第1474話
部屋の中に入ってくるなり、アジャスは苛立たしげに持っていた長剣の鞘を投げつける。
「くそがぁっ!」
その音は周囲に響き、部屋の中にいた仲間二人……レベジェフとハストンの表情に驚きを生み出す。
「おい、どうしたんだよ? 何でそんなに荒れてるんだ」
エールを飲んでいたハストンがアジャスに向かって尋ねると、それに答えたのは尋ねられたアジャスではなくレベジェフだった。
「もしかして、レイと何かあったのか?」
昨日の一件から、アジャスがレイに怪しまれているというのは既に分かっている。
そうである以上、レイがアジャスにちょっかいを出してくるというのは予想出来た。
そして、レベジェフの予想通り、アジャスは苛立たしげに頷く。
「今日は最初トレントの森にレイはいなかったから、安心だと思ったんだけどな。途中でレイがやって来た。……いや、それはいいんだ。元々伐採した木を運ぶ為に毎日トレントの森にやって来てるって話は聞いてたしな」
「……まぁ、アイテムボックス持ちがいれば、木の運搬とかも楽そうだよな。こっちで用意した女も楽に運べそうだし、俺もアイテムボックスは欲しいな。……女の体臭を嗅げないのは残念だけど」
「知らないのか? アイテムボックスは生き物を入れることは出来ないらしいぞ?」
「うげ。……けど、色々と使い勝手は良さそうだな」
「ああ。一応アイテムボックスを解析して似たようなマジックアイテムはあるらしいけどな。とてもじゃないが、俺達に手が出る金額じゃない」
アジャスの話を聞いていた筈が、いつの間にかレベジェフとハストンはマジックアイテムの話になっていた。
それを聞いていたアジャスは、二人の様子に今まで頭に上っていた血が自然と降りていくのを感じる。
目の前の二人も、まさかそれを狙ってこうしたやり取りをした訳ではないだろうが……と思いつつも、自分が冷静でなかったことにアジャスは気が付く。
そうして最初に部屋に入ってきた時に比べると、多少なりとも落ち着いた様子で口を開く。
「マジックアイテムの件は置いといてだ。……とにかく、理由は分からないが俺は完全にレイに目を付けられたらしい。昨日の時点でそれは予想していたが、面白いことじゃないな」
アジャスの言葉で我に返ったのだろう。レベジェフとハストンの二人もマジックアイテムについての話を止め、アジャスに視線を向けてくる。
「その、理由が分からないってのは痛いな。その辺りの事情がはっきりしないと、いつ俺達にも向こうが目を付けるのかは分からないし」
レベジェフの言葉は、一見するとアジャスを切り捨てようとしているようにも感じられたのだが、本人達にそんなつもりはない。
この三人は数年前から一緒に組んで仕事をしており、今回の件でも上からの命令で動いているのだ。
それだけに仲間意識もあるし、そもそもアジャスは三人の中でリーダー的な立場の人間だ。
それを見捨てるということはレベジェフもハストンも全く考えていなかった。
「そうだな。俺が何で目を付けられたのか分からない以上、レベジェフとハストンにも目が向けられる可能性がある。……幸い、今はその辺りの心配はまだしなくてもいいようだが」
色々と後ろ暗いことをしている以上、アジャス達には当然のように盗賊の技能も持っている。
三人全員がそれらの技能を持っており、だからこそギルムの諜報部隊がアジャスのことを調べたというのも察知出来た。
だが、そんな三人……とくにアジャスにも、何故自分がレイに目を付けられたのかというのは、理解出来なかった。
(行商人云々って言ってたのを考えると、そっちから目を付けられた可能性が高いんだが……けど、どの行商人だよ?)
今までにも多くの旅人や行商人、冒険者といった者達を襲っている以上、レイが言っていた行商人が誰のことなのかというのは判断出来ない。
他人から見れば、自業自得と言う言葉しか出てこないのだが、アジャス達三人にとって、その辺りの事情が分からないというのは非常に厄介だった。
「どうする? まだ予定していた人数を集めてないが、もうギルムを出るか? 幸い、今なら外に出るのも難しくはないし」
「けど、それだと上に指定された人数には届かないだろ? ただでさえ向こうで人数が足りないって言ってるのに」
ハストンの言葉に、アジャスとレベジェフの二人は……いや、それを言ったハストンですら、嫌そうにしながら黙り込む。
別に女を連れ去るのを嫌に思った訳ではない。
その程度であれば、それこそ今まで同じようなことは何度となくやっているし、それ以上に残酷な行為に手を染めたことすらある。
それでも嫌な気分になったのは、連れ去られた女達がどのような結末を迎えるのかを知っているからだ。
男達に乱暴される……と、それだけであれば、言い方は悪いがこの世界ではそう珍しい話ではない。
だが、最終的に女達が迎える結末を考えると、外道と呼ばれてもおかしくないアジャス達ですら、いい気分はしない。
少なくても、自分達が同じような目に遭うのは絶対にごめんだった。
(まぁ、男の俺達はああいう目に遭わなくて済むだろうけど……下手をすれば、もっと悲惨な最期を迎える可能性もないではないしな)
そう思いながらも、アジャス達は所属している組織を離れるつもりはなかった。
それだけ危険な組織なだけに、報酬の方も期待以上の代物だったからだ。
また……下手に逃げ出せば、自分達の秘密を知っているアジャス達を処分する為にどこまでも追ってくるというのは容易に予想出来る。
アジャス達は、多少なりとも上の事情を知っているのだから。
「目を付けられてるのは、アジャスだけなんだよな?」
レベジェフの言葉に、アジャスは忌々しそうに頷く。
「ああ、今はな」
……そう。今は、なのだ。
今はアジャスだけが疑われているようだが、このままだとレベジェフとハストンの二人もレイや、諜報部隊といった者達に目を付けられる可能性はある。
今は別々に行動し、同じ宿に泊まっていても普段は知り合いではないという風に装っているが、それが永遠に続くとは思っていない。
そうである以上、既に他の二人も見つかる危険を考えなければならなかった。
「なら、いっそアジャスは一旦ギルムを出るか? そうしてここから一番近い街……アブエロだったか? そこで女を集めつつ俺達を待っているとか」
「……なるほど。俺がギルムから出れば、お前達には被害が及ばないか。それはいいかもしれないな」
「うーん、俺はあまり賛成出来ないんだけど」
レベジェフとアジャスの意見に反対したのはハストンだ。
「何でだ? 俺がいるから怪しまれてるんだぞ? なら、俺がいなければ……」
「いや、それは分かる。分かるけどよ。……正直、ギルムで仕事をするのは俺達三人がいてようやくだろ? そこでアジャスがいなくなった場合、最悪仕事が回らなくなる可能性がある。そうなれば、俺達と取引をしているスラムの裏組織がどう出ると思う?」
そう言われれば、他の二人も言葉に詰まる。
スラムの裏組織と取引をして女を集めている状態ではあるが、その取引が無事に行われているのは、あくまでもこの三人が過不足なく仕事をこなしている為だ。
だが、三人で丁度仕事をこなしているということは、三人の中から一人でも減ってしまえば、色々と支障が出てくるということでもある。
そうなった場合、裏組織という存在が今まで通り大人しく取引をしてくれるかと言えば……難しいだろう。
元々女を集める為にギルムにやってきたのを考えると、組織との取引が出来なくなるのはアジャス達にとってかなりの打撃だった。
もし組織と取引が出来なくなれば、アジャス達が自分で女を用意しなければならない。
一人二人なら、口だけで何とか連れ出すのも不可能ではないだろう。
だが、上から言われているだけの数をどうにかするには、とてもではないがそんなことをしていては間に合わない。
「それは……けど、レイに目を付けられた俺がここにいれば、最悪お前達も捕まる可能性が高いんだぞ? そうならない為には、やっぱり俺という存在がギルムから消えてた方がいい」
アジャスの言うことも一理ある以上、ハストンも口籠もらざるを得ない。
そんな二人の様子を見ていたレベジェフは、少し考えて口を開く。
「ハストン、女は今どのくらい集まってる?」
「え? あー……どうだったかな。三十人くらいはいたと思うけど」
「奴隷の首輪は後どれくらい残ってる?」
「二十個くらいだな」
五十人を連れてギルムを脱出するのは、普通には出来ない。
非合法の手段で出る必要がある以上、捕らえられた女達に騒がれる訳にはいかない。
ましてや、女達は自分達がこのままではどのような未来が待っているのか……それを考えれば、アジャス達に連れていかれるのは絶対にごめんだろう。
ギルムから出る時に騒がれないように、命令に絶対服従となる奴隷の首輪は必須だった。
勿論相応の金額がする高価な代物なのだが、それを五十個あっさりと用意した辺り、アジャス達の上にいるのが、どれだけの力を持つか示しているのだろう。
「となると、いっそもうギルムを引き払うか? 二十人くらいなら、アブエロとかサブルスタを始めとして、他の街や村でも何とか出来るんじゃないか?」
「俺達が行く先々で女がいなくなるといったことがギルドに知られれば、色々と不味くはないか? 賞金首とかにされたら、これから行動しにくくなるし」
アジャス達が冒険者として活動しているのは、決してなりすましの類ではない。
正式にギルドで登録されて、冒険者として活動しているのだ。
そして、だからこそアジャス達は女を集めるという重要な役割を与えられている。
勿論、アジャス達は三人ともそれなりに自分の実力には自信がある。
もし冒険者でなくなっても、裏社会で生きていけるだろうと思える程には。
もっとも、だからといって好き好んで冒険者という現状を捨てようとは思ってはいないのだが。
「なら、そうするか。……出発の準備にどれくらい掛かる?」
「あー……交渉中の取引をどうするかだな。上手くいけばもう五人くらいは何とかなるかも」
「なら、今やっている交渉を最後にしよう。強引に交渉を打ち切ってしまえば、下手をすると向こうと敵対することになりかねない」
もうギルムを出るという決断をしている以上、交渉を強引に打ち切る……いや、別に打ち切らなくてもそのままギルムから出てしまうことも可能だろう。
だが、それで向こうに悪感情を抱かれ、追っ手の類でも出されれば面倒なことになる。
また、ギルムで女を多く集めれば、途中の旅路でそれ程多くの女を連れ去る必要もない。
それは別に慈悲の心からそう思っている訳ではなく、単純に自分達がそこを通ったという証拠を残したくないという思いの方が強かった。
それに警備兵に探られるような真似はしたくないという思いもある。
最終的には全員の意見の一致もあって、今回の取引を最後とすることになる。
「となると、ギルムから出る理由を作る必要があるだろうな」
「あー……なるほど。今のギルムは人が多く来るけど、出ていく奴はそんなにいないだろうし」
アジャスの言葉に、ハストンがそう言葉を返す。
街の増築工事で好景気になっているギルムだ。
当然のように、出ていくよりも入って来る人数の方が多い。
増築工事に絡む仕事が幾つもあり、それこそ冒険者ではなく、一般人並の体力があれば仕事には困らない。
わざわざ危険と隣り合わせで辺境のギルムまで金を稼ぎにやって来たのだから、そう簡単にギルムを出ようと思う者はいない。
だが……そんな中でも、ギルムから不自然ではない形で出る方法は幾つかある。
その中で、最も一般的なのは……
「護衛、だな」
アジャスの口から出た言葉に、レベジェフが同意するように頷き、ハストンは驚きの表情を浮かべる。
そう、増築工事で多くの人が集まっているギルムだったが、その増築工事に使う資材を運んでいるのは商人達だ。
勿論トレントの森や、周辺で採れる資源からある程度の資材を用意することが出来るが、それだけで増築工事全ての資材を用意することは出来ない。
そして商人は資材をギルムに納入すると、再び新たな資材を得る為にギルムを出ていく。
ギルム増築工事は、商人にとっても持ってくれば持ってきただけ資材が売れるという、まさに商人にとっては稼ぎ時でもあった。
もっとも、それはあくまでもある程度見る目のある商人だけなのだが。
……こうして、アジャスは仲間二人と共に、まずは現在行われている取引を終えてから、商品の護衛としてギルムを出ていくことを決めるのだった。
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