第1788話
「ふーむ、骨を長時間煮込むのか」
「ああ。そうすると白濁してくるから、それに塩なりなんなりで味付けすればいい……んだと思う」
豚骨スープについて説明しながらも、レイは若干自信なさげな様子で告げる。
醤油豚骨とかいうのはカップラーメンで見た覚えがあるし、TV番組でも見た記憶があるのだが、純粋な豚骨ラーメンがどのような味付けだったのかと言われれば、あれ? となって思いつかない為だ。
美味いというのは印象に残っているし、TV番組で豚の骨を長時間強火で煮込んでいるというのは見たことがあったので何となく覚えていたのだが、具体的にどのような味付けをしていたのかというのは、覚えていない。
(醤油豚骨というのが別にあったってことは、標準の豚骨ラーメンは塩味なのか? いやまぁ、その辺りはゲオルギマが考えて、調整していくだろうから、そっちに任せるしかないか)
結局レイに出来るのは、料理の詳細を教えるようなことではなく、あくまでもこういう料理があって完成形がこういうので……というのを教えるだけなのだから。
「レイ、骨を長時間煮込むとなると、骨についている肉の方はどうするんだ?」
「……さぁ? でも豚骨ってくらいだから、多分必要なのは骨だけじゃないのか?」
「となると、煮込む前に骨についている身をしっかりと取っておいた方がいいのか」
「でも、ゲオルギマさん。骨を長時間煮込むとかなり悪臭が出たりしますよ? それはどうするんですか?」
以前骨を煮込んだ経験があるのだろう料理人が、レイと話をしているゲオルギマにそう尋ねる。
尋ねられた本人は、少し考えてから口を開く。
「一度強火で煮込んで灰汁を取ってから、改めて煮込むってのがいいだろうな。骨についている肉も、それで落ちるだろうし。後はその骨をもう一度煮込む時に臭い消しの為に香味野菜を入れるとかだな」
長ネギやショウガといった野菜に似た野菜はエルジィンにも存在している。
それを使ってスープの臭みを取るという調理法も、スープの類はかなり発展しているこの世界では珍しくはない。
「それと、基本的に豚骨スープってのはスープが白濁したら完成だ。いや、白濁してからも煮込み続ける必要があるかどうかは分からないけど、少なくても俺が知ってる限りでは豚骨スープってのは、白濁している」
そう告げるレイに、ゲオルギマは少しだけ不思議そうな視線を向ける。
俺が知ってる限りという言葉は、まるでレイがその豚骨スープというのを自分の目で見たことがあるような気がしたからだ。
文章だけでその料理の大枠を知っているにしても、その言葉には若干の違和感がある。
それこそ、知識だけではなく実際にそのラーメン……豚骨ラーメンという料理を知ってるのではないかと思える程に。
これはレイがラーメンを食べたいと思って熱心に説明したという理由もあるが、それ以上に料理に関してはゲオルギマが鋭いというのが大きい。
料理については非常に熱心なゲオルギマだけに、そこに何らかの勘のようなものが働いたのだろう。
とはいえ、ゲオルギマがそれを指摘するようなことはない。
ゲオルギマはレイを追求するのではなく、あくまでも料理の知識を深めたいのだから。
もっとも、後日他の料理の知識も手にいれられる? と思わなかった訳ではない。
「スープについては分かった。俺達の持っている技術で流用出来そうなのもそれなりにあるから、出来ないことはないだろう。そうなると、他に必要だったのは具と麺か? 冷やし中華というラーメンは後にして」
「ゲオルギマさん、豚骨スープというのは豚骨ラーメンのスープであって、塩ラーメンってラーメンのスープについては聞いてませんよ」
「……そう言えばそうだったな。レイ。そっちはどうなってるんだ?」
「塩ラーメンの方は、豚骨ラーメンよりも手間が掛からない……筈だ」
断言出来ないのは、やはりレイが自分の手で塩ラーメンを作ったことがないからだろう。
インスタントラーメンやカップラーメン、それよりはちょっと手間の掛かる生ラーメンの類は作ったことがあるが、本格的な意味で塩ラーメンを作ったことはない。
「鶏の骨とか魚介類……とかを煮込んでスープを作るらしいけど、塩ラーメンは豚骨ラーメンみたいにスープは白濁していない。透明……ってのは言いすぎだけど、そんな感じのスープになる。味付けは勿論塩だ。ああ、ちなみに豚骨の方は悪いけど、どんな味付けなのかは分からない。俺が知ってる限りだと、豚骨醤油ラーメンとかあったみたいだけど、醤油を知らないんだろ?」
「ああ。残念ながらな。ケレベル公爵にそういう調味料がないかどうかを探して貰うつもりではいるんだが……こう見えて、俺は料理には拘る男だ」
ゲオルギマがそう言った瞬間、その場にいた皆が内心でそれは知っていると叫んでいたが、叫ばれた当の本人はそんなことに気が付かずに少しだけ自慢げに笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「そんな俺が知らないってことは、普通に考えればまず入手するのは不可能に近い筈だ」
「つまり、醤油や味噌を入手出来ないことを前提でラーメンを作るしかない訳か」
「そうなるな。……正直なところ、レイが知ってる料理の味そのものを再現したいという思いも強いんだが……かん水だったか? それがない時点で、完全な再現は無理なんだろ?」
「それは否定出来ないな。かん水ってくらいだから、恐らく何らかの液体だとは思うんだが……」
さっぱりだ、と。
そう告げるレイ。
ゲオルギマもそんなレイの言葉は予想していたので、特に責めるようなことはなく塩ラーメンについての話に戻る。
「それで塩ラーメンってのはスープに塩で味付けする必要がある訳だな?」
「そうだな。見た目だけではなく、味にも透明感がある……って書かれていたような気がする」
透明感のあるスープという表現は、レイがTV番組か何かで見た代物だ。
……本人は透明感のある味のスープと言われても、それがどういうものなのかが分からない以上、具体的な味のアドバイスをするようなことは出来なかったが、少しでもゲオルギマの参考になればと思っての言葉。
そしてレイのその言葉を聞いたゲオルギマは、何か思うところがあったのか納得したように頷いていた。
周囲の料理人達は、何故今の透明感のある味という言葉だけでゲオルギマが納得しているのか理解出来なかったが、それはゲオルギマだからと言われれば納得せざるをえない。
「まぁ、スープについては大体理解した。聞いた話だと今すぐにどうこう出来るような代物じゃないから、じっくり研究していく必要があるだろうな。……次は、具についてだ」
「具もラーメンの種類によって色々と違うけど、共通しているものはチャーシュー、ゆで卵、メンマくらいか。他にも色々とあるけど」
「チャーシューというのは?」
「肉だな。味を付けて焼いたり煮たりした肉を少し厚めに切って載せる」
「それは取りあえずどうにか出来そうだな」
そう言うゲオルギマだったが、基本的にチャーシューは焼くにしても煮るにしても、醤油ベースの味となっている。
少なくてもレイが知ってる限りでは、そうだった。
(まぁ、無理に醤油で作らなくても、ゲオルギマならラーメンに合ったチャーシューを用意出来るからいいか)
そう判断するレイだったが、肉のどの部位を使うのかという質問にはバラ肉とロース肉……脂身の多い肉と脂身の少ない部分とだけ答えるに留まる。
もしかしたら他の部位でチャーシューを作ったりもするのかもしれないが、レイはそのくらいまでしか覚えていなかったのだ。
「チャーシューは理解した。後はゆで卵か。名前から考えて、卵を茹でればいいのか?」
「そうだ。ただ、普通のゆで卵よりも一段階上の奴には、味付けゆで卵だったり、燻製したゆで卵だったりがある」
「……は? 味付けはまぁ、何らかのスープに浸しておけばいいだろうが、燻製だと? 卵をか?」
燻製という技術は、保存食を作る上で重要なこともあり、当然のようにエルジィンでも広がっている。
だが、それでも……いや、だからこそなのか、ゲオルギマの中にはゆで卵を燻製にするという発想はなかった。
(本当なら半熟にするのがいいんだけど……こっちの世界では基本的に半熟とか生で食べたりはしないらしいんだよな。半熟ゆで卵の燻製ってのは、どう作るのか分からないけど)
レイが知っている燻製の方法というのは、当然のように何らかの木を燃やしてその煙で燻すという方法だ。
だが、当然木で煙が出てくるとなれば、熱も一緒に伝わってくる筈だった。
つまり、半熟のゆで卵を燻製にしても、結果として普通の完熟のゆで卵になるのではないかというのが、レイの疑問だった。
とはいえ、日本にいる時はスーパー等で普通に半熟の燻製卵が売っていた以上、しっかりと何らかの方法はあって、レイがそれを知らないだけなのだが。
「で、メンマ……これはどのような具材だ?」
「タケノコって言って分かるか?」
一応といった様子で尋ねるレイだったが、恐らく知らないだろうという思いの方が強かった。
それだけに、ゲオルギマや料理人達がそれぞれ頷いたのを見て、少しだけ驚く。
とはいえ、似たような食材でも地球と同じ名前のものがあったり、地球とは全く違う名前のものもある。
そう考えれば、タケノコを知っていてもおかしくはない。
(ギルムでタケノコってあったっけ?)
タケノコ好きなレイとしては、タケノコという言葉が通じるのは嬉しかった。
「そのタケノコは、どういうタケノコだ? 俺が知ってる限りだと、大きいのと小さいの……太いのと細いのと表現した方がいいのかもしれないけど、二種類あるんだが」
「どっちもあるぞ。ただ、ケレベル公爵領で食べられるのは、大きな方が多いけどな」
「小さいのだと、皮を剥くのが大変なんだよな」
「そうそう、爪の間が痛くなって」
ゲオルギマの言葉に、周囲の料理人達がそれぞれに感想を言い合う。
……ネマガリダケの皮を剥くのが大変なのは、それこそレイもまた毎年経験していたことなので、思わず料理人達の言葉に同意してしまう。
「その大きいタケノコだな。ただ、それを使うってことは分かるけど、具体的にどんな風に作るのかは分からないんだよな。それに醤油を使って味付けしてるから、再現する為には他の味付けで考えないといけないし」
「……ここでも醤油、か。何だかレイの知ってる料理は、醤油を使ったものが多いな。本に載っていたって話だったけど、どこか同じ時代、同じ地域の料理なのか?」
「どうだろうな。言われてみれば醤油を使った味付けが多いから、そうかもしれないな」
「そうなると、やっぱりどうにかして醤油を作る必要があるんだが……本当に分からないのか?」
「似て非なる調味料の作り方なら大体分かるんだけどな」
そう告げたレイの言葉に、ゲオルギマの視線が鋭く光る。
「どんな調味料だ?」
「魚醤……その中でも俺が知ってるのは、しょっつるっていう調味料だ。ただ、これはハタハタって魚を使った奴だから、その魚がいるのかどうか分からないし、もしいなければ同じ製法で別の魚醤を作ることになるから、味がどうなるかは俺にも分からない」
「それでもいいから教えてくれ」
「……あくまでも、大体だぞ?」
そう言い、レイはしょっつるの作り方を説明していく。
とはいえ、レイが知っているしょっつるの作り方はそう難しいものではない。
しっかりと洗ったハタハタの頭とエラを切り、内臓ごとぶつ切りにして、塩漬けにする。
そうして発酵したらこして、出来上がりというものだ。
正確にはもっと様々に複雑な工程があるのだが、残念ながらレイが知っているのはそれだけだった。
「ふむ、それと全く同じかどうかは分からんが、港街や漁村といった場所で似たような調味料が作られていると聞いたことはあるな」
「あー……だろうな」
極端な話、魚醤というのは魚と塩があれば容易に作れるのだ。
若干癖のある調味料だが、それだけに旨みも強い。
それだけに、塩と魚に関しては困らない港街や漁村でこの類の調味料があるというのは、当然のことだったのだろう。
「まぁ、それはともかく……最後は麺な訳だが……基本的に材料はうどんと同じく小麦粉と水の二つでいい。ただ、これにかん水ってのが必要なんだよな」
「で、そのかん水ってのの正体が分からないと。それでラーメンの麺ってのはうどんとどう違うんだ?」
「まず食感が違うし、のどごしも違うな。色はうどんに比べて黄色になっている」
「それがかん水の効果と考えていいのか?」
「……いや、黄色いのは卵が入ってるから、かも? あー……悪いけどちょっと分からない」
そう告げるレイの言葉に、ゲオルギマは少し考え……やがて、頷いてから口を開く。
「分かった。なら、取りあえず作ってみるから、それをレイが食べてどこがおかしいのかを指摘してくれ」
「いや、それは構わないけど……俺がここにいるのは、新年のパーティーが終わるまでだぞ?」
ゲオルギマの料理の腕は昨夜の料理で知っている以上、ゲオルギマが作った料理を食べられるというのであれば、断るつもりはない。
だが……いつまでもケレベル公爵領にいる訳ではない以上、ラーメンの完成までここにいるという訳にはいかなかった。
「それくらいは分かってるよ。取りあえずレイがギルムに戻るまでには完成させてみせる。……それが駄目なら、最悪俺がギルムまで行けばいいだけだしな」
そう言うゲオルギマだったが、他の料理人達はそれを必死に止めるのだった。
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