第1692話

「これは……凄いな」


 テーブルの上に乗った巨大な魚……それこそ体長二m程もある巨大な魚だ。

 それも、レイのミスティリングに入っていただけに、まだ殺したばかりの新鮮さを保っている。

 実際にはレイが海で漁をするようになった始めのうちに獲った魚である以上、当然のようにその魚は本来なら悪くなっていなければおかしい。

 冷蔵庫の類もない……訳ではないが、高級なマジックアイテムである以上、一般人にはそう簡単に手出し出来るような代物ではない。

 何日も前に獲った魚、それも夏の終わりから秋に掛けてのこの時季であれば、普通なら間違いなく腐っているだろう。

 だが、その魚は新鮮そのものだった。


「どうぞ。お土産です」

「いいのか? こんな魚、普通に買ったら相当高い筈だが」


 レイを見ながら尋ねるダスカーだったが、それは決して間違っている訳ではない。

 そもそも、ギルムは海から遠く離れた場所にあるだけに、余程の例外を除いて食べる海の魚は塩漬けの類だ。

 勿論塩漬けの魚も、しっかりと水で塩を抜いて手間暇を掛けて調理すれば、美味い料理が出来るから、不味い訳ではない。

 だが、やはり新鮮な魚を腕の良い料理人が調理した料理と比べれば、どうしても劣ってしまう。

 そんな魚をこうも無造作にお土産ですと渡されても、ダスカーにしてみれば珍しくどう対処すればいいのか迷ってしまう。

 それでもすぐに我に返り、メイドを呼んだのはギルムという……色々な意味で特殊な場所にある街の領主として耐性がついていたからこそだろう。

 ……もっとも、その耐性もレイという存在がギルムにやって来てからは、急激に鍛えられることになっているのだが。


「お呼びでしょうか?」


 ノックして入ってきたメイドが、テーブルの上にある巨大な魚に少しだけ驚きの表情を浮かべるが、それもすぐになくなった。


「この魚を厨房に持っていってくれ。レイからの土産だ」

「分かりました。では、今日の夕食はこの魚を使った料理……ということでよろしいでしょうか?」

「ああ、それで構わない」


 魚料理と聞き、少しだけ嬉しそうな表情を浮かべるダスカー。

 レイはそんなダスカーの様子を見ながら、今はここにいないビストルの作った料理の味を思い出す。

 ビストルの料理はその辺の食堂の料理よりも美味く、特に海鮮スープに関しては堕落の海鮮スープと名付けられる程だ。

 あのスープよりも美味い料理を作れるのか……と、そんな風にすら思う。

 もっとも、領主の館にいる料理人である以上、その腕は街の料理人とは比べものにならないだけのものがある筈だった。


(だとすれば、一度食べてみたいとは思うけどな。……いや、今まで何度か食べてるか)


 ダスカーに面会に来た時に出される、サンドイッチのような軽食。

 それを作っているのも、当然ながらダスカーに雇われている料理人の筈だった。

 作るのが簡単なサンドイッチだけに、どれだけ料理の腕が良くても、そこまで他の店で売っているサンドイッチとの違いはなかったが。

 ……正確には色々と工夫されていたりもするのだが、レイの味覚はそこまで優れてはいない。

 いや、味覚というのは五感の一つで、レイの身体がゼパイルによって作られている以上、間違いなく鋭いのだが……その辺りは、純粋にレイの経験不足といったところか。


「あの魚の様子を見れば、随分と海を楽しめてきたみたいだな」

「そうですね。もっとも、海賊の襲撃とかもありましたが」


 この場合の海賊の襲撃というのは、海賊に襲撃されたのではなく、海賊を襲撃したというのが正しい。

 ダスカーも対のオーブを通じてそれは知っているので、突っ込みを入れるような真似はしなかった。

 そもそも、それで捕らえて奴隷にした海賊をギルムまで運んでくるようにと要望したのはダスカーなのだ。

 その辺りの事情を考えれば、何を今更……といったところか。


「海賊の件は俺にも予想外だったが、今回に限っては色々と利益の方が多かったな」

「そうですね。かなり老朽化してるとはいえ、船も手に入れられましたし」


 砂上船を参考にして地上船を作るにも、まさか最初から全てが上手くいくと楽観的に考えられる程にレイもお気楽ではない。

 そうである以上、やはり色々と練習をする為の物は必要なのだ。

 また、船の構造やら何やらを調べる為にも、船というのはあればあっただけいい。

 そういう意味では、やはりレイが海賊から奪ってきた二隻の船は非常に重要な代物だった。


「その船の代金は……」

「あ、その件はマリーナと交渉して下さい」

「……だろうな」


 レイの言葉に、ダスカーが少しだけ残念そうな表情をする。

 マリーナと交渉をするとなれば、絶対に自分達に不利な……そしてレイ達に有利な契約を結ぶことになるのは確実だったからだ。


(交渉役には、勉強だと思ってもらうしかないか。臨時で幾らか払っておいた方がいいだろうな)


 以前マリーナと交渉した者は、その精神的な疲労から数日休みを与えなければならなかった程だ。

 それだけ、マリーナとの交渉というのは精神的に疲労する。

 もっとも、それだけにマリーナと交渉した者は交渉の能力が目に見えて上がるのだが。

 そういう意味ではマリーナに感謝してもいいのかもしれないが、だからといって自分達の不利益をそう簡単に受け入れることは出来ない。

 将来的には利益になるのは間違いないと、そう理解していてもだ。

 それでも最終的に受け入れるという判断を下すのは、領主としてのダスカーの能力がそれだけ優れているということなのだろう。


「船については分かった。それで、奴隷の方は?」

「出来るだけ早くギルムに向かうと言っていたので、恐らく冬になる前には到着するかと」

「ふむ、なら冬の間に地上船を使う為の船員の育成も可能か」


 ダスカーにとって、地上船というのは半ばギャンブルに近い。

 地上船を作るための施設を建造するというのは、それだけの金が掛かるのだ。

 それで、もし地上船を作るという行為が失敗すれば、それまでに使った資金は全てダスカーにとって……そしてギルムにとって、無駄になる。

 だが、それでもダスカーは地上船の件については成功するという確信を持っていた。

 確証としては、やはりレイ率いる紅蓮の翼の存在だろう。

 もし必要なマジックアイテムがあれば、レイ達に依頼して確保して貰うといった手段が使える。

 その上、紅蓮の翼はセトという驚異的な移動速度を持つ存在がいるのだ。

 他にも精霊魔法を自由に使いこなし、深い知識を持っているマリーナもいる。

 その手の技能を持っていないヴィヘラも、元ベスティア帝国の皇女であるということを考えれば、その伝手は色々な意味で役立つのは間違いない。

 また、ギルムにいる錬金術師も、辺境の街に集まってきているだけあって腕の立つ者が多い。

 それらのことを考えると、地上船を開発するというのはギャンブルであってもかなり勝算の高いものだ。

 だからこそ、ダスカーが手を出した……ともいえる。

 もし勝算が低いようであれば。ダスカーがこうも大々的に手を出すようなことはなかっただろうし、もし何らかの理由で手を出さざるを得なくなったとしても、もっと小規模な……それこそ、地上船を作る施設を最初から作るような真似はしなかった筈だ。

 そんなダスカーの態度こそが、地上船について成功する確率が高いことを意味している。


「そうね。冬は冒険者にとっては休んでいる者が多い。そういう意味では、船を操る勉強といったものをするには丁度いいでしょうね」

「ん? マリーナ、それはどういう意味だ? ダスカー殿が言った船員の育成というのは、別に冒険者ではないのだろう? ならば、いつ勉強しても構わないのではないか? 勿論、その手の話は早い方がいいだろうが」


 マリーナの言葉を不思議に思ったのか、エレーナは少し疑問を抱いて尋ねる。

 地上船の船員としてダスカーが考えているのが冒険者……ではなくダスカーの部下の者達だというのは、これまでの話の流れで十分に理解出来る。

 だがマリーナの言葉を考えれば、何故そこに冒険者が入ってくるのかという疑問があった。

 視線を向けられたマリーナは、何か意味ありげな視線をヴィヘラに向ける。

 そんなマリーナの視線の意味を理解したのか、ヴィヘラはそっと視線を逸らして魚がなくなって広くなったテーブルの上にあった紅茶に手を伸ばす。


「冬になって冒険者があまり外に出ないで休むようになれば、騒動も減るでしょう? まぁ、中には酔っ払って暴れる冒険者とか……他にも色々と問題を起こす冒険者もいるかもしれないけど」


 ヴィヘラのように。

 そう口には出さなかったが、マリーナが何を言いたいのかは、今のやりとりを見れば明らかだ。

 強敵との戦いを好むヴィヘラの場合、何だかんだと最終的に問題が起きることは少なくない。

 ヴィヘラもそれは分かっているので、迂闊に反論は出来ない。


「ふむ、そういうことか。……ダスカー殿も、色々と大変なのだな」

「ははっ、そう言って貰えると嬉しいよ。何故か、俺の大変さを分かってくれるような奴があまりいなくてな」


 マリーナの方を見ながら、ダスカーはそう言って笑う。

 だが、マリーナは先程のヴィヘラと違って視線を逸らすような真似はせず、笑みすら浮かべて口を開く。


「あら、私もダスカーは頑張ってると思うわよ?」

「……そう思うなら、色々と手加減をしてくれると助かるんだけどな」

「私が手加減したら、後進が育たないじゃない。相手が私じゃなくても、手加減して欲しいとお願いするの?」

「それは……」

 

 そのような真似が出来る筈がない。

 もしそのような真似をすれば、それこそダスカーは……そしてダスカー率いる中立派は、周囲から軽く見られる。

 勢力的には貴族派や国王派に及ばない現状で、そのような真似が出来る筈もない。


「でしょう? だから、これも厳しい愛の鞭なのよ」

「……ふん」


 見事に言い負かされた形のダスカーは、不満そうに鼻を鳴らすだけだ。

 それでもすぐに気分を切り替えることが出来るのは、ギルムの領主としての経験からだろう。


「取りあえず、レイ達には明日からまた増築工事の方に回って欲しいんだが……問題ないか? 何か用事があるなら、そっちを終わらせてからでもいいが」


 そう告げるのは、やはりレイ達にかなり負担を掛けていると理解しているからだろう。

 ここで無理に命令するような真似をして、その結果レイ達がダスカーに対して思うところが出来る……というのは、まさに最悪のパターンだ。


(それに、そんな真似をしようものなら、マリーナに何を言われることやら)


 自分が小さい時に行った、今にしてみれば恥ずかしい行為を詳細に語られるというのは、それこそダスカーにとっては悪夢でしかない。

 ましてや、そのなかでも最大級の黒歴史……マリーナへの求婚を口に出されれば、恥ずかしさのあまりに悶死すらしかねない。

 勿論それがギルムの為になるのであれば、領主の権限を使うのを躊躇うつもりはない。

 だが、今の状況でそのようなことをする必要はなく、レイ達には気持ち良く働いて貰う方がよかった。

 もっとも、気持ち良く働くという意味では、今日まで十日以上バカンスを楽しんできたのだから、十分だろうとはおもっているのだが。


「分かりました。俺の方は特に用事は……ああ、海で手に入れたモンスターをギルドで調べるくらいですね。あ、それと馬車で運んでいたトレントの森の木を預かってるので、それを持って行くのもあります」


 クラゲのモンスターを始めとして、何種類かレイの持っているモンスター図鑑には載っていなかったり、元ギルドマスターのマリーナや商人のビストルといった面々ですら知らないモンスター。

 一応魔石は手に入れたが、どの部分が討伐証明部位になるのか、また素材として売れるのか……そのようなことを調べる必要があった。

 また、運が良ければどう料理して食べればいいのかを、知ることも出来るだろう。


(料理か。……ビストルは今頃かなり忙しくしてるんだろうな)


 ビストルとは、領主の館に来る前に別れている。

 ビストルの持っているマジックポーチは、レイのミスティリングと違って時間の流れが存在している。

 そうである以上、海にいる間に必死になって作った一夜干しを、出来るだけ早く商品として売ってしまいたいと思っているのだろう。

 今回の件でレイ達についていったビストルにしてみれば、金を殆ど使わないで――その分料理とかはビストルが任されていたのだが――大量の商品を入手出来たのだ。

 沿岸沿いにある村や街ではそれ程の価値はないだろうが、ギルムのような場所まで持ってくれば、それこそ価値が跳ね上がる。

 上手く捌けば、まさに濡れ手に粟といった商売が出来るのは間違いなかった。


(ま、ビストルの性格を考えれば、悪辣な商売とかはしないと思うけど。……そもそも、商売出来る相手がいるのか?)


 レイ達は既に慣れたが、ビストルの外見はかなり強烈だ。

 そんなビストルと商売をする者が、一体どれくらいいるのか……そんな風に思いながら、レイはダスカーとの会話を続けるのだった。

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