第1691話
「お、ギルムが見えてきたな」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。
海でのバカンスも楽しかったが、やはりレイやセトにとって、ギルムが帰るべき場所なのだろう。
「それにしても……相変わらず人が多いな」
レイが呟いたのは、ギルムに向かっている者の数が以前と比べてもまるで減っている様子がなかったからだ。
ギルムの増築工事という、非常に規模の大きな工事であるのは分かる。
それこそ、場合によっては数年単位で行われてもおかしくはない……そんな工事なのだから。
それだけに、様々な作業をする者は出来るだけ数が欲しいと考えるのも、当然だろう。
ギルムでもそのような者達を常に受け入れており、結果としてこれだけの人数が未だにギルムに向かう……といったことになっているのは、間違いなかった。
(けど、宿屋の問題はどうしたんだろうな)
レイが知ってる限りでは、ギルムにある宿は結構前に一杯になっていた筈だ。
野宿をする者が増え、結局それを防ぐという意味でも、増築工事の現場近くに簡単な宿――と呼ぶのは無理な簡易的な建物――が建てられていた筈だった。
だが、雑魚寝をするその建物もこれだけ人数が増えれば焼け石に水でしかないのは明らかで、ではこうして集まってきている者達はどこで寝ているのだろう。
そんな風にレイが思っていると、丁度街道を何本もの木材を積んだ馬車が移動しているのを見つける。
当然普通の馬車で何本もの木を運べる訳もなく、木の運搬用の為に特別に作られた馬車だ。
何台もの馬車が連結されており、当然それを牽く馬の数も多い。
どこに降りるかを迷っていたレイだったが、どうせならあの木を収納して手間を省こう。
そう考え、レイはセトに地上に降りるように言う。
もっとも、最初に降りる……落とすのは、当然のようにセト籠なのだが。
地上に……木を運んでいる馬車から少し離れた場所に向かって降下していき、限界まで地上に近くなったところで、セト籠が放される。
セト籠が地上にぶつかる音が周囲に響き、何も知らない者達はいきなりのその音に驚く。
そんな中、セト籠の存在を知っているほんの少数の者達のみが、一瞬その音に驚くものの、すぐに平静を取り戻す。
特に親切な者は、混乱しそうになっていた周囲の者達に、これは安全だと、そう告げる。
実際、セト籠の能力はすぐに消え、音のした辺りにはいつの間にかセト籠だけが残っていた。
それからすぐに翼の羽ばたく音が聞こえ、やがてセトが降りてくる。
(セト籠を見て驚くのに、セトを見て驚かない……どころか、喜んでる奴が多いのは、セトの存在が知られてきたってことなんだろうけど……うーん、正直なところ、喜んでいいのかどうか)
セトが受け入れられたことは嬉しいレイだったが、同時にモンスターを怖がらなくなるのでは? という心配と、何よりセトにちょっかいを出してくるような奴がいるのでは? という思いを抱く。
セトにちょっかいを出すのでも、それがセトを愛でるという意味であれば歓迎するのだが……セトの毛や羽根を欲してちょっかいを出してくるような者の相手をするのは非常に面倒だった。
ともあれ、地上に降りたレイは早速セトと目的の馬車に向かう。
馬車の御者や護衛の者達は、当然のようにレイとセトの姿を見れば嬉しそうにする。
……もっとも、久しぶりに会えたことを喜んでいるというのもあるが、何よりも大きいのはやはり仕事が楽になるというのを理解しているからだろう。
「おおおおおおおおおおおお! レイだ、レイが戻ってきてくれたぞ!」
「俺達の救世主、レイ! いや、レイさん! レイ殿! レイ様!」
「よかった、よかった。これで木を運ぶ仕事がかなり楽になる」
そんな風に皆が喜び、周囲にいた何の関係もない者達は、何故ここまで喜んでいるのかと疑問を抱く。
だが、レイはそんな者達の様子は気にした風もなく、口を開く。
「それで、これは俺が持っていってもいいのか?」
「ああ、勿論だ! 頼む! レイさんがいなければ、これを運ぶのはともかく、下ろすのは一苦労だったからな」
「だろうな」
レイのような人外の身体能力を持っているのであればまだしも、この木を普通に運ぶというのであれば、かなりの労力を伴う。
それこそ、働いている者にとって限界に近いくらい体力を使い果たすかのように。
(下ろすのはその場所を担当している連中……だと思ってたんだが、この様子を見ると護衛をしている冒険者達も駆り出されるんだろうな)
そう思いつつ、レイは馬車の上にあった木をミスティリングに収納していく。
レイのその様子に、周囲で何も知らなかった者達は唖然とした様子を見せていたが……それはいつものことと、レイは特に気にした様子もなく話を続ける。
「それで、トレントの森の方には、どれくらい伐採した木が溜まってるんだ?」
「あー……それは……もの凄く、としか」
護衛の冒険者が、言いにくそうにそう告げる。
だが、レイは特に怒ったりせず、寧ろ納得した。
何だかんだと、レイ達は十日以上もギルムを留守にしていたのだ。
ジャーヤの件でいなくなっていた時であればまだしも、今回はすぐに戻ってくると最初から分かっていた。
だからこそ、樵達も遠慮なくトレントの森の伐採を進めていたのだろう。
ましてや、今はもう晩夏……いや、既に初秋と呼ぶべき頃合いだ。
秋になれば、もうすぐ冬となり、そして冬になれば樵は仕事が出来なくなる。
いや、無理に仕事をしようとすれば出来ないこともないのだが。
特に今回は、山で木の伐採をするのではなく、トレントの森で木の伐採をするのだから。
だが、それでも当然危険度は高い。
特に冬になればその時季だけ姿を現すようなモンスターもおり、大抵その手のモンスターは普通のモンスターよりも強い。
そんな中で木の伐採をするとなると、今のよりも強い冒険者を雇う必要もあるが……増築工事をしているギルムにとっては、それは無駄な出費でしかない。
そのような真似をするのであれば、それこそ春になってから改めて大勢の樵を送り込んだ方が効率的なのだから。
ましてや、今は冬に工事をする分の木材を必死に集めている途中で、わざわざ冬に樵を派遣するという理由にはならなかった。
「分かった。なら一段落ついたらトレントの森の方に行くよ。お前達はこれから向こうに戻るのか?」
「あー……そうだな。何人かはレイが戻ってきたってことを知らせる為に戻った方がいいと思う。特に今回の場合、レイが運ぶのに準備をする必要があるし」
準備? と冒険者の言葉に多少疑問を感じたレイだったが、後でトレントの森に行けば分かるだろうと、今は気にしないことにする。
「じゃあ、そうしてくれ」
「用事は終わった? じゃあ、そろそろセト籠を一旦収納して欲しいんだけど」
背後から聞こえてきたマリーナの声に、レイはセト籠の方に視線を向ける。
すると、セト籠の周囲には何人もが集まり、興味深そうにセト籠を見ていた。
突然何もない場所からいきなり姿を現す……などといった真似をしたのだから、それが気になる者が多いのは当然だろう。
ましてや、現在街道を移動している中には商人の数も多い。
商人にしてみれば、セト籠というのは大きな商機であると、そう思っても不思議ではない。
いや、寧ろセト籠を見て商機と判断出来ないような商人は、それこそ商人としてやっていくのは無理だろう。
……だからといって、レイがそれに付き合うつもりがないのは間違いないのだが。
「そうだな。このままだと妙な考えを持つ奴も現れそうだ」
今の状況で、セト籠に手を出す……それこそ素材の一部でも手に入れるという真似をすれば、それは明確にレイを敵に回す行為だ。
ギルムでレイを敵に回すということは、当然ながらレイの従魔のセトも敵に回すということであり、そうなってしまえばギルムで生活や商売をするのは、不可能……とまではいかないが、それでも難しくなるのは間違いない。
だが、それが分かっていてもセト籠というのは商人達の興味を刺激するし、何より今回初めてギルムに来たような商人は、レイとセトを敵に回すことの面倒さを知らない。
商人達がそんな面倒な事態になるよりも前に、さっさとセト籠をミスティリングに収納した方がいいだろうと、馬車や冒険者はそのままに、セト籠に向かう。
尚、冒険者達は元ギルドマスターのマリーナがいきなり姿を現したこともあって、緊張に身体を固めていた。
それでもマリーナの服装……特に大きく開いている胸元に視線が向けられたのは、男の本能として仕方がなかったのだろう。
「ちょっと退いてくれ。悪いな」
そう言いながら、レイは商人や野次馬といった面々を掻き分けるようにしてセト籠に近づいていく。
当然掻き分けられる方としては面白くないのだろうが、それを行ったのがレイだと……先程セトに乗っていた人物だと知れば、不満を口に出す訳にもいかない。
……よほどの馬鹿ではない限りは。
「おい、痛えじゃねえか! 何しやがる! 迷惑料として、それを俺に寄越せ!」
商人……というよりは、完全に盗賊の如き容貌をしている男が、レイに向かって怒鳴る。
そんな男を見た周囲の者達の何人かは、嫌悪を滲ませる。
見るからにレイに言いがかりを付けてセト籠を奪おうとしているのが見え見えだったからだ。
だがそれより多くの者は、寧ろ哀れみの視線すら男に向けていた。
商人と名乗るのもおこがましい、寧ろ盗賊と呼ぶのが相応しい男が、誰に言いがかりを付けているのか、それを知っていたからだ。
恐らく、男は今まで自分の力……暴力によって、商売をしてきたのだろう。
小さな村であれば、そのような真似をしても誰も男を止めることが出来なくてもおかしくはない。
しかし……ここは今まで男が商売をしていたような場所ではなく、ギルムだ。
大勢の腕利き冒険者が集まってくる場所なのだ。……今は、そこまで腕が立たない冒険者も多くいるが。
ともあれ、そのような場所だけに男が今まで通りの方法で商売をしようとしても、成功するのはまず不可能だった。
ましてや、絡んだ相手があのレイである以上、商人としての男の未来は、もう終わったも同然だった。
「は? 寝言は寝て言え。ああ、寝言でもうるさいから、寝てても言うな」
「なっ!?」
男にしてみれば、今まで通り脅せばレイは自分の言うことを聞くのだと、そう思っていた。
事実、男は今までそうやって得た物を売って商人としてやってきたのだし、何よりレイは小柄で、自分の命令に背くような真似をするとは思えなかった。
自分の命令に従って当然のレイが、特に怖がる様子もなく反論してきた。
そのことが、男が一瞬自分に向かって何を言われたのか分からなかった理由だろう。
ここで男は自分の脅し――男に言わせれば商談――に対して、レイが全く恐れる様子を見せなかったのを疑問に思えば、この後の悲劇も防げただろう。
だが、男は自分の命令にレイが逆らったということが納得出来ず……そして我慢出来ず、いつものように拳を握り、唐突に殴ろうとする。
男にとって、その行為は当然のこと。
いきなりの奇襲に、レイは何も出来ずに自分の拳で殴りつけられる。
そう思って内心で会心の笑みを浮かべ……
「がぁ!」
だが、次の瞬間に激しい衝撃を受け、そのまま吹き飛ぶ。
人間が……それも今レイに殴りかかったような巨漢が数mも吹き飛ぶというのは、ちょっとした見物だ。
また、そんなことになったにも関わらず、セト籠の周りに集まっていた者達で怪我をした者は誰もいない。
この辺り、レイがしっかりと計算して男を殴り飛ばした証だろう。
レイにとっては軽く吹き飛ばしたといった程度にすぎない一撃だったが、それはあくまでもレイにとってだ。
男にとっては、十分すぎる程に強力な一撃で、意識は保っていたものの、言葉を発することは出来ない。
男の方を一瞥したレイは、すぐに興味をなくして再びセト籠に向かって歩き出す。
そんなレイに対して、もうこれ以上歩くのを邪魔したり……ましてや絡んでセト籠を奪おうなどと考える者はいなかった。
「あまりやりすぎるなよ?」
セト籠の近くにいたエレーナの言葉を聞きつつ、レイは頷きを返してセト籠をミスティリングに収納する。
木を収納した光景を見ていた者も多かったので、そんな光景を見ても驚くような者は少ない。
それでも、やっぱりアイテムボックスを持っているという事に驚く者は多かったのだが。
「あらん。ジェリスラじゃない。お久しぶりねん」
「うげ、ビストル……何でお前が……」
「アタシはレイちゃん達と仲が良いのよん。おかげで、一緒に海にいけたわ」
ビストルの知り合いらしい商人は、海という言葉に羨ましそうな視線を向けるのだった。
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