見る。
レイもまた、そんな相手の視線に応えるように読んでいた本を閉じると、そちらに視線を向けた。
髪の色は銀髪。
最初にその人物を見た時と違う髪の色だったが、それで驚くようなことはない。
何故なら、二度目に会った時は既に髪の色は銀色だったのだから。
「相変わらず銀髪なんだな。……もしかして、髪を染めているのか?」
ふとそんな疑問を抱いたレイだったが、視線の先にいる黒狼の銀髪は染めたような不自然さはない。
……レイが日本に住んでいた時も、高校生ともなれば何人か髪を染めている者はいた。
生活指導の教師に何度となく注意されていた光景を見ていたのだが、そのような者達の髪の色はやはりどこか違和感があった。
それは、染めた人物の髪が黒かった時のことをレイが覚えているからこそ、そのように思ってしまったのかもしれないが。
尚、レイは生活指導の教師に色々と言われるのも嫌だったし、髪が伸びてくればまた染め直すという手間を考えると、面倒でそちら方面には一切手を出すことはなかったのだが。
ともあれ、あまり髪の染色に詳しくはないレイだったが、それでもレイの目から見て黒狼の銀髪は染めているようには思えなかった。
その手に詳しくないレイなので、もしかしたら単純に分からないくらい巧妙に染められているのか、もしくは日本にはなかった――少なくてもレイはその存在を知らなかった――魔法やマジックアイテムといったものが使われているのかもしれないが。
「少しくらい、何かを言ったらどうなんだ? この前も、何も喋らなかったけど……別に口が利けないって訳でもないんだろ?」
そう尋ねるレイだったが、相変わらず黒狼は何も口にせず、じっとレイを見ているだけだ。
(こいつ、本当に暗殺者なんだよな? とてもじゃないけど、そういう奴には見えないんだけど)
そもそもの話、レイが知っている暗殺者というのは、対象の隙を探る為に観察することはあっても、こうして対象のすぐ側までやってきて……それでいて、攻撃をしないということはない。
いや、自分の正体が相手に知られていない時であれば、そのような真似をしてもおかしくはないのだが……今は既に、レイは黒狼が腕利きの暗殺者だというのを知っている。
(ああ、でもこの前ベランダであった時は、一応攻撃をしてきたか。……そのまますぐに行方を眩ませたけど)
そこまで考え、レイにはふと思いつくことがあった。
「もしかして、お前が俺に攻撃してこないのは……セイソール侯爵家に何か問題があったからか?」
レオダニスから聞いた、セイソール侯爵家の不審な行動。
結局その理由は分からなかったが、レイが得た情報によると何かを探しているということらしい。
それが黒狼に関係しているのではないか。
そう思うのは、決して的外れな予想ではない筈だった。
そもそもの話、現在セイソール侯爵家において、そこまで焦って人を動かすようなことでレイが思い当たるのは、黒狼を雇ったのだろうガイスカの件しかない。
……セイソール侯爵家は貴族派の中でも大きな発言力と影響力を持つ家だけに、レイが知らない何らかのトラブルがあったという可能性も、決して否定は出来ないのだが。
ともあれ、現状で一番怪しいのは目の前の黒狼であるのは間違いない。
「……」
だが、黒狼はレイの言葉に何も答えるようなことはせず。相変わらず無言でじっとレイを観察するように見ているだけだ。
最初は自分の隙でも窺っているのかとも思ったが、黒狼の様子を見る限りはそのような様子もない。
そのままじっとお互いを見つめ続けること、数分。
やがて根負けしたかのように、レイが口を開く。
「なぁ、お前。結局何がしたいんだ? 俺を殺しに来たんじゃないのか? その割には、特に何も行動を起こす様子もないし」
「……」
「ガイスカが何かしたとか? それで俺にちょっかいをだせないようになったとか。……違うか?」
一応といった様子で黒狼にそう尋ねてみるレイだったが、相変わらず黒狼はそんなレイに何の反応も返さない。
そんな黒狼に、やがて根負けしたかのようにレイは口を開く。
「あのな、言っておくけど俺はいつまでもお前と付き合っていられる程に暇じゃないぞ? 俺と戦う気があるのかないのか、その辺をはっきりとしてくれないか? そもそもの話、俺はもう少ししたらアネシスからいなくなる。そうなれば、お前も俺を襲撃するようなことも出来なくなるって分かってるのか?」
レイは、何故自分が黒狼に対してこのような……それこそアドバイスとでも言うような真似をしているのか、分からなかった。
本来なら、目の前にいるのは自分の命を狙っている相手の筈なのだ。
であれば、それこそわざわざこのようにアドバイスをしなくても、倒してしまえばいい。
ベランダの時の一件で、黒狼が生半可な相手ではないというのは、レイも理解している。
それでも、本気で戦えば勝てるという確信があった。
であれば、わざわざこうしてアドバイスのような真似をしなくても、直接自分の手で倒してしまえばいいだけなのに……何故か、そうする気にはならなかった。
勿論レイは、目の前にいる黒狼という人物が人畜無害な相手だと思っている訳ではない。
そもそもの話、今はこうしてレイの前でじっとしている黒狼だったが、別に無邪気な相手という訳ではない。
模擬戦という名の祭りがあった日……実力を確認する為なのか、はたまたそれ以外の理由があったのかはレイにも分からなかったが、十人以上を薬で操ってレイにけしかけるような真似をしたのだから。
あの時にレイとセト、ブルーイットが倒した者達は多くが死に、生き残った者も今は薬の後遺症で苦しんでいるという情報を、レイはレオダニスから聞いている。
あの件が起きた時にミランダとデートをしていたレオダニスが、何故そのような事情を知ってるのかは……やはり騎士団に所属しているので、そこから情報が流れてきたのだろう。
「……」
レイが何を言おうとも、結局黒狼は無言のままでレイを見るだけだ。
そんな黒狼の前に、レイはますます自分の中から闘争心が消えていくのを感じる。
目の前にいるのは、間違いなく暗殺者なのだ。
それこそ、自分を殺しにきた。
にも関わらず、何故こうまで自分でも甘い行動を取ってしまうのか。
それは、やはり黒狼の態度にあるのだろう。
間違いなく自分を攻撃してきてはいるのだが、それでも何故か敵対心を抱く事は出来ない。
それこそ、目の前にいる黒狼を敵対視するよりは、気にくわない貴族を敵対視しやすいと、そう思える程に。
(もしかして、それが黒狼の能力なのか? こっちに対して敵対心……いや、敵愾心を抱かせないようにするとか、そんな感じの)
そんな風に思わないでもなかったが、そのようなスキルやマジックアイテム、魔法の存在をレイは聞いたことがない。
……とはいえ、別にレイがこのエルジィンにある魔法やスキル、マジックアイテムの全てを知っている訳でもないのだが。
いや、寧ろ知らないものの方が多いだろう。
そもそも、黒狼はレイに気配を察知されたりせず、その場から消えることが出来る。
今回も、扉が開けられる音がした訳ではないが、気がつけば黒狼はレイの部屋の中にいたのだ。
それでも何となくであっても黒狼の気配を察することが出来たのは、黒狼と何度も遭遇することにより、レイの中にも慣れのようなものが出来たからか。
どのみち、戦うにしろ戦わないにしろ、黒狼がどのような手段で自由に現れたり消えたりしているのかは、レイにとっては種を暴いておきたい代物だった。
……と、黒狼が未だに自分をじっと見つめているのを見て、ふと思いつきをレイは口にする。
「なぁ、黒狼。お前が俺に気づかせないように姿を消したり現したり出来るのは、マジックアイテムの効果か何かか?」
それは、本当にただの思いつき。
普通であれば、自分の能力を相手に喋る暗殺者などいない。
だからこそ、恐らく無駄だろうけど、試してみるだけなら問題ないし……と、そう思って尋ねたレイだったが……
「……」
それだけに、黒狼が無言ではあっても首を横に振ったのを見て、驚く。
まさか、自分の疑問に対してそんな風に答えが返ってくるとは、全く思っていなかったからだ。
「えっと、一応聞くけど……マジックアイテムの効果で出たり消えたりしてる訳じゃない。そういう認識でいいんだよな?」
尋ねるレイに、黒狼は頷きを返す。
それを見れば、明らかに黒狼はレイの質問に答えていた。
何故、ここで自分の質問に答える?
それが、レイの純粋な疑問だった。
黒狼が狙っているのが自分なのは、当然のように知っている。
そんな相手に、何故わざわざ自分の能力を教えるのか。
その理由は分からないが、それでも黒狼の方から情報を教えてくれるのであれば、それを利用しない手はない。
「なら、魔法とかか? もっとも、呪文を詠唱している様子はなかったけど」
尋ねるレイの言葉に、再び黒狼は首を横に振る。
マジックアイテムでもなく、魔法でもない。
そうなれば、考えられる可能性は残り一つしかない。つまり……
「それは、お前のスキルなのか?」
そんなレイの言葉に、黒狼は一切の躊躇なく頷く。
「……そうか、スキルか」
レイの言葉に残念そうな色があったのは、もしマジックアイテムの類いであれば、それを黒狼から奪えるかもしれないと、そう考えていたからだろう。
今の黒狼を見ていると、どうしてもそのようには考えられないが。
それでも、もしかしたら……と、そんな風に思うのは、マジックアイテムを集める趣味を持つレイにしてみれば、当然の話だった。
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