第1369話

 春らしい柔らかな日射しと、暖かさを伴った微風が吹く中……トレントの森には大きな声が響く。


「たーおれーるぞー!」


 その言葉と共に、木が軋む音が周囲に響き……やがて倒れていく。

 木の周囲にいた樵や冒険者達は、その倒れてくる木に巻き込まれないように距離を取る。

 街道の側から近付いた場所だけに、樵や冒険者達がいる所はまだ木々に覆われていない場所だ。

 森の外側の部分から、現在大勢の樵や冒険者達が木の伐採を行っている。

 森の外側の広さは相当なものがあり、全部で五十人を超える樵や冒険者が集まっていても、全く狭くは感じない。

 それどころか、まだまだ空間的な余裕はある。


「これで切っても、明日にはまた木が生えてくるんだろ? この森は樵にとっちゃ、天国みたいなもんだな」

「分かる分かる。しかもこの森にはモンスターや……ましてや動物もいねえんだからな」

「しかも、この木は乾かしたりしなくてもいいんだろ? ……それが助かる」

「ああ、グレームは前に切った木をゴブリンに持ってかれたんだっけか?」


 グレームと呼ばれた樵は、苦々しげに頷く。


「あー、そうだよ。折角俺が切った木が……次の日に行ってみれば、ゴブリンに枝を切られて棍棒とかにされてるわ、面白半分に木を切ったりしてるわ……ああ、今思い出すだけでも腹が立つ!」


 説明していることで腹が立ってきたのか、グレームは斧の柄を思い切り握り締める。

 いい木で、木材としても間違いなく品質がよく、高く売れると思っていたのが台無しになったのだから、苛立つのも当然だろう。


「まぁ、落ち着けって。ほら、とにかくこのトレントの森では切った木を横取りするような奴はいないんだから。それに木の方も、冒険者が運んでくれるんだろ?」


 苛立っているグレームを落ち着かせるようにしながら告げる樵に、側で周囲の様子を眺めていた樵が口を開く。


「ああ、それ知ってる。レイだろ? ギルムで何回も見たことがあるし」

「へへんっ、俺なんかレイの従魔のセトを撫でたこともあるんだぜ?」

「俺は干し肉を食べさせたことがあるぞ!」


 何故かレイについての話から、セトにどれだけの食べ物をやったかの話になっていく。

 このままでは収集がつかないと判断したのだろう。樵の一人が大きく叫ぶ。


「おら、話はその辺にしておけ! それより、少し休憩したら次の木に取り掛かるぞ! 俺達が仕事をするのは日があるうちだけなんだからな!」


 その言葉に従い、話をしていた樵達は次の木に向かう。

 もっとも、次の木といっても倒れた木のすぐ側にある木なのだが。

 そうして木の幹に斧が叩きつけられる音が周囲に響く頃……スレーシャはルーノと共にトレントの森の浅い位置にいた。


「こうしてみると、やっぱりモンスターや動物の姿がいないな。ただ……」


 ルーノはじっと目の前に生えている木に視線を向ける。

 魔力を見る魔眼を持つルーノの目には、このトレントの森に生えている木に若干ではあるが魔力が宿っているのが確認出来る。

 ルーノの目から見ても、これらの木々が普通の木でないということは明らかだった。

 また、ルーノやスレーシャ達がいる場所は街道の近くということで……第三の瞳が消えた場所からそう離れた場所でもない。

 だが、ルーノの魔眼であっても、このトレントの森の異質さというべきものを感じ取ることは出来なかった。

 正確には感じることは出来るのだが、どこにその異質さの原因があるのかが分からないと表現するのが正しいだろう。


「ルーノさん、どうかしたんですか?」


 いつ何が起きても、すぐ反応出来るように弓を手にしているスレーシャが尋ねるが、ルーノは首を横に振る。


「いや、この森は色々と怪しいところはあるが、どこが……となると、ちょっと見つけるのは難しいと思ってな」

「そうですか……ルーノさんでも見つけられないんですか……」


 スレーシャが、がっかりとした様子で呟く。

 魔力を見る魔眼を持つルーノであれば、このトレントの森の秘密を……そして仲間を殺したモンスターの秘密が分かるのではないか。

 そんな希望を持っていたからだ。

 今回、依頼を受ける前にギルドからされた説明では、このトレントの森でモンスターは確認されていないというものだった。

 それを聞いた時、当然スレーシャは馬鹿な! と、そう叫びそうになったのだが……その声を発するよりも前に、ルーノによって止められた。

 実際、それは正しかったのだろう。

 もし説明を聞いた時にそんなことを叫んでいれば、悪い意味で目立ったのは間違いない。

 そうなれば、今後の調査にも色々と支障をきたすのは間違いなかった。

 こうしてルーノと二人でトレントの森に入ってきていられるのも、あの説明の時に我慢したからなのだと思えば、スレーシャの中にある憤りも幾らか落ち着く。

 もっとも、こうして森の中にやってきても本当にギルドで説明を受けた通り、モンスターや動物の一匹もいないというのは予想外だったが。

 レイがトレントの森を調べてきた様子も聞いてはいたが、それは単なる偶然だったのではないかと、そうスレーシャは思っていた。

 冷静に考えることが出来れば、レイはともかくグリフォンがモンスターを見逃す筈がないというのは分かりそうなものだが、今のスレーシャにはそれを認められるだけの余裕はない。


「まぁ、今日きてすぐに何か手掛かりを見つけることが出来るとも限らないだろ? 大体、こうして来てみて分かったが本当にここにはモンスターも動物もいない。俺達は護衛として雇われた訳だが、調べる為の時間はいくらでもある」


 勿論ルーノ達が護衛をする相手というのは、モンスターや動物だけではない。

 ギルム周辺では滅多にいないが、盗賊が出てくる可能性も皆無という訳ではないのだ。

 その辺りを考えれば、完全に樵の護衛をしないという訳にもいかない。


(ま、もっとも他の冒険者達の多くが樵の側にいるんだ。それを考えれば、護衛の仕事云々を心配する必要はあまりないんだろうけど)


 木を切れば、それだけ収入も増える。

 そのことに集中しすぎて、樵の護衛を疎かにするのではないかという心配も若干してるのだが、そもそも今回の依頼はランク制限がある。

 この依頼に参加出来るランクの持ち主……ランクC以上の冒険者であれば、そんな馬鹿な真似はしないだろうとルーノは信頼していた。

 今回の依頼を受けた冒険者の中には、ギルムに来たばかりの者もいたが、同様に顔見知りの者も多かった。

 それだけに、取りあえず樵達の安全は確保されているだろうという確信がある。


「ん?」


 そんな中、ふとルーノが声を上げる。

 ルーノの魔眼に期待していたスレーシャは、そんなルーノの声を聞き反射的に顔を上げる。

 もしかしたら、何らかの手掛かりを見つけたのではないか。

 そんな思いを込め、口を開く。


「ルーノさん、どうしたんですか? もしかして何か……」

「ああ、いや。スレーシャには悪いけど、別に今のはお前が期待したようなことじゃない。ただ、レイがやって来ただけだ」


 レイの魔力は新月の指輪によって抑えられているが、それでも見えないことはない。

 ましてや、セトの……グリフォンの魔力を見間違う筈がなかった。


「そう……ですか」


 期待していたことと違い、スレーシャは残念そうに呟く。

 だが、そんなスレーシャに対して、ルーノは励ますように話し掛ける。


「俺達だと気が付かないことでも、レイやセトなら気が付くんじゃないか? 元々色々と……そう、色々と特殊な奴等だし」


 本来なら、ここは腕がいいと評するべきなのだろう。

 しかし……レイは腕がいいと言うよりは特殊と表現すべき相手だった。

 当然だろう。ギルムで冒険者登録をして数年でランクB冒険者まで昇り詰め、ましてや異名持ちですらあるのだから。

 このような存在は、とてもではないが腕がいいという言葉で評するべき相手ではない。

 もっとも、だからといってレイに対して何か思うところがあるという訳ではないのだが。

 いや、色々と羨ましいとは思うが、それくらいだ。

 この辺り、何だかんだとルーノは割り切りがいいのだろう。


「そうですね。なら……レイさんにお願いした方がいいんでしょうか」

「俺はそうした方がいいと思うぞ。ただ、すぐにでもレイに頼まなくてもいいと思う」

「え?」


 レイに頼めばいいと言っているのに、頼まなくてもいいと言う。

 ルーノが何を言っているのか分からず、スレーシャは首を傾げる。

 そんなスレーシャの様子を見て、ルーノは再び口を開く。


「レイの特性……って言い方は少しおかしいが、その能力をちょっと考えてみろ。そうすれば俺が言いたいことも分かるから」

「能力、ですか?」

「ああ、そうだ。スレーシャの仲間の道具とかを持ってきてただろ? レイはアイテムボックス持ちだというのは、それなりに有名な話だ。そのレイが樵の集まっているここにやって来た。それはつまり……」

「あ、木!」

「分かったみたいだな。そして、夕方とかじゃなくて今この時間に……まだ働き始めてから数時間しか経っていないのに、もうレイがやってきたということは、今日はまだ何回かこっちに来るつもりってことだろう」


 もしこの場にそのレイがいれば、ルーノとスレーシャの会話を見て多少ではあっても驚きの声を上げただろう。

 基本的にルーノはソロで活動しているだけあって、他人とはあまり深く関わらない。

 それだけに、こうして簡単なものでもアドバイスをしているというのは、レイから見れば驚くのは間違いなかったのだから。


(もっとも、何だかんだとレイは気紛れだから、今日はこれが最後ですなんて風に言われても、納得出来たりはするんだが)


 ルーノは、何だかんだとそれなりにレイとの付き合いも長いし、話をしたこともそれなりにある。

 だからこそ、レイがどのような性格をしているのかはそれなりに分かっていた。

 レイは今日何度もここにやって来るのだろうと。


(ギルドの方で木を運ぶ心配がないって話は聞いてたから、多分そうだとは思ってたんだけどな。まぁ、どのみちこっちとしてはレイが手伝ってくれるのなら何も問題はないけど)


 ルーノの目から見ても、レイが来てくれるのであれば何かがあっても対処出来るだろうと、そう思える。


「さて、じゃあまずはレイに挨拶でもするか。レイも、俺達がこうして伐採の護衛にやって来てるってのは知らないだろうし。何か頼むにしても、その辺りは話を通しておく必要があるだろ」

「あ、はい。分かりました。……それにしても、レイさんって本当に凄いんですか?」


 スレーシャの口から出て来た言葉に、ルーノは驚く。


「いや、お前もレイの凄さとかは色々と知ってるだろ? それを知ってる上でそんな言葉が出てくるってのは……正直、どうだ?」

「ああ、いえ。レイさんが凄いというのは、分かっているんです。そもそも、凄くないと異名持ちになんてなれませんし。ですけど、こう……」


 言葉を濁す様子を見て、ようやくルーノはスレーシャが何故そう思っていたのかを理解する。

 ギルムに住んでいる者であれば……ましてや、レイと一緒に行動したことがある者であれば、まず抱かない思い。

 だが、スレーシャはそんなレイを見たことがない。

 見たことがあるのは、レイがマリーナ達と一緒にいるところくらいだ。

 セトに乗って飛んでいる光景でも見ていれば、若干話は違っていたのだろうが……この辺りは、色々とタイミングの悪さが重なった結果だろう。


「そうだな。じゃあ、レイに挨拶がてらちょっと見に行くか。多分、驚くぞ?」


 ルーノはベスティア帝国との戦争の時、レイがミスティリングを使って大量の補給物資を運んでいるのを見ている。

 ミスティリングを使うという意味では、スレーシャもトレントの森に残してきた荷物を持ってきて貰っているのだが、荷物は所詮それ程の大きさはない。

 ルーノが見たように、普通であれば馬車数台分……いや、数十台分の補給物資が、次から次にミスティリングの中に入ったり、そこから出ている光景というのは、普通なら間違いなく驚くだろう。

 特に今回こうしてレイが来たということは、伐採された木を持っていくのが目的であるのは間違いなく……そうなれば、スレーシャも驚くだろうというのは容易に予想出来た為だ。


「そうなんですか?」


 スレーシャの方はまだよく分かっていないらしく、軽く首を傾げながらもルーノと共にトレントの森を出ていく。

 そして、やがて目に入ってきた光景に……木に触れると次の瞬間には消えるという光景に、口を大きく開け、目を見開き、唖然とするしかなかった。

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