第1459話
「ふーん……復讐、ね」
マリーナの家の庭で夕食を食べながらレイが昼に会ったイルゼとの一件を話すと、ヴィヘラがそう短く呟く。
尚、本来であればレイ達は夕暮れの小麦亭の食堂で食事をすることが大半だったのだが、それがマリーナの家の庭で食事をするようになったのは、エレーナとアーラの存在が理由だった。
ギルムにいる貴族派の貴族達は、当然のようにエレーナがギルムにいるという情報は得ている。
そもそも、エレーナがギルムに来たのはギルムの増築工事に貴族派が妙なちょっかいを出さないようにという目的がある。
そうである以上、ギルムの貴族派にエレーナが来たということを周知させるのは当然だろう。
中立派の者達がエレーナの件を知ったのは、ここがギルム……中立派の中心人物であるダスカーの領地だと考えれば、当然だろう。
三大派閥の中で、エレーナが来たというのを一番最後に知ったのは、当然のように国王派だ。
……もっとも、三大派閥の中で一番大きな勢力だけに、色々と影響力は強い。
エレーナがギルムに来たというのを知ったのは最後だったが、それでも数時間程度の差でしかなかった。
そして貴族達以外にも、領主の館の前にいた商人達は当然のようにエレーナが来たことを悟った者が多かったし、それ以外にも様々な場所から情報が流れている。
現在のギルムには様々な場所から大勢の冒険者が集まってきており、そのような中には当然のようにエレーナを知っている者もいた。
そのような状況で、エレーナを夕暮れの小麦亭に連れ出す訳にもいかないだろう。
もし連れ出せば、とてもではないが落ち着いて食事が出来るような状況にはならない。
現在、ゆっくりとエレーナがレイ達と話をしながら食事が出来ているのは、ここが精霊魔法により守られてるマリーナの屋敷だからだ。
(同じ異名持ちなのに、随分と待遇が違うわね)
エレーナとレイの二人に視線を向け、マリーナは内心面白く思う。
姫将軍と深紅。
二人とも周辺諸国に広がっている異名持ちではあるのだが、その二人に対する他の者達の態度は大きく違う。
姫将軍には尊敬を、深紅には畏怖を。
勿論、中には姫将軍に対して畏怖を抱き、深紅に対して尊敬を抱く者もいる。
だが、総合的に見た場合、その差は決定的だった。
そんな風に思いながら、マリーナは口を開く。
「復讐といっても、色々とあるけどね。出来れば、あまり大きな騒動にはして欲しくないのだけれど」
「その口調からすると、マリーナも別に復讐に対しては何も思っていないのか」
「そうね、長く生きていれば復讐しようとしている人を見るのも珍しくないしね。……その復讐の相手が私と親しい人だったら話は別だけど、そうでないのなら好きにしたらいいと思うわ」
レイの言葉にあっさりとそう返すマリーナ。
「マリーナ殿、それは少し……元ギルドマスターとして、不謹慎なのでは?」
口に運んでいたスプーンをスープの皿に戻しながら、アーラがそう咎める。
だが、咎められたマリーナは、そう? と小首を傾げるだけだ。
その際に月明かりに照らされた褐色の肌が、艶めかしいと言える程の光景を作り出す。
別に同性愛者という訳でもないアーラだったが、女の艶という言葉をそのまま形にしたかのようなマリーナの姿に、思わずといった様子で頬を赤く染める。
そんな自分に気が付いたアーラは、慌てて首を横に振っていた。
アーラの様子を面白そうに眺めていたマリーナだったが、やがてアーラの自分を見る視線が強くなったこともあり、口を開く。
「そうね、私はあくまでも元ギルドマスターよ。現ギルドマスターじゃないんだから、そこまで気にする必要はないでしょ。特に、今は別に公の場にいる訳じゃないんだし」
「このような場所で普段からそのように口にしていれば、公の場所でもそれを口に出しかねないと思うのですが」
少し咎めるようにアーラが告げると、マリーナは艶然とした笑みを浮かべて口を開く。
「大丈夫よ。私がどれだけギルドマスターを務めてきたと思っているの? その辺りの事情はきちんと理解しているわ」
そう言われば、結局まだ二十年前後しか生きていないアーラに反論するのは難しい。
「マリーナ、アーラをあまり苛めないでやってくれ」
「あら、そう? こうして話していると色々と可愛いから、ついつい……ね」
エレーナの言葉にマリーナはそう告げると、アーラはそんなマリーナに対して何か言いたげに口を開こうとし……結局それ以上は口に出来ず、テーブルの上にある料理に手を伸ばす。
「それにしても、復讐か。また、随分と厄介な話を持ってきたな」
そんなアーラから視線を逸らしたエレーナが次に視線を向けたのは、当然のように今回の話を持ってきたレイ。
だが、レイも別に自分が復讐をするのではなく、復讐をどう思うかと持ちかけられただけなのだ。
「そう言われてもな。……ちなみにエレーナは、今の様子を見る限りだと復讐反対派か?」
「私からは、何とも言えんな」
「え?」
てっきり反対だという言葉が返ってくるものだとばかり思っていただけに、レイの口からは間の抜けた声が漏れる。
それは、レイだけではない。
マリーナやヴィヘラ、ビューネといった面々も同様だった。
唯一、アーラだけはそんなエレーナの言葉に特に驚いている様子もない。
「どうした? そんなに驚いて」
「いや、てっきりエレーナのことだから、復讐は無意味な行為だと言うのかと思ってたんだよ」
「……私は、幾多もの戦場に出て、この手を血で汚してきた。そんな私が、復讐は愚かな行為だと言えると思うか? それこそ、ただの戯れ言と言われるだろうよ」
多くの戦場に出てきたエレーナは、当然のように多くの命を奪ってきた。
本人が直接奪ったのではなく、部下達を指揮して奪った命も合わせれば、その命の数は数十、数百といったところでは足りないだろう。
そうである以上、エレーナは直接的にしろ間接的にしろ、自分が命を奪った相手の関係者が復讐に来てもおかしくはないと思っている。
そんなエレーナの説明に、皆が納得の表情を浮かべていた。
この場にいる殆どの者が、戦いで多くの命を奪った経験がある。
唯一、ビューネだけはその年齢から戦争に参加したことはなかったし、一人でダンジョンを攻略していた時も基本的に戦闘を避ける傾向にあった為、人の命を奪ったことはそれ程ない。
……そんなビューネであっても、あくまでもそれ程であって、皆無という訳ではないところに、冒険者や騎士、軍人といった者達の業があるのだろう。
「まぁ、そのイルゼとかいう女が、具体的にどのような相手に復讐をしたいのかは分からないが、な」
「わざわざ俺に聞いてきたということは、恐らく……そういうことなんだと思う」
エレーナの言葉に、レイはそう言葉を返す。
わざわざ冒険者の集まるギルムにやってきて、復讐についてどう思うと聞いているのだから、現在ギルムにいる誰かに対して復讐をするつもりなのは間違いなかった。
(まさか、こんな時に盗賊に復讐する相手がいる訳じゃないしな)
ただでさえ現在は、ギルムに多くの冒険者が集まってきている。
そうである以上、盗賊はギルムの周辺にやってくるとは、レイには思えなかった。
もっとも、盗賊に見せかけるというレルダクトの私兵のような場合もあるので、絶対にいないとは言えないのだが。
もしくは、モンスターに殺されたという可能性もあるのだが……結局その可能性は少ないと言わざるを得なかった。
「妙な騒動が、起きなきゃいいけどな」
大きな騒動になるかもしれないという予感を覚え、そう呟く。
もっとも、現在のギルムは冒険者が集まっているということもあり、警備兵達が通常よりも頻度を上げて見回りをしている。
それだけでも手が足りず、ギルドに依頼を出して冒険者にも見回りをして貰っている有様だ。
そんな状況で何か騒動を起こそうものなら、まず間違いなく見つかり、大きな騒ぎとなるだろう。
「それで……どんな理由で復讐をするのか聞いた?」
「いや、聞いてない。俺が聞かれたのは、あくまでも復讐はどう思うか? といったことだしな」
「そう。……復讐は復讐でも、血が流れるような復讐じゃないといいけど……どう?」
「無理だな」
マリーナの言葉に、レイはきっぱりと首を横に振って否定する。
復讐をどう思うのかと自分に聞いてきた様子から……また、それ以上に自分の力を羨ましい、妬ましいと言っていた様子から見て、大きな騒ぎにならないような結果になるとは、とてもではないが思えなかったのだ。
それどころか、間違いなく相手の命を奪うという意味での復讐を狙っているというのは、レイにも理解出来た。
そんなレイの様子に、マリーナは残念そうにしながら頷きを返す。
「そうなると、せめて出来るだけ小さな騒動で終わってくれることを祈るだけね」
レイとマリーナの会話を聞いていたヴィヘラが呟き、その隣ではピザを食べていたビューネが同意するように頷く。
この二人は、基本的に現在はギルムの見回りを行っている。
それだけに、騒動になれば駆り出される可能性は十分にあった。
ビューネは意思疎通は難しいものの、盗賊としては平均的な技量を持っているので、何かしでかした相手を追うのに向いている。
ヴィヘラは、その強さから暴れている者を無力化するのに向いていた。
特に現在のギルムの状況を考えると、暴れているのはかなりの確率で冒険者か、もしくは血の気の多い職人だ。
当然そのような相手を取り押さえるのには、相応の力量が必要となる。
勿論ギルムの警備兵は普段からそのような相手を取り押さえているので技量は十分だが、今はそれこそ、そこかしこで幾らでも騒動が起きている。
単純に手が回らず……だからこそ、ヴィヘラ達冒険者が雇われているのだ。
そんな状況では当然腕の立つ人物が呼び出されることが多くなり、そしてヴィヘラはギルムの中でも最高峰の技量を持つ者の一人。
これが、本当に強い相手であればヴィヘラも多少はやる気を見せるのだが……残念ながら、そのような相手は滅多にいない。
……滅多にいないであって、皆無ではないという辺りがギルムの特殊性を表しているのだろうが。
実際、今日まで何度かヴィヘラが若干ではあっても楽しめるような相手との戦いがあったのだから。
ともあれ、それ以外にもビューネと完璧に意思疎通出来る人物はヴィヘラしかいないということもあり、そちらの問題でヴィヘラが呼ばれることもあった。
基本的には一緒に行動しているヴィヘラとビューネだったが、どうしても別行動をしなければならないこともあり……それでヴィヘラが呼ばれるといった形だ。
「小さな騒動、ね。……本当にそんな感じで終わるといいけど……」
「何だ、マリーナ。随分と言葉を濁しているようだが」
どうした? と尋ねるエレーナに、ヴィヘラとビューネの様子を見ていたマリーナは小さく溜息を吐く。
「これだけの規模の増築工事よ? 普通なら、色々とちょっかいを出してくる人がいてもおかしくはないでしょ? 実際、レルダクト伯爵も手を出してきたんだし」
「そうだな。その為に、私がギルムに来ることになったのだから。……もっとも、個人的にはギルムに来るのは歓迎だったのだが」
元々、エレーナがレイと会うのは対のオーブで会話をするしかなかった。
いや、それでもこの時代であれば恵まれていたと言えるだろう。
レイが日本にいた時のように、このエルジィンではインターネットを使って離れた相手と気軽に会話が出来る訳ではない。
手紙にしても、日本にいた時のように出せば数日で確実に相手に届くといった恵まれた環境でもないのだ。
手紙を出すには商隊に託すのが一番安上がりだが、それではいつ届くかは分からない。
いや、最悪その商隊が盗賊やモンスターに襲われて壊滅するという可能性すらある。
冒険者や召喚魔法、テイムされたモンスターで手紙を運ぶといった方法もあるが、そちらでは普通の者は気楽には出せない金額が必要となる。
そういう意味では、このエルジィンで遠距離恋愛というのは非常に成立しにくかった。
……もっとも、それでも皆無ではないという辺り、人間の恋愛感情がいかに強い感情なのかという証なのかもしれないが。
ともあれ、そんな他の者達に比べれば、対のオーブを持っているレイとエレーナの場合は非常に恵まれていた。
いや、最初はそんな物がなく、お互いと離れていてもいつでも話したいという思いから、自分達で対のオーブを手に入れたのだから、運だけではなくそれが行える実力あってこそなのだろうが。
だが……それでも、やはり対のオーブ越しではなく、直接レイと話したいと思うのは、エレーナのような恋する乙女にとっては当然のことだったのだろう。
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