第1782話

 エレーナが去って、部屋に残っているのはレイとメイド一人だけとなる。

 メイドはエレーナが去ったのと入れ替わるように入ってきたので、レイとエレーナがどのようなやり取りをしていたのかまでは分からないが……それでも二人がどのような関係なのかというのは、予想が出来ていた。

 もっとも、それが予想出来たからといって、メイドがその件についてレイに聞くような真似をすることはなかったが。

 ケレベル公爵家に仕えるメイドだけに、その中には他の貴族の娘も多い。

 レイに付けられたこのメイドも、貴族派に所属するとある男爵の三女だった。

 幸いだったのは、このメイドが自分が貴族だという地位に驕ることなく、普通にメイドとして働いていたことか。

 もし貴族ではないレイに向かって高圧的に命令するような人物であれば、間違いなくエレーナの怒りを買っていただろう。

 とはいえ、それはレイの性格やエレーナとの関係を知っているケレベル公爵家の執事が、手配したものなのだが。

 夕食までの時間の暇を潰す為に紅茶を飲んでいるレイに向かって、メイドは近づく。


「どうぞ」


 レイが何も言わずとも、新しく紅茶を淹れるメイド。


「ん? ああ、悪い。……それより、ちょっと聞いていいか?」

「なんでしょう?」


 レイの言葉に尋ね返すメイドは、エレーナには及ばなくても間違いなく美しいと表現してもいい顔立ちをしている。

 普通であればそんなメイドに見惚れていてもおかしくはないのだが、エレーナ、マリーナ、ヴィヘラという、性質は違えど歴史に名が残る程の美貌を持つ三人と行動を共にしているレイにとっては、見惚れるようなものではない。

 ……微かに自分の美貌に自信を持っていたメイドにとっては、そんなレイの態度に不満を抱かないでもなかったが、それを表面に出すような真似はせず、どのような用件なのかを尋ねる。


「エレーナの母親、ケレベル公爵夫人というのがどんな人物なのかを教えてくれないか?」

「アルカディア様ですか? そうですね。……優しさと怖さを併せ持つ方かと」

「優しさと怖さって……つまり、具体的に言えば貴族らしい性格をしていると考えてもいいのか?」


 優しさと怖さという言葉では特に具体例が思い浮かばなかったレイは、取りあえずそんな風に認識する。

 エレーナの母親だと考えれば、貴族らしい貴族という性格はあまり思い浮かばないのだが……


「そう、ですね。誇り高い方なのは間違いないですよ。それに、エレーナ様の生みの親だけあって、とても美しい方です」

「だろうな」


 エレーナの母親なのだから、美形だというのはメイドに言われるまでもなくレイにも理解出来た。


(まぁ、貴族ってのは基本的に代々美形を嫁なり婿なりに迎え入れてきたんだ。そうなれば、当然のように美形が多くなるのは間違いない、か)


 勿論、世の中には貴族ではなく平民を愛する者がいてもおかしくはないが、それは少数派だ。

 そうなれば祖先が美形揃いなのだから、子孫もまた美形が多くなるというのは間違いのない事実だった。

 実際レイが今まで会った貴族というのは、大部分が平均以上に整った顔立ちの者が多かったのだから。

 ……中には、不摂生が祟って太りすぎていたり、痩せすぎていたりといった者もいたのは否定出来ないが。


「アルカディア様も、レイ様に会えるのを楽しみにしていたみたいですよ」

「俺に? 何でまた」


 エレーナを悪い道――貴族的に見ればの話だが――に引っ張り込んでいるとして、嫌われている可能性は考えていたレイだったが、まさか会うのを楽しみにしていると言われるとは思わなかった。

 一瞬、悪い意味で会うのを楽しみにしていたと言われたのかと思ったが、メイドの様子を見る限りではそういうことでもないらしいというのは確実だった。


「それは……」


 レイの言葉にメイドが何かを言おうとした瞬間、部屋の扉がノックされる。

 メイドがレイに視線を向け、レイはそれに出てもいいと頷きを返す。

 そうしてメイドが扉を開けると、そこには執事服を身に纏った老人の姿があった。

 見るからに品が良いと表現するのが相応しい老人だったが、メイドはその老人の姿を見て一瞬硬直する。

 当然だろう。目の前にいるのは、ケレベル公爵家に仕えているメイドや執事を纏めている執事長だったのだから。

 メイドも、まさか執事長が姿を現すとは思っていなかった為に、硬直してしまったのだろう。

 それでもすぐに我に返って、口を開く。


「その、執事長。何のご用でしょうか?」

「夕食の準備が出来ましたので、レイ様を呼びに来たのですよ」

「……執事長自らが、ですか?」


 予想はしていたが、それでもまさか本当に執事長自らがそのような真似をするとは……と、メイドは驚きを隠せない。

 だが、執事長にしてみれば、レイという存在はこれからのケレベル公爵家に深く関わってくる可能性の高い相手だ。

 そうである以上、レイを自分の目でしっかりと確認しておくというのは、必ずやっておくべきことだった。

 執事長にとって、エレーナという人物はそれこそ子供の頃から……いや、生まれた時から見てきた相手だ。

 誤解を恐れずに言うのであれば、半分自分の娘、もしくは孫のように思ってさえいる。

 それだけに、そのような人物の恋人と目されている相手であれば、執事長がその人柄を確認しない訳にはいかなかった。


「ええ。異名持ちのお客様ですから、失礼のないように対応しなければなりませんからね」


 内心の思いを一切表情に出すことなく告げる執事長の様子に、メイドもそういうこともあるかと納得する。


「分かりました。少々お待ち下さい」


 そう言い、メイドはレイの座っているソファに向かう。

 そんなメイドの様子を見ながら、執事長はレイを見る。

 失礼にならないように、そっと。だが、しっかりと顔を確認出来るように。


(ほう)


 レイの顔を見た執事長は、内心で少しだけ感嘆の声を上げる。

 聞いた話によれば、レイという人物はフード付きのローブを着ており、大抵はそのフードを被っているという話だった。

 だが、こうしてしっかりとした服に着替え、顔を出している光景を見れば、その顔立ちもはっきりと分かる。

 男らしい顔立ちという訳ではなく、寧ろ女顔と表現してもいいだろう顔立ち。

 それでいながら弱々しい気配がないのは、その目に強い……強烈と言ってもいいような意思の光が宿っているからか。

 執事長が感嘆したのは、レイの顔ではなく目の光を見た為だ。

 少なくても、第一段階は合格。

 そう内心で判断しながら、執事長はメイドの言葉に立ち上がって自分の方に近づいてくるレイに対し、優雅に一礼する。


「初めまして、レイ殿。私はケレベル公爵家にて執事長を勤めております、レムネスと申します」

「……セバスチャンじゃないのか」


 頭を下げた執事長、レムネスの耳にレイが何か喋ったような気がしたのだが、顔を上げてみればレイは特に何か感じた様子はない。

 それなりに高齢のレムネスだったが、まだ耳が遠くはなっていない。

 間違いなくレイが何かを呟いたのだが、レイが何でもないといった様子を見せている以上は、それを追求する訳にもいかない。

 ……もっとも、レイが呟いたのは執事らしい執事なのに、セバスチャンという名前ではなかったということだったのだが。

 以前に会った別の執事のことを考えると、もしかしたら……と、そう思ってはいたのだ。


「では、夕食の準備が出来ましたので、ご案内いたします」

「頼む」


 そう言い、レムネスとレイの二人は部屋を出て廊下を歩く。

 通路も、ケレベル公爵邸だけあって絵画が掛けられていたり、美術品なのだろう壺が置かれていたりしている。

 その手の審美眼がある訳でもないレイは、その絵画や壺を始めとした様々な美術品が本物なのか偽物なのか、もし本物ならどれくらいの価値があるのかといったことは、全く分からなかったが。

 レムネスの方も、レイの態度から飾られている代物の価値を分かっていないのだろうと判断し、内心でレイの評価をマイナスする。

 もし絵画や美術品がマジックアイテムの類であれば、レイも多少は興味を持ったのかもしれないが。

 廊下を歩きつつ、レイは首元を締め付ける感触が気にくわないのを我慢しつつレムネスの背中を見る。

 初老……よりももう少し年齢は上だろうが、それでも歩く身体にぶれる様子はない。

 つまり、それだけ鍛えられているということの証明でもあった。


(貴族派を率いているケレベル公爵ともなれば、執事長という立場でもそれなりに強いんだな。……実は、もしかして執事って高い戦闘力が求められるとか?)


 そんな風にレイが思ったのは、当然のように日本にいた時に読んだ漫画を始めとしたサブカルチャーに影響されている。

 執事やメイドは、高い戦闘力を持っている者も少なくないのだ。

 勿論それはあくまでもそういう設定にした方が面白いからそうなっているのであって、実際にこのエルジィンでは執事やメイドに高い戦闘力を求められたりはしない。

 ……実際には、何らかの理由でそのような執事やメイドもいないことはないのだが、それは本当に少数の例外だけだ。

 レムネスとレイの間に会話はなく、無言のまま十分以上歩き続ける。

 一つの屋敷の中で十分以上歩き続けるということが、ケレベル公爵邸の広さを示していた。

 一応セトに乗って上空から見ていたので、大体の広さは理解していた。

 それでも実際に自分で歩いてみれば、その広さがどれだけのものかは分かる。


「到着しました」


 レムネスの言葉で、レイはようやく目的の場所に……食事会が行われる場所に到着したのを理解した。

 目の前に広がるのは、予想していたよりも大きな扉。

 普通の扉よりも大きいのは、恐らく巨大な料理を運び込む為なのだと、レイにも予想出来る。

 レイがそんな扉を見ていると、やがてレムネスが扉を開ける。

 瞬間、食堂の中から漂ってくる食欲を刺激する香りにレイは反射的に息を呑む。

 香ばしいその香りは、ただ焼いたり炒めたりしただけではなく、何か特別な調理法を使っているように思える。


「失礼します。レイ殿をご案内しました」


 レムネスの言葉を聞きながら、レイは食堂の中に入る。

 まず視線に入ってきたのは、巨大なテーブル。

 そのテーブルには、青いパーティードレスを身に纏ったエレーナの姿がある。

 その姿は、エレーナの美貌に見慣れたレイであっても思わず目を奪われる程に美しい。

 エレーナも自分を見ているレイに気が付いたのか、微かに笑みを浮かべる。


「よく来てくれたな、レイ殿。……いや、この場合は深紅のレイ殿と呼んだ方がいいのか?」


 その声により、レイは声のした方に視線を向ける。

 そこにいたのは、体格ではダスカーよりも明らかに劣っているだろう人物。

 だが……身に纏っている雰囲気や気配というものに関しては、間違いなくダスカーよりも上に思える。

 それが誰なのかは、ここにいる時点で考えるまでもなく明らかだった。


「……初めまして、ケレベル公爵。俺のことはレイと呼んで貰えれば」


 一瞬、ほんの一瞬だったが、レイは間違いなく目の前の男に気圧されてしまった。

 もしここが戦場であれば、レイもケレベル公爵に気圧されるような真似はしなかっただろう。

 だが、それはあくまでも戦場だからの話であって、今この場では間違いなくレイの前にいる男は器が大きいと理解せざるを得ない人物なのだ。

 ケレベル公爵もまた、意図的にレイを威圧しながら話していた。

 レイがどれだけの器なのかを調べる為の行為。

 様々な場所から情報を得てはいるのだが、それはあくまでも情報だ。

 レイがどのような人物なのかは、やはり自分で直接会い、話して確認する必要があった。

 ケレベル公爵も、貴族社会という化け物の巣窟で貴族派を率いているだけに、人を見る目には自信がある。

 それだけに、自分の発する圧力に一瞬驚きはしたものの、すぐに反応を返してきたレイに驚く。

 今の自分の発した圧力を受けて、これだけすぐに反応出来る者がどれだけいるのか。

 それこそ、貴族派にだってそう多くはない筈だった。


(ひとまずは合格、か)


 そう判断し、ケレベル公爵は発していた圧力を弱める。

 これまでのことを、友好的な笑みすら浮かべながらやっていたのだから、貴族らしいと言えるだろう。


「ふふっ、貴方。その辺になさったら? 彼も困ってるじゃない」


 そうケレベル公爵に声を掛けたのは、テーブルについている中でエレーナ以外の唯一の女。

 それが誰なのかは、それこそレイは考えるまでもなく理解していた。

 エレーナ達からその人物の話はしっかりと聞いていたのだから。

 つまり、その人物こそがアルカディア・ケレベル。

 ケレベル公爵夫人にして、エレーナの母親だった。

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