第1513話

 娼館と酒場で成り立っている、文字通りの意味での歓楽街メジョウゴ。

 そこに向かうのは、結局レイということになり……現在、レイはそのメジョウゴに向かう馬車に乗る為に人が集まっている場所に一人で存在していた。


「キュ?」


 ……いや、正確には一人ではなく、懐に潜り込んだイエロも含めれば一人と一匹というのが正しいだろう。

 いつもであれば、イエロの役割はセトだが……セトはどう考えても目立ちすぎる。

 また、メジョウゴで何か至急連絡を取りたい時の手段として、イエロに飛んで貰う必要があった。

 対のオーブがあればその必要もなかったのだが、残念ながらレイの持つ対のオーブはギルムのアーラに貸している。

 そんな訳で、レイはイエロと共に馬車に乗る為に人が集まる場所にいた。

 ……イエロがレイと共に行動するのは、勿論連絡云々というのもあるのだろうが、やはりイエロの記憶をエレーナも見ることが出来るからだろうな、というのはレイの予想だ。


「お? おう、お前もメジョウゴに向かうのか? 見たところ、まだ若そうだけど……好き者だな、この」


 集まっていた男達の中の内の一人が、レイの存在に気が付いたのだろう。

 満面の笑みを浮かべながら、レイに向かって声を掛けてくる。

 レイはいつものようにドラゴンローブを身に纏い、フードを被っている。

 外見から年齢を推し量るのは難しいのだろうが、フードを被っていても微かに見えるレイの顔……そして何より、レイの体格そのものが小さいからというのもあるのだろう。

 それでも子供は帰れ、という風に言われなかったことにレイは安堵する。


(まぁ、これからメジョウゴに向かうから、その辺の感覚は麻痺してるのかもしれないけど)


 イエロがドラゴンローブの中で大人しくしているのを感じながら、レイは口を開く。


「うん、ちょっと社会勉強してこいって、お父さんが」


 自分で言っていても微妙に背中が痒くなりそうな口調で、レイは話し掛けてきた男にそう返す。


「がっはっはっは。そうか、社会勉強か。確かにメジョウゴはいい勉強をする場所になるかもしれないな。坊主も一足早く大人の階段を上る訳だ」

「ん? おい、コトナラ、どうしたんだ、その坊主は?」

「ああ、この坊主が社会勉強でメジョウゴに行くんだってよ」

「はぁ? 社会勉強でメジョウゴだぁ? それって、色んな意味で危なくないか?」


 レイに声を掛けた人物……コトナラと呼ばれた男に話し掛けてきた男は、レイの方を見ながら心配そうに呟く。

 二人とも三十代程の男で、まさに働き盛りといった感じだ。

 それだけに様々な欲求も強く、メジョウゴを楽しみにしていたのだろう。

 それでもコトナラに話し掛けてきた方の男は、常識的な一面も持っているのだろう。

 レイのような年齢の人物をメジョウゴまで連れて行ってもいいいのかどうかと、少し迷った様子を見せる。

 だが、コトナラはそんな男の肩を何度か叩きながら、笑みを浮かべて口を開く。


「気にするなって。俺が初めて女を抱いたのは、あの坊主よりもっと若い頃だったぜ?」

「……お前の場合、小さい頃から好奇心旺盛というか、女に強い興味を持ってたからな」


 どうやら幼馴染みらしい二人のやり取りを見ていたレイだったが、このままではもしかしたら帰らせられてしまう。

 そう判断し、悩む。


(この口調にしたのは失敗だったか? いや、けど俺の性格とかそういうのを知ってる奴に遭遇する可能性もあるし……そう考えれば、やっぱり世間知らずのお坊ちゃん的な感じにした方がいいのは間違いないんだよな)


 悩みつつ、それでもレイはコトナラともう一人の男に向かって話し掛ける。


「心配しないで下さい。こう見えても僕、結構力には自信がありますから。もし何かあっても、逃げるくらいは出来ると思います」

「……まぁ、身のこなしを見る限り、かなりの腕利きのようには思えるけどよ」


 コトナラに話し掛けてきた男の方が、レイを見てそう告げる。

 もしここがギルムで、コトナラやもう一人の男も一定以上の腕を持っていれば、レイの身のこなしを見て腕利き……といった程度で済ますことはなかっただろう。

 だが、ここは腕利きの冒険者が多く集まってくるギルムではなく、ミレアーナ王国の属国の首都でしかない。

 当然のようにそこまで腕の立つ者はそう多くはなく、実際コトナラ達もレイを見てもその技量を見抜くことは出来なかった。


「分かって貰えたようで何よりです。だから、僕のことは心配しなくてもいいので、コトナラさんと……えっと……」


 言葉に詰まったレイの様子を見て、コトナラが口を開く。


「ああ。こいつは俺の腐れ縁のジルってんだ。よろしくな」

「いや、何でお前が俺の自己紹介をするんだよ。……まぁ、そんな訳でジルだ。よろしくな、坊主」

「はい、コトナラさん、ジルさん、よろしくお願いします」


 そう告げ、レイは小さく頭を下げる。

 伏せている顔に浮かんでいるのは、笑みだ。

 これから行くメジョウゴについて、レイが知っている情報は少ない。

 それこそ酒場で絡んできた男から聞いた程度の代物だ。

 その男も直接メジョウゴに行ったことはないと言っていた以上、見る限りこれまで何度もメジョウゴに行ったことのあるコトナラとジルの二人から得られる情報は大きいだろう。

 そういう意味で、こうして猫を被った甲斐はあった……と、そう思ったのだ。

 レイが頭を上げて周囲を見ると、少し前よりも人の数は多くなってきている。

 それだけメジョウゴは儲かっているのだと思えば、レイの中では微かな苛立ちが浮かぶ。

 もしメジョウゴにいるのが、普通に娼婦を希望した者だけであれば、レイは特に何も思わないだろう。

 レイ本人は行こうと思わないが、それがこのレーブルリナ国のやり方なのだと、感心すらするかもしれない。

 娼館と酒場のような施設だけで作った街……それは、普通に考えれば決して悪いやり方ではないと思ったからだ。

 純粋に酒や女を目当てに客が来るのだから、そのサービス内容にもよるが、メジョウゴは一晩でとんでもない金額を稼ぐだろう。

 ましてや、メジョウゴの存在はレーブルリナ国だけではなく、周辺諸国にも知れ渡っているとなれば客の数は更に増える。

 だが……それはあくまでも、娼婦を希望する者達だけでそれが行われている場合の話だ。

 もしくは、借金や犯罪を犯して奴隷となった者を買い取って娼婦にしても、それはそれでレイには納得出来る。

 しかし、アジャスがやったように他の村や街、それどころか他国からまで女を連れ去ってきて、その女に娼婦をさせるという真似は容認出来なかった。


(それに、アジャスの行動には色々と矛盾がある。女を連れ去って娼婦にする。それは別にいい。けど、メジョウゴで働ける娼婦ってのは人数が決まってる筈だ。それこそ幾らでも娼婦の数を増やせるなんて訳がないんだから。そんなことをすれば、土地が足りなくなる)


 ここが辺境ではないとはいえ、侵入者を防ぐ為の外壁というのは必要だろう。

 ましてや、メジョウゴは女と酒、金が揃っている場所だけに、盗賊団にとっては格好の獲物だ。

 となれば、当然のように外壁で囲む必要があり、土地は自然と限られる。

 そのような場所に次から次に女を連れてきて娼婦にしても、いずれ娼婦の数が余って娼館が足りなくなるのは確実だろう。


(そして、女を連れてくる仕事をしているのは、恐らくアジャスだけじゃない。実際、それを臭わせる情報も諜報部隊が言っていたしな)


 そうである以上、増え続けている娼婦とは裏腹に、メジョウゴにいる娼婦の数は常に減っていく必要があった。

 これが数人程度であれば、身請けという可能性もあるのだろうが……

 つまりそれは、娼婦の数が減る何かの原因があるのは確実だった。

 その辺りの事情を確認出来れば、今回の一件は偵察として十分に成功だろう。


「お、来たぞ。ほら、お前も馬車に乗る準備をしろよ」

「あ、はい。……そう言えば、自己紹介してませんでしたね。僕はレンです」

「レンか。大人の世界にようこそって言うべきだろうな」


 レンという偽名を名乗ったレイにコトナラが笑みを浮かべてそう告げ、ちょうどそのタイミングで馬車が止まる。

 馬車の数は五台。

 それもある程度綺麗な馬車で、普通の商人程度ではこれだけの馬車を用意するのは難しいだろう。


(やっぱり、随分と儲かってるみたいだな)


 感心していると、やがて馬車が停まる。

 そして扉が開き、それぞれが並んで馬車に乗り始める。

 レイは情報を集める為にも当然のようにコトナラとジルと同じ馬車に乗るように並ぶ。


「ちょっ、おい! 何でだよ! 前は俺もメジョウゴに行けただろ!」


 馬車に乗るべく並んでいたレイの耳に、そんな声が聞こえてくる。

 声の聞こえてきた方に視線を向けると、そこでは一人の男が二人の男に両脇を掴まれて列から連れ出されていた。


「そうですね。ですが、お客さんは娼婦に暴力を振るいましたよね? それも一度や二度ではない。何度となく。今までにも何度も注意されていると思いますが? 違いますか?」

「それは……」


 御者の男がそう告げると、男はそれ以上口を開くことは出来ない。

 御者の男の言っている内容が事実だからこそだろう。


(そう言えば相応しくない客は選別するって言ってたな)


 そう考えながら、レイは馬車の扉の前に立つ男に視線を向ける。

 今のやり取りから考えると、あの男達がメジョウゴに相応しくないと思う人物を排除する役目を持っているのだろう。

 コトナラとジルの二人も、特に問題なく馬車に乗る。

 その二人の後を追うように、レイもまた馬車に乗り込もうとし……瞬間、馬車の扉の横で待機している二人の男が、微かに身体を動かすが、それ以上は特に何かレイに言ってくるでもなく、じっとしている。

 どうやら自分は合格らしいと判断し、馬車に乗り込む。

 馬車の中は、派手な外見の外側とは違い、かなり狭苦しい。

 より多くの人を乗せられるようにと、席数を増やしているのだろう。

 この国の貴族とかが文句を言うのでは? と一瞬思ったレイだったが、考えてみれば先程集まっていた者達の中に貴族の類は存在していない。

 であれば、恐らく貴族は専用の馬車があるのだろうと判断する。


(まぁ、外から見ている分には中は見えないしな)


 この馬車がメジョウゴに向かうというのは、少し知識があれば知ることが出来る。

 つまり、それだけメジョウゴという場所を特別扱いしたい者がいるということなのだろう。


「おう、レン。こっちに座れよ。他の場所だと、潰されてしまうもしれないからな」

「分かりました。……けど、よく夜にロッシの外に出られますね。普通なら、夜は門が閉まってるんじゃないんですか?」

「ん? ああ、その辺は問題ない。多分上の方で色々とあるんだろうが……俺達にとっては、どうでもいいことだな。酒場と娼館で楽しめれば十分だ」

「へぇ……けど、夜って危ないから門を閉めてるんですよね? 盗賊団とかが襲ってきたらどうするんです? 夜にこうして堂々と移動している集団なんて、盗賊達にとっては絶好の獲物だと思うんですけど」


 ここがギルム周辺であれば、レイは盗賊よりもモンスターの襲撃を心配していた。

 だが、ここは辺境のギルムではない。

 勿論ゴブリンのようなモンスターが出ることはあるが、それでも遭遇する可能性が高いのは、盗賊の方だろう。

 そんな疑問を口にしたレイだったが、コトナラは笑みを浮かべて馬車の前の方を……恐らくはその先にいる御者の方を見る。


「さっき、冒険者の男をあっさりと取り押さえている光景を見ただろ? この馬車の護衛は全員が腕利きなんだよ」

「腕利き……じゃあ、取り押さえた方も冒険者なんですか?」


 その言葉に、コトナラは……そして隣で話を聞いていたジルも、動きを止める。

 いや、その二人だけではない。同じ馬車に乗っていた者で、レイの言葉を聞いていた者達までもが動きを止めていた。


(突っ込みすぎたか?)


 周囲の様子を見て一瞬そう思ったレイだったが、今更何を言ったところで数秒前に口にした言葉を取り消すことは出来ない。

 数秒の沈黙。

 だが、幸いにも次の瞬間にはコトナラの口によってその沈黙は破られる。


「まぁ、レンはまだ若いんだから、色んなことに興味を持つのは分かる。けど、世の中には絶対に興味を持たない方がいいことってのもあるんだ。その辺、決してわすれるなよ?」

「はい。正直、何が聞いちゃいけなかったことなのかは分かりませんけど、次からは気をつけますね」

「がははは。自分でも何が悪いのか分かってないのに謝るのか。この兄ちゃん、大物だな」


 そう告げるコトナラの言葉で、馬車の中にあった緊張感は消えていく。

 実は異名持ちのランクB冒険者なんです……などと言ったらどうなるかと思いつつ、レイは周囲に合わせたように笑みを浮かべるのだった。

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