第1818話

「いや、素晴らしいですな。あれだけの強さを持っているのを見れば、なるほど異名持ちであっても納得出来ます」


 貴族と思しき者が、レイにそう声を掛けてくる。

 レイは真剣にその貴族の会話を聞いてるように見せつつも、実際には右から左に聞き流している。

 少し離れた場所では、貴族の子供達が何人かセトを撫でているが、寧ろそちらの方にレイの意識は向いていた。

 模擬戦が終了した後、レイはエレーナやリベルテに呼ばれて、こうして貴族達の集まっている場所に来ることになってしまった。

 特に料理がある訳でもないのだからレイはこういう場所は遠慮したかったというのが正直なところなのだが……それでも、現在世話になっているリベルテから言われれば、レイもそれは無視出来ない。

 もっとも、ガイスカのようにレイを敵視している者がいなかったから、というのもレイがここにきた大きな理由だったのだが。

 レイにしてみれば、ガイスカは小物としか思っていない。それでも、自分に敵意を向けている相手がいるような場所でゆっくりしたいとは、到底思えない。

 ガイスカもまた、自分が憎んでいるレイがちやほやされているのを見るのは、セイソール侯爵家の人間として許容出来なかった。

 そんな二人の行動が丁度よく組み合わさり、このような状況を生み出すことに成功していたのだ。


(レイの奴……いやまぁ、こういう場所が好きではないのだろうから、ああなってもしょうがないのだろうが)


 貴族と話しつつも、実は適当に受け流している様子のレイを見ながら、エレーナはこの場を設けたのは失敗だったか? と思いつつ、貴族の子供達がセトに妙な真似をしないのかを見ている。

 これが普通の子供であれば、エレーナもここまで気にするようなことはなかっただろう。

 ギルムで何度かセトが子供と――大人も大勢いたが――遊んでいる光景を見たことはあったが、その時の子供はあくまでも貴族ではない、一般人の子供だ。

 何をすれば駄目で、何ならしてもいいのか。その辺りのことを普段の生活から学んでいるおかげもあって、セトの嫌がるような行為をする者は殆どいない。

 その少ない例でも、一度注意すれば大抵はそのことを守るようになる。

 だが、今セトと遊んでいるのは、貴族の子供だ。

 全員が我が儘一杯に育ってきたという訳ではないのだから、そこまで心配する必要もないのかもしれないが、それでもいざということはあるかもしれないのだ。

 その為にこうしてここにいたのだが……


(はぁ)


 ビューネと同い年くらいの子供が、セトの尻尾を思い切り引っ張ろうとしているのを見て、エレーナは動く。

 その尻尾を引っ張ろうとした子供の手を止め……


「何をするんだよ!」

「子供でも、やって良いことと悪いことがある。お前も髪の毛を思い切り引っ張られるような真似をされるのは嫌だろう? であれば、当然セトもそのような真似をされたいとは思わない。……分かるな?」


 そんなエレーナの言葉に何かを言い返そうとした子供だったが、エレーナの醸し出す迫力の前に何も言うことが出来ない。

 普段は自分の家に仕えている者なら、自分の言うことには全て従う。

 そうである以上、ここでも全てが自分の思い通りになると思っていたのだが……エレーナを前にして、その子供は何も言えなくなる。

 それも当然だろう。エレーナは幾多もの戦場を駆け巡り、姫将軍の異名を持つ程の女傑だ。

 そんなエレーナの前で、ただの子供が何かを出来る筈がない。

 ……もっとも、エレーナも子供を相手に大人げないと思っているのか、以前ガイスカに発したような迫力は出していないのだが。


「……うん」


 そんなエレーナの視線を向けられていた子供に出来るのは、ただ黙って頷くだけだった。


「分かればそれでいい。皆も、自分が嫌がるようなことをセトにはしないように。セトは優しいから、ちょっとやそっとのことでは怒ったりしないが、それでも許されること、許されないことがあると知れ」


 セトの尻尾を引っ張ろうとした子供だけではなく、他の子供達にも同様の注意をする。

 エレーナの発する迫力を直接受けたのは、尻尾を引っ張ろうとした子供だけだった。だが、その迫力を間近で見てしまった子供達の中には、エレーナに逆らうという選択肢は存在しなかった。

 それは子供だからこそ、本能が素直にエレーナが自分達でどうにかなる相手ではないと、理解したのだろう。

 少し離れた場所で今の出来事を見ていたメイド達の中には、子供のお守りという役割の者も多い。

 そのような者達にとって、エレーナという存在は普段から我が儘一杯で手に負えない子供達を、あっという間に躾けたと、そんな風に思ってしまうのだ。

 今のような躾けが出来たのは、あくまでもエレーナ……ケレベル公爵令嬢にして、姫将軍の異名を持つエレーナだからだろう。

 もしメイド達がエレーナがやったようなことをやれば、それこそ即座に上司から叱責を受けることになる。

 ……もっとも、子供達を黙らせたのはエレーナの持つ迫力があってのことなのだから、普通のメイドにそのような真似が出来る筈がないのだが。


(エレーナ、さすがだな。生意気そうな子供を一発で黙らせたし。この調子なら、セトが嫌な目に遭うということは考えなくてもよさそうだ)


 そんなエレーナの様子を見ているのは、レイも同様だ。

 寧ろ、貴族の子供がセトの尻尾を引っ張ろうとした時には、自分が前に出ようかと思ったくらいなのだから。


「レイ殿? 一体どうなされた?」

「いや、ちょっと向こうで小さな騒動があったみたいだから」


 先程とは違う貴族が、レイの様子に疑問を抱いてそう尋ねてくる。

 レイはそれに何でもないと返しながらも、我慢の時間をすごし……やがてそれから三十分程経過した後で、その場から下がるのだった。






「グルゥ?」


 控え室に向かって歩いていると、不意にセトが大丈夫? と小首を傾げてくる。

 貴族の相手をしていたレイとは違い、セトは子供の相手だけだったので、そこまで疲れてはいない。

 やんちゃをしそうな子供もいたのだが、そちらはエレーナが最初に注意したこともあり、セトが嫌がるような行動をすることはなかった。

 ……もっとも、レイと話していた貴族の中にはセトに対して欲望に満ちた視線を向けていた者も、少なからずいたのだが。

 本人はレイに対してその視線を隠せていると判断していたのだろうが、そんな邪な視線を見逃す程に、レイも甘くはない。

 また、セトも当然自分にどのような視線を向けているのかということには気が付いている。

 それでも結局その貴族は特に何らかの行動を起こしもしなかった事もあり、レイもセトも何らかの行動に出るようなことはなかったが。

 そうして控え室の方に歩いて行くと……控え室の前に、見覚えのある二人が立っていることに気が付く。


「ミランダとレオダニス?」

「グルゥ」


 レイの言葉に、セトはそうだねと喉を鳴らす。

 何故あの二人がここに? と思わないでもなかったレイだったが、少し考えれば大体の予想は出来る。

 ミランダには今回の模擬戦においてレイの代わりに賭けて貰うように頼んでいたし、その金額は白金貨だ。

 そうなれば、当然のようにメイドが一人で持ち歩くには大きな金額となり……それでレオダニスに護衛を頼んだのだろうと。

 実際にはレオダニスがミランダをデートに誘うといった真似をして、その結果としてこうして二人でここにいたのだが……レオダニスがミランダに好意を抱いているというのを知らないレイは、取りあえずそう判断する。

 実際その判断でもそう間違っていない以上、致命的な事態という訳でもないのだが。


「あ、レイさん」

「レイ、どこに行ってたんだ? 模擬戦が終わってから、随分と戻ってくるのが遅かったが」


 レイとセトが近づいてくるのを見て、二人もその存在に気が付いたのだろう。向こうからレイ達の方に近寄って来つつ、そう声を掛ける。


「いや、貴族席の方にちょっと呼ばれてな。……正直なところ、出来れば遠慮したかったけど、そうもいかないだろ?」

「それは……まぁ」


 レオダニスもケレベル公爵騎士団に所属しているだけあって、レイが何を言いたいのかは理解出来る。……自分では絶対にそのような立場になりたいとは思わないが。

 ミランダにいたっては、ケレベル公爵家に仕えるメイドである以上、レオダニスよりも深くレイの言葉の意味を理解する。


「事情は分かりました。その……特に騒動とかは起きてないですよね?」

「ああ、問題はない。ちょっと話をして終わっただけだ。……まぁ、貴族達も俺に妙なちょっかいを出そうとは思わなくなっただろうから、そういう意味では実力を見せつけることが出来た今回の模擬戦はやって良かったな」

「あ、あははは。……その、そうですか。えっと、こういう場合はなんて言えばいいんでしょうね?」


 若干引き攣った笑みを浮かべるミランダがレオダニスに尋ねるが、そう尋ねられた本人もどう反応していいのか迷い、結局は頭を掻くことで誤魔化す。


「と、取りあえず。賭けた金額の分を持って来たので、受け取って下さい。こんな大金を持ち歩くことなんか滅多にないので、正直怖かったんですよ?」


 そう言いながら、ミランダはレイに賭けで勝った金額を渡す。

 レイはその中から前もって約束した通りの額をミランダに渡そうとするが……


「いえ、さすがにこれだけの金額を、ただ貰う訳には……だって、私は殆ど何もしてないですし」


 レイが渡そうとした金額を返そうとする。


「そう言ってもな。元々約束してただろ? それに何もしてないって言うけど、ミランダがいなければ、そもそも賭けることすら出来なかったんだ。つまり、この金はミランダが動いてくれたからこそ、得られたものだ」

「それは……」


 そう言われれば、ミランダも言葉を返せない。

 実際には賭けて貰うだけだったのだから、ミランダでなくても他の誰かに頼めばよかったのだ。

 それこそ、ラーメンをレイから教えて貰ったゲオルギマや、その弟子達といった者であれば、恐らく喜んでレイの頼みを聞いてくれただろう。

 そんな中で敢えてレイはミランダに頼み、ミランダはそれを引き受けたのだから、きちんと報酬は受け取ってもおかしくはない。

 レイのそんな説得に、ミランダは少し考え……やがて、頷く。


「分かりました。そこまで言うのであれば、私もレイさんの言う通り、分け前をありがたく貰います」


 そう言うミランダに、レイは事前に約束した通りの分け前を渡す。


「じゃあ、これで分け前についての話は完了、と。……さて、俺達はこれから屋台を巡ってこようと思うけど、そっちはどうするんだ?」

「あー……俺はちょっとミランダと一緒に……」


 言葉に詰まるレオダニスに、レイは少し疑問を感じる。

 とはいえ、自分やセトと一緒に行動をしないというのであれば、それは仕方がないと判断し、セトの頭を撫でた。


「グルゥ?」

「俺達は俺達で、色々と美味そうな屋台を探してみような」

「あ……」


 そんなレイの言葉に、ミランダが少しだけ声を出して残念そうな様子を見せる。

 セトを可愛がっているミランダだけに、セトと一緒に屋台を見て回るというのも捨てがたかったのだろう。

 だが、もう既にレオダニスと約束をしている以上、レイやセトと一緒に行く訳にもいかない。

 残念ながら……本当に残念そうにしながらも、ミランダはセトと一緒に屋台を見て回ることを諦める。


「じゃあ、俺とセトはもう行くよ」

「はい。けど、気をつけて下さいね。レイさんは今日あれだけ活躍したんですから、間違いなく人に見つかれば話し掛けられたりしますよ」

「あー……だろうな」


 ドラゴンローブを着ていれば、レイをレイだと認識はされない。

 だが、それはあくまでもレイだけだ。

 体長三mを超えるセトを連れている時点で、その人物はレイだと即座に理解出来るだろう。

 セトがいれば、ドラゴンローブでレイをレイと認識出来なくても、そこに意味はない。


「まぁ、普通に話し掛けられる程度なら、特に問題はないけど……」

「いや、妙な連中とかもやってくると思うぞ? もしレイに喧嘩を売って勝てれば、それは大きな意味を持つしな」

「……来るか? 一応俺の強さはしっかりと見せつけたと思うんだけどな」

「それでも自分だけなら別だと考えてる奴も多いだろうし、もしかしたら運良く勝てるかもしれないと思う奴だっているかもしれない。そう考えれば、絡んでくる奴がいる可能性は高いんじゃないか?」

「うわぁ……そんな馬鹿の相手をするのは、御免こうむりたいな」

「あ、じゃあこれ……食べます? 一応言われた通り料理を幾つか買っておいたんですけど」


 そう言ってミランダは幾つかの料理の入った籠を渡してくるが……模擬戦が行われる前に買われた料理は、この季節だけあって既に冷え切っている。

 勿論火を使って温めれば、美味く食べられるだろうが。


「その料理は貰っておくけど、取りあえず普通に屋台を回ってみるよ。もし絡んでくる奴がいたら、そいつには不幸な目に遭って貰うってことで」


 そう言い、レイは受け取った料理をミスティリングに収納するのだった。

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