第1461話

「左腕に蛇の刺青? うーん、そうね。ちょっと聞いたことがないわ。ギルドマスターをやっていた時も、レイみたいに色々と規格外の存在であればまだしも、刺青だけでどうこうなんてことはなかったもの」


 増築工事を行っている場所に向かいながら、マリーナがレイにそう言葉を返す。

 その言葉に、レイは残念そうに溜息を吐く。

 昨日、夕暮れの小麦亭に戻ってきた時にイルゼがレイを待っており、ヴィヘラの部屋で話を聞いたところ、五年前にイルゼの家族を殺した相手と同じ刺青をしている相手がギルドにいたと聞き、レイはならばと元ギルドマスターのマリーナに聞いてみたのだ。

 だが、戻ってきたのは覚えがないという言葉。


(となると、受付嬢の方に聞いた方がいいのか?)


 余程特徴的な冒険者の情報でなければ、すぐに耳に入らないギルドマスターと違い、受付嬢は直接冒険者達とやり取りをする者達だ。

 そうなれば、当然のように多くの冒険者と接することになり、特徴的な相手のことはしっかりと覚えているだろう。

 そしてレイには担当のレノラと、仲良くしてくれるケニーの、親しい受付嬢が二人いる。

 そうである以上、そちらに手を伸ばさない理由はなかった。


「その相手のことを調べてるってことは、イルゼだったかしら。その娘の仇討ちに協力することにしたの?」

「まだ、正確には決めてない。けど、イルゼがギルドで見た相手が、本当に説明されたような相手だったら色々と不味いだろ?」

「それは……でしょうね」


 行商人をやっていた家族を殺すような相手だ。

 イルゼが生き残ったのは、他の家族が必死に逃がしてくれたからだと聞いてはいたが、半ば全滅に近い形。

 いや、イルゼは行商人をやっていた家族の中でも、簡単な仕事しかしていなかった。

 そういう意味では、その行商人は全滅したと言ってもいいのだろう。

 事実、イルゼの家族でやっていた行商は、それ以降行われていないのだから。

 ともあれ、本当にそのような相手がギルムに来ているのだとしたら、何かを企んでいる可能性が高かった。

 それを知ってしまえば、ギルムに愛着を抱いているレイがそれを見逃すような真似が出来る筈もない。

 最初は、いっそ自分が秘密裏に動いて処分してしまうのが手っ取り早いのでは? と思わないでもなかったが、今のギルムでレイは色々と注目を浴びている。

 少なくても、表立って動くのは色々と不味かった。

 ましてや、現在のギルム増築工事でレイが果たしている役割は色々な意味で大きい。

 多少であればともかく、本格的に動くには時間が足りないというのも間違いのない事実だった。


「警備兵の方は……」

「一応、ダスカーの方に話を通してみるわ」


 この辺り、あっさりとこの地の領主に話を通すと言えるのは、昔馴染みだからこその気安さなのだろう。

 警備兵の方は現状でも冒険者の助けを借りて何とか回している……いや、それでも人手が足りなくて幾つもの騒動が起こってる状態だ。

 確実ではない情報を流し、そこで警備兵に捜査をさせるのは色々と不味いと、そう判断したのだろう。


「エッグ達に動いて貰うのか」


 元義賊の草原の狼を率いるエッグは、今やギルムの諜報部隊を率いている身だ。

 普通に考えれば、破格の出世と言ってもいいだろう。

 ……もっとも、色々と忙しく使われているのを本人が喜ぶかどうかは別の話だが。

 ともあれ、情報を集めるという意味でエッグ達が頼りになるのは間違いなかった。

 ただ、現在のギルムには大勢の……それこそ様々な場所から人が集まってきている。

 その中には当然何らかのことを仕組んでいるような者もいるのは間違いなく、諜報部隊としてそちらを重視しなければならないのも間違いない。


(寧ろ、警備兵達より人数が少ない分、エッグ達の方が今は忙しいのかもしれないな。冒険者を雇ったりとか、そんな真似は出来ないだろうし)


 そう思うレイだったが、餅は餅屋とばかりに相手の情報収集はエッグ達に任せるというマリーナの言葉に同意する。


「そうだな、その辺は本職に任せるか」

「レイ殿! レイ殿! レイ殿ぉっ!」


 レイとマリーナの話が一段落したのを見計らったかのようなタイミングで、レイの耳にそんな声が聞こえてくる。

 実際にはマリーナと話しながら歩いていたのだから、タイミングを計っていた訳ではないのだろう。

 ただの偶然なのだろうが……それでもレイにとっては、まるでタイミングを見計らっていたとしか思えなかった。

 老人とは思えない程に元気な様子を見せ、それこそ若者と同じくらいの速度で自分の方に向かって走ってくる相手……マルツの方を見ながら、レイは溜息を吐く。

 別にマルツを嫌っている訳ではないのだが、疑問をそのままには出来ない性格のマルツは色々とレイに話し掛けてくるのだ。

 本人に悪気はないのだが、周囲の者達がレイに哀れみの視線を向けるのだから、それがどれ程の頻度なのかは明らかだろう。


「ふふっ、頑張ってちょうだいね」

「あ、おい。マリーナ!」


 マルツの興味の大半がレイに向いているのは事実だが、大規模な……それこそ、普通ならとてもではないが信じられない規模と精度で精霊魔法を使うマリーナに興味がないという訳でもない。

 マリーナも、それが分かっているからこそ素早く逃げ出したのだろう。

 そんなマリーナの後ろ姿……褐色で滑らかそうな背中が大きく露出している深緑色のパーティドレスを見ながら、レイは不満を口にしようとする。

 だが、それよりも前にマルツがレイの前にやってくると、嬉しそうに口を開く。


「レイ殿、レイ殿が使う魔法の種類についてなのですが……」

「あー……取りあえず、今は仕事に行くぞ」


 既にレイが地形操作を使って地面を沈下させるというのは、終わっている。

 そういう意味では、レイがわざわざ外壁を作っている場所にやってくる必要はないのだが……それ以外にも、やるべきことがない訳でもなかった。


「そうですか? 分かりました。……ですが、レイ殿がアイテムボックス持ちだからといって、いいように使われすぎではありませんか? 倒したモンスターの死体を運んだり、建築資材を運んだりと」


 レイの言葉にマルツは不満そうに呟く。

 いや、不満そうなのではなく、実際に不満なのだろう。

 マルツから見ても、信じられないような魔法を操り、アイテムボックス並に価値があるのではないかと思えるマジックアイテムを使いこなす。

 そんなレイに雑用と思わせる仕事をさせるとは……と。

 もっとも、本人はその辺りのことを全く気にしていないのだが。

 そもそも、現在のレイは指名依頼という形でギルムの増築工事に協力している。

 そうである以上、アイテムボックスを使うのは別に苦にならないといった様子だった。

 ……これが、艱難辛苦の末にアイテムボックスを入手したのであれば、若干話はちがったかもしれない。

 だが、レイはこのエルジィンに来てすぐに用意されていたアイテムボックスを入手した為、その希少さを理解はしていても、使うのを躊躇ったりはしない。

 ましてや、回数制限のあるマジックアイテムでもないのだから、と。


「あ、レイさんだ。レイさんが来たぞー!」


 夜の護衛を任されていた冒険者達が、レイの姿を見て歓声を上げる。

 それは、レイがやって来たことが嬉しい……のだが、より正確にはレイの持っているミスティリングを求めての声だ。

 冒険者達は、それぞれ自分が倒したモンスターの死体にそれぞれ目印を付けて、他の冒険者達に奪われないようにしている。

 そんなモンスターの死体を、レイは次々にミスティリングへ収納していく。

 もっとも、死体の殆どはゴブリンなので、魔石と討伐証明部位の右耳を確保すると、残りはギルドの方で処分することになるのだが。

 ただ、オークを始めとしてある程度価値のあるモンスターも何匹かおり、それらのモンスターを倒した冒険者達は仕事が終わった喜びもあってか、嬉しそうにしていた。

 そんなレイの様子を見て、マルツは若干不満そうな様子を見せる。

 レイに対する強い尊敬の念を抱いているマルツにとって、他の者達のレイに対する態度が面白くないのだろう。

 だが、すぐにその表情を消して、レイの方に向かって行く。


「レイ殿、何か手伝いましょうか?」

「あー……いや、今日は特に手伝って貰うようなことはないな。俺はこれが終わったら、トレントの森に向かわないといけないし。まさか、お前を連れてトレントの森に行く訳にもいかないだろ?」

「それは……」


 レイの言葉に、マルツは残念そうに頷く。

 気力だけはかなり若いのだが、肉体的な衰えはどうしようもない。

 ヴィヘラ達のように、セトの前足に掴まって移動するというのも、普通に考えれば不可能だろう。

 もしそのような真似をすれば、間違いなく途中で地上に落ちることになる。


(うん? ああ、でもギルムからトレントの森まで、セトの速度なら数分だ。それくらいならセトに掴まっているのも不可能じゃない……か?)


 マルツの方を見ながら考えるも、すぐに却下する。

 マルツの腕はとてもではないが自分の体重を支えられるだけの力があるようには思えない。

 もしかしたら数分なら何とか耐えられるかもしれないが、耐えられないかもしれない。

 本当に一か八かといった状態ならともかく、何もない今の状況でそのような真似はしたくないと思うのは当然だった。


「ま、そんな訳だ。それに、お前は元々魔法使いとしてギルムに来てるんだろ? なら、そっちの方を重視した方がいいぞ」

「……そうですか。分かりました。では、残念ですが自分の仕事に集中するとしましょう」

「ああ」


 残念だけど自分の仕事に集中するって表現はどうなんだ? と一瞬思ったレイだったが、それを口にすると面倒なことになりそうだということもあり、適当に流す。

 そうして自分の仕事をする為に戻っていったマルツを見送ると、次々にモンスターを収納していく。

 それが終わったレイが次に向かったのは、ギルド。

 夜の警備を請け負っていた冒険者達は、昼の警備を請け負っている冒険者達と入れ違うように宿屋を始めとした自分の寝床に戻っていく。

 出てくるモンスターがそれ程強力なものではなかったとはいえ、それでもやはり徹夜で護衛をするというのは非常に厳しい。

 ましてや、今回はそこまで強力なモンスターは出てこなかったが、それは偶然、もしくは運によるものも大きい。

 何故なら、ここはギルム……辺境なのだから。

 それこそ、何の脈絡もなくランクCモンスター、ランクBモンスターが現れても、不思議はない。

 勿論、護衛をしている冒険者達が手に負えないモンスターが姿を現せば、より実力のある冒険者が応援として駆けつけただろう。

 そのような戦いが起きなかったことは、冒険者達にとって幸運だったのだ。

 寝床に戻っていく者達も、その幸運については十分に理解しており、その幸運に身を委ねてぐっすりとベッドで眠りたかった。

 ……中には、まだ朝になったばかりだというのに娼館に向かおうと考えている者もいたのだが。

 そんな者達と入れ替わるようにやって来た冒険者達は、朝だということもあって眠そうにしている者も幾らかいるが、殆どの者達は活力に満ちあふれていた。

 ただし、そのような者達も元気なのは今がまだ朝だからだ。

 これから昼になり、午後になるにつれて太陽から降り注ぐ日差しが強烈になっていき、その暑さに耐える時間が続くのだが。

 日中の暑さか、夜の眠気か……どちらを選んでも、護衛の冒険者達が快適な労働環境で仕事をすることが出来る訳ではないのは間違いない。


(さて、取りあえずエッグに関してはマリーナに任せておけばいいとして……俺は普通にすごした方がいいんだろうな)


 自分が色々な意味で注目を集めている以上、マリーナ達が動きやすいよう、自分は普段通りにしておいた方がいいのだろうと、そう考え……レイは、夜の護衛を任されていた冒険者が全て消えたのを確認してから、ギルドに向かって歩み出す。

 その途中で、大勢の者達が仕事をしているのを眺めていると、改めてギルムの増築が本格的に始まっているのだな……と、そう思える。


「お、それ美味そうだな。一つくれ」

「はいよ。レイは今日も仕事かい? 頑張れよ」


 顔馴染みの屋台の店主から串焼きを一本買い、食べながら歩く。

 工事現場で働く冒険者や職人を目当てにしている屋台なので、多少塩味が濃いのだが、寧ろレイにとってはそれがよいアクセントになっている。

 もし喉が渇けば、それこそ果実水を買うなり、ミスティリングから流水の短剣を取り出すなりすればいいのだから。

 そんな風に考えながら歩き続け……やがてレイはギルドに到着するのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る