第1542話

「いらっしゃい、いらっしゃい。今日は美味いパンがあるよ! 昼食に焼きたてのパンはどうだい!」

「今日は特製のオーク肉のスープがありますよ! 鍋にある分がなくなったら売り切れだから、なくなる前に食べていってね!」

「チーズがあるよ、チーズ! このチーズを食べないと損だよ!」


 そんな声が周囲に響く。

 丁度昼ということもあり、多くの者達が自分の昼食を求め、または食べ物を売るといった者達の声が通りに響いていた。

 だが……そんな大声も、次第に小さくなっていく。

 それは、レイ達が……正確には、レイが連れているセトの存在を見てのものだろう。

 まだセトに慣れていないロッシの住民達は、幾らセトが従魔の首飾りをしているとはいえ、やはり間近でセトを見るとその異様に圧倒されてしまうのだ。

 これがもっと長時間セトに接していれば、今は怖がっていても、やがてセトの愛らしさといったものを理解出来るようになるのだが。

 だが、そのようになるにはまだ時間が足りず、結果として現在はセトの姿を見ると皆が怖がる……といった具合になっている。


「グルゥ……」


 悲しそうに鳴くセト。

 そんなセトを撫でながら、レイは大通りを進む。


「キュ!」


 セトの背の上では、イエロがセトを励まそうと元気な鳴き声を上げていた。

 そんなイエロの気遣いに、セトは喉を鳴らしながら答える。

 周囲にいる者達は、そんなセトやイエロの様子を見て思わずといった様子で後退っている者もいたが、レイ達はそんな様子は全く気にせず、歩き続ける。


(俺達を見て後退るか。……これから俺達がやろうとしていることを思えば、その反応は決して間違いって訳じゃないんだろうけどな)


 これから行われる出来事……即ち、メジョウゴに対する襲撃。

 このロッシの住人も、実質的にメジョウゴを支配しているのはジャーヤという組織だということくらいは、公然の秘密として知っている筈だった。

 だが、メジョウゴという歓楽街は、当然のように周囲にある村や街、そして首都のロッシにも恵みをもたらす。

 具体的には、メジョウゴに向かう客が落とす金といったところか。

 メジョウゴに泊まることが出来ない訳ではないが、その途中にある村や街を拠点にした方が費用は安い。

 おまけに、女を買う為にわざわざここまでやって来るような者達である以上、金遣いの荒さはかなりのものだ。

 その為、メジョウゴに向かう馬車が行き来している村や街は、ここ暫くは一種の特需と呼んでもいいような状況になっていた。

 その好景気を破壊することになるのだから、レイ達は恐らく自分達が恨まれることになるのは確実だろうという認識がある。

 もっとも、その特需の源は他国から連れ去られた女達が奴隷の首輪で強引に娼婦として働かされている以上、とてもではないがそれを認める気にはなれなかったが。


(問題は、この特需を享受している者達が具体的にどれくらいのことを知ってるか、だよな)


 そんな風に思いつつも道を進み、やがて正門前で手続きを終える。

 日中ということもあり、手続きをするのに待つ必要はなかった。

 これがギルムであれば、普段であってもこの時間帯ならまだ並ぶ必要はあるだろうし、何より今は増築工事で多くの人が集まっている筈だった。

 その辺りのことを考えると、ロッシから出るのは非常に楽な訳で……レイ達はそのままロッシを出ると、少し離れた場所に移動する。

 次にレイがセト籠をミスティリングから取り出し、その場にいる全員に視線を向け、口を開く。


「さて、いよいよ襲撃だ。基本的には、宿を出る前に相談した通り強引に突破していく」


 普通であれば色々と詳しい役割分担をする必要があるのだが、幸いなことにレイ達の場合は力づくでどうにか出来るだけの実力があった。

 また、地下施設が具体的にどのような構造になっているのか分からない以上、前もってどこを調べるといった風に計画を練る訳にもいかない。

 結果として前もって決めておいたのは、ビューネとイエロが偵察を、セトは上空から敵の援軍を防ぐ防波堤を、マリーナは精霊魔法を使って様々なフォローを。そして、レイとエレーナ、ヴィヘラの三人は、その戦力を最大限活用して暴れる……といったことだけだった。


「ま、結局それが一番手っ取り早いでしょうね。巨人も出てくるでしょうし」


 嬉しそうに言うのは、巨人との戦いを楽しみにしているヴィヘラ。

 勿論ジャーヤがやっていることは許せはしないが、それはそれ、これはこれということなのだろう。

 特に最近……アンブリスを吸収して以降は、レイ達以外にはまともに戦える相手はおらず、戦闘欲が満たされてはいなかった。

 それだけに、色々と思うところはあれど、今回の奇襲に異論はない。

 寧ろ、巨人の話を聞いた時から楽しみにしてすらいたのだ。


「そうね。巨人なんて馬鹿な存在を作るような相手には、それくらい乱暴な真似が丁度いいと思うわ」


 レイの言葉に異論はないと、マリーナは笑みを浮かべて頷く。

 ただし、口元に笑みはあっても、目は全く笑ってはいなかったが。

 もしレイが精霊の存在を見ることが出来れば、マリーナから放たれている怒りの感情に精霊が怖がっている姿を見ることが出来ただろう。


「……許せるものではない、な」


 そう呟いたのは、エレーナ。

 エレーナも今まで色々な経験をし、外道と呼ぶべき相手のことは色々と見てきている。

 それでも今回の一件は、許せることではなかった。

 少なくても、エレーナが見て、聞いた範囲では許せると思える場所はない。

 ジャーヤに行われる報復の手伝いをするという名目でレイ達と共にやって来たエレーナだったが、今ではその手伝いというよりも積極的にジャーヤを壊滅させたいという思いの方が強くなっている。


「ん」


 そんな三人に対して、ビューネはいつものように短く呟くだけだ。

 勿論普段表情が変わらないビューネだが、感情がない訳ではない。

 ジャーヤという存在が不愉快であるという事実は変わらないのだが、その苛立ちを表情に出すような真似はしていない。


「よし……じゃあ、行くか」


 全員の言葉を聞き、レイは呟く。

 その言葉に他の者達も頷き、セト籠に乗っていく。

 セトと遊んでいたイエロも、エレーナ達がセト籠に乗るのを見て、急いでそちらに戻っていった。


「グルゥ」


 そんなイエロを見て、少しだけ寂しそうに鳴くセト。

 ロッシを移動中は怖がられていただけに、余計にその思いは強いのだろう。

 レイはそんなセトに近づき、そっと頭を撫でる。


「じゃあ、そろそろ行くか。早いところレーブルリナ国での仕事を片付けて、ギルムに戻るぞ」

「グルゥ? ……グルゥ!」


 レイの言葉に、セトは嬉しそうに鳴き声を上げる。

 ギルムでは自分を可愛がってくれる相手が大勢いるので、早く帰りたいと、そう思っているのだろう。

 もっとも、レイはジャーヤに対する報復を終えてもすぐに……例えばその日の内に帰れるとは、到底思っていなかった。

 恐らく……いや、確実に今日の襲撃を終えれば面倒なことになるというのは予想出来る。

 勿論それを無視してそのままギルムに帰ってもいいのだが、残念ながらレイの見た限りでは他の面々がそれを許容するとは思えなかった。

 このような非道なことを起こした、ジャーヤという組織を壊滅したいという思いや、そのジャーヤに協力していたであろうレーブルリナ国の上層部に対する報復、といった具合に。

 また、レイ達が暴れたことで、それに乗じて火事場泥棒やら何やらを働く者がいないとも限らない。

 そしてメジョウゴでそのようなことが行われる以上、被害に遭うのは他国から強引に連れてこられて娼婦をさせられている女達なのだ。

 一応レジスタンスにその辺りのフォローを頼んでいるレイだったが、向こうが本当に自分達の頼みを聞いてくれるかと言われれば……確信はない。

 それでもスーラの性格を考えれば、恐らく大丈夫だという思いはある。あるのだが……問題なのは、レジスタンスだけで火事場泥棒やら、怪我をしそうな娼婦を完全に助けることが出来るかということになる。

 いや、完全に……それこそ誰一人として怪我をしないように出来るとは、レイも思っていない。

 それでも、レジスタンスの人数がどのくらいいるのかという疑問がある以上、完全に信じることは出来ない。


「ま、今となっては何を考えても意味はない。後はやるだけだ。……セト、行くか」


 セトの背に飛び乗ったレイの言葉に、セトは短く鳴き声を上げる。

 そうして数歩の助走の後に翼を羽ばたかせながら空に向かって駆け上がり、やがて一旦ある程度の高さを得ると、再び地上に向かって降下していく。

 特に危なげもなくセト籠を掴むと、再び上空に向かう。

 少し離れた場所でレイ達が何をするのかと見ていた警備兵は、ただ、大きく口を開けてそんなやり取りを見守っていた。

 レイ達が初めてロッシに来た時は、ロッシから少し離れた場所にセト籠を置いて着地したのだが、今日の警備兵はその時とは違う警備兵だった。

 勿論そのような話題になるような出来事である以上、その光景を見ていた同僚から話は聞いていたのだが……自分の目で見ると、想像しているものとは大きく違ったのだ。


「凄い……な」

「ああ。あれが異名持ちの冒険者と、高ランクモンスターか……」


 呟いた言葉に、同僚が同意するように呟く。

 そんな声を聞きつつも、最初に呟いた男は、急激に小さくなっていくセトの姿を見送っていた。

 ふと、あれだけの人数でどこに行くのかという疑問を抱いたが、冒険者なのだから何か採取に行くのだろうと判断し、それ以上は考えるのを止める。

 ロッシの冒険者が一番多くやっている仕事が採取であるが故に、そう判断したのだろう。

 辺境のギルムと違って、ロッシ周辺にはそうモンスターは多く出ない。

 寧ろモンスターの代わりに盗賊の方が多く出てくるのだが、その盗賊も首都のロッシの周辺では姿を現すことは滅多にないし……何よりジャーヤのお膝元であるメジョウゴの周辺で盗賊行為を行うというのは、自殺願望を抱いているとしか言えなかった。

 勿論、中には何も知らずにやってくるような、世間知らずの盗賊もいるのだが。

 丁度以前レイが倒した者達のように。

 そのような盗賊でも現れたのかも? と考える警備兵だったが……もし、レイ達がこれからどこに向かい、何を行おうとしているのかを知れば、顔を真っ青にしていただろう。

 ジャーヤに手を出すという行為そのものが、レーブルリナ国に住む者として信じられなかったし、それにより起きるだろう大きな騒動を思えば、それは当然のことだった。






「夏らしい、いい天気だけど……ん? 最近雨が降ってないな。水不足とか大丈夫なのか?」


 どこまでも広がる青空、綿飴を連想させるような白い雲、眩しい光を地上に降り注いでいる太陽。

 まさに夏の空と呼ぶのに相応しい光景がそこには広がっていた。

 もっとも、既に夏も盛りをすぎてくる頃である以上、暑さは次第に落ち着いていく筈だった。

 ……簡易エアコンと呼ぶべき機能のついているドラゴンローブを着ているレイにとっては、暑さも寒さも特に問題はなく、ただ夏の景色がすぎていくといった印象しかなかったが。

 そんな夏の空を楽しんでいると、やがて視線の先に一つの街が……今回の目的地、メジョウゴが見えてくる。


「見えてきたな」

「グルゥ!」


 レイの言葉に、セトが嬉しそうに鳴き声を上げる。

 ただ、セトの場合はメジョウゴが見えてきて嬉しかったのではなく、久しぶりにレイと一緒に空を飛ぶことが出来て嬉しいから鳴き声を上げたというのが正しいだろうが。

 そんなセトの首を撫でると、次にレイは下を見る。

 そこでは、セト籠に乗って寛ぎつつ……それでいながら戦闘の準備をしているエレーナ達の姿があった。


「見えてきたぞ!」

「あら、もう? やっぱりセトは速いのね」


 レイの言葉に、ヴィヘラが感心したように呟く。

 今まで、幾度となくセトに乗って――正確には足に掴まったり、セト籠で――移動していたが、それでもやはりセトの移動速度には未だに驚くことが多かった。


「セトは相変わらず速いわね。……正直、セトがいるだけで色々な面で便利になるのは間違いないわ」

「うむ。特に戦場では、セトの機動力とレイの圧倒的な殲滅力が合わされば……それこそ、敵対する者にとっては洒落にならないだろう」


 マリーナの言葉に、エレーナがそう返す。

 それは実際、エレーナがベスティア帝国との戦争で見ただけに、強い実感があった。

 ヴィヘラも、内乱の時に間近で見たレイとセトのコンビの力は、どれだけのものか理解している。


「俺のことはともかく、もう準備はいいな?」


 改めて告げられるレイの言葉に、エレーナ達は好戦的な笑みを浮かべる――ビューネのみは相変わらず無表情だったが――のだった。

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