第1645話

 ギルムに戻ってきてから、数日。

 問題になっていた仕事も大分片付き、特にトレントの森で問題となっていた部分が完全に解消している。

 ……もっとも、トレントの森では樵が毎日のように仕事をしているので、当然ながら時間が経てばまた伐採された木が溜まるのだが。

 ともあれ、増築工事の現場でも遅れを取り戻しつつあり、街中のトラブルも少なくなっている。

 そのように安心しながらギルムですごしていたレイ達だったが、今日になってダスカーに呼ばれて領主の館にやってきていた。


「何があったと思う? ギルムの様子を見る限りでは、特に何か問題があるようには思えないけど。……いやまぁ、細かい問題は色々とあるが」


 レイの言葉に、それを聞いていた全員が頷く。

 実際、大きな問題はかなり片付いたが、細かい問題はまだ幾つもある。

 それは増築工事をしている以上、当然のことなのだが。


「多分だけど、何か問題があって呼ばれたって訳じゃないと思うわよ? エレーナとアーラも呼ばれているし」


 マリーナの視線が、紅茶を飲んでいるエレーナに向けられる。

 当然その紅茶はアーラが淹れたもので、その辺のメイドが淹れたものより、余程美味い。

 アーラの淹れた紅茶はレイ達の前にも置いてあり、それを飲みながらレイは口を開く。


「そうなると、問題じゃなくて何か良いこと、とかだったりするのか?」


 そう言いながらも、レイは自分の言葉を完全に信じることは出来ない。

 今までの経験から考えて、とてもではないがこういう場合に良いことがあるとは思えなかったからだ。

 それどころか、悪いことなら幾らでも思い出せる辺り……レイが普段からどれだけトラブルに巻き込まれているのかを示しているのだろう。

 だが、今回に限ってはそんなレイの予想は外れることになる。

 ちょうどそのタイミングで、扉がノックされる音が部屋の中に響いたのだ。

 嫌な予感から、恐る恐るといった様子で中に入ってもいいと口にするレイ。

 そんなレイの言葉に扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、レイ……だけではなく、他の面々にも見覚えの人物だった。


「アマロス!?」


 そう、それはセト籠……正式には蜃気楼の籠を作った人物だった。


「お久しぶりです、皆さん」


 レイ達の姿を見て、にこやかに挨拶をしてくるが……それは、とてもではないがレイ達が安心出来る顔ではなかった。

 別に誰かに殴られた痕がある訳ではない。

 ただ、目の下にかなり濃い隈が出来ているのだ。

 明らかに寝不足と分かるその様子を見れば、とてもではないが笑みを浮かべて挨拶など出来る筈もない。


「その……大丈夫か?」


 アマロスの様子に、レイの口からは心配そうな言葉が出る。

 そんなレイの言葉に対し、アマロスは疲れた――場合によっては憑かれたと表現してもいい――笑みを浮かべる。


「ええ。ちょっと忙しい時間が続いてるので。改修の件も進んでますし、増築工事で使う木材に手を加えたりとか、それ以外にも色々と……」

「……あー、うん。悪いな」


 急に錬金術師達が忙しくなったのは、間違いなくレイ達の影響だった。

 それが分かるだけに、レイも半ば反射的に謝罪の言葉を口にしたのだが、実際にはレイが謝る必要はない。

 レイ達は、自分の仕事をきちんとしただけなのだから。

 それが分かっているからこそ、アマロスもレイを責めるような視線では見ない。

 元々錬金術師として熱心な以上、セト籠の改良というのは自分から望んでやっているという一面があるからこそ、というのもあるのだろうが。


「いえ、気にしないで下さい。元々蜃気楼の籠は急いで作ったので、粗があるというのは分かってましたから。……どうしました?」

「え? ああ、いや。何でもない。なぁ?」

「うん、そうね。何でもないわ」


 蜃気楼の籠という名前を口にした瞬間、一瞬アマロスが何を言っているのか分からないといった、惚けた表情を浮かべたレイ達だったが、慌ててそう言う。

 セト籠、セト籠と呼んでいるので、レイ達の中でも既に蜃気楼の籠という名前はすっかり忘れられていたのだが……さすがに蜃気楼の籠を作ってくれたアマロスにそれを言う訳にもいかず、笑って誤魔化す。

 そんなレイ達の態度に、アマロスは若干不思議そうな表情を浮かべたものの、すぐに本題に入る。


「それで、蜃気楼の籠の改修についてですが、恐らくもう数日で終わるかと。今回特に力を入れたのは、籠の中の居住性となります」

「そうね、セ……蜃気楼の籠に乗っている時間がそれなりに長い分、出来るだけ快適にしてくれると助かるわ。それこそ、可能であればもう少し籠の中を広く出来ればいいんだけど」


 マリーナの言葉に、アマロスは申し訳なさそうに首を横に振った。


「時間があればその辺りもどうにか出来るんですが、今回はその時間がないので、到底無理です」

「……まぁ、そうでしょうね。具体的にいつまた向こうに合流するのかというのは決まっていないんだから。それこそ、下手をすれば明日にでもまた行ってこいとダスカーに無茶ぶりされる可能性があるものね?」

「それは……取りあえず何とも言えませんね」


 ダスカーの部下としての立場を考えれば、アマロスがいかにマリーナの言葉に同意しても、それを口に出すようなことは出来ないだろう。

 ダスカーはその辺りを気にするような性格をしている訳ではないが、それでも自分から不用意にそのような真似をするというのは、自殺行為以外のなにものでもないのだから。


「時間があれば中を広げることが可能ということは……以前私達の間で話したのだが、例えばマジックテントを中に仕込むというようなことは可能か?」


 ダスカーについての話を変えようとしたのか、エレーナがそう口にする。

 マジックテントを籠の中に仕込むというのは、以前レイ達の中で話し合った時に出たアイディアの一つだ。

 中が広い部屋になっているマジックテントは、それこそ本来ならセト籠に乗れる以上の人員を乗せることが出来、その上で快適に運ぶことが出来るのだ。

 運搬手段としては、これ以上ない手段だろう。

 それこそ、スーラ達の運んでいた者達の中で具合の悪い者をセト籠に入れて運んでくるという手段を取ることも出来る。


「マジックテントですか。エレーナ様が考えていることも分かりますが、そもそも、マジックテントが稀少なマジックアイテムですから、そう簡単に入手することは……」


 アイテムボックス程ではないにしろ、マジックテントも非常に稀少なマジックアイテムであるのは、アマロスが口にした通り事実だ。

 それをすぐに手に入れるというのは、不可能……という訳ではないだろうが、アマロスの権限だと難しいのも事実。


「レイさん達が独自にマジックテントを入手して、それを組み込むという方法は可能だと思いますけど」

「そう言われてもな」


 マジックテントがあれば、非常に便利になるのは間違いない。

 だが、マジックテントそのものが稀少である以上、金を出してはい買いますという訳にいかないのも、事実なのだ。

 どちらかといえば、それこそ金よりもコネの方が役に立つ。

 実際、レイの持つマジックテントも自分の金で買ったのではなく、ダスカーから仕事の報酬として貰ったものなのだから。


(まさか、ここでダスカー様にもう一つマジックテントを欲しいと言っても……ああ、いや。増築工事で俺達がやってきた件や、ジャーヤに対する報復行為、メジョウゴから脱出した千人近くを引き連れての行動……そう考えれば、もしかしたらマジックテントもどうにかなるか?)


 報酬については、後日纏めて支払うという契約になっている。

 だが、レイの場合は報酬を金貨や白金貨……ましてや光金貨のようなもので支払われても、決して嬉しくはない。

 それこそ、現時点で何百年単位で遊んで暮らせるだけの資金を持っているのだから。

 また、金に困ったらそれこそ盗賊狩りをすれば、金に困ることはない。

 楽をして金儲けしたいという盗賊は、それこそ幾らでも湧いて出てくるのだから。


「ダスカー様に一連の仕事の件の報酬をマジックテントで……って頼めば、それに応じて貰えると思うか?」

「え? うーん、どうかしら。可能性はあると思うし、レイはそれだけギルムに貢献してきたのも事実だから、多分大丈夫だとは思うけど。問題はマジックテントに余裕があるかどうかよね。レイの使っているマジックテントも、ダスカーが前に使ってた奴なんでしょ?」

「ああ。そう聞かされている。いや、それ以前にマジックテントを俺に渡したのは、マリーナだろ? そのへんの事情は聞かされてるんじゃないのか?」

「ふふっ、そうだったわね。……とにかく、中立派を纏めているダスカーの立場としては……そう、例えば戦争が起きた時に、マジックテントの類はどうしても必要になるのよ」

「……普通の天幕とか、そういうのだと駄目なのか?」


 人が集まるというだけであれば、わざわざマジックテントを使わずとも、それこそ普通の天幕で十分なのではないか。

 そう告げるレイの言葉に、マリーナは首を横に振る。


「ただの貴族ならそれでもいいけど、三大派閥の一つを纏めているダスカーにしてみれば、見栄や外聞というのがどうしても必要になるわ」

「それがマジックテントなのか?」

「マジックテントは稀少なだけに、持っているというだけでそれなりに目を引くもの。そういう意味では、ないよりはあった方がいいでしょうね。特にダスカーのような立場なら」


 もしダスカーが、中立派の中心人物ということではなく中立派を構成している貴族の一人にすぎないというのであれば、マジックテントをもっていなくても何も問題はなかっただろう。

 だが、三大派閥の一つの長という立場である以上、本人が幾ら馬鹿らしいと思っていても、その辺りの面子というのは大事なのだ。


「ふーん。……じゃあ、一応頼んでみるけど、それが無理なら諦めるってことか」

「もしくは、今すぐじゃなくても、新しくダスカーに買って貰うという手段はあるわね。そもそもの話、蜃気楼の籠に使うマジックテントは、そこまで立派なものじゃなくてもいいんでしょ? それこそ、レイの持っているマジックテントよりも数段下のでも」


 マジックテントを欲している理由が、より大勢を一度に運ぶ必要があるから……というものである以上、当然ながらそこに快適性は求められない。

 いや、当然快適であればそれにこしたことはないのだが、それと収容人数のどちらを選ぶかと言われれば、当然のように後者を選ぶ。

 

「ああ、勿論詰め込む人数が多すぎて、普通に寛ぐようなことも出来なくなるってのは論外だけど」

「そう。なら、何とかなるかもしれないわね。ダスカーの方には私から話しておくわ。けど、どのみち今すぐに……というのは無理だと思うわ。それこそ、早くても来年の春以降になるでしょうね」


 いくら快適性をそこまで重視しなくても、やはり空間魔法を使ったマジックアイテムを作るとなると、作って下さい、はいそうですかという訳にはいかない。

 ダスカーの立場であっても、それは同様だ。

 ……これが、それこそ国王であればそのような無茶も出来るのだろうが。


「ふむ。であれば……」


 話に割り込んできたのは、レイとマリーナの会話を聞いていたエレーナだ。


「こちらも以前話に出たのだが、私の馬車を蜃気楼の籠に収めるというのはどうだろう?」

「……エレーナ様の馬車を?」


 不思議そうに尋ねるアマロスに、エレーナは頷く。


「知ってるかどうかは分からないが、私の馬車も空間魔法が掛かっていて、中はマジックテントと同じような広さを持つ。そうであれば、蜃気楼の籠の中に入れることが出来れば、先程から説明されているマジックテントと同じように使えると思うのだが」

「それは……うーん、多分、ちょっと難しいですね。いえ、出来ない訳ではなく、時間の問題という意味で」

「時間の問題?」

「はい。まず馬車を蜃気楼の籠の中に入れる為には、一度蜃気楼の籠を分解する必要があります。勿論完全に分解する訳ではありませんが、それでも魔力的な処置を始めとして各種作業が必要になります。それだけでも、恐らく数日は掛かるかと」


 そこまでかかるのか、と疑問を抱くのはレイだ。

 おまけに詳しく説明を聞くと、その後も色々と魔法的な調整を始めとして手間が掛かるという話を聞かされては、それを無理矢理どうにかする訳にもいかない。

 ただでさえ、アマロスは見るからに寝不足なのだから、ここで更に働かせるようなことになれば、恐らく倒れるのは間違いなかった。

 結局マジックテントや馬車の内蔵という案は、少なくても今はやらないということに決まるのだった。

 本人は結構乗り気だったのだが。

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