第1475話

 アジャス達がギルムから脱出するという結論を出している頃、レイはマリーナやヴィヘラから聞かされた報告に眉を顰めていた。

 場所は、いつものようにマリーナの家の庭。

 そこにはいつもの紅蓮の翼の面々の他に、今回の当事者のイルゼの姿もある。

 そのイルゼは、昨日に引き続き用意された料理の数々に、舌鼓を打っていた。

 レイが用意した料理の数々は、屋台や食堂から買った出来たての料理をミスティリングに収納されていたものだ。

 それに、マジックアイテムの窯で作ったピザの姿もある。

 冒険者としてはそこまで稼ぐことの出来ないイルゼにとっては、そこにある料理はどれもこれも、目の毒であると表現するべきものだった。

 だが、そんな料理の数々を食べながらも、マリーナやヴィヘラの口から出た言葉は、食事を楽しむのに相応しいものではない。


「やっぱり行方不明者は多くなってるのか」

「ええ。ギルドの方にもいなくなった人を探して欲しいといった依頼はそれなりに来ているらしいわ」


 元ギルドマスターのマリーナだけに、どのような依頼があるのかという情報を集めるのは難しくない。

 非合法な、後ろ暗い手段を使った訳ではなく、普通に依頼ボードに貼られている依頼でもあるし、受付嬢に聞けばすぐに分かる事実でもあった。

 受付嬢の中には、マリーナに憧れている者も多い。

 また、マリーナも今は冒険者でもあるが、ギルドの相談役という立場でもある。

 そのようなマリーナにとって、公開されている依頼についての情報を集めるのは、難しい話ではなかった。


「見回りをしている時、知り合いを探している人を何人か見たわね」


 警備兵の手伝いとして、ギルムの見回りをしているヴィヘラの口から出た言葉も、マリーナの言葉を裏付けるものだった。

 この食事の場でレイが口にしたのは、アジャスについてというのもそうだったが、その前に増築工事をしている現場でランクDパーティ慈悲の雨の面々から聞いた、仲間が行方不明になっているという話だった。

 レイも、何故その話をするつもりになったのかは分からない。

 そもそも、ギルムには普段から色々な者達が集まってくる。

 その中には何らかの理由で行方不明になったりする者も、決して少なくはない。

 特に今は、増築工事で普段より多くの者達が集まってきている。

 そうである以上、その中で消息を絶つ者が出てきてもおかしな話ではない。

 だが……そう、だが。

 それでも、レイは慈悲の雨の面々から聞いた話が気になっていた。

 明確な理由がある訳ではない。

 いや、行方不明になった慈悲の雨のメンバー、リューシャという女がどのような性格なのかを聞かされたというのが理由になるだろう。


「いわゆる、お上りさんも多いのだろう? であれば、そういう相手を狙って何かをしている者がいる可能性もあるのではないか?」


 野菜とベーコンがたっぷりと入ったスープを味わいつつ、エレーナが呟く。

 その言葉には、強い説得力があった。

 辺境にあるとはいえ……いや、辺境にあるからこそと言うべきか、ギルムはかなり発展している。

 それこそ、今回の増築工事でギルムの規模が街から都市に変わるくらいなのだから、どれだけ発展しているのかが明らかだろう。

 ……もっとも、ミレアーナ王国にある三大派閥の一つ中立派の中心人物のダスカーが治める街だ。

 それが都市ではなく街の規模だったというのが、そもそもおかしかったのだろうが。


「そうね。ギルムは色々と誘惑の多い場所なのは間違いないわ。……けど、いなくなっているのは、殆どが若い女性よ? 勿論中には男の人もいるから、絶対とはいえないけど……」

「殆どが女か。そうなると、やっぱり何かの事件に巻き込まれた可能性は高いだろうな」


 ソーセージと夏野菜のピザを食べながら、レイは納得したように呟く。

 言うまでもなく、女というのは色々なトラブルに巻き込まれやすい。

 行方不明になっている者も冒険者である以上、その辺のチンピラがどうこうしようと思っても難しいだろう。

 だが、実力行使が無理なら、それならそれで対処のしようは幾らでもあるのだ。

 簡単なところでは、食事に薬を盛るのでもいい。

 もっと単純な方法としては、それこそ大勢で一気に襲うという手段もある。

 不意打ちや闇討ちも含めて、手段は多種多様だ。


「……明日、警備兵にちょっと聞いてみた方がいいかもしれないわね」


 警備兵の手伝いをしているヴィヘラの言葉に、その場にいた全員が頷く。

 手伝いと言えば、立場が弱いように思えるヴィヘラだったが、実際には警備兵の中でもヴィヘラと多少でも互角に戦える者は非常に少ない。

 それだけに、警備兵の中でもヴィヘラは強い存在感を持っていた。

 勿論強さだけで警備兵や他の冒険者達から無条件の信頼や信用を得られるものではない。

 だが、紅蓮の翼として活動しているという点や、以前からギルムでその強さを周囲に知られていたという点が、この場合は上手く働いたのだろう。

 もっとも、ヴィヘラの外見と服装からちょっかいを出してくる相手を、次々に叩きのめしていたというのも、その辺りの事情には関係しているのだろうが。


「そうだな、そうしてくれ。今は色々と忙しいから、出来れば警備兵にはあまり負担を掛けたくないんだけど」


 レイの言葉を聞いていた者達が多かれ少なかれ笑みを浮かべる。

 警備兵が忙しいのは、多くの冒険者や職人、果てには一般人までもが仕事を求めてギルムにやって来ている為だ。

 それだけ大勢が集まるのだから、当然のように騒動が起きる。

 その中でも特に多いのが喧嘩騒ぎだろう。

 実際、ヴィヘラとビューネが街の見回りをしている中で止めてきた……いや、鎮圧してきたのは、そのような喧嘩騒ぎが一番多い。

 ともあれ、行方不明者の件は明日ヴィヘラが警備兵に相談するということで話が決着する。

 もしかして、慈悲の雨の面々が既に警備兵に相談しているのでは? と思ったレイだったが、もしそれが事実なら、それはそれで構わないだろうという思いもある。

 ギルムに来たばかりの冒険者と、以前からギルムで活動していたヴィヘラ。

 その両方から相談されれば、警備兵も動かざるを得ないだろうと。


(それに、妙に嫌な感じがする。それこそ、まるで何かが裏で蠢いているような……そんな感じが)


 内心にある妙な感じを気にしながら、取りあえず行方不明になっている者の話はこれで終わったとしてレイが口を開く、


「それで、アジャスのことだけど……」


 アジャスという名前が出た瞬間、イルゼの雰囲気が変わる。

 だが、それはレイにとっても予想されたことだったので、特に何も言わない。


「今日も突っついてみたけど、向こうはやっぱりそう簡単に尻尾を出したりはしないな。元々俺がそういうのが得意じゃないってのもあるんだけど」


 レイの中では、既にアジャスはイルゼの仇……かどうかはともかくとして、猫を被っているのは確実だという確証があった。

 だが、それを示す証拠が何も出ていない以上、まさか強引に何か行動を起こす訳にもいかないだろう。


「いっそ、さっき話題になった行方不明になっている人に、アジャスが関わっていれば分かりやすいのにね」


 ヴィヘラが面倒臭そうに告げる。

 もしそうであれば、二つの問題が一気に解決するのだが、それこそ何の証拠もなくそう決めつける訳にもいかないだろう。


「そうだと結構楽なんだけどな。……とにかく、アジャスも俺に色々と怪しまれているというのは分かっている筈だ。後は、何か迂闊な行動でもして尻尾を見せてくれれば楽なんだが」

「迂闊な行動を取ってくれれば、私達の方でも動きようがあるんだけどね。それが出来ないのは、ちょっと残念ね」

「……いっそ、私が直接アジャスに当たってみましょうか?」


 そう言ったのは、イルゼだ。

 だが、そんなイルゼの言葉に、マリーナは即座に首を横に振る。


「止めておいた方がいいわ。アジャスは何故レイに目を付けられたのかは分かっていない。いえ、勿論レイとの会話で自分のこれまでの行動から予想は出来ているかもしれないけど、それでも確証はない筈よ」

「でも、マリーナさん。私がここにいるというのをアジャスが知れば、向こうも何らかの動きに出ると思うんですけど」

「そうね。けど……問題なのは、イルゼ本人の実力が低いということよ。もし貴方がアジャスに襲われたら、どうするの? 勿論私達の誰かが側にいれば、対処することも出来るわ。けど……こう言ってはなんだけど、私達も今は色々と忙しいのよ」


 言葉を濁すマリーナだったが、その中身はこの忙しい時期にイルゼだけに関わっているような時間はないと言っているのに等しい。

 そんなマリーナの言葉に、イルゼはそっと視線を逸らす。

 イルゼも、自分の復讐がギルムの増築に勝る出来事だとは思ってはいない。

 それでもイルゼの本心からすれば、ギルムの増築よりも自分の復讐を優先させたいと思ってしまうのは、どうしようもなかった。

 どこか微妙な雰囲気になったのを感じたレイは、ふと思いついたことを口にする。


「マリーナの精霊魔法で、イルゼが危なくなったら知らせるって真似は出来ないのか? ついでに、イルゼがどこにいるのかが分かるように……」

「そう、ね。……少し難しいけど、出来なくもないわ。ただ、そうなると……」


 何かを言い淀むマリーナだったが、何かを考えるように目を閉じ……やがて仕方がないわね、といった笑みを浮かべて口を開く。


「少し無理をするけど、可能か不可能かで言えば、可能よ。ただ、そうなると増築工事の方が少し遅れる可能性も出てくるのよ」

「……なるほど」


 基本的に色々な場所を行き来しているレイに、空の見張りを一手に引き受けているセト、そして街を見回っているヴィヘラとビューネ。

 そんな三人と一匹と同様に、マリーナは増築工事をしている場所で働いている。

 精霊魔法を自由に……それこそ同じ精霊魔法の使い手から見ても信じられない程に使いこなすマリーナは、増築工事の現場でも大きな力となっていた。

 そのマリーナに無理をさせるということは、当然のようにどこかにしわ寄せが来る。


(問題は、そのしわ寄せがどの程度なのか、だよな)


 許容出来る程度のしわ寄せであれば、特に問題はない。

 だが、それが取り返しの付かない……とまではいかないが、大きな事態になりかねない場合は、当然のようにそちらを重視しなければならない。

 迷う様子を見せるレイを見ていたマリーナだったが、やがてしょうがないわねと呟いてから、口を開く。


「分かったわ。レイがそこまでこの子に入れ込んでるのなら、私も少し頑張りましょうか」

「いいのか?」


 先程まで渋っていたのが、何故か急にそう言い出したマリーナに、レイは不思議そうな視線を向ける。

 そんなレイの視線を受けたマリーナは、いつものように艶然と微笑みながら頷く。


「ええ、問題はないわ。ただ、頑張った分、ご褒美くらいは欲しいわね」

「……そう言ってもな。何をすればいいんだ?」


 一瞬バイト代という言葉が脳裏を過ぎったレイだったが、そもそも今レイ達がいるのは、マリーナの家なのだ。

 それも貴族街にある家だというのを考えれば、マリーナが金に困っている筈はなかった。

 また、少し前まではギルドマスターだったマリーナは、当然その報酬も貰っている。

 ギルドマスターという、ギルドでトップ……それも辺境にあるギルムのギルドでトップだ。

 当然その報酬は相応の額で、一家族が一生どころか十回生まれ変わっても遊んで暮らせるだけの金額を持っているレイと同等か、もしくはそれ以上の金額を持っている。

 勿論金貨や銀貨といったものではなく、宝石のような物に変えて保存されているのだが。

 マリーナの家が精霊魔法によって守られているのは、その警備という意味合いもある。

 ……マリーナ本人は、そこまで金に興味を持っている訳ではないのだが。

 ダークエルフだけに、そこまで金銭的な欲求が高くないのだ。

 ともあれ、そんなマリーナが欲しいというご褒美。

 それがレイにはちょっと想像出来なかった。

 そんなレイを見かねたのか、ヴィヘラが少し呆れの混じった表情で口を開く。


「……レイと一緒にデートを一回。そんなところじゃない?」

「え? それでいいのか? それなら、俺はそれでも構わないけど」

「では、私もレイに褒美としてデ、デ、デートを要求しても構わぬか? 貴族派の暴走を引き留めていることだし」


 デートというところで若干口籠もったエレーナだったが、そんなエレーナをアーラはよく言いました! とでも言いたげな表情で見ていた。


「あら、それじゃあ私もデートを一回要望しようしかしら」


 エレーナの言葉を聞いていたヴィヘラがそう言い、結局レイはエレーナ達三人とデートの約束をすることと引き替えに、イルゼが直接アジャスと接触することになるのだった。

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