第1483話

 レイとイルゼがダールに連れてこられたのは、一軒の酒場だった。

 それを知った瞬間、また酒場か……と思わないでもないレイとイルゼだったが、ダールはそんな二人に構わず酒場の中に入っていく。

 レイとイルゼの二人も、ここまで来たのだからここで何もせずに戻るという選択肢はない。

 セトはいつものように近くで遊んでいるようにと言ってから、二人も酒場に入る。

 そうして酒場の中に入ったダールだったが、何人か客のいる中でその辺の席に座るのではなく店の奥に進む。

 そうなれば当然二人もその後に続くのは当然だった。


(なるほど、多分ここはダール達のような奴のアジトの一つな訳だ)


 レイは酒場の奥に進みながら、そう予想する。

 実際、酒場の奥にある幾つかの部屋にはレイも何度か見たことのある顔があり、レイの予想を裏付けていた。


「ここです、どうぞ。……汚い場所ですが」


 ダールによって通された部屋は、六畳程の部屋。

 部屋の中央にテーブルと椅子があり、壁に窓があるだけという……かなり殺風景な部屋だった。

 ダールは汚いと表現したが、別に埃が積もってる訳でもなければ、蜘蛛の巣が張っている訳でもない。


「ちょっと飲み物でも持ってくるので、待ってて下さい。他にも何人か説明するのに必要な奴がいますから呼んできます」


 そう言い、ダールが出ていく。

 それを見送ると、部屋の中にはレイとイルゼの二人だけとなる。

 特にやるべきこともない二人は、そのまま立っているのも何だということで椅子に座った。


「レイさん。アジャスは何を考えて……いえ、企んでいると思いますか?」


 特に話題もなかった為か、イルゼがレイにそう尋ねる。

 だが、尋ねられてもレイはそれに答える言葉を持たない。


「どうだろうな。正直なところ、ちょっと分からないな。こうして諜報部隊が動いているのを考えると、何か企んでいるのは確実なんだろうが……それが何かというのは、俺にも情報がない」


 レイにとって、アジャスが何かを企んでいてもその企み諸共に潰してしまえばいい。

 そんな思いを抱いていた。

 だが、諜報部隊が動いているのを考えれば、間違いなくちょっとした悪事……という訳ではないだろう。

 レイとイルゼがそのように話していると、扉がノックされてお盆に飲み物の入ったコップと軽く摘まめる一口サイズのサンドイッチの入った皿を持ったダールが姿を現す。

 メランと話した時にも酒場で多少ではあっても飲み食いしたイルゼは特に食欲を刺激されたりはしなかったが、レイは特に気にせずテーブルの上に置かれたサンドイッチに手を伸ばす。


「さて、それで……早速ですが本題に入りたいと思います。構いませんか?」


 そんなダールの言葉に、レイとイルゼは揃って頷く。……レイはサンドイッチを食べながらではあったが。


「ありがとうございます。ですが、そうですね。一体何から話したらいいのか……そう、まず今回の一件が大事になった理由は、あのアジャスってのを調べたことからでした」

「まぁ、だろうな。元々興味がなければ調べたりはしないだろうし、そうなれば当然アジャスが何かを企んでいても見つけるのは難しいだろうし」

「そうですね。……最初は、特に問題はありませんでした。まぁ、こちら側も今は人員が足りなくて、殆ど人数を回せませんでしたから」


 実際にアジャスの調査にエッグが回したのは、一人だけだった。

 だが……その一人が、今回の一件では大きな結果を生み出したのも事実だ。

 その人物がアジャスの一件を調べていたのは間違いないのだが、当然のように一人で完璧に調べられる訳がない。

 だからこそ、男は外部組織を使うことにした。

 幸い諜報部隊というのはダスカーを頂点とした組織の中でも裏の部隊で、友好的な関係を結んでいる外部組織もいる。

 エッグの部下が一通り調べた後の調査は、その外部組織に任されていたのだが……その外部組織は、スラムに拠点を擁する裏の組織であったことから、同じスラムに拠点を持つ組織の一つが怪しげな動きをしていることを察知する。

 ……そう。増築工事でギルムに集まってきた者の中から、スラムに迷い込んできた女を強引に連れ去っているということを。

 それどころか、スラムと繋がりのある人間を使って意図的に女をスラムに連れ込むといった真似までしていた。

 勿論その組織も、自分達が危険な橋を渡っていることは知っていた。

 それでも大口の取引だという理由があったし、何よりギルムの住人には怪しまれないように、増築工事の為にギルムにやってくる者だけという制限も付けた。

 結局、それでも最終的にはその組織に尻尾を掴まれた訳だが。

 そうして諜報部隊と友好関係にある組織がその情報を入手し、諜報部隊に高く買って貰うために情報を集め……多少の損害はあったものの、アジャスとレベジェフ、ハストンといった者達との繋がりが浮かび上がった。

 その一件について知らされたエッグは、当然のようにアジャスの調査に力を入れる。

 もっとも、元々諜報部隊は現在の状況でも限界近かったので、調べるのに多少時間が掛かったのだが……ともあれ、アジャスが多数の女を連れ去ろうとしていると判明し、そこで悩んだ。

 当然だろう。元々アジャスの調査はマリーナからの要望――正確にはレイから――というのは、特に隠している訳でもなかった以上、諜報部隊であれば容易に情報を集めることは出来た。

 つまり、条件によっては下手をすればレイと敵対することにもなりかねない、と。

 そう思った者がいても、おかしくはないだろう。

 それを防ぐ為に、諜報部隊はレイに接することにしたのだ。

 男の口からされた説明を聞き、レイとイルゼはそれぞれが別の表情を浮かべる。

 レイは納得の……そしてイルゼは目の前の部隊の男に同情の表情を。


「じゃあ、アジャスが企んでいるのは女をギルムから連れ去るってことか。……奴隷にでもするのか?」

「そうですね、その可能性は高いと思います。一人二人であれば、アジャス達が自分の欲望を満たす為とも考えられますが、こちらで把握している限りでは二十人以上……いえ、三十人近いとか」

「それだと、アジャス達が単純に女好きだから……って可能性はないだろうな」

「ええ」


 レイの言葉に、ダールが同意するように頷く。

 二人だけでそんなやり取りをしていたが、イルゼはそんな二人の会話を不愉快そうに聞いていた。

 別にレイやダールを不愉快に思っている訳ではない。

 女として、アジャスのやっている行為に嫌悪感を隠せなかったのだ。


「……なるほど。まぁ、それはそれでいいとして、俺達に接触してきた理由はなんだ? 俺達とぶつかる可能性があるってことは、今回の件で何らかの手掛かりを掴んだんだろう?」

「はい。実はレイさん達の……おかげ、ええおかげで、アジャス達三人もいつまでもギルムにいられるという訳にはいかなくなりました」


 本来なら、レイのおかげではなく、レイのせいでと言いたいのだろう。

 そんなダールの様子を見ながら、レイは口を開く。


「そうか、俺達がアジャスに接触したからか」

「はい。これで接触したのがイルゼさんだけであれば、それこそ向こうもこうも性急に動き出したりはしなかったでしょう。それこそ、イルゼさんも標的にされていたかもしれません」

「そうでしょうね」


 イルゼも、ダールの言葉に否定は出来ない。

 美人で、それでいて強さそのものは大したことはない。

 そんな人物は、どのような理由かは分からない――正確には分かりたくない――が、アジャスにとって格好の獲物でしかないだろう。

 勿論、直接女を集めているのはアジャス達ではなく、アジャス達と取引のある組織なのだが。


「ともあれ、そんな訳でアジャス達は次の組織との取引を早めようとしています。……いえ、いたんです、と表現した方が正しいでしょうね」


 レイとイルゼが、アジャスに直接的なプレッシャーを掛けた……という情報はまだ知らないようだが、それでもダールは諜報部隊の人員らしく、現在の状況から何となく事情は理解していた。


「あー……そうだな。イルゼ、どうする?」


 イルゼの事情を話してもいいのかと、レイは尋ねる。

 そんなレイの言葉に少しだけ考えたイルゼだったが、やがて頷きを返す。


「はい、構いません」


 そう頷くと、イルゼは自分の事情を話す。

 五年前に行商人をやっていた両親と兄を、護衛のアジャスに殺されたこと。

 そして仇討ちの為に冒険者になったこと。

 ……増築の為に活気がよくなり、人が集まっているギルムに来てアジャスを見つけたこと、といった諸々をだ。

 その話を聞いたダールは、納得の表情を浮かべる。

 何故イルゼのような、とてもではないが荒事に向いていないだろう人物がアジャスのような相手を狙っているのか。その理由に納得の出来るものがあった為だ。


「なるほど。……となると、下手をすれば今夜にでもギルムから逃げ出す可能性がありますね」

「けど、逃げ出すって……正門以外からか? となると、増築現場?」

「残念ですが、その辺りは私にも分かりません。ですが非合法の組織である以上、何らかの伝手を持っていても不思議ではないですし、こちらが知らない抜け穴のようなものを持っていてもおかしくないかと」

「結界の関係で無理じゃないのか?」

「私もそう思いますが、物事には絶対はありませんから。何か、私達の思いも寄らない方法で……という可能性は十分にあります」


 忌々しげに呟くダールの様子を見れば、レイも納得せざるを得ない。

 恐らくそういう組織には何らかの手段があるのだろうと。


「となると、ちょっと急ぎすぎたか?」


 そう思わないでもなかったが、アジャスが具体的に何を企んでいたのかを知ったのは、今なのだ。

 それを前もって予想しろという方が無理だった。

 いや、もっと頭の回る人物であれば、それも予想出来たかもしれない。

 だが……残念ながら、レイにはそのような真似は不可能だった。


「そうですね。ですが、それは仕方がないかと」


 ダールも、レイの言葉にそう返す。

 実際、諜報部隊の方でもアジャスの正体を、そして企みを見抜くのには時間が掛かったのだ。

 これが、元々のギルムの住人を連れ去っているのであれば、話題になるのももっと早かっただろう。

 だが、連れ去られたのは全てが増築工事が始まってからギルムに来た者達だ。

 その為に、どうしても話が広まるのが遅れてしまったのだろう。


(うん? 女が行方不明になるって……)


 ふと、何日か前に慈悲の雨というパーティから聞いた話を思い出す。

 そのパーティのメンバーの女も一人、行方不明になっていると。

 そう聞かされていたことを。


「あー……慈悲の雨の……ちょっと名前は忘れたけど、そのパーティの女も一人行方不明になっているって言ったけど、その女ももしかして?」

「慈悲の雨、ですか? えーと……」


 レイの言葉にダールは少し考え、口を開く。


「ああ、いましたね。リューシャとかいう女が行方不明になっていると警備隊の方に届け出があったらしいです。こちらの調べでも、今回の一件に巻き込まれたのは恐らく間違いないだろうと考えています」

「やっぱりそうか」


 予想していただけに、ダールの言葉を聞いて少し残念に思う。

 今回の一件については、恐らく……いや、間違いなく大きな騒動になる。

 アジャスを含めた者達の行動を防ぐ為に騒動が起きれば、当然のように連れ去られた女達にも被害が出る可能性があった。

 幾ら冒険者であっても、捕らえられてから数日が経ってる。

 そうなれば当然体力的にも万全とはいえないだろうし、捕らえられている以上武器も持ってはいないだろう。

 だとすれば、レイ達が何か動き出そうとしても、それに乗じるといった真似は難しくなる。

 ……実際には奴隷の首輪を使われ、抵抗を禁じられているのだが。

 奴隷の首輪の価値を考えると、まさかそのような物を大量に用意出来るとは、レイも……そしてダール達も認識はしていなかった。

 もっとも、諜報部隊を率いるエッグやその周囲の者達は、その可能性を否定していなかったが。

 それでも行方不明になった者達の数の奴隷の首輪を用意するには、ちょっとした財産くらいの金は必要になる。

 それだけの危険を冒しても、得られる利益はそこまで多くない。

 だからこそ、エッグ達も奴隷の首輪は用意していないか、もし用意していても数個程度……と、そう認識していたのだ。

 この辺り、アジャス達に指示を出している者の本気度を見誤ったということなのだろう。


「とにかく、今はレイさん達が見つかると色々と不味いので、向こうの見張りは私達に任せてくれませんか? 勿論、向こうが動きを見せたらすぐに知らせますから」


 その言葉に、レイはイルゼを見る。

 任せると、そう暗に告げてくるレイの視線に、イルゼは数秒考えた後でやがて頷くのだった。

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