第1469話
アジャスと十分程話したレイだったが、それ以上アジャスの側にいれば怪しまれると判断したレイは、やがて周囲の森の様子を見ながら口を開く。
「じゃあ、俺は他の連中の様子も見てこないといけないから、この辺でそろそろ失礼するぞ」
「ん? ああ、分かった。こっちも周囲の様子を出来るだけしっかり確認しておきたいからな。そうしてくれると助かる。何をするにしても、レイみたいな有名人がここにいれば、気が散ってしまうし」
「……気が散る、か。とてもそんな風には思わなかったけどな。まぁ、腕利きの冒険者が護衛としてトレントの森にいるのは、こっちとしても助かる。今日明日だけじゃなく、もう少し長い間ここで護衛をしてくれると嬉しいんだけどな」
「ははは、その辺りは稼ぎによるな。護衛をしながら木を伐採すれば、それが金になるんだろ? 普通に考えれば、かなり割のいい依頼なんだろうが……そんな割のいい依頼なら、普通なら追加で募集をしたりはしないよな」
「そうだな。最近モンスターが多くなってきているのは間違いない。……寧ろ、今までトレントの森にモンスターが少なかった方が異常なんだけどな」
正確には、トレントの森そのものがモンスターを呼び寄せ、結果として周囲のモンスターを根こそぎ殺していたというのが正しい。
だが、そうして消えてしまったモンスターがいた場所に新しいモンスターが徐々に入ってきており、結果としてそれが最近トレントの森にモンスターが増え始めている理由となっていた。
(まぁ、樵の護衛が少なくなってきたのは間違いないけど、そこまで絶望的って程じゃないしな。今回の一件も、アジャスに探りを入れつつプレッシャーを与える為にってのが理由だし)
目の前のアジャスを見ながら、レイはふと視線をアジャスの左手に向ける。
腕を上っているかのような、蛇の刺青。
その特徴的な刺青が、アジャスが自分の家族の仇だとイルゼに思わせている最大の理由だ。
勿論イルゼもアジャスの顔を忘れたわけではないのだろうが、それでも数年も経てばどうしても記憶というのは薄れてくる。
そんな状況の決定打が、アジャスの刺青だった。
「ん? どうしたんだ? ああ、この刺青か? 珍しいだろ?」
レイの視線を見て、どこを見ているのかを理解したのだろう。
アジャスは左手の刺青を、隠すのではなく……寧ろ自慢するように見せつけてくる。
(イルゼに仇として狙われてるのを知らなくても……それでも、今まで何か悪事を働いているのなら、あからさまに目立つ刺青をこうも自慢するか? それとも、もし悪事を働いていても絶対に知られないという確証があるのか?)
その理由は分からなかったが、それでもこうして自信に満ちた表情で刺青を見せるというのは、レイにとっても完全に予想外だった。
「ああ、珍しいな。今まで色々な冒険者を見てきたし、その中には刺青を彫ってる奴もいたけど、ここまで派手なのは珍しい」
ふと、レイの脳裏を聖光教の中でも精鋭と呼ぶべき者達の姿が過ぎったが、今は関係ないだろうと判断する。
(いや、もしかして……アジャスも聖光教の関係者だったりしないだろうな?)
聖光教の決まり文句の聖なる光の女神が……という言葉をアジャスが口にしている様子を思い浮かべるが、レイにはとてもではないがイメージ出来なかった。
そもそも、聖光教の危険性はダスカーも当然知っている。
そんなダスカーが、聖光教をわざわざギルムの中に入れるとは思わなかった。
(まぁ、最近は聖光教の話もあまり聞かなくなってきたけど)
聖光教はこれまでのことから、少なくてもミレアーナ王国の中では活動しにくくなっている。
勿論宗教という存在を禁止しても、地下に潜るだけなのだが……それでも、表立って聖光教が広がるよりは、と貴族達も判断したのだろう。
ともあれ、レイにとって聖光教というのは厄介な存在以外のなにものでもない。
すぐにその存在を頭の中から消し去り、アジャスの左手の刺青に視線を戻す。
「そうか? そうだろうな。ここまで凄い刺青を入れてるのは、俺くらいのものだろうし」
冷静な様子を見せていたアジャスだったが、自慢の刺青を褒められたのは嬉しかったのか、笑みを浮かべてそう告げる。
「そうだな、俺が見た中ではアジャスと同じような刺青を見たことはない。……実は他にも何人か同じ刺青をしている奴がいるとか、そういうことはないのか?」
「刺青を入れてる奴を全員を知ってる訳じゃないから、確実にとは言えないが……それでも、俺は見たことがないな」
「ふーん……やっぱりそうか」
自分と同じ刺青を彫っている者を知っている場合、自慢するか、それとも知らないと答えるか。
アジャスがそのどちらなのかはレイにも分からなかったが、それでもレイの目から見てアジャスが嘘を言っているようには思えなかった。
(他に同じ刺青を彫っている者がいないかどうかは、まだ確実じゃない。だが……それでも、アジャスがイルゼの仇だという可能性は上がったと考えていいのか? だとすれば、もう少しアジャスにプレッシャーを掛けてみるか)
そう判断すると、レイは何気ない風を装いながら口を開く。
「何年前だったか忘れたけど、刺青を彫られてる奴が行商人を殺したとかなんとか騒ぎになったことがあったけど……その話は知ってるか?」
レイの言葉を聞いたアジャスは、一瞬……そう、間違いなく一瞬だけではあったが、目に動揺を浮かべた。
それだけでレイにとっては十分な証拠で、目の前にいる人物がイルゼの探している人物でほぼ間違いないだろうと判断する。
勿論、商人が殺されるという事件はギルム周辺、ミレアーナ王国、それどころかエルジィンという世界では幾らでもある出来事だ。
刺青を持つ人物が犯人だというのも、決して少なくはないだろう。
だが……自分に何か心当たりがあるのであれば、当然それは自分のことを言われているだろうと思ってしまう。
アジャスが動揺したのも、それなのではないかと考える。
「どうした? 何か動揺しているように見えるけど。もしかして、何か心当たりでもあるのか?」
「っ!? ……いや、何でもない。刺青の形は違うだろうけど、そんな刺青を持っている奴が盗賊になるなんて真似をするのは、残念だなと思っただけだ」
「そうか。まぁ、その件では今でも色々と調べられているって話だし、犯人が捕まるのはそう難しくないのかもしれないな。そうなれば、当然冒険者としてやっていくのは難しいけど」
アジャスは犯人を盗賊だと仮定しており、レイは冒険者が犯人と仮定している。
そういう意味では全く噛み合っていない会話だったのだが、アジャスはそれに気が付いてないのか、口には出さない。
「っと、時間を取らせて悪かったな。じゃあ、俺は他の連中の様子も見る必要があるから、今度こそ本当に失礼するよ」
そう告げ、レイはその場を去っていく。
そんなレイの背中……ドラゴンローブの背中を、アジャスはじっと見つめていた。
「さて、これでどう出るかだな。大人しく尻尾を出してくれれば、楽なんだけど。ただ、それも難しいだろうな」
アジャスから十分に距離を取った場所で、森の様子を眺めながらレイが呟く。
誰から見ても、明らかにプレッシャーを掛けたとしか言えないレイの行動だったが、それを行った本人はもしかして足りなかったかも? と考えていた。
明らかに動揺はしていたのだが、だからといって致命的な行動を取ったりはしなかった。
反射的にでもいいので、レイの前から逃げ出すような真似をしていれば、アジャスこそがイルゼの仇であると明確に判断出来たのだが。
もっとも、レイはアジャスの目に浮かんだ動揺をその目で見ている。
勿論、冒険者として生きてきた以上、一切後ろ暗いところがないという訳にはいかないだろう。
だが……それでも、あの動揺はレイの目から見ても怪しすぎた。
「あ、レイさん! どこに行ってたんですか!? こっちです、こっち!」
レイが森の中を歩いていると、そんな声が聞こえてくる。
声のした方に視線を向けたレイが見たのは、ルグルノが他の冒険者達にトレントの森に関して教えているところだった。
仕事を始めた時はルグルノを下に見ていた者も多かったのだが、今では……少なくてもルグルノの側にいる者達は、そんな風に思っているようには見えない。
(実力で黙らせたってところか?)
既にギルムの増築作業が始まってからそれなりに時間が経つ。
その間、ずっとトレントの森で樵の護衛をしていたルグルノは、相応のノウハウを持っていたのだろう。
もっとも、トレントの森もこの短期間で随分と様子が変わっている。
当初は一切モンスターが出ず、樵の護衛は殆ど名目に近く、実際には樵と一緒に木の伐採をメインに行っていた。
だが、次第にモンスターが増えていき、それに対応するように冒険者達も行動を変えていった。
その辺りのノウハウを知っているからこそ、ルグルノは他の冒険者達に尊敬の視線を向けられ……そこまでいかなくても、見下されるようなことはなくなったのだろう。
「どうやら、そっちは上手くいってるみたいだな。何よりだ」
「あはは。皆、腕は立つ冒険者ですから。きちんと筋道を立てて説明すれば、しっかりと理解してくれますよ」
ルグルノの言葉に、周囲で話を聞いていた冒険者達の何人かは、微妙に視線を逸らす。
それは、下手に出たというだけでルグルノを下に見ていた者達だろう。
だが、ルグルノはその実力によって他の者達に自分を認めさせたのだ。
「そうか、なら樵の護衛も上手くいきそうだな」
「そうですね。他の方々もそう思ってくれればいいのですが。……後は、他の人達もこっちに来てくれるといいんですけどね」
残念そうに呟くルグルノが視線を向けたのは、木を切る斧の音が聞こえてくる方だ。
もし樵が木を切ってるのであれば、聞こえてくる音はもっとリズミカルなものになるだろう。
実際、何ヶ所かから聞こえてくる音は一定のリズムの音なのだから。
リズムが狂っている音を生み出しているのが誰なのかというのは、レイにも容易に想像出来た。
先程、真っ先にトレントの森に入っていった者達だろう。
その者達が、少しでも金を稼ぐ為にと木を伐採しているのは間違いなかった。
(慣れない仕事……って言うのは簡単だけど、それだけ金が欲しいんだろうな。ただ……問題なのは、この音を聞く限り木を切る方だけに集中しているように思えることだ)
元々の仕事は樵達の護衛であって、木の伐採はあくまでもついででしかない。
だというのに、そのついでの方に集中しているというのは、レイから見ても色々と危ないように感じられた。
いや、冒険者達だけが危険に巻き込まれるのであれば、レイも特にその辺は自業自得だとしか思わない。
だが、その冒険者達が原因で樵達がモンスターに襲われでもすれば、その不始末はこの依頼を受けた冒険者全員に降り掛かる。
特にレイは、アジャスの一件を調べる為にギルドに無理を言ってこのような場を整えて貰ったのだ。
そうである以上、ギルドがレイに向ける視線も厳しくなってしまうだろう。
勿論、今までもモンスターを倒しきれずに樵が怪我をするということはあった。
だからこそ、樵が襲われてもそれが全てレイの責任になる訳ではないだろうが……レイの立場、そしてなによりギルムの増築は出来るだけ早く終わらせたいという思いもあり、ここで樵達に被害が出るというのは面白くない。
(もっとも、さっきの様子を見ればこっちが何か注意しても、それを聞くとは思えないけどな。……まぁ、あいつ等には後で後悔して貰うとするか)
この場合の後悔というのは、別にレイが何かをする訳ではない。
純粋に、依頼が終わった後で樵達からこの一件がギルドに報告されるということだった。
樵達に被害が出ていないのであれば、ギルドの方でも本来の仕事を放っておいて自分の利益に走った冒険者を処罰するようなことはしない。
だが、次から何か割のいい依頼があっても、その冒険者達は受けるのが難しくなる筈だった。
当然だろう。ギルドにとっても、同程度の技量であればしっかりと仕事をする冒険者を優先するのは当然なのだから。
「レイさん。とにかく私達も護衛の方に回りましょう。他の方々が護衛をしていますが、それだけで人数が足りるとは思いませんので」
「……そうか? まぁ、こっちはこっちで色々とやることがあるしな。向こうは向こうで好きにさせればいいか」
冒険者は、基本的には自己責任だ。
自分が何をやっても、その利益は自分のものだが……当然ながら、何か大きな失敗をしても、それは冒険者のものとなる。
こうして、レイ達はそれぞれが自分の仕事をするべく、動き始めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます