第1767話

 ゴブリンの肉が食べられる……ある程度美味く食べられるようになったというのは、ギルムの中でかなり有名な話となった。

 マーヨと交渉して上手く処理したゴブリンの肉を手に入れた料理人達は、自分の好奇心の赴くままにゴブリン料理を作り始め、それを売りに出す。

 ギルムに住んでいる、住んでいないを別として、ゴブリンの肉が極めて不味いというのは、この世界の常識だ。

 それだけに、最初はゴブリンの肉料理という話を聞いた者は、恐る恐るとそれを買ったりもしたのだが……それが意外に美味いことに気が付くと、驚く。

 もっとも、全ての料理人が上手くいった訳ではない。

 中には特定の食材と一緒に料理した結果、それこそ普通のゴブリンの肉よりも不味い料理が出来上がった……という者もいる。

 また、基本的にマーヨが売ったゴブリンの肉は、長時間煮るという行程を行うと不味いゴブリンの肉となってしまうことも判明していた。

 勿論、それはガメリオンの内臓を使って処理したからこそ起きることであって、もしかしたら他の方法で美味く食べられるようになれば、煮込み料理でも美味く食べることが出来るかもしれないという可能性はあったのだが……

 残念ながら、いや当然と言うべきか、マーヨはゴブリンの肉を美味く食べられる方法を公表したりはしていない。

 あくまでもマーヨが売っているのは、自分達で処理した後のゴブリンの肉であって、それを買う料理人達はその肉がどのような処理をされているのかというのは知らない。

 当然それを知りたいと思う者もいるが、マーヨにしてみれば数年の研究でようやくここまで辿り着いたのだ。

 秋に出てくるガメリオンの内臓がなければ駄目だということや、長時間煮ると不味いゴブリンの肉に戻るというように、まだ色々と限定されている状況であって、いつでもゴブリンの肉を美味く食べられる訳ではない。

 だが、ゴブリンの肉を美味く食べられるようにしたというのは、それこそ冗談でも何でもなく歴史に名前が残る偉業と言ってもいい。

 それだけに、あわよくば……そんな風に考える者も当然おり……


「ぐはっ!」


 そんなことを考えた者に雇われた、冒険者がレイの一撃を食らって地面に崩れ落ちた。


「まさか、ギルムの冒険者でこんな馬鹿な真似を考える奴がいるとはな」

「そう言わないの。それに、この冒険者達は生粋のギルムの冒険者じゃないわ。増築工事の仕事を求めてギルムにやって来た人でしょうね」


 レイの側で別の冒険者の意識を奪ったヴィヘラが、若干慰めるような口調で告げる。


「まぁ、この程度の力ならな。……けど、面倒なことになったな」


 ゴブリンの肉を美味く食べる為の秘密を探ろうと、現在色々な者達がパーシー道具店に探りを入れてきている。

 それは今回のように直接的な暴力といった行為もあれば、パーシー道具店との取引先から臭わされることもあり、最近では店の周囲に見覚えのない怪しい者の姿もあるとレイはマーヨから聞いていた。

 たかがゴブリンの肉。

 そう思う者もいるが、ゴブリンは辺境だけではなくどこにでもいる存在だ。

 そのゴブリンの肉を美味く食べることが出来るとなれば、それは莫大な利益をもたらすことになる。

 ……そのように考え、それを自分達のものにしたいと考える者が出てくるのは、おかしな話ではない。

 実際にはガメリオンの内臓という、ギルムを含めて何ヶ所かでしか入手出来ないような素材を使う必要があるので、いつでもどこでもゴブリンの肉を美味く食べられるという訳ではない。

 だが現在のところ、マーヨはそれを知らせるつもりはない。

 それは、この研究に掛けてきた資金を思えば当然であるし、マーヨにも当然のように名誉欲というものはある。

 レイにとってそれは別に気にするところではないので、問題にはしていなかったのだが。

 また、名誉欲があるからといって、マーヨはゴブリンの肉を美味く食べる為の研究を自分だけのものにするつもりはない。

 そもそも、ゴブリンの肉を美味く食べる為の研究をマーヨに持ち掛けてきたのはレイだし、ゴブリンの肉を大量に渡されたり、本来なら高価な香辛料の類を渡されたこともある。

 その辺りの事情を考えると、マーヨとしてもレイの名前を共同研究者として表に出さないという選択肢は存在しない。

 レイ本人は、その辺りを特に気にしている訳でもないので、どちらでもいいというのが正直なところだったのだが。


「そうね。ただ、レイがエレーナの家に行ってる間は、こっちでも目を向けておくから、気にしなくてもいいわ。何なら、どこかにパーシー道具店の護衛を依頼してもいいでしょうし」

「依頼、ね。けどこの時季に護衛の依頼を受けたりする奴がいるか?」


 冬というのは、基本的に冒険者達にとって長期の休みだ。

 レイにとっては、夏休みや冬休みといった印象か。

 ちなみに冬休みは住んでいる地域によってその期間が大きく変わり、レイが通っていた高校よりも一週間、もしくはそれ以上短くなったりするので、人にとっては冬を長期休暇と認識出来ないこともあるのかもしれないが……東北地方に住んでいたレイにとっては、冬も十分長期休暇だった。

 もっとも冬の休みが長い分、夏休みが短くなっているのだが。

 ともあれ、そのような長期休暇の中で護衛の依頼を受ける冒険者は……冬越えの資金が心許ない冒険者であればまだしも、しっかりとその辺りを準備している冒険者が引き受けるとは少し考えにくかった。

 勿論、冒険者も冬の間ずっと飲んで騒いでと自堕落にすごす訳ではない。

 春からの活動に向け、より強くなれるようにと身体を鍛えるといったことも珍しくはなかった。

 ただ、それでも年が明けてから……いや、春が近づいてきてからという風に思う者も多いので、今の時季に……そして冬になってすぐにというのは、多少難しい。


「となると、やっぱりヴィヘラやマリーナ、ビューネ辺りに頼むのが一番いいのか」

「あら、私は高いわよ?」


 冗談っぽく告げるヴィヘラだったが、実際にヴィヘラ程の腕利きを雇うとなれば高額になるのは当然だった。


「あー……取りあえずツケておいてくれ。どうせヴィヘラのことだから、単純に金が欲しい訳じゃないんだろ」


 もし金で雇えるのであれば、それこそレイにとっては簡単な話だ。

 だが、そうではないというのは、それこそヴィヘラの性格を知っているレイにしてみれば当然といえた。


(ヴィヘラが希望することだから、多分模擬戦とかそういうのだろうが)


 そう思っていたレイだったが、次にヴィヘラの口から出て来た言葉に、思わず動きを止める。


「じゃあ、ケレベル公爵領から戻ってきたら、デートをしましょう。それでいいわよね?」

「……」


 予想外のヴィヘラの言葉に、レイの口からはすぐに返事は出ない。

 そんなレイの様子に、ヴィヘラはしてやったりといった笑みを浮かべる。

 ……浮かべながら、薄らと頬が赤く染まる。

 模擬戦に誘ったり、娼婦や踊り子の如き薄衣を纏った姿を大勢に見せたりといったことをしても、ヴィヘラはそこまで恥ずかしくはない。

 だがそんなヴィヘラでも、やはりレイを……愛する男をデートに誘うというのは、恥ずかしくなってしまうのだろう。

 それでも年上の女らしく、余裕があるように見せてヴィヘラはレイに尋ねる。


「どう? 安い依頼料だとは思わない?」

「……ある意味で、高くつきそうだけどな」


 ヴィヘラの様子にそう答えながらも、レイはデートの申し出を受け入れる。


「分かった。じゃあ、戻ってきたらどこかに出掛けるか。どこがいいかは……俺が考えればいいのか?」

「そうしてくれると、私も嬉しいわね」


 満面の笑みを浮かべてそう告げるヴィヘラだったが、レイは表情で笑みを浮かべつつも内心では困惑する。

 勿論、デートをしたことがない訳ではない。

 日本にいる時はそんな機会もなかったが、エルジィンにやってきてからは、なんだかんだと日本では……いや、地球ではTVでしか見たことがない……もしくはTVで見たよりも上の美人達と関わり合うことが多くなり、相応に場慣れはしてきている。

 もっとも、だからといって、どこにデートに出掛ければいいのかということには、レイも迷うのだが。


(映画館とか? いや、ないか。図書館……ヴィヘラが図書館で本を読むのを楽しむか? レストラン……ああ、甘いデザートが充実してるような食堂とか? 後は、ウィンドウショッピング?)


 幾つか思いつくが、レイが思いつく知識の元ネタは、それこそ漫画やアニメといった代物だ。

 もっとも、その多くがこのエルジィンでは通用しなかったが。


「取りあえず、何か考えておくよ」

「そう?」


 笑みを浮かべ、頷くヴィヘラ。

 そうしてパーシー道具店の裏口付近で話していると、不意に扉が開く。


「お二人とも、お疲れ様です。温かいスープを用意したので、どうぞ」


 食欲を刺激するスープ皿を持って姿を現したのは、パーシー道具店の店員。

 寒いだろうとスープを持って来てくれたのは、レイ達にとっても嬉しい。嬉しいのだが……


「その、このスープの具、野菜はともかく、この肉ってもしかしてゴブリンの肉じゃないか?」

「ええ、そうですよ」


 レイの言葉に、二十代半ばの女の店員は笑みを浮かべて頷く。

 だが、それを見たレイは、微妙に嫌そうな表情を浮かべて口を開く。


「処理したゴブリンの肉は、スープとかの長時間煮込む料理には向かないって話だったんじゃないか?」


 そんなレイの言葉に、女は嬉しそうな笑みを浮かべた。


「よくぞ聞いてくれました! 実はですね、このスープはちょっと普通とは違う作り方をしたんですよ。もっとも、そこまで難しいものじゃないんですけど」


 レイとヴィヘラにそれぞれスープの入った皿とスプーンを渡しながら、女は説明を続ける。


「うちで処理したゴブリンの肉は、炒め物の類にすると問題なく美味しく食べることが出来ます。ですが、スープの具材とすると、どうしても不味かった。……なら、発想を転換すればいいのです!」


 そう言いながら指さされたレイは、その勢いに押されてスープの中に入っていたゴブリンの肉を口に運ぶ。

 不味ければ、すぐに吐き出すつもりで。だが……


「美味い?」

「そうです。スープで煮込むことで不味くなるのでしたが、炒めてからスープに具材として入れれば問題なく食べられます! ……まぁ、その場合はスープに肉の旨みが出ませんが……」

「あー……なるほど。ゴブリンの肉を純粋に具材として使ったのか」

「はい」


 コロンブスの卵? と一瞬思ったレイだったが、それを口に出すことはしない。

 そもそも、この世界でコロンブスの卵という言葉の意味が分からないし、料理は殆どしないレイから見れば驚くべき発想だったが、料理をする人にしてみれば特に不思議でも何でもない料理法の一種ではないかと思った為だ。

 実際、レイは知らなかったが、出汁を取る為だけの具材を長時間煮込み、具材が煮崩れるまで出汁をとったら、そこに食べる為の具材を入れるというのは、日本でも普通にある調理法だし、それはこのエルジィンでも同様だ。

 勿論一手間二手間余計に掛かる調理法だったが、料理人であればその調理法は普通に知っている。


「となると、スープにゴブリンの肉を使えないという欠点も克服したのか?」

「それは……どうでしょう? 結局のところ具材として追加するのと、しっかりと煮込むといった真似が出来るのとでは大きく違ってきますから。本当の意味で克服したとは言えませんね。ただ、今の処理法ではどうしようもなさそうです」


 ガメリオンの内臓を使ってゴブリンの肉をそれなりに美味く食べられるようになったのは、つい最近だ。

 最初からそれが分かっていれば、ガメリオンの内臓を大量に仕入れることも不可能ではなかっただろうが……とにかく今は、ガメリオンの内臓の量は非常に限られている。

 そうである以上、どうしても試行錯誤するには内臓が足りないのだ。


「今回見つかった方法の他に、ゴブリンの肉を美味く食べられる方法ってのは、探すのか?」

「当然じゃないですか。今のままだと、この辺りで……しかもこの時季だけにしかゴブリンの肉を美味しく食べることは出来ません。まぁ、それでも以前よりはいいんですけど」


 それでも、ゴブリンの肉を食べられる秘密を求めて、パーシー道具店に侵入しようとする者は多い。

 ゴブリンの肉を食べられる方法が限定的なものなら、それを公表してもいいのでは? と、レイは思わないでもなかったが……マーヨがそうしないということは、何らかの考えがあるのだろう。


(一応、香辛料を使えば食えないこともないってのはあったけど……それだとコスト的な問題で駄目なのか)


 そんな風に思いつつ、取りあえずレイはパーシー道具店の警備を続けるのだった。

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