第1573話
夏であっても、洞窟の中は涼しい。
勿論洞窟に入ってすぐの場所であれば、そこまで涼しいという訳でもないのだが……それでも、ある程度進めば、涼しくなるのは当然だった。
……もっとも、レイのドラゴンローブを始めとして、紅蓮の翼の面々は色々な意味で暑さ寒さには強かったり、効果がなかったりする。
また、精霊魔法を自在に使いこなすマリーナの存在もあり、それこそ熱帯夜と呼ぶべき夜であっても、暑さに悩まされることはないのだが。
ジャーヤの者達もよく通る為だろう。
洞窟の中には明かりの魔導具が埋め込まれ、しっかりと視界は確保されていた。
それなりに高価な明かりのマジックアイテムだったが、ジャーヤはメジョウゴで毎晩のように客を集めて金を稼いでいる。
ましてや、メジョウゴで働いている娼婦達は奴隷の首輪で操られている存在である以上、給料の類も存在していない。
客が来れば来た分だけジャーヤの儲けとなる。
そして男というのは、基本的に性欲が非常に強い。
それだけの稼ぎがあるのであれば、多少高価であっても明かりのマジックアイテムを買うのはそう難しい話ではないだろう。
「そこ、段差になってるから気をつけろよ」
先頭を進むレイが、そう注意する。
本来なら盗賊のビューネがこういう場合は先頭を進むのだが、今回は事情が違っていた。
何故なら、ここには罠がないとリュータスから聞かされていた為だ。
考えてみれば当然なのだが、まず巨人達が移動する場所に罠をしかけた場合、巨人が引っ掛かる可能性が高い。
娼婦一人を犠牲にして、ようやく一匹の巨人が産み出される以上、それを迂闊に傷つけるような真似をジャーヤはしたくなかった。
そしてジャーヤの者達がいる場所も、基本的にここに攻め込まれるという考えは一切ない以上、ただでさえ洞窟ということで歩きにくい場所を、更に歩きにくい場所にするというのを避けたいと思った者は多かったのだろう。
また、メジョウゴにあった地下施設のように人工的に作られた場所ではなく、洞窟そのものをそのまま流用している形だというのもこの場合は問題だろう。
罠を仕掛けるという意味では、メジョウゴの地下施設よりはこの洞窟の方が仕掛けやすいのは間違いない。
だが、それは同時に、罠を解除する時に手間が掛かるということも意味していた。
何より、ある程度生活環境が整っているメジョウゴの地下施設と違い、この洞窟はそこまで広い訳でもない。
そうである以上、かなり頻繁に洞窟の出入りがあるのだ。
その度に罠を仕掛けるのは無駄であると判断され、罠は仕掛けられなくなったのだ。
「人がいるだけあって、コウモリとかそういうのはいないのね。もしかしたら、巨人の存在が関係しているのかもしれないけど」
段差になっている場所で転ばないように注意しながら、マリーナが呟く。
もっとも明かりがある以上、余程のことがなければ段差で転ぶといった真似をしたりはしないのだが。
そうして洞窟の中を歩くこと、十分程。やがてリュータスから聞かされていた分かれ道に到着する。
「どちらから進む? やはり最初はジャーヤの者達がいる方か?」
綺麗な笑みを浮かべながら尋ねてくるエレーナだったが、ちょっとでも鋭い者であれば、その笑みの下に凶暴なまでの怒りが潜んでいることに気が付くだろう。
元々姫将軍とまで呼ばれているエレーナだ。
今回のジャーヤのような企みを、決して許せる訳がない。
ましてや、リュータスからこの洞窟にいるのは、巨人の件に関して深く関わっている者達だという情報を得ているのだから。
当然ながら、怒っているのはエレーナだけではない。
女という存在を洗脳して娼婦にし、それでいて巨人を産ませて殺す。
エレーナ以外の三人も、同じ女としてそれを許せる筈がなかった。
……レイにとって意外だったのは、ビューネも他の者達同様に怒っていたことか。
基本的には無表情のビューネだけに、どうしてもその辺りは非常に目立つのだ。
ともあれ、どちらに進む? ではなく、ジャーヤのいる方に向かうか? とエレーナに言われたレイは、すぐに頷く。
それは、現在のエレーナに逆らうようなことがあれば、色々な意味で不味いという判断もあったが……当然、それだけではない。
こちらもまたリュータスからの情報だったが、巨人達は基本的に眠っている。
伝えられる情報には色々と枷のあるリュータスだったが、幸いそれについては特に問題はなかったのだろう。
(どういう基準で伝えられる情報と伝えられない情報の取捨選択が行われてるんだ? 巨人に関する情報は一律開示不可とかにしておいた方がいいと思うんだけどな。まぁ、嘘の可能性もあるけど)
そう思うレイだったが、リュータスが嘘を吐いているようには見えなかった。
勿論自然に嘘を吐くような演技力を持っているという可能性はある。
いや、普段から表情を取り繕っているリュータスの立場を考えれば、寧ろそれは当然と言ってもいいだろう。
それでも、レイの中ではリュータスが嘘を吐いていないと、半ば確信にも似た思いがあった。
証拠のようなものは何もないのだが。
「止まれ」
ジャーヤの者達がいるという道を進むこと、十数分。レイは小さく呟き、後ろのエレーナ達に合図を送る。
何故レイがそのような真似をしたのかというのは、道の先を見れば明らかだった。
(まぁ、道が一本しかないんだから、そこを警戒するのは当然だよな)
道の先には、レザーアーマーを身につけた数人の男達の姿がある。
ただし、レイ達の襲撃を知って警戒している……という訳ではなく、単純に見張りとしてそこにいるだけだ。
(俺達の襲撃をまだ知らないのか? リュータスの護衛から知らされてもおかしくはないと思うんだが)
レイ達に降るというリュータスの意見に反対し、レイに戦いを挑んできた男すらいたのだ。
であれば、その意思に従ってレイ達の襲撃を知らせていてもおかしくはなかった。
だが、レイから見たところ、先にいるだろう男達が襲撃者に警戒している様子は見えない。
道が軽く曲がっているとはいえ、もし向こうが本気で警戒をしているのであれば、レイ達を見つけてもおかしくはなかった。
暗がりがあればまだしも、ここの洞窟には明かりのマジックアイテムが用意されている。
盗賊や暗殺者がやるように、暗闇に身を隠すといったことはまず不可能なのだから。
「明らかに油断してるな」
レイの耳に、エレーナの声が聞こえてくる。
それに頷き、レイは道の先にいる兵士達の会話に耳を傾ける。
「あー、くそ。この洞窟の中は湿気で鬱陶しいんだよな。早いところ交代してえ」
「そう言うなって。俺だってこんなところにいつまでもいたくはないんだから。……メジョウゴに行って女でも抱きたいよな」
「メジョウゴって言えば……何だか襲撃にあったって話だったけど、どうなったんだろうな? 娼館とかも被害を受けてるんじゃないか? こっちからもかなりの兵士を出したし」
メジョウゴが襲撃を受け、この拠点からも殆どの兵士を出したのは、少し前になる。
幸い、この兵士達はここの警備ということでそれに巻き込まれることはなかったが、その為に現在この拠点の兵力が驚く程に少なくなっているのは間違いなかった。
……そんな状況であっても、まさかこの施設が襲撃を受けるようなことはある筈がないと、こうして同僚と馬鹿話に興じていたのだが。
「けど、念の為って話じゃないのか? そもそも、俺達に逆らうような奴なんて……ああ、レジスタンスの生き残りとかが暴れてるのか?」
「あー……あいつらもしつこいな。前の件で戦力はもう殆ど残ってないだろうに」
「あ、でも知ってるか? その件の影響で今レジスタンスを率いているのって、かなりいい女らしいぞ。そう考えれば、援軍に行った連中は運がいいな」
「おいおい、捕らえることが出来るの前提かよ。……けど、どうせその女もすぐに娼婦になるんだろ? なら、それから抱けばいいじゃねえか」
「どうせなら、初物がいいんだよ」
「……レジスタンスを率いてるってことは、身体を使ってその地位についたのかもしれねえぞ?」
「おいおい、あまり夢の壊れるようなことを言わないでくれよ。俺のこの淡い恋心が破裂しちまうだろ」
ぎゃははは、わはははは、と品のない笑い声が響く。
当然それを聞いているエレーナ達は、その男達の態度を不愉快に思う。
いいわね? と視線だけで尋ねてくるヴィヘラに、それに続くように前に出るエレーナとマリーナにレイが出来るのは、頷きを返すことだけだ。
どのみちこの先に進む為には、あの見張りを排除しなくてはならないのだから、それをやってくれるというのであれば任せてもいいだろう、と。
男達が辿るだろう運命からそっと目を逸らしながら、レイは見張りの排除を三人に任せた。
あのような会話をしているのだから、これからあの兵士達に起こるのは自業自得以外のなにものでもないと考えながら。
そんなレイの態度を見て、ヴィヘラ達は即座に行動に出る。
音を立てないように地面を走り、男達に向かって近づいていく。
本職の盗賊や暗殺者でも驚きかねない、無音の移動術。
それは、三人全員が高い技量を持っているからこそ可能なことだった。
勿論本職の盗賊や暗殺者でも、より高いレベルの実力を持つ者であれば、ヴィヘラ達の移動しているところを見ても、まだ甘いところがあると指摘しただろうし、気が付くことも出来ただろう。
だが、幸いなことに……そして兵士達にとっては不幸なことに、そのような者達はここにはいなかった。
そもそも、兵士達の中には盗賊すら存在しなかったのだ。
(まぁ、ジャーヤという存在そのものが裏の組織である以上、そこに所属している奴は全員が盗賊という言い方も……いや、ちょっと厳しいか? まぁ、犯罪者であるのは間違いないだろうけど)
レイがそんな風に思っている間にも、微かな――それでいて重いと聞いてわかる程の――打撃音とくぐもった悲鳴が聞こえてくる。
もっともその悲鳴もすぐに消え……
「もういいわよ」
戻ってきたヴィヘラが、あっさりとそう告げる。
その表情がすっきりとしているのは、レイの気のせいではないだろう。
もっとも、そのすっきりというのは、強敵と戦えたことによる満足感や開放感……といったものでは当然なく、夜に寝ようとしている時に耳の近くから聞こえてきた、プーンという音の持ち主を潰した時に感じる思いに近いのだろうが。
だが、レイ達が側にいるというのは知らずとも、ヴィヘラ達を刺激するようなことを散々口にしたのだから、この結果は当然と言ってもいいだろう。
実際レジスタンスを率いている女云々という話を聞いた時、レイも苛立ちを覚えたのだから、そんな兵士達に対して手加減をするようにといったことは最初から言うつもりはなかったし、自業自得という認識以外は持てない。
「そうか。大丈夫だと思うけど、他の兵士達にこの騒動が気が付かれたりはしてないよな?」
「ええ、音に関してはマリーナが精霊魔法で大分小さくしてくれたし、こっちでも派手にならないように気をつけたから、問題はない筈よ」
その言葉にレイはマリーナに視線を向けると、その本人は軽く手を振ってくる。
(少し疲れてるように見えるな。……まぁ、ここは地下だし、しょうがないか)
メジョウゴにあった地下施設程ではないにしろ、洞窟で、しかも地下だ。
土の精霊魔法ならともかく、風の精霊魔法はやはり地上で使うよりも難しかったのだろう。
「そうか、それは何より。……ちなみに、何か情報は?」
「引き出してないわよ。そもそも、見張りしか出来ないような雑魚よ? 何か重要な情報を知ってると思う?」
「……そうだな」
未だに攻撃的なヴィヘラの言葉に、レイは取りあえず頷きを返す。
実際には、ここにいるのだから多少なりとも情報は持っているのでは? と思わないでもなかったが、今ここでそれを言うのは危険だと判断した為だ。
もっとも、本当に何か重要そうな情報を持っていれば話は別だったが、実際にはそうではないのはレイでも理解出来たから、これ以上関わらないようにした、というのが正しいのだが。
「重要な情報もないのなら、これ以上ここにいる必要もないだろ。なら、そろそろ先に進まないか?」
「そうね。私もそうしない? と聞こうと思ってここに来たんだし。じゃあ、行きましょうか」
レイの言葉にあっさりと頷き、ヴィヘラはその場を後にする。
ヴィヘラの後を追うレイも、まさに半殺し……いや、八割殺しとでも言うべき兵士達を見ながら、そっと視線を逸らしつつ洞窟を進むのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます