第1754話

「グルゥ? グルルルルルルゥ!」


 ギルムの大通りを歩いていると、漂ってくる香ばしい香りにセトが喉を鳴らす。

 食欲を刺激するその香りに、レイも興味を惹かれて、香りの発生源の屋台に向かう。

 ソースが焦げるような、そんな香りが漂っているのだから、当然のように周囲にいる者達もその香りが漂う屋台に集まっていった。


「らっしゃい、ガメリオンの肉入り、焼きうどん! 期間限定で、今しか食べられないよ!」


 屋台の店主が、もうすぐ冬になりそうな秋の夕方だというのに、汗まみれで客寄せをしている。

 そのような真似をしながら、それでも男の腕は止まることなく鉄板の上でうどんと肉、野菜を炒めていた。

 うどん発祥の街として、ギルムはかなり有名になっている。

 他にも、肉まんやピザといった料理もあり、それらの料理もガメリオンの肉を使った物で作り上げられ、売られていた。


「焼きうどんか。……メジャーな料理じゃないんだけどな」


 呟くレイだったが、実際ギルムで売られているうどんの殆どは、スープに入れて食べるうどんの方が多い。

 勿論メジャーではないということは、他に全く焼きうどんという料理がないという訳ではない。

 数は少ないが、以前から焼きうどんという料理はそれなりに知られている。


「皿とフォークの値段が込みで銀貨二枚! その代わり、食べ終わってから食器を戻せば、その分の料金は返すぞ!」

「うげっ、ちょっと高くないか!? もう少し、安く出来ないのかよ」


 値段を聞いた通りすがりの男……恐らく増築工事の工事現場から戻ってきたらしき男が、銀貨二枚という値段に不満を漏らす。

 実際、レイがこの世界で今まで暮らしてきた経験から、銀貨一枚は日本円で千円くらいの感覚だ。

 勿論ここはエルジィンという異世界である以上、物価の類も簡単に日本と比べる訳にはいかないし、そもそもレイが東北の田舎の出身だ。

 東京のような物価が高いと言われてる場所とレイの地元では、色々と物価も違う。

 そう考えれば、あくまでも感覚的なものでしかないが……それでも、屋台で食べる焼きうどんが一杯二千円というのは、高いと思うのは当然だった。

 もっとも、ここは辺境のギルム。

 増築工事の為にやってきている者は銀貨二枚を出すのに躊躇うが……


「あら、じゃあ一つちょうだい」


 高いと嘆いていた中年の男の横で、二十代半ばの女が屋台の店主に注文する。

 女の身体はレザーアーマーと金属の鎧を組み合わせたような鎧に包まれ、腰には長剣の収まった鞘があり、見るからに冒険者といった出で立ちだ。

 そしてレイの目から見ても、それなりに腕がある。

 少なくても、マルキス達より数段上で、フロンと同じくらいか若干劣る程度とレイは予想した。

 屋台の店主に文句を言っていた男は、自分の隣であっさりと銀貨二枚を出した女の冒険者に唖然とした視線を向ける。

 高級な食堂の類であればともかく、まさか屋台で銀貨二枚という金額をこうもあっさり出すとは思わなかったのだろう。

 もしここがどこかの田舎の村なら、男の驚きは当然だろう。

 だが、ここはギルム。

 優秀な冒険者なら、それこそ幾らでも金を稼ぐことが可能なのだ。


「あいよ。ちょっと待ってくれ」


 そう言うと、店主は皿に焼きうどんを盛りつけていく。

 肉と野菜がたっぷり入っており、炒めているうどんの麺も、きちんと炒めるのに相応しいように調整されている。

 そして、なによりもこの焼きうどんを決定づけているのは、味付けに使われているソースだ。

 これは、たっぷりの肉と野菜や香草を長時間煮込み、具が溶けてしまった代物だ。

 深い味わいと、それでいてあっさりとした味を楽しめる焼きうどんの肝とでも呼ぶべき調味料。

 実際、このソースが焦げる臭いによってレイやセト、それ以外にも様々な者達がこうして屋台にやって来ているのだから、その効果は明らかだった。

 そして最初の一人が買うと、次々に他の客達も買っていく。

 当然のように、レイも自分とセトの分を購入し、屋台の人混みから少し離れた場所で食べ始めた。

 皿とフォークを返せば幾らか戻ってくるということもあり、食い終わったらすぐに食器を返せるようにと屋台の近くで食べている者は多い。

 当然、そのような場所でレイやセトが食べていれば、他の客達も気が付く訳で……


「あ、セトちゃんも焼きうどん食べてる!」

「え? セトちゃん? あ、本当にいるじゃない」

「あら、貴方達はセトちゃんの存在に気が付いてなかったの? どうやら、貴方達のセトちゃんに対する愛はその程度のもののようね」

「ぐぬっ!」

「そ、そういうあんたは、いつ気が付いてたのよ!」

「私? 私は最初から気が付いてたわよ?」

「嘘だ! セトちゃんの後から来たから、セトちゃんに気が付いただけだろ!」


 一部ではセト愛好家によるそんな会話もされていたが、レイとセトは特に気にした様子もなく焼きうどんを食べる。


(やっぱり焼きうどんは醤油味がいいと思うんだよな。……もっとも、この焼きうどんは前に食べたのとは違う、ソース味でも醤油味でもない、第三の味って感じがするけど)


 銀貨二枚分の価値のある焼きうどんは、実際にレイの舌を楽しませるのに十分だった。

 特にガメリオンの肉が美味い。

 そこを売りにしているだけあって、ガメリオンの肉の美味さを際だたせるような調理になっているのだ。

 レイにとって……そしてセトにとっても、その焼きうどんは十分満足出来る味だった。

 唯一の不満は、屋台に大勢の客が集まってしまった為に、おかわりをするのは無理そうだということか。


「レイさん、セトちゃんの分も食器を下げても構いませんか?」


 焼きうどんを食べ終わって満足そうに……それでいながら若干物足りなさそうにしていたレイとセトに、そんな声が掛けられる。

 声のした方を見ると、そこにいるのは二十代半ば程の女。

 そう言えば、店主の近くで色々と作業をしていた女がいたな、とレイは思い出す。

 当然ながら、これだけ忙しい中を一人で捌くというのは難しく、他にも従業員がいて当然だった。


「ん? ああ、分かった。焼きうどん、美味かったよ。ガメリオンの肉が活かされた料理だった」


 レイの口から出た言葉に、女は一瞬驚き、次の瞬間には嬉しそうに笑みを浮かべた。


「そうですか。それを聞けば、あの人も喜ぶと思います」

「いや、この繁盛ぶりを考えれば、別に俺が何を言わなくても美味いと思われているのは分かると思うけどな」

「いえいえ。レイさんに美味しいと言って貰えたのが大きいんですよ」

「……俺に?」


 女の言ってることが分からず、レイは首を傾げる。

 別にレイは、自分の味覚がそこまで鋭いとは思っていない。

 勿論日本にいた時とは違って現在の肉体になって、五感が鋭くなっている。

 だが、その五感の中でも味覚という点に関しては鋭くなってはいても、それを使いこなしている訳ではない。

 元々が田舎の高校生だったレイだけに、食べる料理はそこまで豪華なものでないのは当然だろう。

 もっとも、洗練された料理が多い都会とは裏腹に、採れたての旬の食材を存分に堪能出来るという意味では、非常に贅沢な立場でもあったのだが。

 また、エルジィンという世界に来てからも、大抵が食堂や屋台といった場所で料理を食べている。

 ……まぁ、高級な宿に泊まることもそれなりにあり、そのような食堂で出される料理は高級レストランに勝るとも劣らぬものであることも多かったが。

 ともあれ、決して美食家と呼ぶべき存在ではない自分の褒め言葉が、何故そこまで喜ばれるのか? と疑問に思う。

 勿論料理人として、客が自分の料理を美味いと喜んで食べてくれるのが嬉しいというのは、分からないでもなかったが。


「あー……その、ほら。レイさん達って屋台をやってる人にとっては、上客……いえ、救世主と言ってもいいようなお客さんなんですよ。それにほら、うどんを広めてくれたのはレイさんですし」


 女の言葉に、レイも何となく言いたいことは分かった。 

 実際、レイはギルムで屋台や食堂、酒場、パン屋、食材を売っている店といった者達にとって、一度に大量に買い物をしてくれる上客だ。

 いや、女の言う通り上客以上の存在と言ってもいい。

 普通なら大量に購入するといっても、それこそ一家族分や友人達が集まって食べるくらいの量だろう。

 だが、レイの場合は店にある料理を全て買うということも珍しくはない。

 ……もっとも、それだけ大量に料理を買われるということは、料理を作ってる方にもかなりの負担を掛けることになるのだが。

 ミスティリングがあるだけに、出来たての料理をいつでも食べられるレイだからこそ……そして、冒険者として高い実力があるから、支払う代金にも困っていないからこその行動。

 他にもうどんを始めとしてレイがギルムで広げた料理は、どれも美味く、名物となっている。

 飲食店の者にとって、レイという存在が救世主のように思えるのは当然だった。

 そしてこの屋台で売っているのは焼きうどん。

 うどんを広めたのがレイだというのは、一般にはそこまで広がっていないが、飲食店で働いている者にしてみれば当然の話だった。

 つまり、そんなレイに焼きうどんを食べて貰って褒めて貰ったというのは、女にとって非常に嬉しい出来事だったのだ。

 だが、そんな女の感謝の言葉に、レイは少し困ったように頭を掻く。


「うどんをディショットに教えたのは俺だけど、俺が教えたのはあくまでもこういう料理があるって教えて、大まかな作り方を教えただけで、それをここまで広げたのはディショットの功績なんだけどな」


 そう言うレイだったが、ディショットはうどんについて広める時に、これはレイから教えて貰った料理だということを常々言っている。

 結果として、うどんを広めたのはレイだと認識されることが多いのは、当然のことだった。


「それでも、私達としてはうどんがあったから、こうして繁盛してるんですし。……もっとも、儲けはそこまで大きくもないんですけどね」


 銀貨二枚という、屋台で食べるには明らかに高額な料金設定ではあったが、ガメリオンの肉を……それも明らかに上物の肉を仕入れるのにも相応の費用が必要になるし、それ以外の食材も出来るだけ安くて美味い物を選んではいるが、当然のように相応の費用は必要となった。

 正直なところを言わせて貰えば、銀貨三枚の値段にしたいというのが、女や屋台で料理を作っている店主の正直な気持ちだったのだ。

 だが、銀貨三枚となると多少高すぎると判断される為、取りあえず利益を控えめにして銀貨二枚となった。


「まぁ、この値段でも高くて手が出せないって奴もいるだろうから、これより更に値段を上げるのは厳しいか」


 勿論手が出せないといっても、銀貨二枚程度であれば少し無理をすると出すことは出来るだろう。

 だが、一食にその値段を出す価値があるのかどうかとなると、それを許容出来ない者も相応にいるのは確実だった。

 そもそもの話、ギルムの増築工事で来ている者達は基本的に金を稼ぐ為にギルムまでやって来ている者が多い。

 そうである以上、一食で銀貨二枚を使うというのは、まず考えられないだろう。

 冒険者にしても、今の時季は冬越えの資金を貯める為に働いている者が多いので、一年の中でも財布の紐が固い季節だ。

 もっとも、それこそ今年は増築工事のおかげで、冬越えの金が足りなくなっても、街の外にモンスターの討伐といった仕事をする為に出掛ける必要はない。

 増築工事そのものは進まなくても、他にもやるべき仕事は幾らでも存在するのだから。

 そういう意味では、今年……そして来年、もしくはその次の冬辺りまで、冬に金に困っても危険を承知でギルムの外に出る必要はない。

 ……ただ、中にはより多くの金を稼ぐ為に、ギルムの外に出ようとする者もいるだろうが。

 実際安全な場所で仕事をする増築工事よりも、外でモンスターを狩った方が、雪の影響や冬特有のモンスターの凶暴さもあって労働環境は厳しいが、金を稼げるのは間違いないのだから。


「そうなります。……あっと、じゃあ私はこの辺で失礼しますね。他のお客さんからも食器を回収しないといけませんから」


 そう言い、女はレイとセトが使っていた皿とフォーク――セトはフォークを使っていないが――を回収すると、銅貨四枚をレイに渡すと、他の客のいる場所に向かう。


(銅貨四枚……つまり、実際には銀貨一枚と銅貨八枚がこの焼きうどんの値段な訳か。十分味に見合っているとは思うけど、この先もこの値段でやるのは、ちょっと難しいかもしれないな)


 客から食器を回収している女の姿と、未だに屋台に並んでいる客の姿を見ながら、レイはそんな風に思うのだった。

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