第1492話

 アジャスとレベジェフの動きを止めたレイだったが、ふと騒動が耳に入ってくる。

 もうこの二人も捕らえたし、ハストンは右膝から先を失っている状況だ。ジェスタルやその一味も捕らえた。にも関わらず、どんな騒ぎが? と視線を向けると……


「何をしてるんだ! 片足を失った相手を皆で寄ってたかって……もう抵抗する気力も残っていないだろう!」


 何故か視線の先では、諜報部隊を遮るようにメランがハストンの前に立ち塞がっていた。

 メランにしてみれば、自分の目の前で連れ掠われた娼婦を助ける為にここにやって来たのだろうが、そこで行われている戦闘を見て、ハストンを助けなければいけないと、そう思ってしまったのだろう。

 そう思えば、すぐに行動を起こすのがメランの長所でもあり、短所でもある。

 娼婦を助けるよりも前に、ハストンを助けるべく行動してしまったのだ。


(いや、そもそも何でメランがここにいるんだ? まさか、イルゼを追ってきたとか? それでも、何の手掛かりもなしにピンポイントでここに来るとは、ちょっと考えられないんだが)


 アジャスとレベジェフの二人を押さえつつ、レイはどうするべきかと迷う。

 普通に考えれば、やはりここはメランを大人しくさせる方がいいのだろう。

 だが、それを行うにはここから離れなければならない。

 勿論ここにいる面子を考えれば、不覚を取ることはないと断言出来るのだが……ここでメランをわざわざ助ける必要があるのか? という根本的なことを考えてしまう。

 レイがそんな風に考えている間に、事態は動く。


「馬鹿野郎! お前は誰を庇っているのか分かっているのか! そいつは犯罪者だぞ!」

「例えそうでも、もうこの男は抵抗する力は残っていないだろ。なら、大人しく降伏させれば……」

「違う! そんなのじゃ……」


 何とかメランをハストンの前からどかせようと、そう諜報部隊の者達は考えていた。

 ダールは、メランについて多少なりとも知っていた。

 だが、諜報部隊の者達はメランについて知っている者は殆どいない。

 それはおかしな話ではないだろう。

 そもそも、メランは今回の一件に多少関わってはいるが、それはあくまでも多少でしかない。

 そのような人物が、まさかこのような現場に来るとは誰も思っていなくてもおかしくはない。

 結果として、メランの異常ともいえる行動に理解が追いつかず……その隙を、ハストンが見逃す筈がない。

 右膝から大量に血が流れ出しているが、それでもまだ何とか行動することが出来た。


(ぐっ、捕まったか)


 視線の先に見えたのは、レイによって大鎌と槍を突きつけられている仲間の姿。

 相手が普通の、平均的な冒険者であればアジャスとレベジェフならどうとでもなっただろうが、レイのような異名持ちの腕利き冒険者が相手となれば、そうもいかない。

 ましてや、レイの近くには紅蓮の翼の面々や見たことがないが、一目で腕利きだと分かる人物、そして何より大鎌と同様にレイの象徴の一つ、グリフォンのセトの姿もある。

 そんな状況で、アジャスとレベジェフの二人が逃げ切れるとは思えなかった。

 また、自分も右膝から切断され、片足を失っている状態だ。

 その状況で諜報部隊の面々を牽制するといった行為をしていた為に、出血量は相当のものとなっている。

 実際、今でも少し気を抜けば意識が朦朧としてくるのだから。

 それを気力だけで防いでいる辺り、ハストンの精神力は強いのだろう。

 だが、それも限界に近い。

 今の状況で、少しでもアジャス達を逃がす切っ掛けになれば、そして一矢報いるという気持ちもあり……ハストンは、何故か自分に背を向け、襲ってきた男達――諜報部隊――の面々から庇っているメランの背に向け、長剣を突き出す。

 片足を失い、意識も朦朧となっている状態のハストンがそのような動きを出来たのは、蝋燭が消える瞬間に一際激しく燃えるように、命そのものを燃やして得た力なのだろう。

 勿論ハストンが狙ったのは、どのような理由からかは分からない――意識が朦朧として、メランの言葉は殆ど聞こえていなかったし、聞こえてもそれを理解する余裕はなかった――が、自分の前に立ち塞がっているメランを殺すことではない。

 ハストンにとって、メランという人物には恨みの類は全くなく……だが、逆に恩を感じている訳でもない。

 必要だったのは、自分に襲い掛かってきた男達から自分の動きを隠す、ブラインド。

 そのような意味では、ハストンの前に立っているメランは最適の存在だった。

 諜報部隊は、メランの前にいる者達だけではない。

 ハストンを包囲するような形で展開していた為、当然のようにそんなハストンの動きを見逃す筈もない。


「危ない!」


 ハストンの動きを見た者がそう叫ぶが、それは遅すぎた。

 ハストンが長剣で放った突きは、メランの背中を貫き……そのまま切っ先をメランの前にいた諜報部隊の男の身体に沈める。

 諜報部隊の男にとって幸いだったのは、モンスターの革で作ったレザーアーマーの下に鎖帷子を着ていたことだろう。

 そのおかげで、長剣の切っ先は多少男の腹に突き刺さったものの、とてもではないが致命傷と呼ぶべき傷にはならなかった。

 だが……それはあくまでも諜報部隊の男はであって、メランはそうもいかない。

 背後から背中を貫かれ……その際に心臓を長剣で貫かれており、その傷は致命傷と言うしかない。

 ハストンは別にメランの心臓を狙った訳ではなかったのだが、片足がない状態で文字通り全身全霊の力を込めた一撃だったのだ。

 それを思えば、長剣の切っ先がどこを狙うのかというのは背中という大きな場所以外を選択することが出来なくてもおかしくはないだろう。


「がはっ、な、何を……何で……」


 長剣に背中を……心臓を貫かれたメランは、それだけを言いながら地面に倒れる。

 そう、未だに自分の心臓を貫いている長剣諸共に。

 地面に倒れた衝撃で更に長剣が心臓を破壊するが、既にメランがそれを意識することは出来ない。

 何故自分がこんな目に遭うのか、という理不尽をただひたすらに嘆くだけだ。

 自分は間違ったことをしていない。なのに、この結果はあんまりではないかと……そう思うも、心臓が完全に破壊されている以上、もうろくに言葉を発することは出来なかった。

 メランが最後に見たのは、背後の男――ハストン――に周囲の男達が群がっているところだった。

 誰にも見向きすらされずに、メランはスラム街でひっそりとその命が消えそうになり……最後の最後、完全に目を閉じようとした瞬間、何故かこの場にいたイルゼが自分を路傍の石でも見るかのような視線で一瞥するのを見て……意識は闇に落ちていく。


「ん」

「ええ、そうね。行きましょう」


 最後にどのような感情を抱いたのか、悲痛な、それでいて信じられないといった表情、もしくは苦悶の表情と言ってもいい死に顔を晒しているメランを興味のない視線で一瞥したイルゼは、ビューネに促されて先に進む。

 メランについて思うところがない訳ではないが、今はアジャスを……優しかった両親と兄の仇の前に立つのが、何よりも優先されるのだから。


「がぁっ! くそっ、離しやがれ! 臭えんだよ!」


 諜報部隊の者達に押さえつけられたハストンは、それでも尚暴れる。

 体力が限界だった筈なのだが、それでも最後の力を振り絞って暴れていた。

 ……そんなハストンは、切断された右足の膝の傷口にポーションを掛けられている。

 もっとも、手当てをしているのは別にハストンが犯罪者でも命は尊いから……では当然なく、ここで死なれれば今回の一件の解明に余計に時間が掛かるからだろう。

 そんなハストン達と諜報部隊の面々をそのままにしながら、イルゼはビューネと共にレイ達のいる場所まで向かう。

 当然のようにそちらにも諜報部隊の者達はいたが、イルゼの存在を見てもそれを止めようとする者はいない。

 何故レイが今回の一件に協力しているのか、それを知っているからだろう。


「はっ、はは……まさか、お嬢ちゃんにこんな風に追い詰められるとはな」

「何とか逃げようとしていたようですが、最後に悪あがきをしたのが敗因でしたね。もっとも、そのまま逃げようとしても逃がそうとは思いませんでしたが」


 冷たい表情で、イルゼはアジャスを見ながらそう告げる。

 イルゼがメランに向けたのは、路傍の石を見るような視線。

 だが、アジャスに向けるのは冷たい……それでいながら、自分の中にある憎悪が熱を持った視線。

 無視と憎悪。

 どちらが嫌な視線なのかは、誰にも分からない。

 だが、少なくてもそれを見ているアジャスは、とてもではないが自分に向けられている視線を嬉しいとは思わなかった。


「さて、どうやら女を何人も連れ去っていたみたいだが……何を目的としてそんな真似をしていたのか、聞かせて貰おうか。まさか、女好きだから……なんて言わないだろうな?」

「はっ、よく分かったな。俺は女好きなんだよ。だから、女が何人も必要になったんだ」


 その言葉に、レイは溜息と共にアジャスに突きつけていたデスサイズを外す。

 何故? とレイの行動を見ていたイルゼが疑問を抱くが、次の瞬間にはレイの持つデスサイズが手首の動きだけで振るわれる。

 それでいながら、レベジェフに突きつけていた黄昏の槍は一切動いていなかったのだから、それがどれだけ驚くべき行動であるかは明らかだろう。


「ごがぁっ!」


 手首だけで動かされたデスサイズだが、それはレイだからこそ可能なことだ。

 本来なら重量百kg程もあるデスサイズだけに、手首を動かす程度の動きで殴られた程度でもその威力は高く、アジャスはそのまま数m程も吹き飛ぶ。

 数度地面にバウンドしながら、何回転もしつつようやく動きを止めた時には、かなりのダメージを受けていた。


「笑える冗談だな。……笑えすぎて、笑えなくなるくらいに面白い冗談だ」

「はっ、はは……お、面白がって貰えたようで何よりだよ」


 上半身だけを腕の力で起こしたアジャスは、今の一撃を受けても、まだ笑みを浮かべながらそう告げる。


「それで? もう一度聞くが、何でこんな目立つような真似をしたんだ? 一応昔からのギルムの住人じゃなくて、増築工事の件を含めて最近ギルムに来た奴ばかりを狙ってたみたいだが……それでも、まさか発覚しないとは思ってなかったんだろう?」


 デスサイズを手に、全く苦労した様子すらなくレイが尋ねる。

 その重量がどれだけのものなのか、文字通りの意味で自分で味わったアジャスから見れば、信じられない様子だ。

 デスサイズの特殊能力を知らなければ、それを直接食らった身だけに、レイの持つ得体の知れなさが余計に強烈な印象を与える。

 まさに、得体の知れない相手を前にしたように、アジャスはレイを見る。

 勿論、ギルムに来る以上要注意人物の一人として、前もってその情報は集めていた。

 アジャスに今回の一件を命じた組織は、その性質上高い情報収集能力を持つ。

 ベスティア帝国との戦争や、レムレースの一件、迷宮都市エグジルで起こした騒動、ベスティア帝国で行われた武道大会や内乱等々。

 様々な騒動に関わり、特に策らしい策も用いず、力押しだけで何とかしてきたかのような人物。

 そのような情報は得ていたのだが、それでも聞くのと実際に自分の目で見るのとでは、大きく違っていた。


「ん? どうした? 俺の言葉が聞こえなかったのか? なら、そんな耳はいらないな。イルゼ、斬ってやれ」

「はい、喜んで」


 レイの言葉に、じっとアジャスを睨み付けていたイルゼは、何の躊躇いもなく笑みを浮かべ、短剣を鞘から引き抜くと、そのままアジャスに近づいていく。

 イルゼは一切の躊躇いもなく自分にその刃を振るうだろう。

 そう分かってはいたが、それでもアジャスは動かない。

 正確には、動かないのではなくデスサイズの一撃によって動けないと表現するのが正しい。

 立ち上がろうにも、先程の一撃のダメージがあって立ち上がれないのだ。

 アジャスの技量があれば、今の状況でイルゼが何をしようとしても、容易に防ぐことが出来るだろう。

 ……だが、それはあくまでもイルゼだけであれば、の話だ。

 レイを始めとした紅蓮の翼の面々にエレーナやアーラといった面子がおり、更には諜報部隊の面々までもが大勢集まっている。

 そんな状況でイルゼを排除出来る訳がない。

 だからといって、アジャスも大人しく自分の耳をくれてやるつもりはなく……


「さぁ、取りあえずその耳をいただきましょうね。……えい!」


 月明かりの下、緑の髪を靡かせながら振り下ろされた短剣を、アジャスは地面を転がることで何とか回避するのだった。

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