第1398話

 激しい……それこそ激震と呼ぶに相応しい揺れがトレントの森を襲う。

 だが、その揺れそのものはそう長いこと続きはしなかった。

 それこそ、揺れている時間は一分もなかったのではないだろうか。

 立っているのもやっとの揺れが収まり、最初に口を開いたのはレイ……ではなく、マリーナやヴィヘラでもなく、更に言えばスレーシャやルーノといった面々でもない冒険者の一人だった。


「おい、見ろ! モンスターが崩れていくぞ!」


 そう叫んだのは、地震が起きる直前まで動かなくなったモンスターを攻撃していた冒険者の一人。

 その言葉に周囲にいた者達は一斉にモンスター達の方を見る。

 トレントを始めとして様々なモンスターがいたのだが、今はそのモンスターの全ての姿が崩れていく。

 それこそ、まるで身体全てが塵と化したかのように、風に流されて消えていくのだ。


「どうなっている? 生えている木の方は全く影響がないのに……何故こんなことに?」


 研究者の一人が目を輝かせて、崩れていくモンスターに視線を向ける。

 周囲の者達も、自分達の視線の先で崩れていくモンスターを見て、不気味なものを感じたのだろう。

 思わずといった様子で、一歩、二歩と後退る。

 ご……ご……と、トレントの森の奥から聞こえてくる……いや、鳴り響く重低音。

 モンスターの崩壊と共に聞こえてきたその音は、誰が聞いても何かの意味があるというのは確実だった。


「全員、何が起きても対応出来るように、準備しなさい!」


 その重低音を聞いた瞬間、マリーナはその場にいる冒険者全員に叫ぶ。

 モンスターの集団との戦いで執った指揮が的確だった為だろう。呆然としていた冒険者達も、マリーナの声で我に返るとすぐに武器を構えて体勢を整える。

 

「貴方達はここからすぐに脱出しなさい。馬車に乗ってでも、走ってでもいいから」

「いや、ですが……」


 続いて研究者達に向けられたマリーナの言葉だったが、それを聞かされた方は黙って退く訳にはいかない。

 そもそも目の前にはこれまで見たことも聞いたこともないような、トレントの森という存在がいる……もしくは、あるのだ。

 研究者としての知的好奇心は非常に高く、これをそのままにしてギルムに帰るなど、出来る筈がなかった。


「ここにいれば、死ぬかもしれないのよ! さっきみたいに、貴方達を守っていられるような余裕はないの」

「……構いません」


 マリーナの言葉に、研究者の一人が若干躊躇いながらもそう告げる。

 そう告げた研究者の目には、強い意志が……知的好奇心に彩られた光が宿っていた。

 自分が、自分達がトレントの森の秘密を解くのだと。そう告げる様子に、マリーナも言葉に詰まる。

 そしてマリーナが言葉に詰まると、他の研究者達も同様に最初の研究者の言葉に頷く。


「私も」

「俺も」

「僕も」

「儂も」

「自分も」


 それぞれがそう告げ、この場からは絶対に退かないといった視線をマリーナに向ける。

 そんな研究者達を前にして、マリーナは再び口を開こうとしたのだが……次の瞬間、これまで以上の音が森の中に響き渡った。

 それは、まるで爆発。

 現在冒険者達がいる、トレントの森の外側からでも見て、聞こえて、理解出来るだろう爆発。

 それがトレントの森の中で起きたのだ。

 そしてこの場にいるレイ、ヴィヘラ、セトの二人と一匹のみは、その爆発が起きたのがトレントの森の中心……少し前まで自分達がいて、地震によって既に消滅してしまった場所なのだろうという予想が出来た。


「……どう思う?」


 短く尋ねてくるヴィヘラだったが、それだけでレイはヴィヘラが何を言おうとしているのかを理解する。


「さてな。取りあえずいい予感はしないな。どこからどう考えても、悪い予感しかしない」

「でしょうね」

「グルゥ」


 そんな風に会話をしている二人と一匹から少し離れた場所では、マリーナがこれ以上研究者達に関わっている暇はないと口を開く。


「いいわ、ここで死んでもいいと思う者だけ残ってもいいわ。ただ、こっちも貴方達を守るような余裕はないから、自分の身は自分で守ってね。……それと、貴方達は至急ギルドに向かってちょうだい。異変が起きたと、そうしらせて……可能なら援軍を呼んできて」


 馬車の御者……ギルド職員に向け、マリーナがそう告げる。

 ギルド職員達は、マリーナの言葉に頷くと何とか馬を動かす。

 先程の地響きや爆発から、馬は周囲を落ち着きなく見回していた。

 それは、まるで何か異変があるのだと、そう理解している小動物のようにも見える。

 それだけに、この場から離れようとしている御者の行動は馬にとっても喜ぶべきものだったのだろう。

 馬車を牽きながら、即座にその場から馬は去っていく。

 いや、それは逃げていくと表現した方が正しいのだろう。

 そんな様子を横目で見ながら、レイは視線を空に……月明かりに照らし出されているトレントの森に向ける。


「さて……何が出てくるんだろうな」

「そうね、レイがトレントの森を怒らせたことを考えると、こちらに友好的な存在が出てくるとは思えないけど」


 ヴィヘラの言葉に従うかのように、レイは森の中心部から自分達のいる方向に向かって……いや、明確に自分に向かって放たれる敵意とも、憎悪とも、拒絶ともとれる感情が向けられているのに気が付く。


(いや、これはどちらかと言えば俺個人に向けられているのか? まぁ、分からないでもないけど)


 レイが放った魔法を受け、木の根の人形が燃やしつくされたのを見て、現在の状況に陥ったのだ。

 そう考えれば、この場にいる全員ではなく、レイ個人に今のような負の感情を向けられてもおかしくはない……どころか、当然だろう。


「……ヴィヘラ好みの展開になってきたみたいだな」


 デスサイズを構えながら、自分に敵意を向けている存在が姿を現すのを待つ。


「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!」


 やがて、そんな雄叫びが周囲に広がった。

 いや、レイ達は分からなかったが、その雄叫びはトレントの森一帯だけではなく、ギルムや……更に離れたアブエロにまで届いていた。

 そこまで届く程の雄叫びであれば、普通なら聞いていた者達の鼓膜を損傷させても不思議ではない。

 だが、雄叫びそのものが魔力を伴った声であった為か、その雄叫びを聞いても鼓膜を破るような者はいなかった。

 ……代わりに、まるでセトの王の威圧を食らったモンスターのように、身動きが出来なくなった者が続出したが。

 それでも、身動きが出来なくなったのがトレントの森の周辺に限ったのは……運が良かったというよりは、トレントの森にとって憎悪を抱く相手がそこにいたからこそだろう。


「ちっ、うるさい奴だ」


 呟きながら、レイはトレントの森に……より正確には、その森の中から出て来た存在に視線を向ける。

 それは、一言で表現すれば巨大な亀だ。

 ただし、甲羅からは何本もの木々が無数に生えており、首は三本伸びており、口には鋭い牙が生えている。

 足も全部で六本あり、尾の先端にはまるでモーニングスターのように巨大なイガ栗やウニのように見える物がついている。

 生えている木々の高さは十m程あるにも関わらず、その巨大な亀の甲羅の最も高い位置は木の高さを超えている。

 その高さの甲羅から、更に木々が生えているのだ。

 そんな、まさに見上げると表現するのに相応しい巨大な亀は、トレントの森に生えている木々をへし折りながら、真っ直ぐにレイ達のいる方へと向かって歩いてくる。

 一歩歩くごとに周囲を軽い揺れが襲うのは、それだけ巨大亀の重量があるということなのだろう。

 トレントの森の化身、もしくはその本体と思しき存在だったが、そんな存在がトレントの森を破壊しながら歩いてきてもいいのか? とレイは思いながら、周囲の様子を見回す。

 先程の巨大亀の口から放たれた雄叫びにより、この場にいる殆どの冒険者が動けなくなっている。

 この依頼を受けたのが、一定以上のランクを持つ冒険者だということを考えれば、その雄叫びがどれだけの威力を秘めていたのかが明らかだろう。


(まぁ、さっきの雄叫びはそうそう使えないようだけどな)


 同じような雄叫びをまだ使えるのであれば、それこそ一度だけではなく何度でも繰り返し雄叫びを放ってもいいのだ。

 それが起こらないということは、何らかの理由があるのだろう。


(つまり、あの巨大亀の先制攻撃の雄叫びでショックを受けているこいつらをどうにかすれば、まだ十分戦力になる。それにこいつらは、冒険者になったばかりの初心者って訳じゃない。このランクに上がってくるまでに、幾つもの死地を乗り越えてきた筈)


 勿論中には何の苦労もなく、それこそ偶然が味方したことによってランクが上がってきた者もいるだろうが、そのような存在は滅多にいるようなものではない。

 そうである以上、今は巨大亀の雄叫びによって竦んでいても、一度動けるようになれば問題なく戦闘に参加出来る筈。

 そう判断したレイは、少し考え……やがて小さく溜息を吐いて仕方がないと魔力を高めていく。

 そんなレイの行為に真っ先に反応したのは、魔力を目で見ることが出来る魔眼を持っているルーノだった。

 ルーノ自身は、ソロの冒険者としてパーティを組んでいる冒険者よりも多くの修羅場を潜り抜けてきた経験もあり、巨大亀の雄叫びで動きが止まるようなことはなかった。

 だが、臨時ではあってもパーティを組んでいるスレーシャは、ここにいる冒険者達と比べるとまだ非常に未熟な存在で、当然のように巨大亀の雄叫びで身動きが出来なくなっている。

 そんな相棒の様子をどうにかしようとしていたルーノだったが、レイが全身に纏っている魔力を見た瞬間、まるで太陽でも見たかのように目を開けていることが出来なくなった。

 普段は新月の指輪で魔力を隠しているレイだったが、今は意図的にその魔力を放っている。

 魔力を見る魔眼を持っているからこそ、ルーノはそのレイの魔力を見て視覚を一時的に殺されてしまったのだろう。

 また、そんなレイの様子に気が付いているのは、ルーノだけではない。

 マリーナやヴィヘラ、セトといった面々は勿論、巨大亀の雄叫びを受けてもまだ動けている者達も同様だった。

 ……レイとパーティを組んでいるビューネは、雄叫びで身動きが出来なくなっていたが。

 巨大亀の方も、移動をしながらレイの異変には気が付いているのだろう。

 そもそもこの巨大亀が姿を現したのは、トレントの森にとって脅威となる存在のレイを排除する為だ。

 そうである以上、レイという存在の異変に気が付かない筈がない。

 それでも移動する速度がそこまで上がらないのは、巨大亀の身体構造故か。

 六本の足を使い、一歩ずつ地面を揺るがしながらレイのいる方に向かって進んでくる。

 そんな巨大亀を見据えながら、レイは更に魔力を集中し、圧縮していく。

 レイの持つ莫大な魔力がこれ以上ない程に凝縮していき……やがて本来ならルーノを始めとした特殊な感覚を持つ者でなければ見ることも感じることも出来ない魔力が、可視化出来る程に圧縮されていく。

 そうして次の瞬間……レイの魔力はレイの持つ属性に染められ、深紅の魔力となってその身体に纏わり付く。

 炎帝の紅鎧……レイが持つ最大級のスキルだ。

 このスキルがあったからこそ、レイはランクS冒険者のノイズとも戦うことが出来た。

 そして……そのようなスキルを自分達の間近でいきなり使われれば、冒険者達もそれに反応しない訳にはいかない。

 巨大亀の雄叫びで身動きが出来なくなっていた冒険者達も、自分達のすぐ側でいきなりその雄叫びによる萎縮を上回る何かが起きれば、そちらに意識を向けない訳にはいかない。

 冒険者達の視線が向けられた先にいるレイを見て、その衝撃により雄叫びの萎縮は吹き飛んでしまう。

 それだけ、炎帝の紅鎧を発動したレイを見た衝撃は強かったのだろう。

 勿論その効果も狙っていたレイが、この好機を逃す筈はない。


「皆、一旦ここから退くぞ! 森の中では、動きにくい!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! あのモンスターを相手にするつもりなのか!?」


 レイの言葉に、一人の冒険者が叫ぶ。

 まるで山がそのまま動いている錯覚すら覚えるような、そんなモンスターを相手に戦う。

 それは、とてもではないが自分達に出来ることだとは思わなかった。

 ギルムで活動している以上、当然自分達の技量には自信がある。

 だが……それでも、あのような巨大なモンスターを相手に出来るかと言われれば、素直に頷くことは出来ない。


「……そうだな。なら、戦えると思っている奴だけでいい。それ以外はギルムにこの件を伝えてくれ。それと、援軍も連れてきて貰えると助かるな」


 そう告げ、レイは戦えると判断した者達だけを引き連れて森から離れる。

 中にはトレントの森に生えている木々に隠れながら戦った方がいいのではないかと提案する者もいたのだが、いつその木がトレントになるか分からないと言われると、巨大亀だけに集中出来るトレントの森の外側に向かうということで納得するのだった。

 居残り組の中にビューネの姿もあったのは、ビューネの実力を考えれば仕方がなかったのだろう。

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