第1849話
新年のパーティーも終わり、レイは自分の部屋に戻ってくるとようやくといった様子で大きく息を吐いた。
パーティーで着ていた服も既に脱ぎ、その服は部屋にある椅子に掛けられている。
一応、レイとしては適当に床の上に放り投げたりして、皺にならないようにと気をつけてのことだったが……本当に服のことを思うのであれば、それこそ脱いだままでもいいからミスティリングに収納しておくのが最善だったのだが。
そもそも、この服は短時間ではあっても腕のしっかりとした職人が必死になって作ったものであって、粗末に扱ってよい物ではないのだから。
「あー……いや、本当に疲れた。とにかく疲れた。何がなんでも疲れた」
ベッドの上に寝っ転がって呟くレイは、傍から見れば本当に、徹底的に疲れているように見えただろう。
実際、普段は貴族と滅多に接することのないレイとしては、貴族の出席者が多いパーティーに参加しても、とてもではないが面白いとは思えなかったのだから。
それでもある程度我慢が出来たのは、エレーナやブルーイット、それ以外にも何人か気安く接することの出来る相手がいたからだろう。
もしレイだけで今日のパーティーに参加しろと言われていれば、恐らく……いや、間違いなくレイはパーティーに参加しなかったか、参加しても途中で抜け出していただろう。
とはいえ、レムリアの一件で一度パーティーを抜け出したのは間違いのない事実ではあったのだが。
そんな風にベッドの上で横になっていると、不意に扉がノックされる音が響く。
「失礼します、レイさん。少しよろしいでしょうか?」
それは、レイにとっても聞き覚えのある声だった。
若干疲れた表情で、レイはその人物の名前を口にする。
「ミランダか?」
「はい。パーティーも終わりましたし、レイさんの様子を見に来たのですが……入ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
ミランダはレイの担当であるのだから、この時間に様子を見に来てもおかしくはない。
おかしくはないのだが……メイドって大変だなとつくづくレイは思う。
既に日付は変わっており、いつものレイであれば完全に眠っている時間帯だ。
それは当然メイドもそうであり……いや、メイドはその家に住む人々よりも早く起きる必要がある以上、それこそこの時間は既に眠っていなければならなかった筈だった。
もっとも、何らかの問題が起きて、夜に呼び出されるといったことをする必要もあり、夜の担当という者もいるのだが。
「失礼します。……あら、やっぱり」
椅子に適当に掛けられている服を見て、ミランダは小さく呟く。
これでレイが礼儀といったことに厳しい性格をしていれば、そんなミランダの態度には何らかの注意がされてもおかしくはなかった。
だが、レイはそれこそ本人は全く礼儀の類を気にしない。
いや、勿論明らかに礼儀を失しているような行動を取られれば、笑うだけではなく注意をしてもおかしくはなかったのだが、ミランダもその辺はしっかりと弁えているので、そこまでの態度は取らない。
あくまでも、レイが許容出来る範囲内での態度を取るのは当然だった。
「服の手入れとか、俺は出来ないからな。……そういう意味では、ミランダが来てくれてよかったよ」
「エレーナ様から、そのように言われましたので」
そう言いながら、ミランダは椅子に掛けられている服を手にして、眠そうにしているレイに視線を向ける。
「では、私はこれで失礼しますね。明日は起こしに来るのは遅くしますので、ゆっくりと眠ってください」
「ああ、分かった」
短くそう言うレイの様子に、ミランダは微笑ましそうな視線を向けた後で部屋を出ていく。
ミランダにとって、レイというのは自分の仕えるケレベル公爵家の令嬢たるエレーナの想い人という認識が強い。
それだけに、こうしてレイが眠そうにしている光景を見ると、エレーナは良い決断をしたと、そう考える。
もっとも、それを直接口に出すような真似はしないが。
そんなミランダを見送ったレイは、眠る準備を終え……そのまま、ぐっすりと眠りにつくのだった。
レイが眠りについたころ……それどころではない者もいる。
それが、セイソール侯爵家の当主ザスカル・セイソールだ。
パーティーそのものは特に何の問題もなく終わった。
それこそ、息子が揉めたレイという人物を直接見ることが出来たが、友好的な……少なくてもザスカルはそう思える態度で接したし、向こうも自分に対して敵対的な様子を見せてはいなかった。
これなら、息子の一件も何とかなるかもしれない……いや、してみせるという思いで、気分も良く屋敷に帰ってきたのだが……そんなザスカルを待っていたのは、謹慎していた筈のガイスカの姿が消えていたことだ。
そんな中でより大きな問題だったのは、ガイスカが単独で逃げ出したという訳ではなく、誰かと一緒だったという情報がもたらされたからというのもある。
また屋敷の警備を任せていた兵士が何人か殺されているというのも、大きい。
ザスカルが知る限り、ガイスカには兵士を殺せるような力はない。
であれば、これをやったのは恐らくガイスカと一緒にいた人物だという可能性が高かった。
だからこそ、ザスカルは苛立ちを募らせているのだ。
自分の部下を殺されたことに対する怒りもあるが、それ以外にもあるのは……やはり、ガイスカに対する強い苛立ちだ。
なぜこのような馬鹿な真似をしたのだ、という。
ガイスカに対しては、レイへの対応の諸々で苛立っているという自覚もあった。
だが、それでも……そう、それでも自分の血の分けた息子であるのは間違いない。
馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、それでもやはりこのような真似をするとは……そう、信じたくなかったのは当然だろう。
何をするにしても、やはり貴族にとって自分の血縁というのは大きな意味を持つ。
それだけに、今のこの状況はザスカルにとって余計な苛立ちをもたらすことになるのだが。
「探せ! 何としても探せ! この私にこのような真似をした相手を、決して許してはならん! 何があっても、必ず見つけ出すのだ!」
そう叫んだザスカルの言葉に、周囲で控えていた者達は思わずといった様子で身体を震わせる。
ザスカルは、どちらかといえば鷹揚な性格をしている。
それこそ、セイソール侯爵家に対して敵対的な態度をとったレイに対しても、そこまで厳しい態度をしないくらいには。
だが、そんなザスカルが一度怒れば、怒らせた対象は最悪な結末が待っているのは確実な筈だった。
もっとも、ザスカルの怒りが向けられるのは、あくまでも怒らせた相手だ。
ガイスカとは違い、何の関係もない相手に苛立ち混じりに攻撃をする、といった真似はしない。
それだけに、部下達も安心は出来る。出来るのだが……そもそも本人から感じられる迫力が、完全にガイスカよりも上だというのがある。
ザスカルに仕えてそれを理解しているだけに、我知らず身体が震えてしまうのだ。
それでも震えていたのが少しの時間だったのは、ここで動かなければザスカルの意識が自分達に向けられるかもしれないと、そう思ったからだろう。
「はっ!」
一人がそう返事をすると、他の者達も最初に口を開いた男に従ってその場から走り去る。
とはいえ、ここはあくまでもケレベル公爵領のアネシスであって、セイソール侯爵家の領地ではない。
例えガイスカを探すにしても、そう簡単に見つけることは出来ないのは確実だった。
特に、現在はアネシスに貴族派の貴族……だけではなく、国王派、中立派といった貴族達も少数ながらいる。
そのような場所で大々的に動くような真似をすれば、間違いなく大勢の者達に注目を浴びてしまう。
ザスカルにとって、ガイスカが誰かと一緒に消えたというのは……ましてや、その誰かが屋敷に侵入してきて、何人もを殺したり気絶させたりといった真似をされたのは、恥でしかない。
そのことを出来るだけ他人に知られないようにするには、急ぎつつ……それでいながら密やかに行動をする必要があった。
とはいえ、仮にもザスカルの部下として長い間仕えている者達である以上、このようなことで失敗をするとは思えない。
だからこそ、ザスカルも心配をせずに部下を派遣したのだろう。
「それにしても……一体、誰がこのような真似を? いや、考えられるのは、ガイスカが接触していた者達か。……そういえば。デオトレスはどこに行った?」
呟きながら、ふとザスカルはデオトレスの姿がないことに気がつく。
ガイスカと共に行動をしていたデオトレスであれば、何らかの手掛かりを持っていてもおかしくはない。
そんな風に思っていたのだが……何故か、デオトレスの姿はザスカルの近くから消えていた。
「つまり、今回の一件も奴が仕組んだ何かだと、そういうことか? いや、だがそれにしてもこれではあからさますぎるだろう」
突然のデオトレスの失踪だったが、それがあからさまなだけに、違和感がある。
それでもこうして姿を見せていない以上、それで怪しむなという方が無理だろう。
「誰か」
「は」
ザスカルの短い言葉に、まだこの場に残っていた者の一人が素早く返事をする。
既にここにいた多くの者がガイスカやそれを連れ出した者を探す為に姿を消していたが、今回のようにザスカルが急に何かを命じた時の為に、残っていた者もいる。
その者の一人がザスカルの言葉に応えたが、言った本人は部下を一瞥しただけで、そのまま短く指示を出す。
「デオトレスがどこに消えたのか調べろ。それと、奴がアネシスにいる時に接触していた者達もだ。……こうなると、詳しい話を聞いていなかったのは痛いな」
「分かりました。すぐに動きます」
そう告げ、男はザスカルの前から立ち去る。
そんな男の後ろ姿を見送りつつ、ザスカルはもう眠気が襲ってきてもいい時間だというのに、こうしてわざわざ指示を出している今の状況に苛立ちを募らせ、それを抑えるように深く息を吸う。
口の中に入ってくるのは、冬の冷たい空気……ではなく、暖かい空気だ。
それは、マジックアイテムによって屋敷の中が暖められているからこそで、ケレベル公爵邸には及ばないにしても、かなりの広さを持つこの屋敷全てを……それこそ、廊下までをも暖かくすることが出来るのは、純粋にセイソール侯爵家の持つ財力が故だ。
そんな廊下の中を歩き、ザスカルはやがて一つの部屋に到着する。
「ここで待て」
「は」
まだ残っていた者に短くそう告げ、ザスカルは部屋の中に入る。
ただし、待てと言われた男ではなく、騎士はザスカルと同じ部屋に入った。
普段であれば、自分の命令を聞かない相手には容赦しないザスカルだが、その騎士だけは話が別だ。
部屋……書斎の中に入り、ソファに座ったザスカルは、視線を騎士の男に向ける。
「どう思う?」
短い一言。
だが、その一言だけで、ザスカルが何を言いたいのかというのは男にもすぐに理解出来た。
「そうですね。やはりガイスカ様が何らかの罠……甘い罠に引っ掛かった可能性が高いかと」
「だろうな。……あの、馬鹿が。一体、何を思ってこのような真似をしたのだ。この件が表沙汰になれば、もうこれ以上ガイスカを庇うような真似は出来なくなるな」
「残念ながら」
長年自分の護衛をしてきたその騎士は、戦闘能力以上に自分の思いを汲んでくれるという意味で、話していて楽な相手だった。
「どうなると思う?」
「正直なところを言わせて貰えば、五体満足で……というのは、少々厳しいかもしれません」
騎士の言葉に、ザスカルは深く、そして憂鬱そうな息を吐きつつ、テーブルの上にあった小さな鐘を鳴らす。
すると、すぐに扉がノックされ、メイドが姿を現す。
「失礼します、ザスカル様。お呼びでしょうか?」
「ああ。……何か酒を持ってきてくれ。強い酒がいい。今のままでは、ちょっと眠れそうにないのでな」
「かしこまりました」
ザスカルの言葉にメイドは一礼し、部屋を出ていく。
そんなザスカルを、護衛の騎士はどこか咎めるような視線で見ていた。
ザスカルはそのような視線を向けられているのを理解しつつも、酒を飲むという行為をやめようとは考えていなかった。
パーティーでそれなりに酒を飲んだのは間違いない。
だが、良い気分でパーティーを終えて屋敷に戻ってきてみれば、待っていたのがこのような騒動なのだ。
それこそ、酒でも飲まないとやっていられるかといった気分だったし、何より自分の中にある怒りを発散させる為にも、やはり酒というのは重要だったのだ。
それくらいは長い付き合いなのだから、分かってくれてもいいだろうと、ザスカルはそう思うのだった。
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