第1817話

 トライデントとでも呼ぶべき槍を持った男が地面に倒れ……次の瞬間、司会の男の声が周囲に響き渡る。


「そこまで! これにて全模擬戦を終了します! 全戦全勝! 深紅の異名を持つレイが、これ以上ない程の実力を見せつけました!」

『わああああああああああああああああああああああっ!』


 観客達の声が、舞台の周囲に響き渡る。

 この模擬戦を見に来た観客達は、特に戦闘に興味があるという者ばかりではない。

 だがそれでも、たった一人のレイが圧倒的な人数を相手にたった一人で勝ち抜いたのだ。

 それは、見ている者に強い感動と衝撃を与える。

 ……もっとも、喜んでいる者の中にはレイが全勝するということに賭けていた者もおり、その者達にしてみればまさしく雄叫びを上げたくなるのも当然だろう。

 特に、レイの担当をしているミランダは、その一人だろう。

 レイから白金貨を渡されて、それを賭けたのだが……正直なところ、実際にこうしてレイが勝つまでは心臓が破裂しそうな程に激しく鼓動していた。

 それも当然だろう。レイの全勝に賭けた時は、賭けを仕切っている男から本気か? といった視線すら向けられたのだから。

 尚、その本気かというのは、レイの全勝に賭けるのが本気か? という意味もあったが、白金貨を賭けるのにも本気か? という意味合いがあったのだが……ミランダはそこまで気が付いてはいない。


「勝った……本当に……え? あれ? 何で……」


 ミランダは、我知らずに涙を流していたことに気が付き、急いでハンカチで拭く。

 ケレベル公爵騎士団と訓練しているのを見ていることもあって、レイが強いというのは当然のようにミランダも知っていた。

 それでもレイの身体の小ささを思えば、これだけの人数を相手に全勝するというのがどれだけ例外的なことなのかは容易に想像出来る。

 少なくても、ミランダが知っている限りで同じようなことが出来る相手はそう多くはない。

 エレーナとフィルマの二人だけだ。

 ……もっとも、二人も同じようなことが出来る者を知っている時点で、色々とおかしいのだが。

 ともあれ、何故か不意に流れた涙が止まったのを確認すると、今度は賭けで勝った金額をどうするべきかと悩む。


(誰かに奪われるということだけは、避けないと。私の分だけならまだしも、レイさんの分もありますし)


 レイから勧められ、ミランダもまたレイの全勝に賭けていた。

 ミランダは貴族の生まれだが、アネシスに拠点を構える男爵家の三女という立場で自由に使える金もそこまで多くはない。

 もっとも、それはあくまでも貴族に比べればの話であって、ケレベル公爵邸に勤めており、客人として迎えられているレイの担当を任されているのを見れば分かる通り、上からも信頼されている。

 当然相応の給料を貰っており、今回の賭けにもある程度の金額を賭けていた。

 結果として、レイの分も含めて受け取る金額はかなりの額になり……そんな状況でメイドが一人――もっとも今日はメイド服を着ていないが――でそのような金額を持っていれば、妙な考えの者達に狙われないとも限らない。

 いや、ミレアーナ王国第二の都市である以上、当然悪辣な者達も多くいる。

 そのような者達が、美形と評しても間違いないミランダが金貨や白金貨を何枚も賭けの勝ち分として受け取っているのを見れば、どうするのかは考えるまでもなく明らかだ。

 事実、ミランダから少し離れた場所にいた何人かの男達は、それぞれ意味ありげな視線を交わして無言で意思疎通をしていたのだから。

 だがミランダは荒事に慣れている訳でもなければ、訓練をしている訳でもない。

 当然自分がそのような視線を向けられているということには全く気が付いておらず……


「ミランダ?」

「え?」


 と、不意に掛けられた声に、ミランダは振り向く。

 いきなり自分の名前を呼ばれたので驚いたのだが、そこにいたのが顔見知りの人物だったおかげで、すぐに笑みを浮かべる。


「レオダニスさん、こんにちは。レオダニスさんも見に来てたんですね」

「ああ。レイの実力を自分の目で客観的に確認出来る良い機会だったからな」

「あら? 実力を確認するという意味なら、騎士団との模擬戦をこれまで何度も繰り返しているのだから、もう見知っているのでは?」


 レイと騎士団の模擬戦全てを見ている訳ではないが、それでもミランダはレイが何度も騎士団と模擬戦を行っているのを知っている。

 そうである以上、レオダニスもレイの実力を十分理解しているのでは?

 ミランダがそんな風に思っても、それはおかしくないだろう。

 ましてや、レオダニスはかなりの回数レイと模擬戦をやっており、その実力をこれ以上ない程に自分で感じている筈だった。


「ケレベル公爵騎士団の騎士は、腕利き揃いだ。だが……だからこそ、それ以外の相手と戦っているレイの強さも見てみたかったんだ」

「そうですか。……男の人のそういう感覚は、あまり分かりませんね」


 そう言うミランダだったが、周囲でミランダの様子を窺い……賭けで勝った金額を奪おうとしていた者達は、二人の会話を聞いてその動きを止めていた。

 アネシスに住んでいる以上、当然ながら男達もケレベル公爵騎士団の名前は知っていたし、それがフィルマという人物に率いられた精鋭揃いであるということも知っていた。

 双方共に運が良かったのは、男達の中に血気に逸る者がいなかったことだろう。

 ケレベル公爵騎士団の騎士やその知り合いと騒動を起こしてしまえば、絶対に手痛い反撃が行われる。

 そこまで考えることが出来る者の集まりだったのだから。

 もしこの場に、その辺りの事情を全く考えられない者がいた場合、恐らく……いや、間違いなく金に目が眩み、ミランダを襲っていただろう。

 もっとも、傍から見ていてミランダがレイの全勝に賭けて勝ったというのは分かるのだが、具体的にどのくらいの金額を勝ったのかは分からない。

 今日のミランダは普通の服装をしている以上、そんなに大金を賭けるとは思えない。

 場合によっては、銅貨数枚……という可能性すらあるだろう。

 いや、寧ろ大穴とまではいかないが、かなり倍率の高いレイの全勝に賭けたのだから、そこまで大金を賭けるとは思えなかった。

 ……もしミランダがレイから白金貨を受け取っているというのを知っていれば、もしかしたらミランダに目を付けていた男達の考えも変わったかもしれない。

 だが、幸いにも今はそのようなことはなく、男達はこのままミランダに関わっても自分達には損しかないと判断してそのまま去っていった。

 自分が危機一髪だったということを思いもよらないミランダは、レオダニスとの会話を続ける。

 尚、レオダニスも別にミランダが悪党に狙われていたというのを知っていた訳ではないので、自分がミランダを危機から救ったという意識は全くない。


「それで、ミランダはこれからどうするんだ? その、よければ一緒に屋台を見て回らないか?」


 若干頬を赤くしながら、鼻の下を擦るようにしてミランダに尋ねるレオダニス。

 ミランダもケレベル公爵家のメイドの心得として……また、美人と評するのに相応しい女だけに、レオダニスの誘いがどのような意味を持っているのかは、容易に想像出来た。

 少し考え……やがて、笑みを浮かべて口を開く。


「そうですね。レオダニスさんからのお誘いですし、受けさせて下さい。ただ……レイさんに賭けに勝った金額を渡してからとなりますが、構いませんか?」

「あいつ、そんなことをしてたのか。まぁ、全勝して勝ったというのであれば、イカサマとも言えないしな」


 もし何戦目で負けるのかということでレイがそれに賭けていれば、明らかなイカサマとしてレオダニスもそれを許容することは出来なかっただろう。

 だが、今回の場合はレイが全勝しているのだから、それはレイが自分の強さに自信があり、だからこそ全勝に賭けたと、そう思ってもいい。


(実際、氷刃のような異名持ちの冒険者が出てくるとか、レイにとっても予想外だっただろうしな)


 レオダニスはそう思いつつ、氷刃とレイの戦いを思い出す。

 異名持ちだけあって、氷刃は自分よりも遙か高みの存在であると思い知ってしまった。

 もし自分が氷刃と戦った場合、まず間違いなく……それこそ百回戦っても一度勝つのは無理だろうと、そう思う程に。

 もっとも、レオダニスの性格として、自分が勝てないから諦める……という訳ではない。

 今は無理でも、いつかきっと勝ってみせる。

 そんな風に思い……


「あら、私を誘ってくれたのに、他のことに思いを馳せるなんて。ちょっと失礼じゃないですか?」

「え? あ……ああ、その。悪い。氷刃とレイの戦いを思い出していたら、ちょっとな。それで、どうだろう? 俺と一緒に店を回ってくれるか?」

「……分かりました。私も、レオダニスさんとはちょっと話してみたいと思っていましたし」


 レオダニスの誘いに、ミランダは一瞬沈黙した後で頷きを返す。

 その一瞬の沈黙が、もしかしたらミランダに誘いを断られるかも? と思ってしまったレオダニスだったが……結局誘いを受けて貰ったことで、安堵する。

 実はその沈黙こそが、細かいながらもミランダの駆け引きの為のものだと、レオダニスは全く気が付いた様子もない。


「えっと、じゃあ行くか。ああ、まずはレイから頼まれた分を換金する必要があるんだよな」

「そうですね。……もっとも、人はあまり多くなさそうですが」


 模擬戦が一試合終わるごとに、ミランダの近くの観客達が自分の負けを嘆いているのを見た。

 レイの全勝に賭ける者が少なかったからこそ、倍率も高かったのだ。

 そうである以上、賭けに勝って換金する者はそう多くないだろうというのがミランダの予想であり……紛れもない事実でもある。

 それは換金してくれる場所に到着した時、そこにいる者の数が少ないというので証明された。


「あら、でも思ったよりは人数が多いですね」

「そうだな。まぁ、レイの実力を多少なりとも知ってれば、そっちに賭けてもおかしくはないだろうし、そこまで驚くことでもないんじゃないか?」


 実際、レイの実力を正確に知っている者にしてみれば、今回の模擬戦でもレイが全勝するという選択肢は決して皆無という訳ではなかった。

 問題なのは、それを知っている者がそこまで多くなかったということか。


(冒険者風の連中が多いのは、レイの実力を噂で聞いていたからだろうな)


 冒険者以外の者であっても、レイの噂は当然色々と聞いただろう。

 だが、一軍を燃やしたといったものを始めとした様々な噂は、それを楽しむ方としては喜ばしいが、本当にそれを信じるかと言われれば、そう素直に頷く訳にもいかない。

 少なくても、それを根拠に賭けるといった真似をした者は決して多くはないのだろう。

 そんな者達と比べて、冒険者達は同じ冒険者ということでもっとレイの情報を多く集めていた者もおり……そのような者達が、今回の模擬戦全勝に賭けて勝ったのだ。

 とはいえ、氷刃のような異名持ちや、貴族に仕えている騎士といったような者達も模擬戦の相手として存在していた以上、レイが途中で負けるという可能性も決して否定は出来なかったのだが。

 勿論、ここにいる全てが冒険者という訳ではない。

 中には何となく全勝すると思って賭けたような者もいるし、商人として噂の内容を正確に覚えているような者もいる。

 そのような者達の姿もあるので、レオダニスとミランダの二人が換金する為にやって来ても、特に目立つといったようなことはない。


「おう、嬢ちゃん。いや、お前さん凄いな。レイが全勝するって賭けてた奴は他にもいたけど、そこに白金貨を賭けたような剛毅な奴は、お前さんくらいだぜ、……てっきり、俺達が大儲け出来ると思ったんだがな」


 賭け札を換金役の男に渡すと、その男はミランダを見て驚いたように言う。

 白金貨を賭けるといった真似をしただけに、ミランダのことをよく覚えていたのだろう。

 それだけに、ミランダを見て驚きつつ……それでいて、若干悔しそうな様子だ。


「ふふっ、ありがとうございます。それで換金の方をよろしくお願いします」

「ああ、分かったよ。ったく、今日一番儲けたのは、間違いなくお前さんだよ」

「そうですか。それは嬉しいですね。……レオダニスさん、行きましょうか」

「ああ。……微妙にここは居心地が悪いからな」


 本人が騎士だからというのもあるのだろうが、レオダニスはそう告げる。

 もっとも、別にこの賭けそのものは違法という訳でもない。

 居心地が悪いと思うのは、あくまでもレオダニスがそう思っているからの話であって、実際にはそこまで周囲の者達がレオダニスを見ている訳ではないのだが。

 ともあれ、換金を済ませたミランダとレオダニスの二人は、まず賭けに勝った金額を渡すべくレイに会いに向かうのだった。

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