第1718話

 イエロがリスを助けるという、見ている者の心が和む光景を目にした昼の休憩もやがて終わり、レイ達は再び森の探索をすることにした。

 今までとは違って森の中を適当に探索するのではなく、目の前に川が――小川と呼ぶべき規模であっても――あるのだから、どうせならその川を遡って上流に向かってみてはどうかという意見があったのだ。

 特に反対意見もなく、川があればマリーナが得意としている精霊魔法、特に水の精霊魔法を使いやすいということもあり、川の上流に向かうことが決定した。

 何か明確にダンジョンにあるこの森を探索出来るのであれば、そちらを重視したかもしれないが……レイ達は初めてこのダンジョンに挑んでいる以上、特に何か明確な指針がある訳でもない。


「川の幅が随分と広がってきたわね。てっきり上流に向かえば、すぐに水源に行き着くと思ってたんだけど」


 川を泳いでいる魚影を目にし、ヴィヘラが呟く。

 魚が自由に泳ぐだけの川幅や深さが存在するその川は、もう小川と呼ぶことは出来ないような大きさの川だ。


「支流……という言い方は、さっきの場所的にどうかと思うけど、とにかくそんな感じなんでしょうね。川が広くなるのは、私にとっては戦闘の際の選択肢が増えるんだから、嬉しいけどね」

「グルゥッ!」


 戦闘での選択肢が増えるとマリーナが言った瞬間、まるでそれが合図だったかのようにセトが鋭く鳴く。

 セトの鳴き声を聞いた瞬間、皆が何があってもすぐに対応出来るように準備を整える。


「マリーナが言うから」

「あら、私のせいなの? でも、そうね。なら折角だし、水の精霊魔法で……」


 マリーナに最後まで言わせず、レイは行動にでる。

 近くを流れていた川の水面が、不自然なまでに盛り上がっているのを見たからだ。

 水面を破るかのように姿を現したのは、馬。


(馬、水、馬……ケルピーか!)


 川や沼、湖といった場所に住むことが多い、ランクCモンスターのケルピー。

 今までレイは話を聞いたり、料理で食べたりしたことはあったが、こうして実際にケルピーを見るのは初めてだ。

 そのケルピーは、水面から顔だけを出した状態で、マリーナの方に口を向けていた。

 そんなケルピーを見て、怪しむなという方が無理だろう。

 事実、レイがマリーナの前に出た瞬間、ケルピーの口からは水が吐き出されたのだ。

 ウォータージェット、もしくはウォーターカッターか。

 ともあれ、一瞬にしてマリーナ目掛けて放たれたその水に、レイは魔力を流したデスサイズを振るう。

 ケルピーの放つ水の攻撃も、かなりの威力があったのは間違いないのだろう。

 不意打ち……それも自分のテリトリーたる川の中で、準備万端といった状況で待ち伏せていたのだから。

 だが、デスサイズを手にしたレイに、そんな攻撃が通じる筈もなく、ケルピーから放たれた水はデスサイズによってあっさりと防がれる。

 まさか、このような絶好の状況で自分の攻撃を防がれるとは思わなかったのか、ケルピーは水面から顔を出した状況のまま一瞬動きを止め……それがケルピーにとって、最悪の結果を招くことになる。

 エレーナが放ったミラージュが、鞭状になって水面から出ているケルピーの首に巻き付き……そのまま切断する。


「ヒヒヒヒヒヒィン!」


 切断されたケルピーの首から大量の血が流れると同時に、少し離れた場所にある川の水面から、もう一匹のケルピーが姿を現す。

 家族か、友達か、もしくは恋人なのか。

 ケルピー同士がどのような関係なのかは、その場にいる者には誰も分からない。

 だが、新たに姿を現したケルピーがレイ達に向かって怒りを覚えているのは間違いなく、その怒りに任せてもう一匹のケルピーを殺したエレーナに攻撃しようとし……


「グルルゥ!」


 セトの声が聞こえた瞬間、最初のケルピーと同じく水を吐き出そうとしたケルピーの顔が、何かに殴られたかのように不自然に弾け、水はあらぬ方に放たれる。

 セトの持つスキルの一つ、衝撃の魔眼。

 威力そのものはそこまで強くはなく、実際それを受けたケルピーもダメージを受けているようには思えない。

 だが、何もない状況でいきなり不意を打つ為の一手としては、かなり有効なものだろう。


「ヒヒィンッ!?」


 不意を打つ筈の一撃が、予想もしない攻撃を受けてあらぬ方に逸れるという経験をしたケルピーが、慌てたように再びエレーナの方を見た……いや、見ようとした瞬間、瞬時に自分の前まで移動してきていたセトの一撃を食らって、頭部を破裂させる。

 パワークラッシュという、セトのスキルの一つ。

 レベル五に達したことにより、脅威的な威力を持つようになったその一撃は、ケルピーの首の骨を折る……といった程度で済む筈もなかった。

 おまけに、セトは剛力の腕輪を装備している。

 膂力を増すそのマジックアイテムとパワークラッシュの相乗効果で、ケルピーの頭部は弾け飛んだのだ。


(汚え花火だぜ、とか言った方がいいのか?)


 マリーナの精霊魔法で川に流されつつあったケルピーの死体を引き上げている様子を見ながら、レイはふとそんな風に思う。

 もっとも、そんなことを言っても誰も理解などはしてくれないだろうが。


「ケルピーが二匹、か。ケルピーの肉は美味いから、嬉しい敵襲だったな」


 レリューも、ケルピーの肉を食べたことがあるのだろう。言葉通り、嬉しそうに笑みを浮かべていた。


「川にもモンスターがいるとは思わなかったな。いや、普通に考えれば、いてもおかしくはないんだが」

「どうする? このまま川の上流に向かう? もしかしたら、他にも川で待ち受けているモンスターがいるかもしれないわよ?」


 ヴィヘラの問いに、レイは少し迷う。

 そもそも、どこに三階に続く階段があるのかが分からないのだ。

 そうである以上、このまま川の上流に向かっても今のようにケルピーを始めとした水中を活動領域としているモンスターに襲われるという可能性は十分にあった。

 だが、少し考え込んだレイは、それを承知の上で再び上流に向かうことを決定する。


「どこに階段があるのか分からない以上、どう進んでも結局変わらないだろ。それに、川のモンスターが厄介なのは分かるけど、俺達ならそこまで問題なく対処出来る」

「……それは否定しないけど」


 若干ヴィヘラが不服そうなのは、やはりモンスターが川の中にいるのでは、自分が戦えないからというのが大きいだろう。

 勿論無理をすれば戦えない訳ではないだろうが、水の中に入って戦うというのは、ヴィヘラにとってもかなりの負担だ。

 とてもではないが、いつも通りの実力を発揮出来ないだろう。

 ましてや、ヴィヘラはその身の軽さを活かした格闘を得意としているのだから、水の中で動きにくい状況というのはとてもではないがまともな戦闘にはならない。

 そんなヴィヘラにしてみれば、自由に動いて戦える森の中を探索したいと考えてもおかしくはない。


「まぁ、川を遡っていっても、出てくるモンスターは全部川の中だけって訳じゃないだろ。川の側で活動しているモンスターは多いし、どうしても水場は多くのモンスターが集まるから、そっちに期待したらどうだ?」


 モンスターの中には水を飲まなくても平気だという、レイにはちょっと理解出来ないような存在もいるが、大半は生きている関係上、当然のように水は必須の存在となる。

 川に沿って上流に向かえば、水を飲みに来たモンスターと遭遇するのも難しい話ではない。

 当然、水を飲んでいる時というのは、動物もモンスターも油断をすることが多くなり、脅威が近づいてくれば即座に逃げることも多いのだが。


(ヴィヘラが期待してるのは、水を飲むのを邪魔されて、怒ったモンスターが襲ってくることなんだろうな)


 レイは自分の言葉に頷いた様子を見せたヴィヘラを見ながら、そんな風に思う。

 実際、ヴィヘラはそんなレイの言葉に納得した様子を見せていたのだから、レイの予想は全く間違っていない。


「他に何か異論がある奴は? 後で何か言っても聞かないぞ」


 ヴィヘラが納得したのを確認して他の者達にも尋ねるが、誰も反対する様子はない。

 エレーナは、中距離を攻撃出来るミラージュや遠距離では風の魔法があるし、最悪の場合はスレイプニルの靴を使って川にいる相手とでも戦いようはある。

 マリーナは、風と水の精霊魔法を得意としている為に、川沿いに進むのは寧ろ望むところだ。

 ビューネは、元々戦闘では前線で戦うタイプではなく、遠距離からの援護をするのがメインなので、相手が川の中にいると多少戦いにくいが、それでも有効な攻撃手段を持っている。

 レリューは……それこそ、疾風の異名を持つランクA冒険者で、風斬りというレイの飛斬と似たタイプのスキルがあることもあり、問題ない。

 セトとイエロは空を飛べるので、そこもまた問題ない。……イエロは戦闘に参加しないが。


(実はスレイプニルの靴って、俺やエレーナじゃなくてヴィヘラの方にこそ必要なんだろうな)


 そう思わないでもないが、ヴィヘラの靴とセットになった足甲も、踵から魔力の刃を生み出す能力を持っているマジックアイテムであり、ヴィヘラの戦闘スタイルに大きな意味を持つ。

 格闘を主としているヴィヘラにとって、足甲の踵の部分の刃というのは、貴重な攻撃力となる。……もっとも、その刃よりも浸魔掌の方が余程凶悪な攻撃力を持っているのだが。

 また、スレイプニルの靴は空を踏めるという、それこそ冒険者……以外であっても、是非欲しいと思えるようなマジックアイテムだ。

 アイテムボックス程ではないにしろ、非常に稀少な品なのは間違いない。

 欲しいと言って、すぐに用意出来るものではないのだ。


(足甲にスレイプニルの靴の効果を与えることが出来れば、それが最善なんだろうけど)


 レイは川沿いに上流へ向かいながら、スレイプニルが出て来ないかと期待する。

 八本足の馬という姿をしたスレイプニルは、空を駆けることが出来るということもあって非常に珍しいモンスターだ。

 だが、もしかしたらこの森の中にスレイプニルがいるのかもしれないと、微かな……本当に微かな希望を抱く。

 もっとも、その希望を抱いた理由は、川でケルピーという馬のモンスターに遭遇したので、同じ馬のモンスターのスレイプニルもいるのでは? という、希望とも呼べないような希望だが。

 それでも可能性としては皆無ではない以上、期待するだけなら構わないだろう。


「じゃあ、行動開始だ」


 レイの言葉と共に、一行は再び川を遡っていく。

 途中でモンスターではない動物の鹿を何匹か見たが、それは狩るような真似をしなかった。

 鹿肉も不味いという訳ではないのだが、純粋に肉の味として考えれば、やはり魔力を持ったモンスターの肉の方が美味い。

 わざわざここで時間を掛けて鹿を狩るといった真似をする必要は、レイ達にはなかった。


「キュウ……」


 何故か、セトの頭の上に乗っているイエロだけは、鹿を狩れないことを残念に思っていたが。


「鹿か。他にも猪とか狐とか狸とか……場合によっては熊とか、この森には野生動物が多くいるんだろうな」

「この森を見る限りでは、レイの言葉に間違いはなさそうだな。だが……出来たばかりのダンジョンが、何故これだけの広さを持つ? この森を見る限りでは、とてもではないが出来たばかりとは思えぬぞ?」


 エレーナのその言葉に、レイは……いや、他の者達も周囲に視線を向ける。

 実際、この森の広さは間違いなくダンジョンが存在した崖よりも広い。

 あの階段から、どこか別の空間に繋がっているのか……それとも、崖の中が空間的に広くなっているのか、それ以外の何かか。

 その理由はレイには分からなかったが、それでもこのダンジョンが既に出来たばかりのダンジョンではないというのは、理解出来る。


「多分、ダンジョンが誰にも見つからずに成長していって、何らかの理由で偶然あの崖に繋がった……ってのが正解なんだろうな」

「でしょうね。勿論、ダンジョンについては未だに謎ばかりが多いから、もしかしたら最初からこの大きさのダンジョンだったってこともあると思うけど」

「……少なくても、俺が以前ギルムの近くに出来たばかりのダンジョンに挑んだ時は、こんなに広くはなかったけどな」

「ああ、ガメリオンの」


 レイの言葉で、すぐに当時のことを思い出したのだろう。マリーナは面白そうな笑みを浮かべる。

 何らかの理由でガメリオンがそのダンジョンの中に集まっていたこともあって、その年のガメリオンは冒険者の懐を潤すようなことが出来なくなってしまったのだ。

 その時のガメリオンは、未だにレイのミスティリングの中に大量に入っており、レイ達の舌を楽しませている。

 レリューもギルムに住んでいるだけあって、ガメリオンに対しては色々と思い出があるらしく、話しながら川を上流に向かって遡っていくのだった。

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