第1646話

 レイ達がギルムに戻ってきてから、幾らか日にちが経ち……夜や朝は勿論、日中にも夏の空気に秋の気配が混ざり始めた頃……再び、レイ達の姿は大空にあった。

 レイが乗っているのはセトの背で、そのセトはセト籠を持っている。当然そのセト籠の中にはエレーナ、マリーナ、ヴィヘラ、ビューネ、そしてイエロの四人と一匹の姿がある。

 更には、他にも何人か女の冒険者の姿があった。

 そんなレイ達が向かっているのは、当然のようにスーラ達の一団だ。

 ギルムでの仕事にも一段落ついたこともあり、物資の補給も兼ねて顔を出すことになったのだ。

 もっとも、補給自体はギメカラが所属するゾルゲー商会が行っているので、そこまで困っていることはない筈だった。

 嗜好品の類は足りないかもしれないが、難民……と呼んでもおかしくはない一行にとって、それは贅沢以外のなにものでもないだろう。

 そしてエレーナ達以外で乗っているのは、スーラ達の一団に護衛として加わる予定の冒険者達だ。

 殆どが女の集団の護衛をするだけに、女に飢えているような男を連れていく訳にはいかない。

 そう考えられた末に選ばれたのが、女の冒険者達だった。

 勿論全ての女が一つのパーティ……という訳ではなく、ソロであったり、あるいはパーティの中から女だけを引き抜いた形だ。


「んー……どのくらいで見えてくるんだろうな」

「グルゥ?」


 レイの呟きに、どうしたの? と視線を向けるセト。

 そんなセトの様子に、レイは何でもないと首を横に振る。

 地上に見えるのは、夏の草原。

 ただし、季節的にはそろそろ秋に差し掛かってきている頃である以上、草原の草も枯れ始めてもおかしくはなかった。

 そうして飛び続けること、数時間……レイの目に見覚えのある川が見えてきた。

 そう、以前ギルムに戻る途中で寄った、川だ。

 川の岩をセトが前足で叩き、その衝撃で川魚を獲るといった漁をした場所。


「ちょうど昼くらいだし、あそこで休憩するか。セトも、どうせなら魚を食べたいだろ?」

「グルルルルゥ!」


 レイの言葉に、少し前に食べた魚の味を思い出したのか、嬉しそうに鳴き声を上げるセト。

 セトにとって、あの川で食べた川魚はそれだけ美味かったということなのだろう。

 レイに地上に降りてもいいと言われたセトは、翼を羽ばたかせながら地上に向かって降下していく。

 やがて川の近くでセト籠を降ろし、セトも無事に着地するのだった。

 だが、当然ながらレイの意見だけで昼の休憩をすることにしたので、エレーナ達に少し注意されることになるのだった。






「え? その……本当に私達もその料理を食べていいんですか?」


 女の冒険者が、目の前の料理を見て驚きの声を上げる。

 てっきり食事は自分達で用意する必要があると思って干し肉を始めとして保存食を幾つか持ってきていたのだが、当然のように自分が持ってきた保存食と、目の前にあるレイがミスティリングから取り出した料理のどちらを食べたいかと言われれば、後者だ。

 きちんと料理人が手間暇を掛けて作った料理が、出来たてで目の前にあるのだ。

 それを食べたいと思わないような者は、それこそ何か特別な理由があるような者か、もしくは普通の料理よりも保存食の類を好物にしている者くらいだろう。

 だからこそ、女の冒険者は料理を自分達の方にも差し出してきたレイに向かって、そう尋ねたのだ。


「ああ。向こうと合流するまでどれくらいの時間が必要になるかは分からないが、その間の食事はこっちで用意する」

「その……本当にそこまでしてもらってもいいんですか?」

「あら、貴方もしかして最近ギルムに来た冒険者?」


 レイと女の冒険者の間に割り込んできたのは、マリーナだ。

 元ギルドマスターというだけあり、マリーナは当然のように多くの冒険者の顔を覚えている。

 勿論全ての冒険者という訳ではないが、元々女の冒険者はどうしても男の冒険者に比べれば少なくなるのだから、マリーナの記憶に残りやすくなっているのは当然だった。

 もっとも、マリーナがギルドマスターから冒険者になって、それなりの時間が経つ。

 その間にギルムにやって来た冒険者の数も多いし、何より増築工事によってその人数は更に多くなっている。

 そのような間にギルムにやって来た冒険者は、それこそ覚えろという方がどう考えても無理だった。


「あ、はい。私は少し前に」

「そう。安心しなさい。貴方が今までどんな依頼をしてきたのかは分からないけど、少なくてもギルムでは……いえ、領主のダスカーは食事を冒険者持ちなんて貧乏くさい真似はしないから」


 その女冒険者はマリーナのことを知らないのか、領主の名前を呼び捨てにしたことに驚く。

 そんな女に、マリーナのことを知っている何人かが事情を話すと、ようやく安心したのだろう。嬉しそうにレイが出した料理に手を伸ばす。


「昼飯を食い終わったら、少し休憩してまた出発だ。何か用事がある奴は、それまでに済ませておいてくれ。色々とな。それと、川で魚を獲ってくれれば、今夜の食事が多少なりとも豪華になるぞ。……セト、分かってるな?」

「グルルルルルゥ!」


 レイの言葉に、セトは何を言われているのかを知り、嬉しそうに鳴き声を上げる。

 いや、嬉しそうにしているのはセトだけではない。

 女の冒険者達も、ギルムに来る前には田舎で生活している者もいたので、魚を獲る方法は知っていた。

 半ばレクリエーション的な意味で魚を獲るのを楽しみ、ギルム育ちだったり、他の街からやってきてそういう経験がない者達には魚の捕り方を教える。

 ……出身地によってはその辺りの方法も大きく違うところがあり、魚を獲る方法を知っている者同士であっても、お互いに自分達の方がいい、そのやり方は参考になるといった風に言葉を交わす。

 出来たての料理を食べながら、涼しい川の近くで意見を交換しているということもあり、自然とその議論は白熱していく。


「上手いわね」


 そんな様子を見ていたヴィヘラが、意味ありげな笑みを浮かべてレイを見る。


「何のことだ?」

「……さっきまではお互いに遠慮してたのに、今はああやってお互いに遠慮しないで意見を言い合ってるじゃない。まぁ、内気な性格の子がいないからこそ、出来たことなんでしょうけど」

「何を言ってるのか、ちょっと分からないな。偶然だろ、偶然」

「ふーん。……まぁ、レイがそう言うのならそれでもいいけどね」


 それ以上はヴィヘラも何も言わず、料理を食べることに戻る。

 そんなヴィヘラを見ながら、レイは少しだけ溜息を吐く。

 どこか照れくさくて誤魔化しはしたが、まさか自分の狙いがこうもあっさり見破られるとは思っていなかった為に。

 そんな照れくささを誤魔化す為に、パンを食べながら周囲を見回すと……ふと、川の側にイエロがいるのが目に入る。


「イエロ?」

「ふふっ、構わないでやってくれ。イエロは宿命のライバルとの戦闘中だからな」


 レイの呟きを耳にしたエレーナが、笑みを含んだ声で呟く。

 少し前に比べると大分涼しくなってきたとはいえ、それでもまだ夏なのは間違いない。

 ましてや、今日の空は雲も殆どなく、太陽が夏をまだ終わらせて堪るかと強烈に輝いている。

 降り注ぐ太陽の光に、エレーナの黄金の髪は煌めく。

 そんな髪を眩しげに見ながら、レイは改めてイエロの方に視線を向ける。

 そうして十数秒の間観察し……ようやくイエロが何をしているのかというのを理解する。

 そこでは、イエロが宿命のライバルとも言えるカニを相手に戦っていたのだ。

 ……もっとも、当然カニの攻撃でイエロの硬い鱗をどうにか出来る訳がなく、イエロが一方的に攻撃するといった形だったが。

 それでもカニは回避に集中しながらイエロにカウンターを放ち、互角の戦闘を繰り広げている。


「キュ! キュキュ! キュウ!」


 黒竜の子供として、カニ如きに侮られるようなことが許せないのか、イエロは前足で何度もカニを叩こうとする。

 だが、その怒りが動きを鈍らせているのと、周辺の石を上手く使っているカニにより、攻撃が命中するようなことはない。


「……その、レイさん。あの子は一体何を?」


 この光景を初めて見る女の冒険者がレイに尋ねるが、そんな疑問にレイが浮かべるのは苦笑だ。


「イエロと宿命のライバルの戦いだ。黙って見ていてやっていてくれ」

「は、はぁ……」


 レイにそう言われれば、女冒険者としてはそれ以上何かを言うようなことは出来ない。

 ただ、何か深刻な状況ではないと判断し、イエロを見守ることにする。

 この女はセトよりもイエロの方に愛らしさを感じているのだろう。

 そんな女から少し離れた場所では、セトが早速岩に向かって前足の一撃を放ち、魚を獲っていた。

 セトにとっては、自分の一撃で魚が気絶して浮かんでくるというのが面白いのだろう。非常に上機嫌な様子だ。


「この調子だと、魚に困ることはないな。……まぁ、川魚だけど」


 淡泊な味わいが多い川魚と比べると、やはり濃厚な味の海の魚というのも食べたくなる。

 だが、当然ながらギルムの近くに海はなく、もし海の魚が欲しいのであれば、それこそエモシオンを始めとした港街まで買いに行く必要がある。


(いや、自分で獲ることを考えれば、別に港街にいかなくても海に行ければそれでいいのか。……寧ろ、漁業権とかそういうのを考えれば誰もいない場所で漁をした方がいいのは間違いないよな)


 エルジィンにおいて、漁業権という権利は存在しない。

 しないのだが……漁師達の多くいる港街や村といった場所で、漁師でもないレイとセトが魚を獲っていれば、当然良い気分はしないだろう。

 ましてや、レイが獲ろうと思っている魚は夕食のおかずにもう一品……といったものではなく、それこそ数百匹、もしくはそれ以上の量なのだから。

 ただでさえ気の荒い者が多い漁師達が、自分達の見える場所でそのようなことをされれば、当然の如く揉めごとになるのは間違いない。

 降り掛かる火の粉は払うレイだが、自分から進んで火の粉を被るつもりはない。

 だからこそ、人のいない場所で漁をしようと考えたのだ。

 基本的に人のいない場所というのは、魚も多いがそれを狙う水中のモンスターも多いのだが……レイとセトであれば、その辺りを心配する必要は全くなかった。

 いや、寧ろそのようなモンスターを倒して逆に食料とするだろう。


(うん、そう考えると海に行ってみるのもいいかもしれないな。……まだ夏のうちに、出来れば行ってみたいんだけど……正直、どうだろうな)


 海に行きたいのは間違いないが、ギルムの増築工事やスーラ達の件もある。

 そうそう簡単に海に行くといった真似が出来る筈もない。

 だが、それでも魚は欲しいのは変わらず……


(そうだな。長期間って訳じゃないし、何日かくらいなら……ちょっと遅い夏休みだと思えば)


 増築工事の方も、数日程度では問題ないのは今回の経験でしっかりと理解している。

 であれば、少しくらい自分達がいなくても平気だろうと、そう考え……一度考えてしまうと、どうしてもそちらに意識が向いてしまう。

 実際にはエルジィンに夏休みなどという行事の類はある筈もない。

 冬になって雪が降れば休む者も多いので、それが長期休暇といえるのだろうが。

 それだって、休むよりは家の中で出来る内職をやっている者がいることを思えば、そこまで暢気なものではない。

 ……ギルムの冒険者の場合は、冬までにしっかりと資金を貯めておけば、冬の間は遊んで暮らすことも夢ではないのだが。

 その代わり、金を貯めきれなかったものは雪の中でモンスターを倒しに行ったりとすることになる。


「レイ、私達も少し魚を獲りましょ」


 数日の夏休み……もしくは秋休みにレイが思いを馳せていると、料理を一通り食べ終えたヴィヘラがレイを誘ってくる。

 セトが魚を獲っているのを見て、少し羨ましく思ったらしい。

 そんなヴィヘラの側では、ビューネがせっせと地面に落ちている小石を拾い上げていた。

 それで何をするつもりなのかは、ビューネの戦闘方法を知っているレイにはすぐに分かった。

 案の定、ビューネは持っていた小石を素早く投げ、川で泳いでいる魚を狙う。

 もっとも、ビューネの技量では百発百中という訳にはいかず、魚に命中する確率は五割くらいといったところか。

 それでも投げる石は多いので、ビューネもかなりの魚を仕留める、もしくは気絶させることが出来る。

 ただ、難点は死んだり気絶したりした魚は当然泳げないので、川に流されるといったことか。

 女の冒険者がそれに気が付いて川下に走っていったりもしたが、全てを確保するという訳にはいかない。

 ともあれ、少しの間レイ達は夏の川遊びを存分に楽しみ、川魚もかなりの量を確保することに成功するのだった。

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