第1349話
宿の従業員は、レイ達を馬車の停めてある場所に案内するとすぐにまた宿屋に戻っていった。
プレシャスの部屋だけであっても、警備兵が調べるということは、宿に泊まっている他の宿泊客を落ち着かせたり事情を説明する必要がある。
幾ら手があっても足りない状況で、レイ達に構っていられるような余裕はないと、そういうことなのだろう。
もっとも、もしレイ達が得体のしれない者であれば、しっかりと馬車を調べ終わって出ていくまで放っておくといった真似はしなかっただろう。
従業員がそれを許可したのは、レイ達の中につい先日までギルドマスターをしていたマリーナの姿があり、またレイも異名持ちの冒険者として一定の信用があったからに他ならない。
ともあれ、従業員がいなくなったのを確認してからレイは興味深そうに周囲を見ているセトを呼ぶ。
「セト、この馬車だ。プレシャスの臭いを嗅ぎ分けられるか?」
「グルルルゥ……グルゥ!」
馬車に顔を寄せ、その臭いを確認するようにしてからセトは喉を鳴らす。
そこにあるのは、大丈夫という感情。
そんなセトを見て、レイは安堵の息を吐く。
「そうか、追えるか。……じゃあ、早速俺達もプレシャスを追うか」
「レイ、警備兵には伝えなくてもいいの?」
レイとセトのやり取りを見ていたヴィヘラがそう尋ねるが、レイは首を横に振る。
「向こうは向こうで動いてるんだし、こっちはこっちで動いた方がいいだろ。それに、他の連中と一緒に動くと足手纏いになる可能性が高い」
紅蓮の翼の面々であれば、冬の間一緒にすごしたり、戦闘訓練をしてきたこともあってお互いのやり取りは、完全ではないにしろ何となく分かる。
だが、そこに警備兵のような全く知らない――戦闘的な意味で――相手が入ってしまうと、いざという時に反応が遅れる可能性があった。
ヴィヘラもそれは理解しているのだろう。聞いて来たのは一応といった程度で、それ以上言うようなことはなかった。
「じゃあ、行くか。……セト、頼むな」
「グルルルゥ!」
レイの言葉にセトは嬉しそうに鳴き声を上げると、格納庫とも呼べる場所を出ていく。
周囲には幾つもの馬車があり、それぞれが微妙に違っている。
その辺りに興味深いものを感じるレイだったが、今はそれよりもプレシャスに追いつく方が先だった。
(後で夕暮れの小麦亭の格納庫でも見せて貰うか)
レイ達が泊まっている高級宿の夕暮れの小麦亭も、当然大勢の商人や冒険者が利用する以上、馬車を保管するための格納庫はある。
そもそも普段セトがいる厩舎は、その馬車を牽く馬の為の厩舎でもあるのだから。
……最近では夕暮れの小麦亭を定宿にしているレイのおかげで、セトが厩舎の主のような扱いになっているのだが。
ともあれ、馬車が気になるのであれば後で夕暮れの小麦亭のものを見ればいいと判断し、レイ達はそのままプレシャスの追跡に移る。
宿の入り口付近で臭いを嗅いでいたセトは、やがて空気中に漂う臭いからプレシャスの臭いを嗅ぎ分けたのだろう。何も迷うようなところを見せず、歩き出す。
そしてレイ達はセトの後を追う。
警備兵達がそんなレイ達を複雑な視線で見つめていたが、レイ達はその視線は特に気にした様子もなく受け流していた。
尚、最初に宿の周辺に散らばっていた警備兵は、既に宿の中に集められてプレシャスが使っている部屋を調べたり、他の客に情報を聞いたりしている。
レイ達が出て来たのを確認し、馬車を調べている者もいた。
(ま、頑張ってくれ。その隙に俺達は自由に動かせて貰うから)
背後の宿を見ながら、レイはセトを追う。
そして暫く歩き……
「あ、やっぱりこれはスラム街ね」
最初にそのことに気が付いたのは、当然のようにこの中で一番ギルムでの生活が長いマリーナだった。
セトの向かっている方向にあるのがスラム街だと、そう理解したのだろう。
ただし、以前レイ達がスラム街に向かった時とは違う道だ。
この辺り、プレシャスも追っ手を少しでも攪乱しようと、そう考えてのものなのだろう。
「スラム街だろうと、それこそギルムの外にいても、セトの鼻から逃れるのはまず無理だけどな」
セトの嗅覚については、大きな信頼を持っているレイが自慢げに呟く。
セトの身体を撫でようと手を伸ばし掛けたが、臭いを追っているセトの邪魔をしてはいけないと、手を引っ込める。
実際、レイがここまでセトを信頼出来るのは、セトが嗅覚を使った追跡で今まで実績を上げてきたからというのが大きい。
嗅覚上昇のレベルはまだ四で、スキルが大幅強化されるレベル五には届いていない。
だが、それでも元々のグリフォンとしての嗅覚が鋭いおかげで、十分な性能を発揮していた。
「さて、プレシャスはどこまで逃げるつもりなのかしらね。ギフナンが捕まった以上、もう言い逃れは出来ないわ。だとすれば、捕まった時点で終わりなんだけど……」
「そう? ギフナンをレイが連れていったのを見て、すぐに宿を出たってことはギフナンを切り捨てたんでしょ? なら、今回の件はギフナンが自分で判断して自分でやったと言い張るつもりかもしれないわよ?」
マリーナの言葉にヴィヘラがそう告げるが、それを聞いていたマリーナは首を横に振る。
「ヴィヘラも元皇女なら分かるでしょ? 部下の失態は上司にも来るのよ。ましてや、ギフナンはスピール商会所属の冒険者という訳ではなく、プレシャスが私的に雇っていた冒険者でしょ? なら、その責任を逃れることは出来ないわ」
「……ふーん。随分と大変なのね」
そんな会話をしている間にもセトは順調にプレシャスの臭いを追い、やがてレイ達一行はスラム街の中に入る。
「さて、そろそろ追いついてもいい筈なんだけど……だから、お前達が出て来たんだよな?」
スラム街の中に入って、十分程……レイがミスティリングからデスサイズと黄昏の槍を取り出して構え、マリーナは弓に矢を番え、ヴィヘラは格闘の構えを取り、ビューネは白雲を構える。
そんな一行の前に現れたのは、レイ達にとっても見覚えのある面々……そう、プレシャスの護衛達だった。
「……こんなに早くここまで辿り着くとはな。このまま帰ってくれると嬉しいんだが、そう言って聞く筈もないだろう。だが、ここを通す訳にはいかない」
護衛の中でもリーダー格の男なのだろう。三十代程の男が、長剣を構えながら呟く。
その表情に浮かんでいるのは、苦々しげな表情。
自分達が戦ってレイ達に勝てるとは思っていない。
だが、それでもプレシャスを助ける為には、自分達がここで時間を稼ぐ必要がある。
(まぁ、俺達がここで時間稼ぎをしても、それでどれだけプレシャスさんが逃げる距離を稼げるのかは分からないけどな)
ギフナンがレイに連れていかれてから、プレシャスは少し迷った末に宿を出ることを決めた。
そうしてやってきたスラム街だったが、まさかこれ程早くレイが自分達を追ってくるとは思わなかった。
スラム街の何人かにレイ達が……グリフォンを連れた者が来たら教えてくれるようにと約束しておいたのが功を奏した形だ。
それでも、こうしてレイの前に立った護衛達は自分の中にある恐怖を何とか押し殺すことでようやく立っている状況に近い。
「そうやって俺達の前に立ち塞がるということは、プレシャスも自分が罪を犯しているということは自覚しているらしいな。……そうやって捕らえる邪魔をすればする程、プレシャスの罪は重くなるぞ」
「……そう言われて、はいそうですかとは言えないんだよな。残念ながら」
手にした長剣が震えないように、しっかりと腕に力を入れながら男が叫ぶ。
「そうか。……なら、こっちも相応の対応をさせて貰おうか」
そう言いながらも、レイは目の前にいる者達を殺すつもりは全くなかった。
いや、寧ろ絶対に自分の勝てない相手であると承知し、その上で尚プレシャスの為に自分と戦おうとしている。
その忠誠心は、レイの目から見ても好ましいものだった。
……もっとも、だからといってそれに付き合ってやる程、レイは優しくはなかったのだが。
目の前にいる者達の存在には好感を覚えるが、ここでプレシャスを見逃すという選択肢は存在しない。
「さて……行くか」
その言葉が開戦の合図となり、紅蓮の翼は攻撃を開始する。
レイはデスサイズと黄昏の槍を構えたまま、前に出る。
そうして護衛達のリーダー格の男との距離が縮まり、向こうが長剣を振った瞬間、跳躍してその一撃を回避する。
同時にスレイプニルの靴を発動し、空中を蹴りながら男の後ろに着地。
振り向きざまにデスサイズの柄を振るい、男の足を薙ぎ払う。
振り向く動きは変えず、足下を薙ぎ払われて地面に転ぼうとしている男を黄昏の槍の柄で一撃。
それだけで、男は真横に数m程も吹き飛んで建物にぶつかり、地面に崩れ落ちる。
背中から壁にぶつかった衝撃で完全に意識が奪われていたのだが、それはレイと男の実力差を考えれば当然のことだったのだろう。
意識は奪ったが、命は奪っていないことを確認したレイは、他の戦闘に視線を向ける。
ヴィヘラは、舞うように踊りながら護衛を三人程倒していき、マリーナは弓で牽制しながら精霊魔法を使って意識を奪っていく。
ビューネのみは白雲があっても向こうもそれなりの腕ということもあって多少苦戦していたが、それでも最終的には透明な長針を投擲して隙を作り、そこに白雲の柄による一撃を相手の鳩尾に埋めて意識を奪う。
セトにいたっては、相手を殺さないように手加減をしながらの一撃を振るい、あっさりと意識を奪っていた。
……全ての戦闘が終わるまでの時間は、三分も掛かっていない。
一番長く戦闘が行われていたのは、やはりというか紅蓮の翼の中では最弱のビューネだった。
「うん、全員殺していないな。……さて、じゃあセト。改めてプレシャスを追うか。向こうもこの戦力で俺達をどうにか出来るとは思ってないだろ。だとすれば、もしかしたらもう逃げ出しているかもしれない」
「戦闘時間を考えれば、その短時間でどこまで逃げられるかは疑問だけどね。馬でもあれば話は別だけど、馬車とかはそのまま宿に残ってたし」
ヴィヘラの言葉にビューネが頷く。
レイとマリーナもその意見には賛成だったが、それでも何らかの逃げる手段を持っている可能性は否定出来ない。
なら、下手な行動に出るよりも前に、さっさと捕まえた方が得策だろう。
「グルルルゥ!」
じゃあ、行くよ! とセトが喉を鳴らしながらスラム街を進んでいく。
そしてレイ達が姿を消し……やがてここが安全だと判断したのだろう。スラム街の住人達が、意識を失っている護衛達から武器や鎧、服……それと持っていれば金や宝石といったものを奪おうと姿を現す。
そして意識を失っている男達に近付いていくが……
「おい」
意識を失っている……いや、いた筈の男が口を開き、その声にスラム街の住人達は動きを止める。
スラム街の住人達が勘違いをしていたのは、紅蓮の翼に一蹴されたとはいえ、プレシャスの護衛達は元々腕が立つということだ。
今回このような目に遭っているのは、純粋に相手が悪かったからとしか言いようがない。
また、そのような負け方だった以上、負傷もそれ程多くはなく、体力的にもまだ十分に……少なくても目の前にいる者達を相手に戦うだけのものは残っていた。
そんな男達の声にスラム街の住人は思わずといった様子で動きを止め、彼我の実力差を理解するとそのまま去っていく。
その様子を見送りながらも、男はこれからどうするのか……プレシャスが捕らえられた後でどうするべきなのかを考えるのだった。
「グルルルゥ!」
スラム街の中を、セトが喉を鳴らしながら走る。
その速度はスラム街の外にいる時よりも明らかに速い。
それだけプレシャスとの距離は近付いてきている証拠なのだろう。
そうしてセトに導かれるように進むレイ達だったが……そのセトの動きが不意に一つの建物――ただし相当に古い――の前で止まる。
「ここか?」
「グルゥ」
レイの短い一言に、セトも同様に短く鳴き声を漏らす。
間違いないと鳴き声を上げるセトを見れば、レイ達もそれを怪しむような真似はしなかった。
「行くぞ」
「ええ」
レイとヴィヘラが短く言葉を交わしマリーナとビューネも無言で頷く。
セトは中に入ることが出来ないので、当然のように建物の外でプレシャスが逃げ出さないのかを見張っている。
そうしてレイ達が建物の中に入ると……予想外に、どこか落ち着いた様子でプレシャスが迎える。
宿から逃げ出した経緯を考えれば、プレシャスが座っているソファは持ち込んだ物という訳ではなく、元からここにあったものだろう。
「驚いたな。護衛達をこっちに寄越した時点でもう逃げ出していると思ったんだが」
「……残念ですが、私一人でレイさんから逃げられるとは思っていませんよ」
こうして、逃げられないと悟ったプレシャスは最後は呆気ない程に抵抗もなく捕まるのだった。
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