第1813話

 舞台が見えた瞬間、レイはそこに集まっていた予想以上の観客に驚く。

 これから行われるのは、あくまでも模擬戦でしかない。

 また、屋台や芸人の類もいるのだから、お祭り気分でそっちを見ている者の方が多いのではないかと、レイはそんな風に思ってすらいた。

 だが、こうして実際に舞台に来てみれば、そこには百人や二百人どころではなく、千人以上……いや、もっと多くの観客がいたのだ。

 正直なところ、これだけ人数が集まるとは思っていなかったレイは驚いたし、そんなレイよりも驚いているのは、これからレイが戦う模擬戦の相手だろう。

 集められた殆どが、異名持ちの冒険者と模擬戦が出来ると聞いて貴族達からの依頼を受けた、物見遊山に近い感覚で受けた者達だ。

 そんな者達が、いざこうして模擬戦をやる場所にやって来てみれば、そこにはこれだけの観客達がいたのだから、慣れていない者達が驚くのは当然だろう。

 勿論全員がそのように驚いている……という訳ではない。

 高ランク冒険者と思しき何人かは、周囲にこれだけの観客達がいて、自分達に視線を向けていても特に怖じ気づいたりしている様子はない。

 人の視線というものに慣れているのだろう。

 だが、そのような者達はやはり少数派だ。

 特に冒険者になって初心者から抜け出したばかりの新人は、そんな視線に怯えている者も多い。


(自分から望んでこの模擬戦に参加したんだから、同情したりといった真似はしないけどな)


 そんな風に考えながら、レイはここまで送ってきてくれた者達と別れて、舞台を進む。

 もっとも、舞台とはいってもそこまで立派なものではない。

 雪が降っても足下が悪くならないように舞台の範囲を踏み固められている程度の、本当に簡易的なものだ。

 今日だけ使えればそれでいいという判断からの結果なのだろう。

 そんな舞台の上に立っていた者達は、姿を現したレイに敵意を向ける……のではなく、感謝の視線を向けている者すらいる。

 セトを伴ってレイが姿を現したことで、観客達の視線が自分達から外れてレイに向けられたというのを理解したからだろう。

 当然全員がレイにそんな視線を向けた訳ではなく、挑戦的な視線を向けている者もいれば、どのような理由からか憎悪の籠もった視線を向けている者もいた。

 だが……そんな視線を向けられたレイは、若干拍子抜けしたような気分を味わう。


(ここに来る途中で感じた、あの視線の主は……いないな。それとも実力を隠してあの連中の中に潜り込んでいるのか?)


 何人か強い相手がいるというのは分かるが、言ってみればそれだけだ。

 この舞台に来る途中で感じたあの不気味な視線の持ち主は、視線の先にいる者達の中にはいないようにレイには思える。


「レイ殿、こちらに」


 舞台の中央にいた男が、レイに向かってそう声を掛ける。

 周囲で見ている観客達は、審判としての役目を任されている男の言葉に、やはりといった納得の表情を浮かべる者、嘘だろといった表情を浮かべる者、あんな子供がと侮りの表情を浮かべる者など様々だ。

 様々な者達の視線が、レイに向けられる。

 あからさまにレイを侮るような声も聞こえてくるが、レイはそれを特に気にするようなこともなく、視線を貴族達の集まっている場所に向けた。

 そこでは、何らかのマジックアイテムで暖をとっているのだろう。もうすぐ一年が終わるだろうこの時期にも関わらず、誰もが特に厚着をしていない。

 そんな貴族の中で、ただ一人……ガイスカのみがレイに憎悪の視線を向けている。


(幾ら何でも、ここまで憎まれる覚えはないんだが……何だって、こんなに憎まれてるんだ? あの時の諍いだけでこれなのか? まぁ、貴族の中には恨みを忘れない奴もいるって話だし、そこまでおかしくもないのか?)


 ガイスカの視線を受けつつ、次にレイの視線が向けられたのは椅子が小さいからだろう。若干狭そうにしているブルーイットの姿だ。

 相変わらず――とは言っても前にあってから数日程度しか経っていないのだが――筋骨隆々の身体をしており、明らかにそれは見せる為の筋肉ではなく、実戦で使う為の筋肉だ。

 他にもテレスやラニグス、アーラ、それにこのアネシスを治めているケレベル公爵夫妻や、何よりもエレーナの姿もある。

 また、レイが見たこともない貴族もかなりの数揃っており、その全てがレイの模擬戦を見る為にここにやって来たのだ。


「では、レイ。まずはセトの紹介を」


 審判……もしくは司会と言うべきか、その男の言葉に促され、レイは少し離れた場所で待っているセトを呼び寄せる。

 セト、と。名前を呼んだだけで、セトはレイが何を求めているのかを察したかのように近づいてきた。

 周囲にいる観客達の中でも、セトを初めて見る者の中には、怖がって声が出ないような者すらいた。

 だが、レイがセトと一緒にアネシスの中を見て回っている時に見たことがある者は、セトが大人しいというのを理解しているからだろう。特に怖がったりといった態度を見せる様子はない。


「皆さん、ご覧下さい。このモンスターは、ランクAモンスター……いえ、希少種ということでランクS相当とギルドで認定されている、グリフォンのセトです!」


 司会の言葉が、周囲に響き渡り……数秒前まではうるさい程に騒いでいた観客達が黙り込む。

 当然だろう。この場にて、いきなりランクS相当のモンスターだとセトが紹介されたのだ。

 それもランクS相当のモンスターとして紹介されたのだから、驚くのは当然だった。

 ランクAモンスターであっても、冒険者は一生に一度遭遇するかどうかといったところだ。

 ましてや冒険者でも何でもない観客達にしてみれば、まさにおとぎ話の中の存在と言ってもいいだろう。

 それだけに、セトがランクS相当のモンスターだと言われても、現実味がないというのが正直なところだった。

 今はいいが、このまま時間が経てば恐らくランクS相当という言葉に皆が驚きを示すだろう。

 そうレイが思った時、まるでその考えを読んだかのように司会の男が口を開く。


「ですが、ご安心下さい。見ての通り、セトはこの冒険者……深紅のレイの従魔として非常に人懐っこい性格をしています! ……撫でても構いませんか?」


 観客達に呼びかけながら、司会の男がレイに尋ねてくる。

 声や表情には出していないが、司会の男の足が微かに震えているのを、レイは確認した。

 司会の男も、セトのような高ランクモンスターを撫でるということに恐怖を感じるのだろう。

 それでも表情に出さずにいるのは、自分が怖がるような真似をすれば観客達も怖がると理解しているからか。

 ともあれ、レイは怖がりながらも自分からセトに触れようとしている司会の男に対し、好意的な感情を抱く。


「ああ、問題ない。セトも撫でられるという行為には慣れてるから、あまり乱暴に撫でたりしなければ大丈夫だ」


 そんなレイの言葉を聞き、レイの隣にいたセトは円らな瞳を司会の男に向ける。

 撫でるの? 遊んでくれるの? と、そんな期待の籠もった視線が向けられ、司会の男は緊張していた自分が馬鹿らしくなる。

 目の前にいるのがランクS相当のモンスターだというのは分かっているが、こうして見ている限りでは人に慣れて、一緒に遊んで欲しいと態度で示している犬や猫にしか見えない。

 司会の男は、そっとセトに手を伸ばす。

 ゆっくりと伸ばされたその手は、セトの身体に触れ……撫でる。


『おお!』


 そんな司会の男の行動に、観客達の口から驚愕の声が漏れた。

 司会の男が安全だと言っていても、それでもまさかそれを証明する為に本当に自分で撫でるとは……と。

 だが、そんな驚愕の声は、司会の男を見ていると次第に落ち着いていく。

 何故なら、司会の男の顔から急速に緊張が解れていっているのが分かったからだ。

 いつまでも撫でていたいと、そう思わせるような幸せな手触り。

 そのまま数分が経ち……それだけの時間が経っても全く撫でるのを止めない司会の男に、観客達だけではなく貴族達までもが若干苛立った様子を見せ始めた。

 この舞台に集まった者達が見に来たのは、深紅のレイの実力が本当に噂程のものなのかどうか。それを確かめる為であって、決して司会の男の緩んだ表情を見る為に集まった訳ではない。


(このままだと面倒なことになりそうだな)


 そう判断したレイは、セトを撫で続けている司会の男に声を掛ける。


「おい、いつまでそうしているつもりだ?」

「っ!?」


 そんなレイの言葉で司会の男は我に返り、慌てたようにセトから離れて、その場にいる者達に向かって告げる。


「いや、素晴らしい手触りでした。これだけ手触りが良く人懐っこいのであれば、レイが拠点としているギルムにおいて皆に愛されているというのは理解出来ます」


 そう告げる司会の男の言葉は、これだけの人数がいるにも関わらず全員が聞き逃すということをしない。

 そのようなことが出来ている理由は、司会の男が何らかのマジックアイテムを使っているからなのだろう。

 残念ながら、見て分かる……例えばマイクのような物はもっておらず、どのようなマジックアイテムを使っているのかは、レイにも分からなかったが。


(けど、欲しいな。後でアネシスのマジックアイテム屋を見て回るか?)


 拡声器のような効果を持つマジックアイテムであれば、色々と使い勝手が良いマジックアイテムなのは明らかだ。

 勿論そのようなマジックアイテムには何らかの制限の類があってもおかしくはないのだが、余程の制限でなければ、レイはそれを受け入れるつもりだった。




 そんな風にレイがマジックアイテムについて考えている間にも、先程の自分の失態を何とか取り返そうとセトについての解説を行っている。

 もっとも、それは余計に司会の男がセトに夢中になっているという風にも見て取れるのだが。


「そんな訳で、もし街中でセトを見ても驚く必要はありません。こうして人懐っこいセトは、撫でれば嬉しそうに喉を鳴らしてくれるでしょう。また、その円らな瞳が持つ威力は、大抵の者であれば一発で陥落すること間違いなしです。それこそ、魅了の魔法やスキルをもっているのではないかと思う程に」


 あー、なるほど。

 司会の男の言葉を聞いていたレイは、ふとそんな風に納得する。

 勿論レイはセトにそのような魔法やスキルがないということは理解していたが、セトの人懐っこさや、誰にでもすぐに可愛がられる様子を見れば、そのように思っても仕方がないと。


「さて、セトの紹介がすんだところで、いよいよ今日の本番となります。ご存じの通り、今回の目的は深紅の異名を持つレイと、アネシスを拠点とする冒険者、それと貴族の皆様方に仕える兵士や騎士といったように、強者が揃っています!」


 わああああああああ、と。

 司会の男の盛り上げる言葉に、それを聞いていた観客達が歓声を上げる。

 先程の、セトを撫でていた時のことはすっかり忘れてしまったかのような、そんな対応。


「グルゥ?」


 このままここにいてもいいの? と、セトは観客達の歓声を聞きながら、レイに向かって喉を鳴らす。

 そんなセトの頭を撫でつつ、レイは舞台から移動するように言う。

 セトは特にレイの言葉に抵抗する様子もなく、大人しく舞台から出ていった。

 観客や模擬戦の相手の中にもそんなセトの様子に気が付く者はいたが、今は特にそれに対して何かを言う様子はない。

 観客にとってはセトの存在も気にならない訳ではないのだろうが、それよりもやはり今日一番の目的である模擬戦の方に強い興味をもっているのだろう。

 そしてレイの模擬戦の相手として集められた者達にとっては、ランクS相当のセトと戦わなくてもすむという安心感を抱く者の方が多い。

 中には何人か、セトと戦ってみたいと考えている者もいたが……そう思っているのは、高ランク冒険者や異名持ちのように自分の力に自信を持っている者だけだ。

 ともあれ、セトに視線を向けている者がいても司会の男は言葉を続ける。


「知っての通り、これは模擬戦です。前もって決められた集団が一つずつレイと戦うということになっていきますが、当然模擬戦なので相手を殺すような真似をしてはいけません。本来なら、模擬戦用に刃を潰した武器を用意する必要があるのですが……」


 司会の男は、そこで一度言葉を止め、レイの模擬戦相手の冒険者達を見る。

 その中には巨大なバトルアックスや、極端に刀身が曲がった曲刀、それ以外にもレイが初めて見るような武器を持っている者もいる。

 また、レイの持つ武器でも槍はともかく大鎌は模擬戦用に刃を潰して同じような武器を作るというのは難しい。

 ましてや、両方ともにマジックアイテムなので、模擬戦用の武器を作っても意味はない。


「それぞれ自分の武器があるということで……相手を殺さないようにお互いが気をつけるということで話は纏まっています。また、回復魔法の使い手も用意していますし、致命傷も治せる稀少なポーションも用意してあるので、死ぬ確率は少ないでしょう。……では、最初に模擬戦を行うグループはここに残り、それ以外の人達は一旦舞台から退去して下さい!」


 司会の男の声が、舞台の上に響き渡るのだった。

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