第1484話

 レイとイルゼがダール達と協力関係を結んだ日の夕方……アジャスは、部屋の中で仲間の二人が戻ってくるのを待っていた。

 既に外の太陽は夕日に変わっておりそろそろ仕事も終わる頃。

 アジャスは、何もやることがない分だけ、どうしても不安に襲われてしまう。

 もし仲間の二人……レベジェフとハストンが戻ってくる前に、レイがこの宿に突入してきたらどうするべきかと。

 勿論普通に考えれば、そんなことをすれば非難を受けるのはレイの方だ。

 アジャスがイルゼの家族の仇だというのは、状況証拠からほぼ間違いないとはいえ、それは決定的な物証がある訳ではないのだ。

 その話をした途端に仕事を放り出してギルムに戻っては来たが、それも身体の具合が悪いと言い張れば何とかなる。

 当然そのような真似をしているのだから、ギルドの評価は悪くなるだろう。

 だが、イルゼという存在が出てきた以上、アジャスもこれ以上冒険者として活動出来るとは思っていない。

 それは、ギルムではなく他の村や街、都市……もしくは他の国に行っても変わらないだろう。

 ギルド同士はそれぞれ連絡を取り合っており、その連絡によって賞金首として指名手配することも可能なのだから。

 色々と危ない橋を渡っているアジャスだけに、その辺りの事情についても知っている。


「ちっ、冒険者ってのは美味しい仕事だったんだけどな」


 ベッドで横になりながら、不機嫌そうに呟く。

 実際、冒険者はアジャスにとってこれ以上ない程に美味しい仕事だった。

 その美味しいというのは、当然のように普通の冒険者的な意味での美味しいではなく、半ば盗賊として活動しているアジャスにとって得がたい情報源という意味での美味しいではあったのだが。

 どこぞの盗賊の討伐依頼が出ているのを知れば、その盗賊に情報を漏らして報酬を貰ったり、もしくはその盗賊がどこにアジトを持っているのかをギルドに話して盗賊の討伐依頼で高い貢献度を得たりと。

 また、ギルドに疑われる可能性もあるからそう何度も出来ることではないが、行商人の護衛をして盗賊やモンスターに襲われて守れなかった……ということにして、アジャスが護衛対象を殺すという真似もした。

 あるいは、商隊の護衛を募集している依頼があり、その依頼にどのような冒険者が何人参加するのかといったことを盗賊に流しもした。

 他にも、冒険者という肩書きは様々な旨みをアジャスに……そしてレベジェフやハストンにもたらしてくれたのだ。

 それを捨てるというのは、今更ながらにアジャスは惜しく思える。

 だが、捨てるのが惜しいからといって、それにしがみつく訳にもいかないのは、現在の自分の状況を考えれば明らかだった。


「ったく、酒場にでも行きたいところだけど、そんな訳にも……」


 いかないよな。

 そうアジャスが最後まで言うことは出来なかった。

 唐突に扉が開き、そこにはレベジェフとハストンの姿があった為だ。

 ノックもなしにいきなり扉が開いたので、アジャスは反射的に近くにあった長剣に手を伸ばそうとするも……部屋に入ってきたのが仲間の二人だったこともあって、安堵の息を吐く。

 もっとも、ノックもなしのいきなりの行為だったので、すぐに不機嫌そうになって口を開いたのだが。


「お前達な、いきなり扉を……どうした?」


 最初は文句を言おうと思ったアジャスだったが、二人の様子が真剣な様子なのを見て取ると、不意に嫌な予感に襲われる。

 もしかして、自分だけではなくレベジェフとハストンも他の冒険者に正体が知られてしまったのか、と。

 それでもまさか自分と同じ日に……と、そんな疑問を抱く。


(もしかして、イルゼだったか? あの女が俺に迫ってきたのは、この二人と時間を合わせてのことだったりするのか?)


 一瞬そう考えるも、幸いにと言うべきか、ハストンが口を開いてそれを否定する。


「アジャス、この宿が見張られている」

「っ!? いや、けど元々俺を調べている奴がいるって話だったろ? それを考えれば、またそいつらが俺達のことを調べてるんじゃないのか?」


 ハストンのいきなりの言葉に驚くアジャスだったが、以前自分が誰かに探られていたというのを思い出し、そう告げる。

 だが、アジャスは自分でそう言いつつも、今日の一件もあることを考えれば、恐らくその可能性は低いだろうという思いもあった。

 イルゼの家族の仇とされたその日に、宿が見張られているのだ。

 自分が探られているといった時も宿が見張られるようなことがなかったのを考えれば、それを偶然だと思えという方が無理だろう。


「いや……見張っていた奴はそういう臭いじゃなかったな」

「ハストンが言うのなら、決定的だな」


 ハストンの言葉に、アジャスはうんざりとした様子でそう呟く。

 臭い――特に女の臭い――に強い執着を持っているハストンだったが、その嗅覚はハストンの趣味以外にも危険を嗅ぎ分けるような真似が出来る。

 危険というものに臭いがある訳ではない以上、ある種の特殊能力に近い能力の持ち主なのだが、今までアジャス達は何度もハストンの嗅覚に救われていた。

 そうである以上、ここでハストンの言葉を疑う訳にはいかなかった。


「具体的に、どのくらいの危険だ?」

「……とびっきり、だな。このままだと俺達にとって最悪の出来事が待ってそうな気がする」


 一瞬口籠もった後、ハストンがそう告げる。

 その言葉に、アジャスの表情が強ばった。

 何故なら、ハストンの口から出た言葉は、今まで共に様々な悪事を働いてきた中で、一度も聞いたことがなかったからだ。

 これまでアジャス達が様々な悪事を働いているのに、他の冒険者やギルド、警備兵、騎士……そのような様々な者達に多少怪しまれはしても決定的な証拠を握らせなかったのは、アジャス達全員が慎重に行動していたというのもあるが、その中でもハストンの危険を嗅ぎ取る嗅覚もまた大きな力を発揮していた。


「どうする?」


 ハストンの言葉は一切疑うことがないまま、レベジェフが尋ねる。

 一行の中で誰が一番偉いといったことは決まっていないが、それでもどう行動するかを決めるのはアジャスが多かった。


「もう脱出するしかないだろうな。取引の件は……どうなっている?」

「向こうと連絡を取らないと正確なところは分からないが、今の状況でこっちの希望する人数全員が揃ってるってことはないだろ」

「……だろうな」


 レベジェフの言葉に、アジャスが頭を掻く。

 ただでさえ自分が怪しまれているという時に、取引を早めるように向こうに要請したのだ。

 それからまだ殆ど時間が経っていない状況で、今日取引をすると言っても、向こうもとてもではないが準備出来ていないだろう。


「せめてもの救いは、向こうもこっちが色々と危険だというのは分かっているってところか。値段を吊り上げられたりはしなくてもすむ」

「まぁ、そこで粘って俺達が捕まれば、向こうも危なくなるしな。そう考えれば、寧ろそれは当然だろ」


 実際には、ここで向こうが値段を吊り上げるような真似をすれば、アジャス達は大人しくその金額を支払うしかない。

 今回の件で上から用意された資金は、大量にある。

 当然だろう。それだけアジャス達が連れてくる女達は、上にとって貴重な存在なのだから。

 言葉は悪いが、資源と言ってもいい。

 そんな後ろめたいことに使う以上、当然のように公に人を集めることなど出来る筈もない。

 だからこそ、アジャスを始めとして様々な者達に女を連れてくるように命じているのだ。

 それだけに、アジャスと取引をしている組織が多少無茶な金額を要求してきても、それが払えない訳ではない。

 ……ただし、今回の依頼が終わった後で残っている金は、そのままアジャス達に与える報酬の一部となっている以上、アジャス達も出来るだけ金を使いたくはなかった。

 勿論それはあくまでも過去形であり、現在のような状況になってしまった以上、金を惜しむことは出来ないのだが。

 ここで金を惜しむということは、命と引き替えにその金を惜しむということでもある。

 アジャス達は非道ではあるが、馬鹿ではない。

 取引が金で解決するのであれば、さっさと終えてギルムを出ていくべきだと、そう判断する。


「じゃあ、俺が組織と繋ぎを取ってくる。取引は今日の夜。そして取引を終えたらそのまま真っ直ぐギルムを出る。……ってことでいいな?」


 レベジェフが、尋ねるというよりは確認を求める声でアジャスとハストンにそう告げ、二人も躊躇なく頷きを返す。


「なら、俺はこの宿の食堂から食料と水を分けて貰ってくる。取りあえず三日分くらいあればいいよな?」

「……そうだな。けど、出来れば買えるだけ買ってきてくれ。今ならまだ外の店も開いてるから、宿の従業員が買いに行けば食堂の方でもどうにでもなる筈だ」


 既に外が夕方である以上、宿の食堂でも大勢食事をしている筈だ。

 そんな食堂から食料を買うのだから、そうなれば当然のように食堂で出す料理の食材がなくなってしまう。

 だが、幸いまだ今は夕方で、日は完全に沈んでいない。

 つまり、今のうちであればまだ食材を売っている店に買いに行くことも出来るのだ。

 尚、三人の食事を三日分頼む程度であれば、食堂にある食材が足りなくなるといったことはない。

 だが……アジャス達が移動する時は、ギルムで手に入れた女達を馬車に乗せて連れていく必要がある。

 そうである以上、女達にも最低限の食事はさせる必要があった

 折角組織から買い取ったのに、餓死させてしまっては意味がないし、健康な状態で引き渡すようにと上に言われているのだから。


(まぁ、骨と皮だけとかだと、抱きたくもなくなるか)


 向こうについた時、上からどう言われるかを考えれば、女達の食事を減らす訳にはいかない。

 幸いなことに奴隷の首輪により、逃げ出したり騒いだりといったことはしないのだから、食事を減らして体力を奪うといった真似をする必要はなかったのは幸いだろう。

 ともあれ、数十人分の食事を三日分ともなれば、食堂にある食材の多くが必要になるだろう。

 その辺りは、ハストンに上手く交渉して貰うしかない。


(俺が行けばいいんだろうけど、俺が動くのは、今は止めておいた方がいいしな)


 食堂は当然のように人が多く集まる。

 である以上、アジャスの顔を知っている者、もしくはアジャスを探す為やって来る者達がいる可能性もあった。

 勿論今のアジャスはまだ明確に何か犯罪を犯した訳ではない。

 正確には犯罪者なのだが、それが表沙汰になってはいないと表現するのが正しい。

 それだけに、現在は出来るだけアジャスは出歩かない方がよかった。


「分かった。なら行ってくる」


 レベジェフがそう告げ、ハストンも自分のやるべきことをやる為に部屋を出ていく。

 そんな二人を見送りながら、アジャスはこれからのことを考える。

 今日急に取引を行いたいとなれば、当然のように集まっている女の人数は当初予定していたよりも少なくなるだろう。

 それは、アジャスにとっても痛い内容だが、現在の自分の状況を考えれば仕方がなかった。


「ただ、上手くいけば今日中にギルムを脱出出来る。となれば、足りない女はやっぱりどこか他の街や村で用意するしかないな」


 本来の予定であれば、アブエロやサブルスタで足りない女を集める予定だったが、今のアジャスにそんな余裕はない。

 アブエロやサブルスタといった場所で活動していれば、レイやイルゼ、もしくは現在宿を見張っている何者かに見つかる可能性が高い。


(見張っているのがレイやイルゼじゃないってのは、俺にとって幸運だったのか、不幸だったのか)


 レイがこの場にいないということは、自分達が行動を起こしてもすぐにどうこうされることはない。

 だが、それはいいことだったが、新しい勢力がいるのであれば、自分達を追ってくる勢力が増えたということも意味している。

 痛し痒し……それが、アジャスの正直な思いだった。

 しかし、それはもうどうすることも出来ない。

 今出来るのは、ただ何とか自分の行動が間に合うようにと、そう願うだけだ。

 それは、レベジェフが上手い具合に食料を集めてくることであり、ハストンが組織との間に上手く連絡を付けてくれることでもある。

 特に危険なのは、当然のように食料を集めることではなく、裏の組織と交渉するハストンだ。

 もっとも、アジャスはレベジェフもハストンも信じている。

 二人とも、きちんと自分の仕事をこなすだろうと。


「全く、まさか今日こんな時にこんな目に遭うとはな。もし見つかるのであっても、目的を果たした後でやってくればよかったものを」


 自分の運の悪さを嘆きながら、アジャスは何とか無事にギルムを脱出出来るように祈るのだった。

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