第1805話

 ブルーイットとの会話は盛り上がったが、薄暗くなってきたということで、結局あの公園で別れることになった。

 貴族らしくない貴族で、マジックアイテムにも興味があるという、レイから見てみれば非常に珍しい貴族でレイも友好的に接することが可能な相手。

 そのような相手だけに、レイもどこに泊まっているのかといったことを聞き、宿を教えて貰った。

 逆に、ブルーイットはレイがどこに泊まっているのかということを聞かなかったのは……既にそれを知っていたからだろう。

 レイがケレベル公爵家に客人として招かれているという情報は、既に貴族の間に広がっている。

 それだけに、わざわざ聞く必要もなかったのだろう。

 ともあれ、予想以上にブルーイットと話していた為に、ケレベル公爵家に戻ってきた時には既に完全に日が暮れていた。

 もっとも今は冬だけに、日暮れは早いのだが。

 レイと離れるのを残念がっていたセトだったが、明日また会えるというのと、ミランダが美味い料理を運んできてくれるということで、何とか大人しくなった。

 ……厩舎の中で寝ていたイエロが、セトが帰ってきたことで起きたので、セトの寂しさもすぐに収まったのだが。

 そうして部屋に戻ると、そう時間が経たず夕食の時間となる。


「レイ、アネシスを見て回っていたそうだが、どうだった?」


 食事の最中、リベルテがレイに聞く。

 ケレベル公爵という立場にある者にとって、やはりアネシスという自分が育ててきた場所を他者がどう思ったのかは気になるのだろう。

 ましてや、レイはギルムの増築工事に関しても色々と関わっているだけに、余計に対抗心が湧いてもおかしくはない。


「そうですね。やっぱりミレアーナ王国第二の都市というだけあって、人が多いと思いました」


 スープを飲む手を止めてそう答えるレイ。

 そう答えるのは、リベルテも予想していたのだろう。特に驚いた様子を見せずに頷き、話の先を促す。


「他にも都市という規模だけあって店の数も多かったですね。ああ、それとゴミがあまり落ちてないのが凄いと思いました」

「うむ。それについては雇用対策という面もあってな。それに、今は冬だからいいのだが、夏になるとゴミがあれば色々と問題もある」


 食事中だからはっきりとは言わなかったが、それは悪臭が漂い、蠅の類が発生することを嫌がっているのだろう。

 勿論それ以外にも、景観の問題だったりといったことが理由にはあるのだろうが。


「アネシス以外でも、出来れば同じようにしたいのですけどね」


 ふぅ、と。

 アルカディアが、少しだけ残念そうな雰囲気と共に呟く。

 ……それでいながら、その肌はここ最近夜の生活が活発になっている為か、非常に艶々としているのだが。


「母上がやりたいことも分かりますが、村では自分達が生きていくのにやっと……という者も多いです。どうしても、アネシスのように人手を用意するのは難しいのでは?」

「そうね。もう少し人が多ければいいのだけれど、そうもいかないし」


 呟きながら、アルカディアはサラダを口に運ぶ。

 冬というこの時季に、生野菜を用意するというのはかなりの財力や権力といったものが必要となる。

 錬金術によって冬でも野菜を育てることが出来る温室に近いものを用意しているからこそ、こうして夕食にサラダが出るのだ。

 これも、ゲオルギマがケレベル公爵に雇われる時に出された条件の一つだ。

 冬という時季だからこそ、美味く野菜を食べられるようにするというのは、料理人のゲオルギマにとっては興味深い案件だった。

 とはいえ、冬に美味く野菜を食べられるようにする為には、それこそ野菜の品種改良も必須となる。

 ここ数年は農業に詳しい人物を雇い、それをどうにかしようとしていた。


(初日の食事に比べると、随分と楽になったよな)


 初日にはリベルテやアルカディアから、強烈なプレッシャーを掛けられたレイだったが、今はもう普通に食事をすることが出来ていた。

 それはレイがプレッシャーに慣れたからというよりも、二人がレイにプレッシャーを掛けなくなっていた、というのが正しいだろう。

 おかげで、レイも純粋にゲオルギマの作った料理を楽しむことが出来ている。

 とはいえ、今日の夕食で用意されたのは初日に用意した肉一枚でフルコースを味わえるといったような料理ではない。

 普通の――あくまでもケレベル公爵邸にとってのだが――料理だ。

 初日の料理は、やはりレイが最初にやって来た日ということで、ゲオルギマも気合いを入れて作ったのだろう。

 それは料理でレイに美味いと言わせて、ラーメンについて教えて貰うというのが最大の理由だったのだろうが。


(あ、もしかしてこの料理も、ラーメンの研究の成果なのか? ……ゲオルギマの性格を考えると、ないとは言い切れないんだよな)


 勿論、ラーメンの研究で出来た料理の後始末として、目の前のテーブルに広がる料理がないとも限らない。

 だが、もしその場合であっても、ほぼ間違いなくそれは料理にきちんと手を入れているだろう。

 実際にこうして目の前の料理を食べると、十分に美味いのだから、レイにとってはそれで十分だったが。


「それで、レイはゲオルギマにラーメンという料理を教えたとのことだが……よかったのか?」

「え? あ、はい。俺も食べてみたいとは思っていた料理なので。寧ろ、ゲオルギマが作れるのなら大歓迎です」


 ラーメンについて考えていたレイは、不意にそのことについて聞かれ、慌てて言葉を返す。


「特別な料理は、そこでしか食べることが出来ない。それがアネシスの発展に貢献してくれるのであれば、私からは何も言うことはない。いや、寧ろこの場合は感謝の言葉を口にしてもいいだろう」


 リベルテの口から出た言葉は、決して間違いではない。

 実際、特色のある料理というのがもたらす発展というのは大きい。

 もっとも、レイがイメージしているのはあくまでも日本のことだ。

 日本程に交通システムが発達しておらず、盗賊やモンスターによって旅路も安全とは呼べないエルジィンにおいて、レイが思っている程に料理は強い影響を及ぼさない。

 その料理が美味ければ食べた者達が広げるので、全くの無意味という訳ではないだろうが。

 事実、ギルムは商人や冒険者達の間ではうどん発祥の地としても知られるようになっており、そのうどんもギルムを起点として、人の流れに沿うように広まっている。

 港街エモシオンにおいても、海鮮お好み焼きが広がっているのは、この屋敷でレイが食べたことから明らかだ。


「そうかもしれませんね。ただ、今回教えたラーメンというのは、かなり難しい料理です。特殊な調味料や食材を必要とするものも多いのですが、残念ながら俺はその辺りに詳しくありませんし」

「聞いている。豆を使った調味料や、なにやら奇妙な液体が必要とのことだったな。難しいだろうが、一応探させてはいる。レイが書物で見たという以上、どこかにその調味料が残っている可能性はあるし、それでなくても知識は残っているかもしれないからな」

「あー……はい。そうですね」


 まさか、ラーメンの素性を話す訳にもいかず、レイはそう言って適当に誤魔化す。

 味噌や醤油、かん水といったように、ラーメンを作る上で必要な調味料や食材が本当にこのエルジィンに存在するのかどうかも分からない。

 豆は普通にある以上、恐らく大丈夫だとは思うが……それは、半ば希望的な観測に近い。

 特に問題なのは、かん水だ。

 味噌や醤油であれば、その作り方は正確には分からずとも、大豆を使って作るというのは知っている。

 だが、かん水というのは、その名前から液体なのだということは分かっても、何をどうやって作るのかが全く分からない。


「ただ、その調味料や食材がないと、ラーメンとはいえず、俺がギルムで教えたうどんの亜種……といった料理になるかと思います」

「そうか。だが、ゲオルギマのことだ。恐らく苦戦はするだろうが、最終的にはラーメンとやらを完成させるだろう」

「だといいんですが」


 ふと、ラーメンの代わりにパスタでも教えればよかったかと思ったが……生憎と、レイはラーメンの麺以上にパスタの作り方を知らない。

 レイが食べたことがあるパスタは、スーパーで売っている乾燥したパスタのみだ。

 一応生パスタというのがあるのは知っているが、レイは食べたことがない。

 それこそ、下手をすればラーメン以上に麺の作り方は知らない。


(蕎麦なら、ある程度分かるんだけど。……蕎麦がこの世界にあるのかどうかも分からないしな)


 蕎麦はレイの親戚の家で育てていたこともあって、収穫を手伝ったことがある。

 また十割蕎麦という話を何かで聞いたことがあったので、恐らく蕎麦粉と水があれば蕎麦は出来る筈だった。

 それこそ、かん水のようなレイが全く知らない材料を使うよりは、余程分かりやすいだろう。


(あれ? やっぱり最初から蕎麦を教えた方が……いや、そもそも蕎麦を食べる習慣がないみたいだし。蕎麦の実から探すのは、今の季節を考えると無理か)


 うどんの出汁と蕎麦の出汁は、厳密には色々と違うのかもしれないが、レイが日本にいる時は同じ出汁……鶏肉を使った醤油出汁でうどんも蕎麦も食べていたので、特に問題は感じられなかった。

 もっとも、それでは結局うどんとは別の麺を食べるということではあっても、味の決め手となる出汁は同じである以上、別の料理と表現するのは難しいかもしれないが。

 日本人であれば、別の料理と断言出来てもおかしくないが、生憎とここは日本ではなくエルジィンにあるミレアーナ王国だ。


「とにかく、俺もラーメンは食べてみたいと思っていました」


 そう告げるレイの言葉は、正真正銘本音だ。

 このエルジィンという世界にやってきて、色々な料理を食べた。

 特にモンスターの肉は、ランクが上がる程に魔力が影響してか美味くなる。

 オークの肉は、それこそ日本にいた時に何度か食べたことがあるブランド肉と比べても数段は美味い程だ。

 そのような肉を使った料理は美味いのだが……それでも、日本にいた時に食べた料理を食べたくなる。

 米があればよかったのだが、生憎と今のところ米を見つけるようなことは出来ていない。


「レイがそこまで食べたくなる料理なのね。貴方、私も食べてみたくなったわ」


 アルカディアもレイの言葉に興味を惹かれたのか、食べたそうにする。

 艶やかと表現すべき視線が夫に向けられ、夫の方はそんな視線に小さく咳払いをしていた。


「あー……けど、ラーメンは言ってみれば庶民の食べ物なので、貴族の人の口には合わないかも」

「あら、本でしか知らないのに、随分と詳しいのね」

「本の方にも、庶民の食べ物だと書いてあったので」


 アルカディアの言葉に一瞬だけ驚いたレイだったが、何とかその動揺を押し隠す。


「そうなの?」

「はい。実際、うどんもそうですけど、ラーメンも麺を啜って食べる料理ですから、特に貴族の人には合わないかと」


 啜るというのは、この世界はおろか、地球的に見てもあまり多くはない文化だ。

 いや、当然啜るという食べ方があるのは知られているが、大抵は行儀が悪いとされている。

 ギルムであれば、うどんを食べているのは殆どが一般人で、啜るという行為に最初は戸惑っていたが、それでもすぐに慣れた。

 だが、貴族が……それも貴族派を率いるケレベル公爵の一族がそのような行為をするというのは、色々な意味で不味いように思われる。


「啜る……それは……」


 アルカディアにとっても、啜るという行為は予想外だったのか、驚きの表情を浮かべる。

 だが、その表情に浮かんでいるのは、あくまでも驚きだ。

 嫌悪や忌避といった色はない。


(そう言えば、ケレベル公爵領を見て回ってるって話だったな。だからか?)


 一般人と接する機会が多いからこそ、啜るという行為にレイが予想していたよりも嫌がらなかったのか。


「そう言えば、メイドから聞いたがエグゾリス伯爵家のブルーイットと街の中で会ったって?」


 雰囲気がどこか微妙なものに変わったからか、エレーナがそう話題を変えてくる。

 レイはそれに乗り、頷きを返す。


「ああ。伯爵家の次期当主とは思えないくらい気さくな奴だった。ただ……かなりの腕だな」


 少なくても、レイから見てレオダニスよりは明らかに上の実力を持っていると判断出来た。

 毎日の訓練を重ねている騎士のレオダニスと、戦闘訓練はしているのだろうが、伯爵家次期当主という立場である以上、貴族としての仕事に恐らく時間の大部分をさかれているブルーイット。

 だというのに、実際に戦ってみれば明らかにブルーイットが勝つとレイには判断出来る。

 才能の差というのは、悲劇的なまでに大きいのだろう。

 そう思いながら、レイは話を進めるのだった。

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