第1812話

 レイが冒険者達と模擬戦を行う為の舞台は、すぐに完成した。

 闘技場のようなきちんとした舞台を作るのではなく、その日だけ模擬戦を行うことが出来ればいいという程度の物なので、かなり粗雑な作りとなっている。

 だが、それに文句を言う者は殆どいない。

 中には、賭けに影響してくるのではないかという思いを抱いている者がおり、そのような者達は何人かが多少気にはしていたが……その程度だ。

 多くの者は、これから行われる……いや、既に多く出ている屋台で食べ物を買ったりしながら、非日常的な時間を楽しんでいる。

 そんな中、レイは控え室として用意された小屋の中にいた。

 こちらは一応掘っ立て小屋ではなく、しっかりとした部屋といった様子で、中にも暖房のマジックアイテムが用意されており寒くはない。

 とはいえ、レイは元々ドラゴンローブを着ているので、それこそ現在の外の気温くらいでは、特に寒くも思わないのだが。

 何より、寒いと思えば……


「グルルゥ」


 レイの前にいるセトに触れれば、十分に暖かい。

 もっとも、そのセトは小屋の外に視線を向けて外に出たがっているのだが。

 屋台が幾つも並んでいる為に、ここまで食欲を刺激する匂いが漂ってくるのだ。

 特に五感の鋭いセトにとっては、小屋の中にいても外から漂ってくる匂いを完全に遮断するようなことは出来ない。


「我慢しろ。今の状況で俺達が外に出れば、間違いなく人が集まってくるだろうからな。そうならない為には、屋台を見て回るのは模擬戦が終わってからだ。……まぁ、セトの気持ちも分からないではないけどな」


 セトを落ち着かせるように撫でつつ、ミスティリングからガメリオンの干し肉を取り出し、与える。

 普通の干し肉ならセトも満足しなかっただろうが、ガメリオンの干し肉はとにかく美味い。

 お腹減ったから外に何か食べに行こうと視線で訴えているセトも、その干し肉の味には満足したのか、それ以上は外に行こうと態度で示すようなことはなかった。


(ここに連れて来たのはいいけど、結局模擬戦をするのは俺だけなんだよな)


 干し肉を食べているセトを見ながら、レイはしみじみと思う。

 本来なら、レイの持つ深紅という異名はレイだけで手にしたものではなく、セトと共に行動したことによって得たものだ。

 そうである以上、本来なら深紅の実力を見たいというのであれば、当然セトも模擬戦に参加してもおかしくはなかったのだが……模擬戦に参加する予定の冒険者や、貴族に仕えている騎士や兵士達から待ったが掛かってしまったのだ。

 曰く、グリフォンのようなランクAモンスターとは戦えない、と。

 実際にはセトは希少種と認識されているのでランクS相当のモンスターなのだが、それを知らなかったのは運が良かったのか悪かったのか。

 それを知ったとしても、結局セトと戦いたくないという声がどうにかなる訳ではなかったが。

 いや、寧ろランクS相当ということで、余計にその声は大きくなっただろう。

 だというのに、セトがここにいるのは……リベルテからの要請があった為だ。

 セトという存在を街の皆に見せて、セトが街中を歩いても驚かせないようにする。

 そう言われれば、レイにも引き受けるという選択肢しか存在しない。

 実際、レイとセトがアネシスを出歩く度にレオダニスのようにケレベル公爵騎士団から騎士を一緒に連れて歩くといった真似をするのは、非常に手間だし、騎士も訓練を中断させられることになる。

 だからこそ、多くの者が集まるこの場でセトの存在を見せつけ、危険な存在ではないということを示す必要があったのだ。

 特に現在は祭りに近い雰囲気である為に、色々な面で大らかになっている者が多い。

 そんな状況でセトという存在を見せつければ、普通に暮らしている時よりもアネシスの住民は受け入れやすいと、そう判断したのだろう。

 レイもそんなリベルテの考えを理解している為に、それを断るという選択肢はなかった。

 今回の一件が無事に終われば、セトと一緒に自由に出歩けるということになるのだから。


「そんな訳で、今日だけはもう少し我慢してくれ。一応ミランダに屋台で美味そうな料理が売ってたら買ってくれるように言っておいたから」

「グルゥ……」


 レイの言葉に、ガメリオンの干し肉を食べ終わったセトは、渋々といった様子で喉を鳴らす。

 屋台で売っている料理を食べることが出来るのはセトも嬉しいのだが、やはりそういう料理は後で食べるのではなく、その場で食べるのが一番美味いと理解しているのだろう。

 レイも、その気持ちは分からないではない。

 普段から屋台で売ってる料理を食べてはいるのだが、こういう祭りではその場の雰囲気とでも呼ぶべきものを味わうのが楽しいのだから。

 それこそ、日本にいる時に行われていた夏祭りで、キャベツだけが大量に入っていて、それ以外の具は雀の涙程度しか入っていないお好み焼きだったり、たこが入っていないこともあるたこ焼きといった料理でも、祭りの雰囲気を味わいながらであれば十分に美味く感じられた。

 その手の料理を家に持って帰って、翌日に電子レンジとかで温めて食べても、とてもではないが美味いとは思えなかったのだ。

 それだけ祭りの雰囲気というのは大事なのだから、出来ればそんな雰囲気の中で料理を食べたいとセトが思ってもおかしくはない。


「あー……その、何だ。模擬戦が終わった後で、まだ時間があったら屋台を回ってみるか?」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。

 そんなやり取りに、小屋……いや、控え室の外に立っている警備兵が若干驚く。

 貴族の誰かが妙な真似をしないようにこうして控え室の前に立っていたのだが、いきなり背後からセトの鳴き声が聞こえてきたのだから、それも当然だろう。

 それでもセトの鳴き声にパニックにならなかったのは、単純にセトという存在に多少なりとも慣れたからか。

 何度かセトを連れてケレベル公爵邸の庭や訓練場といった場所を出歩いているので、まだ怖がっている者はいるのだが、幸いにもここに配置されていた警備兵はそれ程でもない。

 いや、だからこそ、この控え室の警備に回されたのだ。

 警備兵達はお互いに同僚の顔を見て、お互いに笑みを浮かべる。

 その笑みの中に若干の苦笑が混ざっていたのは、そうおかしな話ではないのだろう。

 表でそのようなことが行われているとは知らないレイは、そのままミスティリングから幾つかの料理を出してはセトと共に楽しむ。

 そうしてセトと戯れていたレイだったが、それから少しして控え室の扉がノックされる。


「何だ?」

「模擬戦の準備が出来たらしい。セトと一緒に舞台まで来て欲しいとのことだ」

「分かった。じゃあ、セト……行くか」

「グルゥ」


 丁度オーク肉を柔らかくなるまで煮込んだシチューを食べ終わったセトは、レイの言葉に機嫌良く喉を鳴らす。

 そんな嬉しそうなセトを見れば、レイもこれから行われる自分の模擬戦はともかく、リベルテが考えたセトのお披露目は上手くいくだろうと判断する。

 セトが楽に出入り出来るように普通よりも大きめに作られた扉から外に出ると、そこでは警備兵と舞台に来るようにという連絡を持って来たのだろう男が一人、立っていた。


「こちらです。レイ様」


 連絡を持って来た男はまだレイに慣れていないのか、若干戸惑いながら……そしてセトの姿に畏怖を抱きつつ、そう告げてくる。


「レイ、俺達も一応護衛として一緒に行くから……いや、その様子を見る限りだと、別に緊張はしてないみたいだな」

「当然だろ。俺が今までどのくらいの戦いを経験してきたと思う? なぁ、セト」

「グルルゥ」


 小屋から出たことによって強くなった食欲を刺激する匂いに気を取られていたセトは、レイの言葉で我に返ったように喉を鳴らす。


「ほら、屋台の方は後回しだ。賭けで勝った金額で、好きなだけ食べさせてやるからな」


 そう告げるレイの言葉に、約束だよと言いたげに尻尾を揺らす。

 そんなセトを撫でながら、レイはミランダから聞かされた賭けについて思い出していた。

 今回の模擬戦における賭けは、かなり細かい場所まで決められているらしい。

 レイが何人を相手に勝ち残れるか……正確には模擬戦に参加する者の数が当初の予想を超えた為、レイと模擬戦をする者達はある程度のグループ分けをされており、その何組目までをレイが勝ち残れるかといった具合に。

 本来ならレイが全勝するというのが大穴になる筈だったのだが、胴元をやっている者もしっかりと情報は集めているのだろう。レイが全勝するという項目は倍率は高いものの、大穴と呼ぶ程ではない。

 それでもレイがミランダに預けた金額を思えば、勝った金額で屋台の料理を食べるといったことは容易に出来る筈だった。

 もっとも、それはあくまでもレイが模擬戦に勝利したらというのが前提なのだが……レイはその辺に関しては問題ないだろうと判断している。

 自分の強さに対する自信もあるし、何より今までレイが戦ってきた相手を考えれば、模擬戦で戦う程度の相手に負ける訳にいかないという思いもあった為だ。

 とはいえ、それで油断をしては意味がないので、模擬戦は真面目に行うつもりだったが。

 セトを撫でながら、レイは案内人や警備兵と共に模擬戦の舞台に向かって進む。

 一目レイを見ようと思ってか、舞台に行く前にもそれなりの者達がまだ周囲に残っていた。


(もっと本格的な闘技場とかなら、選手入場の際に誰にも見えないようにとかするんだろうけど。まぁ、今回の模擬戦だけの為に作った場所だから、無理もないか)


 そう思うレイだったが、実際にはこの模擬戦の舞台……そして屋台を出しているこの一帯の周囲には、安全の為に騎士や警備兵、冒険者といった者達が配備されている。

 特に冒険者は、模擬戦をやるつもりはないが、ただ立っているだけで金になるということから、レイと模擬戦は行いたくはないが金に困っているといった者達に喜ばれた。

 実際、アネシスのすぐ側というこの場所では、モンスターや盗賊が現れるような可能性はかなり低い。

 勿論本当にその手の者達が現れた場合は戦わなくてはならないのだが、恐らく……いや、ほぼ確実にそのようなことはないだろうというのが、警備をしている者達の考えだった。

 自分から望んでこの仕事を受けた冒険者とは違い、騎士や警備兵は上からの命令として警備についている。

 おかげで、不意に開かれたこの祭りを楽しんだり、異名持ちの冒険者が行う模擬戦を見たり出来ない。

 そういう意味では、その騎士や警備兵達は不運だったのだろう。

 そんな運の悪い者達に思いを馳せながらも、レイはセトと共に模擬戦の舞台に案内され……


「っ!?」


 不意にレイは立ち止まり、鋭く周囲を見回す。


「お、おい。どうしたんだ?」


 レイと一緒に移動していた警備兵が、突然のレイの行動に戸惑う。

 いや、突然の行動を起こしたのはレイだけではなく、セトの方も同様だった。

 いつ何かが起きてもいいように軽く身を伏せ、周囲を警戒する。

 そのまま一分程が経ち、そこでようやくレイは警戒を解く。


(気のせい? ……いや、あの俺に向けられた視線は、間違いなく存在した。殺気も何も感じない、それこそ何かを観察するかのようなそんな視線)


 だが、その視線はレイが反応した瞬間には消えていた。

 それこそ先程感じた視線が嘘だったかのように。

 今の視線を感じたのが未熟な者であれば、もしかしたら感じた視線は気のせいだったのではないかと、そう思っても不思議ではない。

 それ程唐突に、視線は消えたのだ。


「な、なぁ。おい。本当にどうしたんだよ? いきなり……」


 今のレイの様子から、迂闊に刺激するのは危険だと判断したのか、警備兵は恐る恐るといった様子で声を掛けてくる。

 そんな警備兵の様子を見ながら、今の視線は感じなかったのだろうと判断した。


「……ちょっとな。妙な視線を俺に向けてきた奴がいた」

「妙な視線? まぁ、レイとセトは目立つし、そんな視線を向けてくる奴がいてもおかしくはないと思うが」


 ようやく言葉を返したレイの様子に安堵しながら、それでもレイの言ってることが分からない様子で、警備兵は首を傾げる。


「そういうことじゃないんだけどな。……ただ、まぁ……少しだけ模擬戦が楽しみになってきたな」


 少数の腕利きとの戦いのみが楽しみな模擬戦だったが、今の視線の持ち主は間違いなくそんな尺度では測れない相手だ。

 そのような相手である以上、恐らく今回の模擬戦にも参加しているのだろうと判断し、レイはセトと共に舞台に向かって進み始める。






「思っていたよりも視線には敏感、か。……なるほど、強敵だ。深紅、か。面白そうな相手だな」


 直接レイとセトに視線を向けず、少しだけずれた場所を見つつ、その男は小さく呟き……その場から立ち去るのだった。

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