第1362話

 レイがトレントの森の木を伐採してきた日の夜……ギルドの倉庫には、数人の人影があった。

 一人はギルドマスターのワーカー、そしてギルムの領主ダスカー、錬金術師のズモウス。

 他にも何人かいるが、今は倉庫の中にある木を調べることに集中している。


「この木の魔力分布を見てみると、こちらのターリスの赤液を使った方が……」

「いや、同じターリスの液でも、この場合は青液の方がこちらに向いているんじゃない?」

「けど、魔力の固定に問題が……」


 そんな錬金術師でもなければ分からないような会話が、木を見ながらいたるところで行われている。

 ズモウスの方も、ダスカーに調べて分かったことを報告しながらも、錬金術師の業なのだろう。木が気になるようで、自分でも調べたいと思っているのが分かってしまう。

 だからこそ、一通りの説明を聞き終わったところで、ダスカーは口を開く。


「行ってこい。正確な報告は調べ終わってから聞かせて貰う」

「ありがとうございます!」


 ダスカーの言葉に、ズモウスは仲間の錬金術師の下に向かう。

 そんな自分の部下を見て苦笑を浮かべているダスカーに、ワーカーは笑みを浮かべながら口を開く。


「どうやら、建築素材としては十分に使えそうで良かったですね」

「ああ。……ただ、ギルムの増築をするにしても、材料はまだまだ足りない。幾ら材木があったところで、まさか壁を木製にする訳にもいかないしな」

「そうですね」


 ワーカーはダスカーの言葉に特に異論はなく頷く。

 実際。それは正しいのだ。

 もしギルムがあるのが辺境でなければ、トレントの森から得た木があれば十分に増築は可能だろう。

 だが、それでも木はあくまでも木だ。

 モンスターの中には、魔法を使うものもいるし、ブレスを吐くものもいる。

 ……そう、つまり炎だ。

 レイが得意としている炎の魔法だが、別に使えるのがレイだけだということではない。

 いや、寧ろ攻撃手段としては一般的だと言ってもいいだろう。

 それだけに、もし木で防壁を作ったとしても、あっさりと燃やされる恐れもある。

 また、木だけに腐りやすいという問題もあった。

 一応その辺りは魔法である程度対処が可能なのだが、それはあくまでもある程度でしかない。

 それ以外にも様々な理由があり、ギルムの増築には木材以外も多数の資材が必要となるのは当然だった。


「そうなると、その資材をどこから持ってくるか……ですね」

「ああ。どの商会に話を持っていくか、それでまた色々と動きが出るのは間違いない。それが良い動きならいいのだが、悪い動きとなると……ちょっとな」

「そうですね。ついこの間も、レイさんがスピール商会内部のいざこざに巻き込まれましたし」

「ああ、アゾット商会も巻き込まれたっていう」


 ギルムの中でも大手のアゾット商会の情報だけに、当然その報告はダスカーにも入っていた。

 そもそも、マリーナが自分に会いに来ただけの案件なのだから、それを忘れるような真似が出来る筈もない。


「ええ。取りあえず今回の件にはあまり関わらせない方がいいでしょう。何かを頼んだ後で、また問題が起こると色々とこちらも迷惑しますから」


 資材の調達を頼んだのに、内輪揉めで結局資材が届かずに街の増築が滞る……これが普通の街の増築工事なら特に問題はないだろうが、辺境のギルムとなると話は大きく変わる。

 何しろ、夜になれば様々なモンスターが活発に動き回る地域だ。

 それだけに、街の増築で動きが止まってしまえば……それは街にモンスターが入ってくるかもしれないということになる。

 勿論増築が一晩程度で終わる訳ではない。

 一ヶ月以上……いや、数ヶ月、規模によっては年単位の時間が掛かることも珍しくはない。

 それだけに、一つの商会が資材の買い付けに多少時間が掛かっても問題ない……と、そう普通なら思ってもおかしくはない。

 だが、その少しの遅れがギルムの増築作業全体に影響を及ぼすことを考えれば、そんな真似がそう簡単に許容出来る筈もなかった。

 結果として、スピール商会はギルムの一大公共事業の街の増築に関わることが出来ないか……関わったとしても、問題が起きても特に影響のない場所に回されることになる。


「それと、人を大量に集める必要があるな。特に大工の類だ」

「ええ、人の護衛に関しては私達の方で請け負います」


 すかさずそう告げてくるワーカーは、やはりやり手なのだろう。


「冒険者の数も普段以上に必要になる筈だが……大丈夫か?」


 ギルムには大勢の冒険者が……それも腕に自信のある冒険者が揃っている。

 それでも、街の増設工事に全面的に協力するとなれば、やはり人数が足りないのは間違いなかった。

 何故なら、街の増設工事が行われている間にも、普通の依頼は次から次にくるのだ。

 討伐依頼に回す人手を少なくすれば、モンスターの数が増えて増設工事をしている場所をモンスターが襲撃する可能性もある。

 また、採取依頼に回す人手を少なくすれば、ギルムに出回るポーションやマジックアイテムといった代物が品薄になってしまう。

 商人の護衛に回す人手を少なくすれば、モンスターや盗賊に襲われても守り切れなくなってしまう。

 普段であれば、ギルムの近くに盗賊は出ない。

 だが、街の増築ともなれば大量の商人や物資を必要とするのは間違いなく、その商人を求めて盗賊もまた増える。

 ……もっとも、その増えた盗賊も殆どはギルムではなく、通り道にあるアブエロの付近で活動するのだろうが。


「草原の狼も動かした方がいいだろうな」

「それは、確かダスカー様の……いえ、ギルムの諜報部隊的な存在ですよね」

「ああ。マリーナから聞いてたか?」

「それもありますし、優秀な部隊だというのは色々と噂に聞いてましたから。ともあれ、冒険者の数を色々と増やすというのは必須でしょうね。……それこそどのくらい増築するかの規模にもよりますが」


 ワーカーに視線で尋ねられたダスカーは、男臭い顔に笑みを浮かべながら口を開く。


「ギルムの広さを……そうだな、今の状態から四割……出来れば五割増しくらいにはしたい」

「……それは、また……」


 予想を遙かに超えたダスカーの言葉に、ワーカーは言葉が出ない。

 増築するという話はしていたが、それでもまさかそこまで大規模なものだとは思ってもいなかったのだ。

 だが、ダスカーにとって……いや、ギルムの領主にとって、街の増築というのはそう簡単に始められることではない。

 そうである以上、一度やると決めたらとことんまでやると考えるのは当然だった。

 勿論何もない田舎にある街でそれだけの増築工事をしても、結局人が集まらずに過疎化が進むだろう。

 だが、辺境にあるギルムは幾らでも人が集まる。

 正確には、今の状態でもかなり無理をしているのだ。

 そもそも、春になれば大勢の冒険者がやって来るのだから、人口は増える一方だった。

 勿論、病気や老衰、事故、事件……冒険者として活動していて、依頼に失敗したといったことで、死ぬ者も決して少なくはない。

 それでも、冒険者や商人が移住を希望したり、ギルムの住人の間に生まれた子供の数もあって、人口が減るよりも増える方が多いのだ。

 そうである以上、出来るだけギルムを広げたいと思うのは当然だった。


(それでも、四割、五割というのは……正直なところことが大きすぎると思いますけどね)


 ワーカーはそう思うも、ダスカーの様子を見る限りでは冗談を言っているようにはとても思えない。

 つまりそれは、本気だということなのだろう。


「私の立場からこう言わせて貰うのは申し訳ないのですが、そこまで大規模な増設工事だと、明確にギルムの冒険者では賄いきれません」

「だろうな。……だから、出来れば他の街に……ワーカーと友好的な関係にある街のギルドに話を通してくれ。ギルムに冒険者を派遣するようにと、勿論その際の依頼料はギルムで持つ」


 王都に準じる都市とは比べられないが、辺境にあるギルムは街というよりも都市と呼ぶだけの経済圏を持つ。

 ミレアーナ王国に唯一存在する辺境というのは、それだけの価値があるのだ。

 辺境にしか存在しないモンスターの素材や植物の素材、それ以外にも様々な収入源があるのだから。


「腕利きの冒険者じゃなく、それこそ一人前になったばかりの冒険者でも仕事はありそうですね」

「ああ。仕事をしている間の護衛や、夜の護衛といった仕事以外にも、それこそ力仕事として建築資材を運んだり、といった仕事をする者は何人いても構わないからな」


 寧ろその辺の一般人よりも身体を鍛えられている冒険者の方が、大きな荷物を運ぶといった真似をする場合は役に立つ。

 ワーカーもそれはダンジョンの近くでギルドの出張所をしていただけに、よく理解していた。

 ダンジョンに潜らず、大工の手伝いをしていた冒険者という存在も見たことがある。

 最終的に、その人物は冒険者を辞めて大工に弟子入りしたのだが。

 とにかく、冒険者というのは鍛えているだけあって力が強く、そういう意味では非常に便利な存在だった。


「分かりました。それで、具体的にはいつくらいから増築工事を始めるのでしょう?」

「……まだ、詳しくは分からん。今は色々と細かい計算を部下に命じている最中だ。まさか、こんな便利な建築資材が現れるとは思ってもみなかったからな。それも無造作に」

「そうですね。どういう理屈なのかはまだ分かりませんが、自動的に森が広がるというのは……」


 レイから報告を受けたレノラが書いた報告書。

 それによると、やはり森は昨日に比べて広がっているとあった。

 つまり、これからも毎日森が広がるのは確実であり、今の森の広さを考えてもギルムの増築作業に困るようなことはまずないだろうというのが、ワーカーの判断だ。


(スレーシャさんからの報告では、トレントがいるという話だったのですが……レイさんがこの木を伐採しても、トレントが出てくる様子はなかったと聞きます。その辺がどうなってるのかが気になりますが……それは、これからの調査で判明するでしょう)


 今のところは、まだトレントの森がどのような場所なのかというのははっきりと分かってはいない。

 勿論後々調べて行く必要はあるだろうが、それでもまずは準備を整える必要があった。

 少なくても、レイのような腕利きのメンバーを揃えるというのはそう簡単な話ではないのだが……それでもギルムの増築を行うのだとすれば、その辺りは少しでも早く動き出した方がいい。


(やはりレイさんですかね? ですが、レイさんはアイテムボックスを持っている以上、出来れば伐採の方に回って欲しいところですし……そうなるとやっぱりレイさんのパーティメンバー? いえ、やはり紅蓮の翼以外のパーティを……)


 色々と考えを巡らせるワーカーだったが、不意に木を調べていた錬金術師達の口から大声が出たのを聞くと、そちらに視線を向ける。

 ワーカーだけではなく、ダスカーも声の聞こえてきた方に視線を向けた。


「どうします?」

「行ってみるか。ああいう風に熱中している奴がいると、報告が来るのは遅くなるからな」

「……そうですね。それは否定出来ません」


 ダスカーの言葉に、ワーカーは静かな笑みを浮かべて頷く。

 この場で色々と考えても、結局のところはまだ情報不足だというのは間違いない。

 そうである以上、やはり紅蓮の翼以外の冒険者を……それも複数送って、少しでも情報を得た方がいいだろうと判断しながら。


「どうしたんですか? 何か喜んでいるようですが」


 ワーカーに話し掛けられたズモウスは、目を輝かせて口を開く。


「ええ。これを見て下さい! 特定の魔力を持った液体を触れさせると、その魔力に反応して硬度が上がっています」

「それは……昨日枝の件でも同じことを言ってませんでしたか?」

「はい。現象としては昨日の件と変わりません。ですが、決定的に違うのはその硬度です。これなら、街を覆う外壁にも使えるかもしれませんね」

「……火に対する耐性はどうなんだ?」


 ワーカーとズモウスの会話を聞いていたダスカーは、そう言葉を挟む。

 そう聞かれるのはズモウスにとっても予想外だったのか、言葉に詰まる。


「そ、それは……」


 そのズモウスの態度が、ダスカーの言葉に対する答えを表している。


「幾ら頑丈でも、炎で燃やされるという時点で壁には使えないぞ」

「……はい」


 火攻めというのは、攻撃する時に多く取られる手段だ。

 モンスターにしろ、人間にしろ。

 そうである以上、壁に使うのには火への耐性を求められるのは当然だろう。


「だが……その木は壁以外にも多く使えるかもしれないな。また何か分かったら教えてくれ」


 フォローのつもりなのか、ダスカーはズモウスにそう告げるのだった。

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