第1399話
トレントの森は、ギルムのある方に向かってその範囲を広げていた。
そもそもトレントの森がいつ発生したのかは誰にも分からなかったが、発生した場所がギルムとアブエロの間にある場所であるというのは確実で、現在トレントの森がギルムに向かって広がっている場所は草原となっていた。
そして、レイを含めてトレントの森の化身……もしくは本体と思われる巨大亀と戦うと決心した者達は、トレントの森から少し離れた場所にある草原にやってきていた。
巨大亀との戦いを避け、ギルムに今回の件の報告に向かった者達の姿は既にない。
また、研究者達も残ると言っていた者が多かったのだが、巨大亀との戦いに巻き込まれてしまう可能性を考えるとこの場に残す訳にもいかず、ギルムに向かった冒険者達に半ば強引にではあるが連れていくようにマリーナが頼んだ。
当初、もしかしたら巨大亀はトレントの森から出てこないのでは? という希望的な観測……願望を抱いた者もいたのだが、それはあっさりと破られる。
巨大亀は、何の躊躇もなくトレントの森から出て冒険者達を……いや、その中にいるレイを追ってきたのだ。
「まぁ、トレントの森にいられるよりは、こうして出て来てくれた方がいいけどな」
可視化した、深紅の魔力を身に纏いながらレイが呟く。
レイがその気になれば、その魔力に触れるだけで燃やしつくされるだけの威力を持った魔力なのだが、レイがコントロールすることにより、周囲の気温を多少上げる程度の影響に留まっている。
だが、それでも今のレイの姿を見ただけで、普通の冒険者なら戦意を失うだろう。
もっとも、それはあくまでも敵対した存在であればの話だ。
それだけの存在だけに、味方ともなれば非常に心強い。
現に、巨大亀と戦うとしてこの場に残った者達の多くが、炎帝の紅鎧を発動したレイを心の支えとしているのだから。
一歩足を進めるだけで、地面が軽くではあるが揺れる。
見上げるようなという言葉があるが、今回の場合は文字通りの意味で相手がちょっとした山くらいの大きさはあるのではないかと思えるだけの存在だけに、見上げても近くからではその存在そのものを完全に視界に入れることは出来ない。
そんな存在と相対するのだから、何らかの心の支えが必要なのは事実だった。
「レイ、どうやって戦うの?」
炎帝の紅鎧が発動したままのレイの隣に立ち、巨大亀のモンスターと戦おうというのに、ヴィヘラの顔に浮かんでいるのは喜悦……いや、快楽や悦楽と表現してもいいだろう艶のある表情だ。
戦いに快楽を見出すヴィヘラにとっては、この戦いは恐れるどころか、寧ろ望むところなのだろう。
巨大な花に、通常よりも強いトレント、それ以外にも様々な植物系のモンスターとの戦闘……そして、トレントの森から姿を現した巨大亀との戦い。
今夜という一時は、ヴィヘラにとってはこれ以上ない程に充実している時間だったと言ってもいい。
そんなヴィヘラの様子を見ながら、レイは我知らず口元に笑みを浮かべる。
巨大亀との戦いに怯えている者が殆どだと思っていたら、寧ろこうして戦いを望んでいる者もいる。
それが、多少なりとも気負っていたレイの心を解きほぐす。
(巨大亀……ってのも、ちょっとらしくないな)
ふと、自分に迫ってきている巨大亀を見ながらそんなことを思う。
「マリーナ、あのモンスターの名前とか知ってたりするか?」
デスサイズと黄昏の槍を手に尋ねるも、マリーナから返ってきたのは首を横に振るといった行為。
「残念だけど、初めて見るわ。恐らく新種ね」
「そうか。……なら、取りあえず便宜的に奴はギガント・タートルという名前でも付けておくか。巨大亀というのは、ちょっとそのまますぎるしな。……お前達もそう思わないか?」
そう尋ねるレイに対し、周囲にいた冒険者達はそれぞれ小さく笑みを浮かべる者がいる。
モンスターの名前はどうでもいいことではあったが、それでも目の前に迫っている巨大な……それこそ小さな山がそのまま動いているかのような印象すら受ける相手を前にして、レイの言葉で少なからず力が抜けたのは間違いなかった。
「はっ、そうだな。どうせなら巨大な亀そのままの名前よりも、ギガント・タートルって名前の相手と戦う方が箔がつくってもんだ」
「お前は酒場の姉ちゃんに自慢したいだけだろ。知ってるぞ、ハシャナちゃんを狙ってるってな」
「ぐっ、お前、それをここで言うのかよ!」
そんな笑い話すら周囲に響く。
「……さて、取りあえずギガント・タートルにどうやって攻撃するかだが……どんな攻撃をするのか一番いいのかは、全く不明だ。分かるのは、あの甲羅は相当に高い防御力を持っているってことだろうな」
酒場で女を口説くという話で笑いが広がり、緊張が解れたのを見てからレイがそう告げる。
その言葉でこの場に残っていた冒険者達は、意識をこちらに近付いてきているギガント・タートルに向けながらそれぞれ頷く。
亀型のモンスターというのは、それ程数が多い訳ではないが、それでも皆無という訳ではない。
そうである以上、戦った経験がある者もいるのか、レイの言葉に実感を込めて頷いている者もいる。
「そんな訳で……取りあえず、俺が先制してみる。幸い、俺には手元に戻ってくる槍があるしな」
レイの言葉に、黄昏の槍の性能を知っている者は羨ましそうな視線を向け、同時に黄昏の槍によって生み出された商人達の狂騒とも言うべき行動をその目で見ていた者達は微かに同情の視線を向ける。
そのような視線を受けながら、レイはデスサイズと黄昏の槍を持ち変え、いつもとはちがって右手に黄昏の槍を手に取る。
炎帝の紅鎧を発動してる状態で使えるマジックアイテムとしては、黄昏の槍は最高峰のものだろう。
そう思いながら槍に魔力を込め……軽い助走と共に、身体の捻りを加えながら標的目掛けて思い切り投擲する。
トレントの森の上空で使った時は、セトに乗ったままだったので全力という訳にはいかなかった。
木の根の人形というトレントの森の化身と戦っている時は、炎帝の紅鎧を発動してはいなかった。
今は、そのような縛りは一切ない。
炎帝の紅鎧によって強化された身体能力により放たれた槍は、真っ直ぐにギガント・タートルに向かって飛んでいく。
レイとギガント・タートルとの距離はまだ随分離れていたのだが、放たれた槍はその程度の距離は全く関係ないと言わんばかりに空気を斬り裂きながら空を飛ぶ。
何者をも、そして何物をも貫いてもおかしくないだろうその槍は、真っ直ぐに飛び……何故かギガント・タートルの数m手前で見えない何かにぶつかったように動きを止める。
「何?」
そう呟いたのは、誰だったのか。
この場に残った冒険者は、全員がレイの放った黄昏の槍の行方を見守っていた。
それだけに、甲羅に当たって防がれるのならともかく、何もない空間で槍が止められるというのは完全に予想外だった。
そんな困惑を伴った疑問の答えを口にしたのは、当然のようにこの場に残っていたスレーシャ……の隣にいたルーノ。
レイのスキル炎帝の紅鎧により一時的に目を封じられてしまっていたのだが、それもここに来るまでに治っている。
何故ルーノがここにいるのかと言えば、当然のようにここにスレーシャがいたからこそだろう。
ルーノとしては見捨てても問題はなかったのだが、どうせここまで付き合ったのだからと、一緒に行動することになっていた。
何だかんだと、面倒見がいいのだろう。
ともあれ、そのルーノの目……魔力を見ることが出来る魔眼には、ギガント・タートルが何をしているのかはっきりと分かった。
「魔力だ、魔力を使って障壁を張っている!」
その言葉と同時に、まるでガラスが地面に落ちて割れるような音が周囲に響く。
何が起こった、とその場にいる全員の視線が向けられるのは、当然黄昏の槍。
すると一瞬前までそこにあった黄昏の槍は既に同じ場所にはなく……真っ直ぐギガント・タートルに向かっていた。
「馬鹿な! あの障壁をこんなにあっさりと!?」
魔眼を持つルーノだからこそ、ギガント・タートルが張った障壁がどれ程の防御力を持つのかを、その目で確認することが出来ていた。
それだけに、こうもあっさりと障壁を破壊するというのは、黄昏の槍に込められたレイの魔力がどれ程のものなのかと言いたくなってもおかしくはない。
正確には魔眼を持つルーノだけに、黄昏の槍にどれだけの魔力を込められたのかというのは見れば分かったのだが……それだけギガント・タートルの魔力障壁を見た驚きが強かったのだろう。
その魔力障壁をこうもあっさりと貫通するのだから、黄昏の槍の威力こそ驚くべきだったのだが。
ともあれ、魔力障壁をあっさりと貫き、破壊した黄昏の槍は、速度を少しも損なうことがないまま真っ直ぐ標的に向かう。
本来であればギガント・タートルの三つある首のうちの真ん中を狙った一撃だった。
だが、魔力障壁にぶつかり、それを破壊してしまう。
それ自体は全く問題はなく、寧ろ見ていた者達は喜びの声を上げたのだが……結果として、魔力障壁を破壊したことにより、黄昏の槍の軌道は本来レイが狙っていたものから逸れた。
それ自体は当然のことではあったが、それでもあらぬ方に飛んでいくのではなくギガント・タートルの身体に向かっていったのは、その身体の大きさを考えれば当然だったのだろう。
甲羅から生えている木々を砕き、貫き、破壊する。
甲羅から生えている以上、その木々も普通の植物という訳ではないのだろうが、レイの魔力が込められた黄昏の槍をどうにか出来る強度は存在しなかった。
次々に破壊されていく木々だが、それでも黄昏の槍の速度は落ちない。
そして次の瞬間……金属と金属がぶつかり合うような、聞き苦しい音が周囲に響き渡る。
「……硬いな」
黄昏の槍が突き刺さっても、ギガント・タートルは特に痛みを訴える様子もない。
それは、甲羅に傷を付けることは出来ても、貫くことは出来なかったということの証だろう。
「グルルルルラアァァアアァアァアッ!」
周囲に響く、ギガント・タートルの咆吼。
先程の雄叫びよりも更に大きな咆吼だったが、それは周囲を威圧するような威力を持ってはいなかった。
ただ、不意に与えられた痛みと、自分が傷を付けられたことによる苛立ち。
勿論致命傷という程の傷ではない。
それこそ、人で言えば皮膚諸共に肉を抉られたようなものだろう。
決して軽い傷という訳ではないが、それでも到底致命傷とは呼べないような傷。
ましてや、ギガント・タートルの大きさ……文字通りの意味で小山のようなその姿を考えれば、今の一撃で受けた傷は騒ぐ程のものではない。
だが……そう、だが。
それでも、レイの一撃で無敵の存在に思えたギガント・タートルにダメージを与えたのは間違いのない事実なのだ。
それを目の前で見たことが、周囲の冒険者達の士気を否が応でも高める。
先程までも、自分達は決して負けないとは思っていた。
それでも、やはりギガント・タートルの姿を見ればどうしても怖じ気づく気持ちがあったのは否めない。
だが、今のレイの攻撃を見て、悲鳴を上げるギガント・タートルを見れば、自分達でも戦えると思うのは当然だった。
無理矢理士気を高めているというのは自分達でも分かっていたのだろうが、それでも今はレイの強さに乗るしかなかった。
「行くぞ、奴を倒す! 遠距離攻撃が可能な者は、援護を! その手段がない者はギガント・タートルの足を狙え! ただし、あの巨体だ。攻撃範囲には十分に注意しろ!」
冗談でも何でもなく、一撃を受ければそれで死んでしまう。
小山の如き大きさのギガント・タートルには、それだけの攻撃力があるのは間違いなかった。
「レイはどうするんだ!」
「俺か? 俺は……決まってるだろ?」
その言葉と共に、レイの手元には先程投擲して、現在はギガント・タートルの甲羅に埋まっている筈の黄昏の槍が戻ってくる。
レイに向かって尋ねた冒険者の男は、黄昏の槍の存在その物は知っていても、その能力までは知らなかったのだろう。
いきなり目の前に現れた黄昏の槍を呆然と見つめていた。
「あの亀を動けなくしてから、姿焼きにでもしてやるよ」
魔力障壁の件や、高い甲羅の防御力、更にその背に生えている木々……それ以外にも様々な要因から、今の状況でレイが得意としている魔法を使っても効果があるとは限らなかった。
そうである以上、まずは動けなくして弱めてから……もしくは、一度そこまで強力ではない魔法を使ってみてから、本番に挑むべきだろう。
そう判断したレイは、そのままセトに乗り……そしてこちらもまた既に慣れた様子でヴィヘラがセトの前足に掴まりながら夜空に向かって飛び立つのだった。
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