第1569話
「来たぞ、野郎共! 手加減なんかするな! 本気で攻撃しろ! ただし、殺すなよ!」
本気で攻撃しながら、殺すな。
ゼルストリの口から出た命令は、無茶なものなのは確実だった。
だがそれでも、上司……それもこの先にある巨人の待機場と呼べる施設の中でも三番目に偉い者の命令であれば、兵士達も従うしかない。
何故この場の責任者という嘘を吐いたのか、疑問を抱く者はいたが……ともあれ、目の前の相手を攻撃するように言われた兵士達にとっては、そんなことを考えている余裕はない。
幸いにも、目の前にいる者達はとてもではないが強そうな相手がいるとは思えない。
それどころか、五人いるうちの三人は極上のという言葉でも足りないような美女だ。
そしてゼルストリの興味は、その三人ではなく残っていた二人のうちの片方、子供と呼ぶべき少女に向けられている。
ゼルストリがそのような趣味を持っているのは、ここではそれなりに知られた事実だ。
そうである以上、目の前にいる五人を倒せば、三人の美女は自分達が貰える筈だった。
普段であれば、いかにも意味ありげな連中にそのような気持ちを抱いたり……いや、抱きはするが、それを実行に移すようなことはない。
だが、幸いにも今回は上司からの命令があるのだから、ここで躊躇うようなことはなかった。
「はあああっ!」
最初に動いた兵士が狙ったのは、防具といえば手甲と足甲しか装備しておらず、踊り子や娼婦のような薄衣を身に纏っている人物。
非常に魅力的な肢体を見せびらかし、男の欲望を直接刺激してくる女だった。
「あら、私を最初に狙うの? けど……駄目ね」
その言葉と共に、ヴィヘラは男の槍が放つ突きをあっさりと弾く。
「殺気も何もない。ましてや穂先じゃなくて石突きで放つ突きなんて……正直、戦う気概すら疑うわね」
呆れたように言いながらも、ヴィヘラは槍の一撃を手甲で逸らした動きから、そのまま前に出て……鳩尾に拳を埋め込む。
兵士達も、まさか本当にここを攻めてくるような者がいるとは思っていなかったのか、それぞれが手に武器は持っているものの、防具はレザーアーマー程度であってもつけていない。
完全に油断していたのだろう。
実際、ここが襲われるということは今まで一度としてなかったのだから、緊張感がなくても当然かもしれないが。
巨人の巣が襲撃を受けたという連絡はあったが、レーブルリナ国最大最強のジャーヤという組織が負けるという考えは一切なかった。
更に援軍も送ったのだから、勝利は確定的だろうと。
だが……そんな男達の願い……否、妄想は現実の前にはあっさりと崩れ去る。
それこそ、砂上の楼閣と呼んでもいいかのように。
ヴィヘラの一撃を始めとして、次々に始まる戦い。
しかし、それで被害を受けるのはジャーヤの兵士達のみだ。
それもまさしく一方的に。
「ん!」
特に今回の戦いで活躍しているのは、ビューネだ。
兵士達が武器は手にしているが、防具は身につけていないという状況は、長針を得意とするビューネにとってはこの上ない獲物でしかない。
もしこれで兵士達が精鋭であれば、長針の一撃を弾いたり、もしくは防具で防いだりといった真似も出来たのだろうが……残念ながら、男達にそんな余裕はなかった。
「うわぁっ!」
「ぎゃっ!」
「痛っ!」
長針が突き刺さる痛みに、次々と上がる悲鳴。
とてもではないが、兵士達に我慢出来る痛みではない。
「どれ、なら俺が出るか。……狩りってのは、獲物が元気であればある程に楽しめるものだしな」
そう言いながら、ゼルストリが前に出る。
ゼルストリの目標は、当然ながら自分の欲望を刺激するビューネだ。
自分の手であの可憐な美少女を捕まえ、欲望の餌食にする。
そんな思いで前に出てきたのだが……
「うちのパーティメンバーに妙な真似をするのは止めてもらおうか」
そんなゼルストリの歩みを遮るように、レイが前を塞ぐ。
「……んだ、てめえ。ガキか? 俺はあの女に用があるんだ。お前みたいな奴には興味がねえんだから、とっとと退け」
ドラゴンローブのフードを脱いでいる今のレイは、その顔だけを見れば女と見間違われてもおかしくはない。
だが、ゼルストリはレイを一切相手にしていなかった。
それは、ゼルストリの中で目の前にいるレイが女ではないと、そう判断していたからだろう。
それを理解したのか、レイは不愉快そうに眉を顰める。
「そう言われて、はいそうですかと退くと思うか? 本当に俺をどうにかしたいのなら、それこそ力でどうにかすることだな」
「ほう。なら……そちらの望み通り力ずくで強引に行かせて貰うぜぇっ!」
その叫びと共に、一気にレイとの間合いを詰めるゼルストリ。
その踏み込みの速度は、レイから見ても多少なりとも驚くべきものだった。
……もっとも、それはあくまでも多少の驚きでしかない。
レーブルリナ国のような小国の、それも一組織の中にいる者としては、かなりの実力の持ち主と言ってもいいだろう。
だが、今までレイが戦ってきた者達に比べれば、その速度は一気に平凡な……場合によっては平凡以下のものとなってしまう。
自分に向かって振り下ろしてきた拳を一歩退くことにより、回避する。
目の前数cmといった場所を通りすぎる拳にそっと手を伸ばしたレイは、掴んだ手に少しだけ力を加えて力の流れを変えてやる。
「ぐおっ!」
その力の流れに引きずられるように、ゼルストリの身体は空を舞う。
それだけを見れば、華麗に敵の攻撃を受け流したように見えるだろう。
だが……次の瞬間、骨の折れる鈍い感触がレイの手に返ってくる。
周囲は既に大勢が戦闘となっているので、その音が響くことはなかったが、それでもゼルストリの手首を握っているレイにはしっかりとその感触が伝わってきたのだ。
「あ」
見るからにしまった、といったような言葉を口にするレイ。
当然だろう。ゼルストリの攻撃は合気道のように受け流してその身体を投げるつもりだったのだが、力の加減を間違えた為に手首の骨を折ってしまったのだから。
空中で手首の骨を折られたゼルストリは、受け身すらまともにとることが出来ず、地面に叩き付けられる。
力自慢のゼルストリだっただけに、当然その一撃は大きな威力を持っていた。
結果として、それがそのまま自分に返ってきてしまったのは、不運としか言いようがなかったのだろう。
ましてや、レイの手違いで手首の骨すらも折られているのだから。
「ぐ……ぐぬおおおおおおっ!」
自分の力にレイの力を加えられて地面に背中から叩き付けられた衝撃と、レイによって折られた手首の骨。
その二つの痛みにより、ゼルストリは痛みに呻くことしか出来ない。
そして、ゼルストリのその呻き……もしくは悲鳴とも呼べるその声が響き渡り、周囲で戦っていた兵士達の動きを止める。
兵士達にとって、ゼルストリの強さというのは絶対的なものだった。
そのゼルストリが、まさかこうもあっさり倒されるとは……夢か何かではないか?
そう思いながら、兵士達はレイに視線を向ける。
もしゼルストリを倒したのが、同じだけの体格の者であればまだ納得も出来ただろう。
だが、レイは違う。明らかにゼルストリより小さく、普通に戦えばどうやってもゼルストリに対抗出来るとは思えない人物だった。
その為、兵士達の中にはもしかしてゼルストリは転んだか何かしただけではないか? と思う者すらいた。
しかし……地面に寝転がっているゼルストリを見れば、転んだだけという可能性はどこにも存在しないのは明らかだ。
「さて、どうする? まだやるのなら相手になってもいいけど」
呟くレイの言葉は、不思議な程周囲によく響いた。
この中で最強のゼルストリが、こうもあっさりと倒されたのが信じられず、自然と戦闘が収まっていたというのもあるのだろうが……今のレイの言葉には、何故か耳を傾けてしまうだけの力があった。
もしこのまま戦闘を続ければ、自分もただでは済まないと、そう理解してしまっているのだろう。
(パーティカクテル効果? いや、何か微妙に名前が違うような気がするけど、確かそんなのを日本で見たか聞いたかしたような)
正確にはパーティカクテル効果ではなく、カクテルパーティー効果。
大勢の人間が話している中でも、自分の名前や興味のあるものは聞き取ることが出来るというものであり、レイが考えているのとは微妙に違っているのだが、本人はそれを特に気にした様子もない。
ともあれ、レイの言葉に兵士達はどうするべきかと迷う。
もう、戦闘をして勝てるとは思えない。
だが、だからといって、このまま大人しく降伏してもいいのかという疑問はある。
引くに引けない、そのような状況。
「どうした? やるなら早くやるぞ。こっちもいつまでもお前達に関わっていられる程に暇じゃないんだ」
改めて告げるレイに、やがて兵士達は手にしていた武器を一つ、また一つと落としていく。
それを一瞥してから、レイ達は扉の前に移動する。
馬車が二台すれ違うことが出来るだけの横幅と、巨人が通れるだけの高さを持つ、大きめな扉。
その扉の横には壁が作られており、隠し通路から出てきた者達が外に出る為には、どうしてもその扉を通らなければならない状況だ。
それはつまり、レイ達も同様な訳であり……
「扉を開けてくれないか? でないと、壊すことになるんだが」
そんなレイの言葉に、兵士達は急いで扉を開く。
レイ達であれば、この巨大な扉であっても壊すことが出来ると、そう思った為だ。
勿論ビューネに探させれば、扉を開く仕掛けを見つけるのは難しい話ではなかっただろう。
だが、レイ達がここを勝手に通っていったのではなく、自分達がレイ達を通したのだと。そう思わせることが大事だろうと判断した為だ。
エレーナ達も特にそんなレイの態度に異論はなかったようで、何か口を挟む様子もない。
そうしているうちに、閉まっていた木の扉が音を立てて開いていく。
(へぇ)
当然なのだが、扉の開いた先には道が用意されている。
もっとも、それは街道のようなしっかりと整備された道ではなく、踏み固められて自然に出来た道だ。
多くの巨人が通った道なのだと考えれば、それも当然かもしれなかったが。
そうして踏み固められた道は、レイ達が出てきた扉からすぐ側にある森を通り抜けるようにして奥に続いている。
いや、あの扉……もしくは簡単な関所とも呼ぶべき物を作る為に森の中を多少ではあっても切り開いたというのが正解なのだろう。
そのことに感心しながらも、レイは疑問を抱く。
(ここが具体的にどれくらいメジョウゴから離れた場所にあるのかは分からないが、移動時間から考えれば、そこまで距離はない筈だ。となると、以前セトに乗ってメジョウゴに偵察に来た時に何か異変を見つけてもいいと思うんだが)
そんな疑問を。
もし魔力で幻を見せるような真似をしていたとしても、それこそレイはともかく、セトであればそれは察知出来る筈だった。
にも関わらず、この先にあるだろう巨人を集めておく施設は全く覚えがない。
「まぁ、行ってみれば何か分かるか」
「どうしたの、いきなり? 何かおかしなところでもあった?」
呟くレイの声が聞こえたのか、マリーナがそう尋ねてくる。
そんなマリーナの言葉に、レイは首を横に振り、何でもないと返す。
実際、感じていることを口にしても、恐らくそれは意味がないだろうという判断からだ。
いや、意味がないということはないだろうが、それでも恐らくは自分が直接この先に進んでみなければ分からないと判断する。
「いや、ただこの先にある施設がどんな場所かと思ってな。……あの地下施設だと、黒水晶が巨人に何らかのエネルギーを与えてたみたいだけど、今までに出荷された巨人は恐らく百匹……千匹、下手をすればそれ以上になる筈だ」
「そう言えばそうね。巨人だけあって、食べる量も多いんでしょうし。食料とかどうしてるのかしら」
食べる量とマリーナが言ったことで、その巨人が産まれた時に母親の腹を食い破り、その痛みとショックで死んだ母親の肉体を食らいつくす……といった光景を思い出したのだろう。マリーナはその美しい眉を顰める。
だが、実際巨人の身体の大きさを思えば、相当の食料が必要になるというのは間違いない。
その上、巨人の数が数だ。
到底普通に店で買うなりなんなりして買い集めた食料だけで足りないのは明らかだった。
いや、なりふり構わずに行動すれば可能かもしれないが、そのような真似をすれば当然目立つ。
ジャーヤがこのレーブルリナ国で最大の裏の組織だからといって、敵が全くいない訳ではない。
そしてジャーヤという組織に自分だけで勝てない以上、他の場所に援軍を求めるのは当然だろう。
そのような者達の目が光っている中で、どうやって目立たないように食料を集めているのか……レイを含め、誰もがそんな疑問を抱くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます