第1543話
「セト、多分ないと思うけど、何か結界が張られてる可能性がある。その辺り、よく気をつけろよ」
「グルゥ!」
目的地メジョウゴの、上空二百m。
普段は百m程度の高度を飛んでいるセトだったが、今回は上空からの奇襲ということで、念には念を入れ、いつもの倍近い高度を飛んでいた。
もっとも百mの高度であっても、セト籠があれば周囲の景色に溶け込むことが出来るので、そうそう見つかるようなことはないのだが。
それでも、もしかしたら、万が一というのがあり、それを警戒してのことだった。
「ねぇ、ふと思ったんだけど……もし結界か何かが張られていれば、セトよりも私達の方が先にそれに接触するんじゃない?」
セト籠の中から聞こえてきたマリーナの言葉に、レイはそう言えば……と現在の状況を思い出す。
セト籠は、その名の通り――正確には蜃気楼の籠なのだが――セトが四本の足で掴んでいる籠だ。
つまり、そのまま降下していけば、間違いなくセトよりも先にメジョウゴの中に入る訳で……そういう意味では、もし結界の類があれば非常に危険になるのは間違いなかった。
「……しまったな。その辺を考えていなかった」
元々セト籠は、セトに運んで貰って移動するということを目的として作られたマジックアイテムだ。
その目的の中には、敵の拠点に侵入する……といったものは含まれていない。
「取りあえず、ゆっくりと降りていくか。境界線を越えて、問題がなければそのまま動けばいい。もし何らかの結界が張られているようなら、何とか強引に突破する必要があるけど」
結局他に手段がない以上、そうすることしか出来なかった。
もっとも、それでも一時撤退するという行動に出なかったのは、やはり結界が張られている可能性が非常に低いと思っていたからだろう。
こうしてゆっくりと降下していくのは、あくまでも念の為でしかない。
レイに声を掛けたマリーナを始めとした他の面々も、レイの意見に異論を唱える様子はない。
そしてセトは翼を羽ばたかせつつ、ゆっくりと降下していき……やがて、特に何の問題もなくメジョウゴの中に入ることに成功する。
大丈夫だと思っていたレイだが、それでもやはり実際に経験して何の問題もなかったことに安堵し、改めてセトに頼む。
「あそこだ。見えるよな? あの建物の近くに降りてくれ」
セトの背の上から、レイが指さした方向にある建物。
それは、レイがメジョウゴの偵察をした時に目を付けていた建物だ。
色々と情報を集めた結果、その建物が恐らく……いや、間違いなく地下施設に繋がっている建物だという確信が、レイにはあった。
「グルゥ」
現在眠っているだろう娼婦達に配慮したのだろう。セトはいつものように高く鳴くのではなく、小さく鳴く。
そして翼を羽ばたかせながら、レイが示した建物に向かう。
幸いにも、その建物の周辺はある程度の広さを持つ広場のようになっている。
それは別に、地下施設で働いている者達をリラックスさせる空間……という訳ではなく、単純に地下施設を運営するうえでの理由からだろう。
その広場に向かって降下していくセトの背の上で、レイは改めてメジョウゴを眺める。
昨夜やって来た時に見た光景が嘘のように、現在は街そのものが静かだった。
それこそ、メジョウゴそのものが眠りについていると表現しても間違いないではないだろう。
外に出ている者が誰もいない訳でもないが、その数はレイがメジョウゴに来た時に見た人数と比べると、驚く程に少ない。
(動いてるのは……レジスタンスか? それともジャーヤの警備兵? もしくは、それとは何の関係もなく何かの用事があって……って可能性もあるな。まぁ、もう事態は始まってしまったんだ。今更その辺りのことを考えても、意味はないだろ)
出来ればレジスタンスが準備を整えているのであって欲しい。
そんな風に思ってたレイだったが、次の瞬間口元に笑みが浮かぶ。
何故なら、視線の先に街中を移動している見覚えのある人物を見つけたからだ。
狼の獣人の女……つまり、シャリアだ。
今は夜ではない為に、娼婦の姿をしていない。
それでも、レイはその人物がシャリアだと、はっきり見分けることが出来た。
そしてシャリアがレジスタンスに協力するというのは、レイの目の前で提案されたことなので当然覚えている。
もしかしたらレジスタンスで問題を起こして追放されたという可能性も考えないではなかったが、そこまで心配をしてしまうときりがないだろう。
(よし。とにかく、レジスタンスはこっちの動きに合わせて住民の保護に回るように動いてくれてるな。だとすれば、こっちも予定通りに動くことが出来る)
勿論、レジスタンスがレイの要望通りの動きをしなかった場合でも、今回の襲撃を取りやめるといったことはなかっただろう。
だが……その場合、やはりどこかメジョウゴにいる、今回の一件に関係のない……それどころかジャーヤによる被害者でしかない者達を心配して、暴れるのに遠慮が出てしまう可能性があった。
もっとも、幾ら暴れても大丈夫だからといって、レイが全力で暴れたりしようものなら、メジョウゴそのものが灰燼と化す危険があるのだから、本当の意味で好き放題に暴れ回る訳にはいかないが。
「レジスタンスと思われる者達の姿を確認した」
セト籠に聞こえるように呟かれたレイの言葉に、エレーナ達は安堵の表情を浮かべる。
多少騒動が大きくなっても、レジスタンスがそれをどうにかしてくれるだろうと。
……ただ、実際に戦闘が行われるのが地下施設の中である以上、地上にまで被害が及ぶといったことは基本的に考えられないのだが……その基本的な考えが通じないのが、レイ達だった。
セトの高度が降りてきて、周囲の建物の屋根より低くなる。
ここまで来れば、先程のように空からメジョウゴの様子を見ることは出来ない。
その代わりという訳ではないだろうが、ここまで高度が低くなれば、セト籠の迷彩も働かなくなる。
いや、正確には迷彩機能そのものに異常がある訳ではないのだが、セト籠の迷彩機能は一分程前の周囲の景色を写すというものだ。
空のような場所ならともかく、メジョウゴのような街中では、その一分の差というのは致命的なまでに大きい。
それこそ、誰でも一目で圧倒的なまでの違和感を抱く程に。
何より、建物と同じかそれ以下の高度まで降りてきた以上、セトという存在が見つからないということは有り得なかった。
そして、ここはメジョウゴの中でも最高機密区画とでも言うべき場所であり、当然のようにそこには少なからず警備をしている者がいる。
メジョウゴが最も活発になる夜程ではないが、それでも十分警備の人数は揃っていた。
「て……敵襲! 敵襲!」
広場になっている場所に幾つか用意されていた詰め所の一つから、そんな叫びが周囲に響く。
レイ達が降りてきたことに気が付いた者は、他にもいた。
だが、それでもあまりに予想外の光景に、完全に意表を突かれていたのだ。
ここの警備を任されている以上、警備兵達も当然のようにジャーヤの中でも精鋭なのだろうが、そのような者達にとっても、まさか空から直接降下してくる敵が存在するとは思っていなかったのだろう。
幾ら国に対して強い影響力を持つ組織であっても、その国が竜騎士の一人すらいない小国のレーブルリナ国であるというのが、致命的だった。
竜騎士という存在がいるのは知っているが、実際に見たことがなく、具体的にどのような力を持っているのか、知識で知ってはいても、実感というものがなかったのだろう。
そして、レイという存在がレーブルリナ国に来ているというのはジャーヤも知っていたのだろうが、そのレイがセトに乗って上空から降下してくるというのは、この場の警備を任されている者には全く予想出来ていなかった。
セト籠が地上に置かれたのと同時に、近くに幾つかあった小さな小屋から何人もの男達が姿を現す。
その手には長剣や棍棒、槍のように様々な武器が握られており、相手を捕らえるのではなく殺すことを目的としているのは明らかだった。
「うおおおおおおおっ!」
「殺せ、殺せ、殺せぇっ!」
「弓だ、弓を持ってこい! 相手は空を飛ぶぞ!」
「応援の兵士を呼べ!」
「クソがっ! ここに直接乗り込んでくるなんざ、常識ってものを知らねえのかよ!」
男の一人が叫んだ瞬間、セト籠から幾つもの人影が飛び出す。
エレーナの連接剣ミラージュが鞭状になって周囲にいる者達を次々に斬り裂いていき、マリーナの操る精霊魔法によって生み出された風の刃が敵を斬り裂く。ヴィヘラが相手を殴り飛ばし、蹴り飛ばす。
ビューネが鋭く投擲した長針が身体中に突き刺さり、悲鳴を上げている者もいた。
そんな中、レイはセトの背から飛び降りながらセト籠をミスティリングに収納して動ける範囲を広くしながら、デスサイズを取り出す。
その巨大な鎌は、それだけで見る者の心を畏怖させるだけの迫力があった。
ここに配置されている警備兵達は、当然ジャーヤの中でも腕利きで、本人達にも自分達が腕利きだという自負がある。
それでも……いや、だからこそか、レイの持つデスサイズを見て、畏怖により動きを止めてしまった。
そして、レイの前でそのような真似をするのは……自殺行為以外のなにものでもない。
「死ね」
短い一言と共に振るわれたデスサイズは、五人の胴体を切断し、周囲に内臓を零れさせて強烈な血の臭いが周囲に広がる。
大の大人五人が、一撃で胴体を切断されたのだ。
そのような真似をされれば死ぬのは当然で、その光景を見ていた……見てしまった者達は、レイが自分達の常識では理解出来ない相手だと知り、数歩後退る。
「グルルルルゥ!」
だが、当然そのようなことで逃がすような真似はせず、セト籠とレイを下ろした後で上空を飛んでいたセトが、そこに突っ込んでいく。
体長三mを超える巨体が突っ込んでくるのだ。
当然そのような存在にぶつかられた方はただで済む筈もなく、身体中の骨をへし折られながら吹き飛んでいく。
「何だよ……何なんだよお前らはぁっ!」
理不尽。
あまりに理不尽と呼ぶべき光景に、警備兵の一人が叫ぶ。
頬には仲間の……数分前までは一緒に冗談を言い合って笑っていた男の胃の中にあった未消化物がへばりつき、顔や身体には血や内臓の破片、体液といったものがべっとりとついている。
そんな男に向かい、レイはデスサイズを手に、口を開く。
「何者、か。お前達のことだから、俺が誰なのかってのはもう分かってると思うんだがな。それとも、情報は上の方で止められてるのか?」
そうレイが言っている間にも、周囲では蹂躙と呼ぶのも生温いような戦いが繰り広げられている。
勿論蹂躙しているのはエレーナ達で、蹂躙されているのがジャーヤの者達だ。
男もそれは理解しているのだろうが、平和な時間からいきなりの戦場。ましてや強者である筈の自分達が一方的に蹂躙されているという光景に、レイを相手に攻撃をするような真似は出来なかった。
「な、何の話だ?」
「まぁ、分からないのなら分からないでいい。別に俺達が誰だろうと、お前が迎える結末は同じだしな」
「待ってくれ!」
レイがデスサイズを握る手に力を込めた瞬間、このままでは自分は助からないと判断したのか、男は慌てたように持っていた長剣を地面に落とす。
「降伏する! 降伏するから、頼む! 命だけは助けてくれ!」
「……お前達が本当にただの盗賊なら、その頼みは聞けたかもしれないな。命までは取らなくても、奴隷として売り払う程度で許してやったかもしれない。だが……お前達がやってきたことを思えば、助けてくれと言われて、はいそうですかと頷くことが出来ると思うか?」
レイの口から出た言葉は、驚く程に冷たいものだった。
それこそ、武器を捨てたから助けられると考えた自分が愚かだったと言わんばかりに。
それでも死にたくない男は、デスサイズを手に近づいてくるレイを見ながら、必死に頭を働かせる。
それこそ、生まれてから初めてではないかと思うくらいに頭を働かせ……やがて、一つの突破口を見つけ、それに突き動かされるかのように叫ぶ。
「情報! 情報が欲しくないか! ……え?」
そう言った瞬間、鋭い風が男の首を撫で、消えていく。
何が起きたのか分からなかった男だったが、ふと気が付けば自分の首のすぐ側に巨大な刃物が存在していた。
……そう、レイの持つデスサイズが。
それを見た男は、信じられなかった。
一瞬前までは、間違いなくレイが持っていた筈の巨大な鎌が、一瞬で自分の首に突きつけられていたのだから。
もし口を開くのが数秒……いや、数瞬遅ければ、間違いなく自分の首は斬り飛ばされ、死んでいただろう。
そう思うと同時に、助かったという圧倒的な安堵感を抱きながら、男は自分の意識が闇に呑まれていくのを感じていた。
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